151.第九の数字(๙)【後編】
チャーイハートは巨大岩石をコツコツたたいた。
「封印されたトカゲザメは数日後に自動的に解放されるようにしておこう」
俺たちを襲ってきた巨大トカゲザメはウィマーンの仲間かもしれないので、ウィマーンの逆鱗にふれないよう過剰な封印はさけたほうがいい。
表面をたたきつつ、チャーイハートがなにやら詠唱を始めた。
ほかのみんなは休憩している。
サメを封じた岩石から目を離し、ニウフアメーがクマリーに笑みを向けた。
「さっきはわたしを強化してくれてありがとう、クマリーちゃん」
当然ながらクマリーがウォーウェーン(ว)の力によって文字保有者をサポートできることについては、とっくに全員が了解している。
クマリーも満面の笑みを返した。
「マイペンライですっ。アメお姉さんもみなさんもクマリーはお助けしますよ~」
「頼もしいね。ところで」
ニウフアメーがクマリーの水着をじっと見る。
「そのかわいい水着は自分で出したんだよね?」
「はい。シー(๔)ちゃんと出会ったあとだったかな……エーンお姉さんたちみたいに水着になろうと思ったら、もとの服が溶けて水着が装着されたんです」
「子音字四十二個だけに満足せずさらに書き言葉の知識を学んだことで、ウォーウェーンが成長したってことだね。ちょっと試してみてほしいんだけど、わたしに水着を着せることはできるかな。今のわたし、髪でごまかしているとはいえ、すっぽんぽんだから」
「やってみますっ! あ、そうだ。センセーの教えに従って、クマリーも詠唱をばっ!」
文字保有者の詠唱は、必要なときに力を発動するためにあるのではなく、不必要なときに力を発動させないためにある。
発動する文字の力にひもづけられた特定の言葉が「詠唱」となるわけだ。
そのひもづけがなされれば、詠唱しない限り力は暴発しない。
これこそが、フォーファン(ฟ)の文字保有者であるセンセーが確立してくれた「文字との付き合い方」である。
クマリーが俺たちの保有する文字や名前を宙に書いて強化をおこなうのも、一種の詠唱行為と見なせるだろう。
「チュットワーイナームっ!」
水着を意味する「チュットワーイナーム」自体はめずらしい言葉ではないものの、単体で使う場合に限定すれば充分に詠唱としての役割を果たすことができる。
しかしクマリーが何回詠唱してもニウフアメーに水着は装着されなかった。
「ありゃ……?」
「もしかしたら、くっつけるものを別に用意する必要があるのかもね。クマリーちゃんの水着の場合は君の周囲を取り巻く精霊のエネルギーを変換して作り上げているようだけど」
そういえばディアオと分離したときはクマリーの体を白っぽい霧が覆い、その霧が彼女の衣装に変化していた。
もともとクマリーが自分の衣装とセットで存在するピーであるからこそ、エネルギー体でもある衣装を水着に作り替えて装備することができたのだろうか。
クマリーは肩を落としてしょんぼりする。
「ごめんなさいアメお姉さん……クマリー、期待に応えられませんでした……っ」
「そんなことないよ。ほら」
ニウフアメーは左足を上げた。
水が足全体にくっついて離れない。まるで透明な靴である。
右足にも水の靴が装着されているようだ。
水のゆかの一部を足に付着させたということか。
「ウォーウェーン(ว)の力は確実に発動している。クマリーちゃん、素敵な靴をはかせてくれてコープクン」
「……マイペンライですよっ!」
コープクン(ありがとう)とマイペンライ(どういたしまして)をくり返したのち、クマリーがエーンを呼んだ。
ニウフアメーに合う水着があるかクマリーは尋ねる。
エーンが五本足のタコからすぐに水着を出してくれたので、クマリーは喜んだ。ニウフアメーは謝意を示した。
俺が背を向けて遠くに離れると、後ろから肩を組んでくる者があった。
ボリュームのある赤茶色の髪が右頬に当たる。
「ティットくん。クマちゃんは順調に成長を重ねてるね」
「そうだなエーン。数字を学んだのも刺激になったんだと思う」
「ウチ、気になったんだけど……そのうちクマちゃんは数字を刻むこともできるようになるんかな」
「確かに可能性はある。だけど、それができるなら元ウォーウェーンのスーンが文字保有者に加えて『数字保有者』をも生み出していたんじゃないか」
「だよねー。そこんとこ、どうもしっくりこないんよねー。文字の力もすさまじいんだから数字の力だってものすごいはず。スーンさんがウチらと戦ったときだって、乗っ取っていたディアオさんの体に数字を刻んでパワーアップすればよかったのに。ディアオさんの強じんな体なら余裕でそういうことができたはずっしょ。ん~、それとも字を刻むには、ほかにも条件が必要だったのかなー」
「……スーンが自分の本性を隠していた段階であえて切り札として数字を温存していた可能性は考えられるかもしれないが、どのみちディアオを乗っ取り、クマリーも取り込んで間もないあの時点ではウォーウェーンも万全じゃなかったんじゃないか」
「いやいやティットくん。スーンさんは普通にラーちゃんのホーノックフーク(ฮ)をはがして自分にはめてなかった? そのあとすぐに返してたけどさ」
「確かに。字の着脱自体は可能だったわけだ。じゃあ文字はよくて数字はダメだったのはなんでだ。……明確な違いと言えば、文字がすでにそこにあったのに対し、もともと数字はそこに用意されていなかったことくらいだろうか」
「単純に着脱するよりも、新しく刻むほうが大変ってことかもしんないね」
両腕を伸ばし、エーンがわきを見せる。
ここで、通路の奥から赤いピーが飛んできた。
岩石の立っていない方向から新しい数字(๙)のピーが姿を現したのだ。
俺たちが上層から下層に移動したあともニウフアメーの撒き餌は問題なく機能しているらしい。
(ニウフアメーは数字のピーを引き寄せるべく、散布した文字のエネルギー濃度も細かく調整しているようだが……俺たちの移動にともなってエネルギー濃度のもっとも高い場所も一緒に移動しているとすれば、一箇所にとどまらずとも誘導に不都合は生じない)
新たな数字のピーはエーンのまわりを舞い始めた。
それに気づいたクマリーが飛んできて、その数字も学びたいと言う。
彼女の知識欲と好奇心には逆らえないし、きちんと数字を学び終えたらクマリーのウォーウェーンはもっと強力になると思われる。
例によって俺は、数字のピーを見ながらクマリーと共に数字の軌跡を指でたどる。
九を示す「ガーオ(๙)」の数字だ。
まず左下のやや右に寄った場所に時計回りで小さな丸を作る。
丸の左側から線を突き上げたあと、上に寄りつつ左に張り出す弧を引いていく。
弧の向きが右斜め下へと向いたタイミングで、その方向にまっすぐ線を引っ張る。
すでにえがいた丸の底と同じ高さに達したら斜めの線をなぞりなおすように折り返す。
線が弓なりの弧に戻る直前に真上方向に少しだけ線を持ち上げ、すぐに急カーブをえがいて右斜め下に線を引く。折り返しの斜め線よりも、やや緩やかな坂を作るといい。
線の真下に右下の端が来たあたりでさらに急カーブを追加して線を持ち上げる。
ほぼ断崖絶壁の線を引いたのち右上でとめる。
これで「数字の九」すなわち「ガーオ(๙)」の数字の書き順は終わりだ。
「なぞっていて、とってもグイグイッてくる数字ですねっ。しなやかな弾力があるようで、クマリーもガーオ(๙)ちゃんの魅力に吸い込まれてしまいそうです! そしてクマリーがまだ学んでいない数字はあと一つなんですよねっ。ここまで来られたのもやっぱりお兄さんたちのおかげ。ありがとうございます!」
「数字のコンプリートも目前だな」
「クマちゃんを観察していると飽きないね」
エーンはタコ糸をまとめた棒を揺らしてそれにつながれた五本足のタコを踊らせた。
ガーオ(๙)のピーは右下の端で、タコをツンツンつついている。
* *
巨大岩石をその場に置いたまま俺たちは休憩を終え、さらにゴ・ナームを下りていく。
残り二体の数字のピーとの接触を待ちながら進む道中、プリアさんとニウフアメーがこんな会話を交わしていた。
「ねえプリアちゃん。君にはどんな夢があるのかな」
「な、なんですかいきなり……ワタシに夢なんてありませんよ」
「もやっとした願望とかでもいいから知りたいな。ちなみにわたしは魔力を極限まで高めるのが夢なんだ」
「ワタシには魔女さんみたいな向上心すらないです。しいて言うなら……『安心』したいだけですって」
「それも立派な夢だね」
「自己中なだけでは……?」
「わたしの夢だってヘンゲートゥア(自分のエゴ)だよ。でもそれでいいんじゃない? 誰かのためにがんばることも、自分のためにがんばることも、どっちも等しく尊いもの」
その話に聞き耳を立てていた俺は、ニウフアメーが真実を暴くパオインチュップを仕掛けるのではないかと予想した。
が、そんなことはせず彼女はプリアさんに続ける。
「生きるというのは、自己賛歌。自分は素晴らしいのだと高らかに歌うこと。本当は命に上下なんてない」
「意味が分かりませんよ……っ」
「プリアちゃんもわたしも、ほかのみんなも全員すごいってことかな」
ニウフアメーはクマリーに装着してもらった水の靴でゆかを蹴り、小さく水しぶきを上げた。
* *
さて最下層に再到達する前に、俺たち十一人はスーン(๐)とヌン(๑)の数字にも遭遇した。
最後の二体が難なく見つかったのはニウフアメーの撒き餌のおかげである。
ただし一緒に出現したので、「シップ(๑๐)」すなわち「十」の数字かとも思った。
ヌン(๑)はチャーイハートに、スーン(๐)はプリアさんについた。
プリアさんは同じ名前を持つ人物を思い出しているようで、眉をひそめている。
これで数字のピー十体すべてがそろったわけだが、スカティの待つ最下層に入る直前、俺たちは腹ごしらえを済ませた。
体調不良の者がいないかも確認する。
俺は保管してある医者の兵隊の白いしっぽを放出し、念のため全員を治癒しておいた。
あとは鐘のイヤリングでホーノックフーク(ฮ)に連絡する。
ギンガー海域制圧作戦が最終段階に入ったとの報告を済ませたのだ。
それから螺旋状の坂を下り、中央に棺桶のある大部屋を再び訪れた。
ただしチャーイハート、ニウフアメー、リアンゲ、ナーグルアは初めてその赤茶色の扉を目撃したことになる。
そのなかに依り代の青年・スカティが封印されている。
だが前と違っていることが一つ。
竜の大きな青い右手と緑の左手が水の地面から突き出ており、鱗で覆われた手の平を見せながら棺桶の左右で待ち構えていた。
次回「152.ゼロの数字(๐)【前編】」に続く!
๙←これが「9」の数字。斜めの線が多いのが特徴的ですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ガーオ(เก้า)→数字の9(๙)
シップ(สิบ)→数字の10(๑๐)
チュットワーイナーム(ชุดว่ายน้ำ)→水着
ヘンゲートゥア(เห็นแก่ตัว)→自分勝手




