148.第八の数字(๘)【後編】
チャーイハート班と再合流したあと、俺たちはゴ・ナームの上層で小休憩を挟む。
クマリーはニウフアメーのそばにいる数字(๘)のかたちをした精霊に注目した。
「おや……っ?」
それはクマリーにとって新たな数字である。
ほかの数字のピーたちと同様に、色が赤い。
しかしクマリーはバナナの房のような茶髪を揺らし、むむむとうなった。
「あれ……? なんか初めて会ったような気がしませんっ」
「クマリーちゃんはみんなの名前の書き方を学んでいるわけだから、たぶんあれじゃない?」
冥色の瞳を底光りさせ、ニウフアメーが母音記号の名を口にする。
「マーイタイクー(◌็)」
「あ、なるほどっ! アメお姉さんのおかげでつながりました! 確かに『マーイタイクー(◌็)』とその数字(๘)のピーちゃんがとっても似ているんですっ」
母音記号「マーイタイクー(◌็)」は同じ母音記号の「マーイナー(เ)」と組み合わせることで「エ」という音をあらわせる。
文字保有者のセンセー(เซ็งแซ่)、レック(เหล็ก)、マレット(เมล็ด)の名前の書き方を学ぶ際にクマリーは「マーイタイクー(◌็)」にふれているのだ。
「といってもクマリーには見た目の違いが分かりません」
「まあ書体にもよるんだろうけど、わたしもこの二つ(๘ ◌็)は大きいか小さいかで判別するしかないと思ってるよ」
リアンゲの頭部が入った半透明の箱をなでながらニウフアメーが答えた。
当のリアンゲはオレンジ色の箱のなかで無言のまま愉快そうに口の端を持ち上げている。
おそらくクマリーが自力で数字の「ペート(๘)」と母音記号の「マーイタイクー(◌็)」の類似に気づいたことにリアンゲは喜びを覚えているのだろう。
なんとなく俺もうれしかった。
(以前も声調記号の「マーイエーク(–่)」と母音記号の「フォントーン(')」が似ていることにちゃんと気づいていたし、同じようなかたちの記号でもその意味や役割が異なると感覚的に理解しているんじゃないかな)
クマリーが飛んできて、俺の右腕を引っ張る。
「一緒に書いてもらえませんかっ」
「いいけど……ニウフアメーになついた数字(๘)の書き順はマーイタイクー(◌็)と同じような感じなんだが」
「お兄さんと一緒に書きたいんですっ!」
「そういうことなら」
「わーいっ」
言いつつ、クマリーが俺の右腕にコープクン(ขอบคุณ)と指でしるした。
マーイタイクー(◌็)に似ているのは、八に対応するペート(๘)の数字である。
ペート(๘)は数字なので子音字とセットで使う必要はない。
(ちなみに俺の使役する医者の兵隊の「ペート(แพทย์)」と数字の八を意味する「ペート(แปด)」は別の単語であり、微妙に発音が違う)
「母音記号じゃないからほかの数字のように大きく書いてみよう」
まず右下に小さな丸を時計回りでえがく。
丸の下から左斜め上に短い線を突き出したあと、丸のてっぺんよりもやや低い高さから左斜め下へと折れる。
左下から、左に張り出す弧を引きつつ線を持ち上げていく。
それから右へと緩やかな上り坂の線を引っ張り、丸の上あたりに来たタイミングで急な上り坂を短く続け、右上でとめる。
こうして「数字の八」すなわち「ペート(๘)」のかたちができあがる。
「センセーはマーイタイクー(◌็)のかたちを美しいと言ってましたが、おっきなペート(๘)ちゃんの数字はその美しさを余すところなく堪能させてくれますね~」
ついでクマリーはリアンゲの緑がかったは虫類のような目と目を合わす。
「リアンゲさん。ペート(๘)の数字はうねりながら迫ってくる蛇のようでもありますね」
「分かっているじゃないかね、ウォーウェーン(ว)。本当に君は素晴らしい審美眼を持っている」
うれしげに応じるリアンゲだったが、彼に取りついているハー(๕)のピーがコツコツと箱にぶつかってくる。
「嫉妬させてしまってすまないね、ハー」
そう言ってリアンゲがなだめると、ハー(๕)はおとなしくなった。
ペート(๘)に至っては、ニウフアメーの螺旋状の長髪をすべり台にしてすべり始めた。
* *
「ところでアーティットくん」
耳にビリッとくる声と共にニウフアメーが五枚の上着をひらひらさせる。
「水着、似合ってるね。エーンちゃんに貸してもらったのかな」
「ああ。ウィマーンと対峙したときに服が水を吸ったから」
俺はニウフアメーの暑そうな服装と涼しい顔をさりげなく目に入れた。
彼女は軽くほほえんで、黒いバラを逆さまにしたようなスカートを揺する。
「今の時点でアーティットくんもクマリーちゃんもサラサくんもヒマちゃんもキアちゃんもエーンちゃんもプリアちゃんもチャーイハートも水着だね。なんかナーグルアとリアンゲくんとわたしだけが普段どおりの格好だから浮いちゃってる感じ。わたしも水着になろっかな?」
「水の島『ゴ・ナーム』のなかだと、そっちのほうが動きやすくはあるな」
今回の作戦では、時間が進むごとに一人また一人と水着になっている。
さらに少しずつ、数字のピーも文字保有者たちに取りついているわけだ。
「ニウフアメー。残り三体の数字のピーは、このゴ・ナームのなかにいるんだろうか」
「いるんじゃない? ほかの数字のピーの発見場所を考慮すると、その中心にゴ・ナームが位置するし。スカティ・ウィマーンと共にリアンゲくんの縄のなかにいたのは確実だと思う」
「といってもソーン(๒)とサーム(๓)はギンガー海域に突入する前に姿を現した。まだ遭遇していないスーン(๐)とヌン(๑)とガーオ(๙)がゴ・ナームどころかギンガー海域の外に出ている可能性もあるんじゃないか」
「いいや、その三体とは必ずゴ・ナームで会える」
自分の髪をすべり台にするペート(๘)を、ニウフアメーが愛撫する。
「……アーティットくんもすでに数字のピーたちが文字保有者たちに引き寄せられているのは気づいてるよね?」
「まあな。数字のピーは自分と似たかたちを持って動く文字保有者を仲間と思っていそうだな」
「わたしの仮説はちょっと違う。数字のピーたちは『文字のエネルギー』を吸うためにわたしたちのそばを飛んでいる。実はわたしたち文字保有者の体からは、それぞれの保有する文字のエネルギーが少しずつ放出されているんだよ。ヨムは空きビンをかたむけて『アロイ(うまい)』と言ってたみたいだけど、それもビンのなかに文字のエネルギーを微量ながら蓄積して口に含んでいたからって考えると説明がつくわけ」
「ミナー(なるほど)……とすると、数字のピーは俺たちから放出されるその文字のエネルギーを遠くから感じ取って文字保有者にみずから近づいてきたわけだな」
「そういうこと。ウィマーンがいったん数字のピーたちを逃がしたっぽいのも、そもそもスカティの棺桶をあけるために文字のエネルギーが必要だからじゃない? それでいったん文字保有者と数字のピーを接触させてエネルギーを補給させてるんだよ。数字のピーたちを本当の『鍵』にするために」
「そしてウィマーンがゴ・ナームに通路をあけて数字のピーを放ったのは、そのピーたちが文字のエネルギーをたどって必ず文字保有者を見つけてくれると確信しているからか」
ひとたび数字のピーと俺たちが接触すれば、俺たちは数字のピーが飛んできたギンガー海域のほうに目を向け、どのみちゴ・ナーム内部を調査してスカティのもとにたどり着く。
ここで俺たちの会話を聞きつけたキアが近くに来てつぶやいた。
「ゴ・ナームの通路はスカティの脱出路に限らず数字のピーの通り道であり、われらがノコノコそのピーたちを連れてくるための順路でもあったわけだな」
このあとすぐ俺たちは、この仮説をみんなと共有した。
仮説が正しければ、ウィマーンもなかなか策士である。
ただしウィマーンがスカティを助けたい一心で仕組んだ策とも思われるから、やはりこれだけでスカティやウィマーンを敵と断定することはできない。
数字のピーを集めてスカティの棺桶をあける予定はそのままだ。
そしてニウフアメーがリアンゲの箱を水のゆかに置く。
一番上の紫の上着をニウフアメーが脱いだ。
「じゃ、チャーイハート。準備が整ったからまくね」
リーダーのチャイハートの首肯を確認し、立て続けに青・緑・黄・赤の上着を脱ぎ捨てる。
トップスは袖のない白いブラウスだけになった。
事情が分からず困惑する俺やプリアさんを一瞥し、ニウフアメーが唱える。
「ダイグリン」
すると五枚の上着が空中でサラサラと溶けた。
砂より細かな粒子と化してあたりに散らばり、遠くへ飛んで見えなくなった。
「すでにリーダーの許可は取ったことだけど、服に文字のエネルギーを織り込んで、その破片をわたしの魔力でゴ・ナームおよびギンガー海域全域に散布させた。これで残り三体のピーをおびき寄せる。そのためにわたしたちに近い場所ほどエネルギー濃度を高くしたよ。エネルギーを付着させた粒子はとても小さいから液体も固体も通り抜ける。海域封鎖を担当しているわたしの髪からもエネルギーを放出させたから、もしギンガー海域から出ている個体がいるとしてもゴ・ナームに帰還することになるわけだね」
確かに文字のエネルギーを数字のピーが吸おうとしているのなら、ニウフアメーの誘導は有効だ。
これまでずっとスカティやウィマーンのそばにいたとすれば、数字のピーも彼らのいるギンガー海域から離れすぎることはないだろう。
動きを少しだけ激しくするペート(๘)たちを見回し、魔女が赤黒い靴で水しぶきを上げる。
「有り体に言えば、撒き餌だね」
しぶきはそれぞれ不可思議な軌道をえがいて数字のピー一体一体に当たったものの、当のピーたちは動揺する様子を見せない。
次回「149.第九の数字(๙)【前編】」に続く!
๘←これが「8」の数字。センセー(เซ็งแซ่)やレック(เหล็ก)といった言葉に使われる母音記号「マーイタイクー(◌็)」と形が似ている……というか大きさ以外同じにしか見えませんね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ペート(แปด)→数字の8(๘)
ダイグリン(ได้กลิ่น)→におう




