146.第七の数字(๗)【後編】
サラサルアイは生まれつき二本足だけで立つことができない。
そもそも骨格が通常の人間と違うので、杖を使って直立することも不可能だ。
だから彼は両足のみならず両手を使って――つまり四つ足を地面につけて生活している。
スーンにモーマー(ม)を刻まれてからは四つ足でかなり自由に動けるようになったわけだが、その前は不便なことも多かったそうだ。
四つ足で生活する人間がほかに存在しない以上、人間の道具も建物も常識もサラサルアイに合わせたものにならない。
ただ、両親はそんなサラサルアイを溺愛していた。
前足すなわち両手用の靴を自分たちで作ったり、すべての窓とドアを低い位置から開け閉めできるように家をリフォームしたり、なんで自分だけ四つ足なんだろうと考えているサラサに「みんなそれぞれ『なんで自分だけがこうなんだろう』と考えていることがあるんだよ。それを知っているサラサはそんなみんなの悩みに寄り添うことができる。そんな優しい子だからサラサは誰よりもかっこいい四つ足の姿で産まれてきたんだ」と伝えたりした。
両親は家の庭に大きなプールも作った。
二本足で立つ人の感覚からすれば底の浅いプールである。
サラサは泳ぐのが好きだった。
まわりに水があると、比較的自由に動けるからだ。
今のサラサは「馬のモー(ม)」である「モーマー」を保有しているおかげで陸上の移動に長けているものの、もともと彼は水中を泳ぐことのほうが得意なのだ。
現在も俺を背中に乗せたまま、サラサルアイが水中でウィマーンの爪をかわす。
俺は心のなかで感謝しながらタハーン・ルアを呼び出してそちらに乗り換え、ウィマーンの一対の手を引きつける。
だがダイナミックに泳ぐサラサを襲う手は二対だった。
青い鱗の右の手と、緑の鱗の左手が二重になってサラサを引き裂こうとする。
対するサラサは詠唱する。
「ギープ」
実際はゴボゴボと泡が出ただけで、ハッキリとした言葉になっていない。
それでも力は発動する。
サラサの額に刻まれたモーマー(ม)が赤く輝く。
彼は文字のなかに手を突っ込んで、黒ずんだ四つの蹄鉄を引っ張り出した。
いったんウィマーンの爪を回避し、蹄鉄二つを自分の両足へと投げる。
残りの二つを手にはめて、両手両足すべてに蹄鉄を装着した。
ウィマーンの二対の手はそれぞれ違う方向からサラサに攻撃を加えようとした。
だが蹄鉄を装備したサラサの動きは速くなっていた。
急カーブをえがくように旋回し、かすることすら許さない。
業を煮やしたのか、ウィマーンが四つの手をサラサに向かって乱打する。
強烈な水の流れが発生し、俺もルアもプリアさんのルアダムナームも押し流されそうになった。
瞬間、サラサの装着した蹄鉄の黒ずみが墨のように溶ける。
代わりに半透明の赤い光が四つ足からほとばしった。
光というよりもむしろ炎に見える。
まるで地面を駆けるようにサラサは螺旋状に上昇した。
追跡するウィマーンの二対の手も速すぎるが、サラサの泳ぎのほうがもっと高速である。
かつ繊細だ。すさまじいスピードであるにもかかわらず小回りが利いている。
サラサはいっさい猛攻を食らうことなくウィマーンの攻撃を完璧に引きつけ、ルアダムナームの逃げる隙をみごとに作り上げた。
赤茶の潜水艦が充分に離れたところでエーンのタコアゲによるからあげが俺の口内に生じた。
その味覚言語が潜水艦内への帰還を要請した。
サラサも同じ指示を受けたようで、いったん水上に出て息継ぎしたあと俺と同時にウィマーンから全力で離れる。
しばらくウィマーンは追ってきたが、ある程度距離があいたところで静かに引き返していった。
* *
「ああああ、なんなの……っ。あれがマンゴーン……っ。死ぬってワタシ、もうヤだあッ!」
プリアさんは空気で満たされた立方体の空洞に潜水艦を突っ込ませたのち、ハッチを即座にあけて水の地面に転がり落ちた。
少し青っぽい瞳がいつも以上によどんでいる。
「なんで……? こっちから攻撃どころか反撃もしてないのに、なんであんなに敵意むき出しなの……っ。きっとワタシがいたからだ。ワタシみたいな性悪モクズ女の根暗オーラを感じ取ったに違いない……っ」
「んなことねえってプリアちゃん!」
サラサがプリアさんのそばに寄り、背中をそっとさする。
なお、赤い炎のような蹄鉄はすでに消滅した状態だ。
「おれら七人がウィマーンを傷つけず全員無事に逃げられたのはプリアちゃんの操艦技術あってこそだぜッ」
「操艦……? 操船じゃなくて? なぐさめてくれるのはうれしいけれど、サラサルアイさん」
息を小刻みに出し、プリアさんが自嘲する。
「ジョットマーイ船長に比べればワタシなんてへろへろぴーだよ……ふへっ」
「そりゃプリアちゃんはジョットマーイになれねえさ。おれだってジョットマーイとは違ってたくさんの人を一度に運べない。でもおれは四つ足だし、プリアちゃんには潜水艦のルアダムナームがある。ジョットマーイが操船技術に優れているんなら、プリアちゃんは操艦技術に長けてんだよ」
「そ、操船も操艦も同じ意味じゃん……っ」
「似てるだけさ。おれもみんなも頼りにしてんだぜ」
栗毛と同じ色の瞳を細め、サラサルアイが快活に笑む。
「プリア艦長」
「……か、艦長っ!」
確かにプリアさんは潜水艦ルアダムナームをあやつるので、その呼び方も変ではない。
ジャンク船の「船長」であるジョットマーイとはまた違った響きでもある。
「艦長、艦長……プリア艦長……ふ、ふふ……っ。艦長かあ……っ。え、悪くないかも……!」
目のよどみが薄らぎ、顔がほころび始めた。
サラサもうれしそうにプリアさんに笑顔を向け続けている。
そんなサラサのもとに、新しい数字(๗)のピーが近づいた。
もともとこの部屋にいたピーのようで、先ほどまで赤い体をすみっこで震わせていたのだ。
ここでヒマが両手をたたいてキアに声をかける。
「キアキアっ。ヒマ、気づいたよ。もしかしてウィマーンさんは数字のピーのもとにヒマたちを案内したかっただけなんじゃない?」
「確かに、追い立てられた先に目当てのピーがいたのは偶然ではないだろう」
キアは鋭い金色の視線を返しつつ、甘ったるい声を出す。
「しかしローリン(ล)。なぜウィマーンは乱暴な手段を用いたと思う」
「きっと恥ずかしがり屋で直接顔を合わせられなかったんだよっ!」
「そうであれば、かわいいな」
「お兄さん、また新しい数字のピーちゃんと出会えましたね」
ふにゃふにゃした声と共にクマリーが俺のそばに飛んでくる。
この立方体の部屋に入ってから彼女はウィマーンと遭遇したことをチャーイハート班に連絡してくれていた。
「ご苦労さま、クマリー。休憩がてら、七の数字の書き順も教えるよ」
「コープクンッ!」
俺たちはサラサのそばに近づく。
サラサは顔を上げ、右手の甲にとまった数字(๗)を見せた。
「おっ、ピーのお嬢ちゃんはアーティからさらに学ぶつもりだなっ」
「そうですよ~、サラサさん」
ついでクマリーはいまだに顔をほころばせているプリアさんのつぶやきをくり返す。
「プリア艦長っ」
「……あ、クマリー」
プリアさんが目をパチクリさせた。
「聞いてた?」
「はい。プリア艦長ってしっくりくる呼び方です! さっきの潜水艦さばきもみごとでしたし、今後クマリーはプリアさんのことをプリア艦長と呼びたいです! よりいっそうの尊敬を込めてっ」
「ア、アナタがどうしても呼びたいならいいけど」
「プリア艦長!」
「……い、いいっ」
ほおを赤らめながらプリアさんが立ち上がり、俺に顔を接近させて小声を出す。
「なにニヤついてるんですか」
「君が元気になってくれているから」
「しょせんワタシはあさましい女ですよ。艦長って呼び方に気をよくしてまわりが見えなくなっているフリをして、みんなのほうからその呼び方をしてくれないかな~って期待してたんですから」
「いや、それはかえってかわいいんじゃないか。プリア艦長」
「は、はあッ? アーティットさんは呼び捨てでいいですって……っ! でないとワタシ、調子に乗っちゃうじゃないですか……っ」
プリアさんがぎこちなく走り去った。
俺はしゃがみ、サラサルアイが見守るなか七の数字である「ジェット(๗)」をクマリーと共に書く。
まず左下に時計回りで小さな丸を作る。
丸の左側から線を持ち上げ、丸の直径よりも少し長い線を追加する。
ついで右に寄りつつ上に張り出す弧を引く。その幅は丸の直径と同じくらいだ。
そしていったん線を下ろしたあと丸のてっぺんよりもやや高い位置で折り返す。
先ほどの弧と同じ弧を右に並べ、少しだけ左寄りの線を下ろす。
丸の底と同じ高さに来たらわずかに隙間を作りながら右斜め上に折り返し、丸と同じ高さに達したところでそのまま線を弧よりも高く持ち上げて右上でとめる。
これで「数字の七」すなわち「๗(ジェット)」の書き順は完了だ。
「なんというか地に足のついた安心感のある数字ですっ。ジェットジェットッ! お兄さんコープクンの極みっ」
「マイペンライ。数字もどんどん覚えていってすごいな、クマリー」
「ふふんっ! と言いたいところですがお兄さんの教え方がうまいんですよ~」
胸をそらしたクマリーはジェット(๗)をくり返し書きつつ、自身のそばを飛ぶソーン(๒)にも目を向けた。
「あ、ジェットちゃんとソーンちゃんは途中まで書き順が似ているんですね。でもソーンちゃんは最初の丸を中央付近で始めてそこから左上へ、グルンッ! ですけれど、ジェットちゃんは左下から始めてサーム(๓)ちゃんっぽいかたちを作ったあと右上に確実に向かう堅実さを持ち合わせていますっ」
「やるなお嬢ちゃん。相変わらず字を的確に捉えるセンスが爆発してっぞ!」
「ありがとうございますサラサさん。やはりクマリーは天才中の天才なんですねっ!」
(サラサは褒めるのが好きだな。いや、俺も過剰かもしれないが)
盛り上がるサラサとクマリーをその場に残して、俺は赤茶色の髪を持つ「彼女」に声をかけることにした。
日焼けした左手に浮かぶロージュラー(ฬ)の字を見つめながら、タコ糸をまとめた棒を上下に揺り動かしている。
タコ糸に連動して上下する五本足のタコをちらりと目に入れ、俺は聞く。
「エーン。タコの調子はどうだ」
「良好ではあるんだけどねー」
サバサバした声で、エーンが少し苦笑気味に答える。
「ウチはちょっとへこんでる。さっきウィマーンさんとの交渉に失敗したし」
「交渉に失敗したのは俺もだよ。そもそもウィマーンがずっと攻撃の手を緩めなかった理由はなんなんだろうな。ヒマの言うとおり数字のピーのもとまで案内する意図があったにしても、ちょっとやりすぎな感じだった」
「からあげかも……?」
「え」
「そもそもウチ、いっつもタコアゲのときからあげ出すよね。でもよく考えたら文字保有者のみんなに気に入られているからってほかのみんなも気に入ってくれるとは限らないっしょ? てなわけでウチも、ここらでタコアゲのレパートリーを増やさないといけないなあと思ったわけ。あんたらの成長に置き去りにされてる場合じゃない。進化のときなんよ、ティットくん!」
「ならますます頼もしくなるな」
そう言って俺はきびすを返す。
しかしエーンのタコが俺の背中をつついた。
「ちょいちょい、ティットくん。あんた、けっこう濡れてんね」
「まあな。さっきまでずっと水中にいたから」
一応タハーン・プルーンで乾かしたものの、さすがに服が水を吸いすぎた感がある。
エーンが自身の水着を引っ張りパチンと鳴らした。
「ティットくんにも水着、貸したげよっか。そうすればサラサくんやヒマちゃんみたいに水中戦もこなしやすくなると思うんよ」
「……まさか俺のぶんも用意してるのか」
「してるよ。低子音単独字組での作戦とはいえ、クマちゃんにティットくんが同行するのは分かってたから。ハートちゃんの指定した集合場所も海辺だったし……作戦上有効かもしれないならウチは全員分用意するよ。もしやドン引きしたん?」
「いや感心した。俺もせっかくだから借りようか」
「ハイ」
詠唱と共にタコの五本足の根もとが壺のような形状になり、そこにエーンが手を突っ込む。
「男性用の水着もいくつか用意してるんだけど、オススメはこれ! ヒトデ型ッ!」
「……ほかのも見せてもらえるか」
「ちえー、似合うと思ったんだけどなー」
残念そうにエーンが赤色のヒトデの水着を広げたあと、小さく笑った。
次回「147.第八の数字(๘)【前編】」に続く!
๗←これが「7」の数字。サーム(๓)の右に縦棒をおっ立てる感じで書けますね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ジェット(เจ็ด)→数字の7(๗)
ギープ(กีบ)→蹄




