144.第七の数字(๗)【前編】
大部屋中央にたたずむ棺桶の扉に取っ手はなかった。
サラサの予想どおり、扉の右側には鍵穴のようなくぼみが見られる。
十個のくぼみが縦一列に並んでいる。
くぼみの底には数字の彫り込みがあり、ゼロから九までの数字が上から順に配列されていた。
「もしかして、このへこみに数字の精霊が入るのか。大きさも同じだし」
現在、俺たちのそばにいる数字のピーはソーン(๒)とサーム(๓)とホック(๖)の三体だけ。
シー(๔)、ハー(๕)、ペート(๘)は、別行動をしているチャーイハート班のもとにいる。
ここで数字のピーたちがクマリー、キア、ヒマから離れて扉のくぼみに近づいた。
それぞれ対応する彫り込み(๒ ๓ ๖)にはまり、赤いその身をさらに輝かせる。
すると、扉が部分的にあいた。
どうやら扉は十階建ての建物のように十分割されているらしい。
上から数えて三段目・四段目・七段目の部分だけが動いた。
左側についた蝶つがいがきしみ、赤茶の扉が手前にひらく。
三・四段目の向こうには産まれたままの成人男性の胸部があった。
七段目には男性の大腿部が見える。こちらも一糸もまとっていない。
棺桶内部に仕切りはない。
顔など七割ほどの部位は隠されているものの、肉付きも血色もいい青年の体がそこに納められている。
俺たちは驚き、息をのんだ。
状況が分からないので、静かに声をかけることにする。
「すみません、だいじょうぶですか」
ひらいた三段目の扉に近寄り、俺は声をかけた。
相手を萎縮させないために、話すのは俺一人だけに絞っている。
すると厳格そうな低い声が返ってきた。
「私はみずからこの棺桶に入った」
閉じている一・二段目の扉が震え、ひらいている三段目から声が漏れ出る。七段目をのぞくと、彼の太ももがわずかに動いているのが分かった。
「おまえたちが何者かは知らないが、破壊しようとしても無駄だ」
「……わたしはアーティットと申します。仲間と一緒にここに来ました。あの、お腹はすいていませんか」
「この棺桶はピー。なかに入れた者を仮死状態にして封印することが可能だ」
つまり食事などについて心配する必要はないということか。
ともあれ青年の正体は分からないものの、少し話したほうがいいかもしれない。
「そうでしたか。勝手にあけて申し訳ありません」
「あけたのはおまえたちではなく、数字のピー……ソーン(๒)とサーム(๓)とホック(๖)だろう」
「はい。ところでわたしたちが来る前に、あなたに会いに来たかたは……?」
「いない」
「教えていただきありがとうございます。では扉を閉めますね。このたびは本当に――」
「待て」
青年の両手が、五段目の扉のふちに引っかかった。
「おまえたち、文字を刻んでいるな」
「……よく分かりましたね」
ヘタに隠して相手の機嫌を損ねるのは得策ではない。棺桶内の青年はヨムと同様にリアンゲの縄に危険視されて封じられていた可能性もある。
「では数字のピーは、あなたの使役す――」
「言葉を間違えるな、アーティットとやら」
厳格な声に、よりいっそうの険が加わる。
「私はラーンソン。ピーの依り代にすぎない」
ラーンソンとは人名ではなく、ピーと深い交流を持つ人のことだ。
ただしラーンソンのなかにはピーを一方的に使役することに嫌悪を覚える者もいる。
俺が謝ると、ラーンソンの青年は扉の向こうで鼻を鳴らした。
「数字のピーを十体連れて来い。そうすれば私は棺桶から出られる」
今現在、自力で外に出ることはできないらしい。
「見返りもやろう。なにがほしい」
「あなたの名前と……青や緑の鱗を持つ竜に心当たりがあるかを教えてください」
「私の名はスカティ。かのマンゴーンについても知っている。『彼女』の名前はウィマーン。私の婚約者だ」
「こ、こんやく……っ!」
クマリーが興奮して口をひらいた。
しかしラーンソンの青年――スカティは慌てなかった。
それどころか、先ほどまでの厳格さが一気に消し飛んだ柔らかい口調でクマリーに応じる。
「そうだ、彼女と私は愛し合っている」
「おおっ!」
「新しい楽園を共に築いて幸せになろうと誓い合っているのだ」
「とっても素敵ですっ」
「ありがとう。ウィマーンと私は夢をかなえたあと、式を挙げると決めている。そのときは、あなたを結婚式に呼んでもいい」
俺と話しているときとはずいぶん態度が違う。
おそらくスカティは人間ではなくピーを愛しているのだろう。
ピーと人との婚姻も、まったく聞かない話ではない。
ウィマーンというマンゴーンはスカティを守るためにギンガー海域で暴れ、水の島であるゴ・ナームを作ったのだと思われる。
したがってウィマーンの婚約者であるスカティを棺桶から出すことができれば、これ以上ウィマーンがギンガー海域を荒らす理由はなくなるはずだ。
(ヨムはスカティとウィマーンを仲間にしようと考えてジェオとマリをこの海域に派遣したのかもな。だとしたら先に接触できてよかった)
「スカティさん。教えていただきありがとうございました」
「見返りを与えただけだ」
柔らかい態度は鳴りを潜め、再び厳格な声が棺桶から返ってくる。
「しかし、もう一つだけ知りたい情報はないか」
「ほかにも教えてくれるんでしょうか。悪いですよ」
「親切心ではない。追加の情報は、おまえたちが私を棺桶から出したときに教える。そもそもおまえたちが数字のピーをすべて集めてここに戻ってくるという保証はないのだ。だがここで追加の見返りを約束しておけば、それを知りたいと思うおまえたちが私を棺桶から出してくれるだろう」
「そういうことでしたら、知りたいのは――」
「ただしこれ以上、人間の要求をのむのはごめんだ」
ウィマーンの居場所か実際にリアンゲの縄に捕らわれていたのかを聞こうかと思ったが、妙に威圧感のあるスカティの言葉に俺は黙らざるを得なかった。
「アーティットではなくほかの人間でもなく、ピーのあなたの知りたいことを、私は教えることにする」
「クマリーのですか? でしたら……っ」
悩むことなくクマリーは、スカティの胸部に近づいて言った。
「スカティさんとウィマーンさんの『夢』を知りたいですっ」
「約束する。棺桶から出たときに必ず教えよう」
「ありがとうございますっ。いったいどんな夢なんでしょう……っ」
「誰もが思い付くような、ありふれた願いだ。それでも私たちにとっては、なにより大切な夢と言える」
ここで数字のピーたちが赤い光を弱め、くぼみから飛び立った。
ひらいていた三・四・七段目の扉が閉じていく。
このタイミングでエーンが問うた。
「すみませんスカティさん。棺桶は動かしてもいいんですか」
「動かせるものならな」
厳格な彼の言葉が終わると同時に、扉は完全に閉まった。
扉に手をかけて思いきり引っ張ってもビクともしない。キアはサーベルでこじあけようとしたが、それも効果がなかった。
(ただの木材じゃない。本当にピーのようだな)
さすがにタハーン・プルーンで焼くわけにもいかないので、俺たちは棺桶を運ぶことができるか試すことにした。
クマリーに強化してもらって俺・サラサ・ヒマ・プリアさん・エーン・キアの六人で棺桶を移動させようとしたものの、まったく動かない。
「ヒマ。ドゥームティーは使えるか」
「ごめんアーティット」
申し訳なさそうにヒマが菜の花色の長髪をくしけずる。
「あれにはヒマの髪をまとめている輪っかが必要で、二つともマリと交戦したときに切っちゃったから無理」
「そうか……」
「もしかしたらナーグルアさんならなんとかなるかも……?」
「確かに」
「いやいやヒマちゃん、ティットくん。さすがにグルアちゃんでも厳しいんじゃない?」
エーンが五本足のタコを棺桶から離して目を細める。
「この棺桶、たぶん重さとかでゴ・ナームの地面にくっついてるんじゃないんよね。そもそも『鍵をあけない限り動かすことも壊すこともできない』っていう絶対的な自然法則がこの棺桶限定で働いてるっていうかさ」
「それはすごい! ね、アーティット!」
「まあな。やっぱりピーというのは人知を超えているんだな」
とりあえず残りの数字のピーを集めてスカティを解放する必要がある。
だが……大部屋から出る直前、俺は足をとめた。
「ちょっとごめん。気になることがいくつかあって」
俺は鐘のイヤリングを出し、ンゴーングー(ง)の字を書いた。
「もしもしリアンゲ」
『おや、トータハーン(ท)かね』
「ああ。……しかしあなたは頭部だけでも鐘のイヤリングを使えるんだな」
『一応こんなわたしにも「手」はあるってことさ。それを確かめるためにわたしに連絡したのかな』
「聞きたいことがあるんだ」
数字のピーを鍵とする棺桶の扉やスカティのことを共有したうえで質問する。
「あなたの自律していた縄は、凶暴な存在以外も捕らえてしまうことがあったと思うか」
『あっただろうね。でも封印された場所の内側に「凶暴でない者」がいても、それがなかから出ようとしたら、あっさり出られたんじゃないかと思うよ。思い出してみてほしいが人面ムカデのいた場所には、ほかに目立った動物はほとんどいなかったんだろう?』
「ああ」
『それこそ、もともといた善良な生き物が別の場所に逃げたという証拠だよ』
「確かに。ただあそこにはコケのような雑草も生えていたわけだから、もとから凶暴でない存在もその場所にとどまり続ける可能性はあるってことだよな」
『そのとおり。つまりさっき君が伝えてくれたスカティやウィマーンが凶暴な存在であるとは限らないと言えるね。もちろん油断はしないほうがいいと思うが』
「当然警戒はおこたらない。そしてもう一つあなたに聞きたいんだけど、あなたの縄に封印されているあいだヨムはどうやって食事をとっていたと思う。狭い空間に縛られてもピーならなんとかなるかもしれないが、人間だときつくないか?」
『おそらく食事はしないでいい状態だったんじゃないかな。わたしはこの作戦に参加するまでホーヒープ(ห)と共に縄を回収してまわっていたんだが、そこに捕らわれていた人間を含む生き物は栄養状態もよく、ストレスにもさらされていなかったのだ。たぶん縄そのものが彼らの生命維持を手助けしていたんじゃないかね。「なかにいる者たちが安全に生きられる」という自然法則が、封印された場所全域に適用されていたのだと考えておくれ』
「……そうなのか?」
『ふむ。君はスカティがどうして自分を棺桶に封印したのか分からなくなったのかね』
「察しが早いな。食事をとる必要がなくストレスも感じないとなると、自分を仮死状態に置く意味がないわけだ。近くに婚約者がいたとすれば、みずから棺桶に入った理由がますます分からない」
『一種の修行だったのかもしれないよ。彼はピーの依り代であるラーンソンなんだろう? あえてみずからを追い込んで、仮死状態のなかでピーの声を聞こうとしたとは考えられないかい』
「その可能性もありそうだな。しかしスカティか……顔を合わせてもいないのに俺たちに文字が刻まれていると見抜いた理由や、数字のピーとどういう関係なのかとか、まだ分からないことが多すぎるな。よく考えると、スカティがすべて本当のことを語ったという証拠もない。実はすでにジェオやマリと会話していて、それを隠しているパターンも想定しておいたほうがいいだろう」
『悪い人間だと思うのかね』
「分からない。でも少なくとも」
俺は、待たせているみんなのほうをちらりと見て言葉を続ける。
「クマリーに向けられた声だけは優しかった」
『そうか、それだけは信じられるのだね』
「……ああ。じゃ、リアンゲ。コープクン。以上のことはチャーイハートたちにも伝えておいてくれ」
『承知した。わたしを頼ってくれてうれしかったよ、トータハーン(ท)』
通話を切り、上り坂の手前で待つみんなのほうにつま先を向ける。
そのとき水の地面を蹴りながら、新たな疑問が浮かんできた。
(――どうしてスカティはギンガー海域にいたんだ?)
次回「145.第七の数字(๗)【中編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
スカティ(สุคติ)→天国
ウィマーン(วิมาน)→天国
ラーンソン(ร่างทรง)→依り代




