142.第六の数字(๖)【中編】
プリアさんと俺を助けてくれたヒマはいつもの髪型ではなかった。
普段は左右におだんごを作り、そこから肩へと毛先を垂らしている。
だが今は髪を下ろした状態。
水に濡れた菜の花色の毛髪一本一本がつやめき、体に貼り付いていた。
目の前の貫頭衣の少女・マリに向かってヒマが詠唱する。
「ドゥームティー」
マリの背中から真上に向かって直立するロープに、菜の花色の輪っか二つが食い込んでいる。
ヒマの髪をまとめていたヒモだ。
小さなサイズのまま輪っかは輝き、マリの両腕を縛っているロープに光を当てる。
(さっきキアのサーベルでマリの触手を落としたときに仕込んだヒモか。これでマリの使役する精霊のもともとの姿が暴かれる……)
針金のように立ったロープの先端には、薄茶・赤・青の触手の根もとがいまだにくっついていた。
それらもまとめて細い円柱状の光に飲まれる。
すると、触手の根もとをたばねるロープの先っぽがぜん動を始めた。
加えて先端周辺の空間にガラスのヒビ割れのような模様が浮かんだ。
ヒビは放射状に広がったのち、やはりガラスのようにはがれ落ちる。
奥から巨大な青い宝石がのぞく。
その挙動は目玉に似ていた。半透明の球体のなかで、青く輝く丸い宝石がグリグリと動いている。
宙のヒビがはがれ続け、さらに奇妙なものが出現する。
目玉らしきものは大きな栗色の楕円の袋に埋め込まれていた。
長径二メートほどの縦長の楕円形のあちこちからさまざまな色の触手が出てくる。
その際、触手が内側から袋を突き破り穴ができた。
袋も目玉も触手も膨らむ。
あいたすべての穴から、人の聴覚ではほとんど聞き取れないほどの高音の声が鳴り響く。
「ดูดดูดดูดดูดดูดดูด(ドゥートドゥートドゥートドゥートドゥートドゥート!)〔吸え吸え吸え吸え吸え吸え!〕」
それはまるで心臓の鼓動のようにも聞こえた。
おぞましい見た目と裂帛の声が一瞬にして体の血の気を奪い去る。
ヒマは瞳をけいれんさせながら水の地面を蹴り、マリのロープに食い込んでいた菜の花色の輪っか二つをサーベルで切り落とした。
直後、触手の群れがヒマを襲う。
緊縛から解放されていた俺は全力で走ってヒマをかかえ、左側へと転がるように回避した。
俺たちの体のあらゆる部位から冷や汗が出て妙にじっとりしている。
ドゥームティーの効果が途中でキャンセルされたためか栗色の袋の声とサイズは小さくなり、触手や目玉が縮んでいく。
限りなく収縮し、肉眼では見えなくなった。
先ほどの化け物がいなくなったあとでも、体の芯が限りなく寒い。
マリのロープはサーベルに傷つけられておらず、いまだに直立している。
「キミ、不思議なことができるんですね」
起き上がるヒマに、マリは蚊のなくような声をかぶせる。
「彼女の正体を強制的に暴こうとするなんて。しかし無理に引きずり出そうとすれば不興を買うのは当然です……途中でやめて正解ですよ、お猿ちゃん……っ」
「なんなの、そのピー……」
「ワタシを縛りつけてくれる素敵な女性です」
「……マリ。本当のところ、君はなにがしたいんだ」
マリとヒマの会話に割り込むかたちで俺は口をひらいた。
「襲ってきたわりには、殺意や必死さが感じられないな」
化け物の出現によって乱れていた心を、とにかく落ち着かせる。
「触手で俺たちを捕らえてもそのまま脚部をコナゴナに砕かなかったし、ほかに仲間がいると分かっていただろうに中途半端な距離で俺たちを運ぶのをやめた。それでいて俺たちと敵対するそぶりも見せているし、行動が不可解だよ」
「やっぱり、なんとなくじゃダメなんですか」
「その裏にも合理的な理由が隠れているんじゃないのか。俺たちが安全な集団か分からない以上、君のほうから仕掛けて危険を排除しようとするのはもっともだしな」
「――アーティット。そう追及しないでやってほしいのだっ!」
大きな声と共に大男が小部屋のなかに姿を見せる。
現れたのは目の下に数字の入れ墨をしている男――ジェオだった。
腰を抜かして割座になっているプリアさんの左横を過ぎ、ジェオが満面の笑みを見せる。
「やっと連れが見つかって安心した。だがおれもマリちゃんもこんな神秘的な水の洞窟内部を観光できて、ハイテンションになっているのだ」
「それではしゃいでしまったと……?」
「だからここはおれの顔に免じて水に流してほしいんだ」
顔の入れ墨をペチペチとたたく。
「別にケガを負わせたわけでもないだろう? 出血も骨折もしてないはずだ」
「……まあな。ただ、俺たちがマリの触手に攻撃したのは正当防衛だからそのことで俺たちを責めないでほしい」
「そりゃ当然っ!」
遠目で見るに、プリアさんもケガを負っていないようだ。
派手に動いていたわりに触手の力も絶妙に調整されていたようで、痛みはとくにない。
(文字保有者は文字をねらわれなければ普通の人間よりも頑丈であるとはいえ、相手もギリギリこちらが手を出しづらいラインを守っているようだな……もどかしい。シアムやヨムのようにもっと明確な害意を継続して向けてくれていたならありがたかったんだけど)
マリは自身をロープで縛ったままジェオと共にここから離れようとする。
背を向けたマリの両手首には手錠がはめられていた。
だがヒマが二人を呼びとめる。
「待ってよ。ジェオさん、マリ! 本当にはしゃいじゃっただけならやっぱりヒマたちと一緒に行動しよう!」
「……いいねえ、おまえも。きのうはナーグルアにばかり注目してしまったけど、おまえもなかなか強い女の子のようだ。場合によっては殺してもいいかもな」
わずかに立ち止まり、ジェオが横顔を向けた。
「でもおれもマリちゃんも強いし、それに……おれらが一緒だと耐えられないと感じる仲間もいると思うからおことわりするのだ。おれとマリちゃんは二人で観光を楽しむのだ」
「そういうことですよ、お猿ちゃん」
割座になってうつむいているプリアさんを一瞥さえせず、ジェオとマリは彼女のそばを通り過ぎた。
そのとき――。
「この子はなんです……?」
マリの頭上を、なにかが横切った。
それは赤い数字を持つ新しいピー(๖)だった。
あごを上げ、マリがそれを見つめる。
「まるで手錠のかたちですね」
以降は視線を向けることなく、ジェオとマリは半球状の小部屋から出て行った。
おそらく上層方向には行かないだろう。
俺はエーンとニウフアメーに連絡を入れ、気をつけるよう伝えた。
「……現状は拘束する口実がギリギリ足りないから泳がせておく。ジェオもピンピンしていて警戒すべきだが、マリについているピーも恐ろしいな……」
* *
鐘のイヤリングを消したあと俺はヒマに声をかけた。
「お礼を言うのが遅くなってしまったけど……ヒマ、助けに来てくれてありがとう」
「マイペンライだっ!」
ヒマはプリアさんのそばにひざをついた状態で俺に言葉を返した。
「水着だったから泳ぎやすかったし、キアがサーベルを貸してくれたおかげで触手を切ることもできたしっ。まあ最後はビビって結局輪っかを切っちゃったけど……。ホント、まさかあんなに強そうなピーが出て来るなんて予想してなかったなあ」
「いや、今の時点でマリのピーが警戒に値すると気づけたのは大きいし、かつ、君がドゥームティーをキャンセルする判断を下してくれたから事なきを得たんだと思う」
「アーティットがすぐに助け出してくれるって信じてたからできたんだ」
なお、新しい数字のピー(๖)はヒマのまわりを飛んでいる……。
俺はうつむくプリアさんに「だいじょうぶか」と呼びかけて近寄ろうとしたものの、ヒマは右手の平を突き出して「とまって」と言った。
「ご、ごめんなさい。アーティットはみんなが来るまでそこにいて。プリアにケガはないから医者の兵隊も必要ないよ」
「分かった」
プリアさんを気づかっているヒマの様子を見ながら俺は先ほどのマリのピーを思い返していた。
(ああいうピーはプラトゥも見たことがないかもしれないな。マリはどこであのピーと会ったんだ。そしてマリという名前も変な感じだ。偶然だろうけどクマリーに名前が似ている。別にややこしいとは思わないが……)
数字のピーにしてもそうだが、どうも正体が分からない。
(それを言うならクマリーも、本当はどうやって産まれたんだろう。ピーであるンゴットガームとフアロも自分のルーツを求めていた。あるいは、それは人も同じなのか……)
そんなことを考えていると、大きな五本足のタコに乗ったエーン・サラサ・キア・クマリーが小部屋に入ってきた。
鐘のイヤリングによって俺たちの位置を確かめもしたのだろうが、相手の座標を把握することが得意なロージュラー(ฬ)と嗅覚に優れるモーマー(ม)の力も駆使してこの場所まで来てくれたのだろう。
エーン・サラサ・クマリーは俺・ヒマ・プリアさんの無事を確かめたあと、まだ割座でいるプリアさんに心配そうに声をかけた。
キアは、お礼を述べるヒマからサーベルを返してもらっていた。
プリアさんが涙目でエーンになにか耳打ちしている。
マリのピーがよほど怖かったようで、どうやら水着に着替えたいらしい。
俺がプリアさんたちに背を向けると、サラサルアイが左隣に寄ってきた。
「アーティ。ヒマにも数字のピーがついたんだな」
「そうみたいだな。ところで……」
しゃがんだ俺はサラサの栗毛の髪に目をやった。
「君は触手に腰を攻撃されていたけれど、敵意は感じたか」
「ほとんど感じなかったぜ。少なくとも殺気はなかった」
「サラサ……。ジェオたちは文字保有者に半端な戦いを仕掛けているようだな」
「ほかにねらいがあるって言いてえのか」
「ああ。きのうジェオと遭遇したあともシー(๔)のピーが都合よく現れた。わざとジェオが数字のピーを置いていったとするなら、向こうのねらいについて一つ仮定できると思う」
ここで右隣にキアがやってきたので、俺は彼女にも視線を向けた。
「相手は俺たちに数字のピーを集めさせようとしている」
次回「143.第六の数字(๖)【後編】」に続く!(7月18日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ドゥート(ดูด)→吸う




