141.第六の数字(๖)【前編】
触手にからめ取られた俺とプリアさんは、ゴ・ナームの下層に引きずり込まれた。
水の斜面はしばらく続いたものの、次第に傾斜が緩やかになっていく。
触手は減速しなかった。
しかし俺たちを半球状の小部屋に連れ込んだところでストップする。
ゴ・ナームの下層は上層よりも明るかった。
相変わらず、俺の右太ももとプリアさんの左足首に触手はまとわりついている。
「ゲーンタハーン・クワーン。プリア、触手を切断するから動かないでくれ」
俺は左手の平のトータハーン(ท)から斧を抜き、プリアさんの足首にからんでいる触手を断ち切った。
続いて自分の太ももに巻きついている触手も切り落とした。
繊維が切れるような短い音が響く。
水の斜面を引きずられたせいで、俺もプリアさんも水びたしになっている。
乾かそうと思ってタハーン・プルーンを呼び出したところ、プリアさんが立ち上がりかけて尻餅をついた。
斧をトータハーンに入れなおして俺が右手を差し出すと、プリアさんはそっとこちらの手首をつかんだ。
「ありがとうございます、アーティットさん……ワタシと一緒につかまってくれて。まあワタシのためじゃないんでしょうけど……」
事実、俺が触手を振りほどけなかったのは俺のミスのせいだ。
先ほどの上層で触手はクマリーの胸部にもからみついていた。
俺はトータハーンの文字から剣を抜いてその触手を落としたが、同時に当の俺自身に巻きついた触手を落とす間もなく引きずられてしまったのだ。
手首をつかんだプリアさんを立たせ、俺は足元の触手を見た。
人の腕の太さとほとんど同じ二本分の触手である。
しなびたキュウリのように水の地面に横たわっている。
触手の付け根のほうに目を向けると、知らない少女がそこにいた。
栗色の長髪が目立っているものの、それに負けず劣らず青色の瞳の主張も激しい。
格好は薄茶色の貫頭衣にレッグカバー。
少女の両腕は背中に回され、ロープで縛られている。
ロープの余った部分は真上に延び、まるで針金のように直立していた。
しなびた触手はその先端に続いているようだ。
(……まさか彼女がジェオの連れか。触手を放ったのは彼女に仕える精霊なんだろうが、一応話しておこう)
水のゆかを静かに蹴り、俺は少しだけ近づいた。
「あのー、すみません」
「ワタシに用ですか……?」
蚊のなくような声が、小さな口から発せられた。
「別にワタシは誰かに縛られたわけではありません。自分から望んで緊縛されていますのでご心配なく……」
「そうですか。ผมชื่ออาทิตย์ครับ(ポム・チュー・アーティット・クラップ)〔わたしはアーティットと申します〕……そして後ろの彼女はわたしの連れで、炎の小鳥はピーのプルーンです」
プリアさんのほうにも視線をやり、続ける。
「ところで、この水の洞窟のなかでわたしたちはとても背の高い男性と顔を合わせました。心当たりはありませんか」
「ジェオさんですね?」
「そうです。ジェオさんは連れを捜しているとのことでした」
「今はどこにいるんです……」
「わたしたちの仲間にぶっとばされました。合意のケンカの範疇で」
このとき、プリアさんの息をのむ音が聞こえた。
一方、栗色の髪の少女は動じていない。
「本当にジェオさんも仕方のない人ですね」
「あなたもなかなかですよ。先ほどの触手はあなたのピーの仕業なんでしょうが、どうしてわたしたちを乱暴なやり方でここまで連れてきたんですか。ヨムの指示ですか」
「ヨムってなんです。これは、なんとなくです。しいて言うなら――」
内股になり、少女があとずさる。
「なにかを傷つけるのに、いちいち理由が必要なんですか……?」
直立していたロープの先端から新たな触手が形成された。
二本が一気に伸び、俺とプリアさんに刺突を入れようとした。
「……ガムペーン・プレーオ」
空の兵隊を呼んだ俺は、プルーンの火とアーガートの風で炎の壁を発生させた。
燃え落ちる触手を見ながら俺は言葉を重ねる。
「あなたの名前をうかがっても?」
「マリです……」
炎の壁の向こうから、栗色の髪の少女――マリの答えが返ってくる。
「そしてアーティットさんでしたか。ワタシ相手に『クラップ(ครับ/ですます)』は要りませんよ……」
さらに、今までのものよりも太めの触手が炎の壁を突き破った。
触手の色は薄茶から赤に変化している。
(さっきの上層では俺たちの人数とまったく同じ七本の触手が飛んできた。マリのピーには索敵能力があるのかもしれないな。加えて、触手の形状は自由自在か……?)
ここでプリアさんの詠唱が聞こえた。
「ルーク・ポーン」
風船のような淡い黄色のレモンが宙に現れ、赤い触手に向かう。
ぶつかると共にレモンは破裂し、触手の一部を弓なりにえぐり取った。
俺はアーガートに命じて炎の壁の真ん中に穴を空けさせる。
だが俺はその穴を通過せず、右から回り込んでマリに接近した。
アーガートにかかえてもらっているので足音はしない。
結果、穴から攻撃をかけられると思ったマリは後手に回らざるを得なくなる。
(マリにつながれたロープがあやしいな。燃やすか)
――そう考えていたのだが。
攻勢に出る直前で、俺は動きをとめるしかなくなった。
マリがぼそりと、かつ挑発的につぶやいたからだ。
「いいんですか……あの子がどうなっても」
「よくないな」
炎の壁を弱めてプリアさんのほうを見ると、彼女の前後左右から青い触手が伸びていた。
薄茶の触手よりも細いものであるが、そのぶん数が多い。
どうやら水のゆか下に触手を伸ばしてプリアさんに水中から奇襲をかけたらしい。
よく見ると、直立するマリのロープの先端から青い触手が何本も生じている。
ありとあらゆる方向から触手の先を突き付けられたプリアさんは顔面蒼白になって動くことができないでいた。
マリが蚊のなくような声で冷たく言い放つ。
「小鳥とコウモリのピーをひっこめ、バンザイしたあと両手首をくっつけてください」
俺は言うとおりにして水のゆかに着地し、両手を挙げた。
その両手首に一本の薄茶色の触手がからみつく。
(蛇に見立てられたリアンゲの縄ともまた違うようだな。触手一つ一つが自律しているんじゃなくて、これらの触手を生み出してまとめてあやつっているピーがいる。その証拠に、俺の手首に巻きついた薄茶の触手もマリの直立したロープの先端から生じている……)
さらにマリの要求は続く。
「今度は立ったまま左右の足首をくっつけるんです……」
(なるほど。俺の動きを完全に封じたうえで、今度はプリアさんに対して俺を人質として提示するわけだな。そうすれば俺たち二人を確実に拘束できる)
言われた言葉に従うと、両足首にも薄茶の触手が巻きついた。
「まだです。両手両足をまとめて縛らせてもらいます。えびぞりになりましょう……っ」
「さすがに緊縛された状態でそれは厳しい」
えびぞりの体勢に入ったものの、俺はバランスを崩して水のゆかに倒れ込んだ。
「マリ。君がこっちに来て直接縛ってくれないか」
「そんなチャチなさそいには乗りません……」
俺に青い目を向けたまま、ゆっくりとマリが後退する。
「ワタシが近づいた瞬間、アーティットさんは反撃するつもりですね。安い罠にもほどがあります」
半球状の水の小部屋――その壁面近くにまで下がった。
「いいでしょう……っ。触手で強制的に胸をそらせてあげ」
マリが言い終わる前に、背後の水がパシャリと鳴る。
振り返るヒマもなく、ロープの先端から生じている触手が小気味よい音と共にまとめて切り落とされた。
水のゆかに触手が落ちる。
俺やプリアさんにまとわりついていた触手も活動を停止する。
目をみはり、マリが目の前に着地した菜の花色の髪の少女を見た。
「キ、キミは……っ」
「【ล】ローリン・ヒマ、つかさどる字は猿のロー」
キアの持っていたサーベルを右手でクルクル回しつつ、水着姿のヒマがウキウキと返す。
「ヒマ、水のなかを泳いで二人についてきたんだよ。最低三人グループは維持するようにってリーダーが言ってたからね」
次回「142.第六の数字(๖)【中編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ポム(ผม)→わたし
チュー(ชื่อ)→名前
クラップ(ครับ)→○○です(男性が使う)




