137.第四の数字(๔)【後編】
地面も壁も天井も水でできたゴ・ナームの通路を進み、俺たち六人は少し広い小部屋を見つけた。
ここでニウフアメーに連絡を入れて外の様子を聞く。
彼女によると青い霧の立ち籠めたギンガー海域は夜に突入し、ますます視界が悪くなっているとのことだった。
一方俺たちのいるゴ・ナーム内部は薄暗いが、それ以上闇を濃くする気配はない。
「プリアさん、ナーグルア、キア、ヒマ、クマリー。きょうの探索はここまでにしよう」
全員の顔を順に見て名前を呼んだ。
そうしてメンバーが欠けていないことを確定する。
俺は空の兵隊に命じて硬質の空気のクッションを水上に作成させた。
ついでワニの姿をした天幕の兵隊から調理器具と食器を引っ張り出して医者の兵隊で消毒する。
「今から食事だ。少し待っていてほしい」
「そ、そういうことなら……明るくしたほうがいいですかね」
プリアさんがおどおどと唱える。
「プラパーカーン」
すると小部屋のはしっこから小さな灯台が生えてきて、あたりを照らし始めた。
「照明の強さは一定にしています」
「ありがとうプリアさん」
「……その代わり、キュウリ出してくださいよ」
「รับทราบ(ラップサープ)〔了解〕」
俺はグラジョームのなかの氷室から食材も取り出す。
もちろん、みんなが食べられないものは出さない。
苦手な食べ物についてはすでに全員に質問した。
(思い返すと、ミーの正体がシーフーハーターだと知らなかったときの俺は彼女のことを考えずにトムカーガイを出してしまったからな。あのときの反省を生かさないと。……えーっと、使えるのは)
今回使う食材はキュウリやキャベツ、ニンジン、ツナ、ココナッツ、バナナなど。
とくに細切りにしたキュウリを目立たせる。外側の濃い緑と内側の薄い緑がきれいである。これに半分に切ったゆでたまごも添える。
そして皿の中央にごはんを盛り付ける。
最近開発された温めるだけで食べられるお米を使ったのだ。炎の兵隊に頼めば、特別に火をおこす必要もない。
あとは輪切りにしたライムをキャベツの上に重ねる。
ゆでたまごの黄身をくり抜いてできたくぼみに黒いナンプラーをそそいで池を作る。
ペースト状の唐辛子も少しだけ横たえた。
「よし、できた。『カオヤム』完成っと」
スプーンとフォークと一緒に、皿に盛り付けたカオヤムをみんなの前に並べる。
アーガートによる空気のクッションの上で、車座になって食べ始める。
初めてカオヤムを知ったというクマリーに、いろいろ混ぜて食べるのもいいかもしれないと俺は伝えた。
クマリーはスプーンを使って優しく全体をかき混ぜた。
「おおっ! 混ぜたらごはんがもっとさわやかでおいしくなりましたっ!」
「ホントだねクマリー。ヒマはバナナに唐辛子つけるよっ、これもヒマ的にはアロイな~」
「士気の上げ方を心得ているようだな、トータハーン(ท)」
「見た目もきれいで、いただくのが少々もったいないですわ」
ヒマ、キア、ナーグルアも満足してくれたようだ。
なお数字のピーたちは料理に興味を示さない。そもそも食べるという行為をしないのだろう。
俺は右隣に座ったプリアさんのほうをちらりと見た。
プリアさんはカオヤムをいっさい混ぜずにそれぞれの食材を個別に口に運んでいる。
細切りにしたキュウリの先端をナンプラーにつけてシャキシャキという音を立てる。
「アーティットさん。キュウリが一番多いですね……」
「暑期には、みずみずしいものを食べたいからな」
「……ちゃっかりバナナも入れてるし」
「バナナは神だからな」
「布教も欠かさない敬虔な信徒というわけですか……でもワタシはキュウリのほうが好きです。つまりバナナ信者のアナタから見れば異教徒ですよ……弾圧したらどうです……っ」
「しないよ。俺がバナナを愛しているように、君もキュウリを愛しているだけだろう」
「べ、別にワタシはキュウリ信者じゃないですってばっ。せめて愛好家だと認識してください」
そのあとプリアさんはキュウリを静かにそしゃくしたのち、ぽつりと言った。
「ありがとうございます……本当にワタシの好きなものを出してくれるなんて思ってませんでした」
「そう言ってもらえると作ってよかったと感じるな」
「アーティットさん……ちょっとあとで……いえ、なんでもないです……」
なにか伝えようとしたプリアさんだったが言いよどみ、静かにキュウリ以外のものも食べ始めた。
* *
食事の後片付けのあと、俺はプリアさんに声をかけられた。
灯台の生えた小部屋のはしっこに寄り、みんなに背を向けてプリアさんがおずおずと口をひらく。
「あの……アーティットさん、ワタシになにか言いたいことってありませんか……っ。自分を卑下するなとか、おまえがいると雰囲気が悪くなるとか……」
「君に不満はないよ。逆にプリアさんもなにかあったら言ってほしい」
「ワタシにも不満なんてありませんよ。クマリーもヒマもワタシに嫌な顔もせず定期的に話しかけてくれますし、キアさんやナーグルアさんもなんだかんだでワタシも守ろうとしてくれています……。どうしてワタシなんかのために」
「前にクマリーも言っていたことだけど、プリアさんは親しみやすいんだ」
「陰鬱なのに……?」
「俺は森の泉で初対面のクマリーと君が話すのを見て、『プリアさんは誰かに会うのが苦手なのであって、誰かと話すこと自体は嫌いではないのだろう』と思った。でもそれだけじゃないような気がして、正直なところ君という人間の本質を俺は理解しきれていなかった。そして今回共に行動して確信した。なんというか君は人見知りのようにも見えるけど……要所要所でちゃんと相手に自分の意見を言ったり、自分の能力を生かして積極的に動いたりもしている。プリアさんには思いきりがよく果断なところがある。実行するまでは悩むけれど、実行したあとは目の前のことに一生懸命になれる人――そういう印象を俺は君に持っている。君は自分で思っているほど、誰かに嫌われる人じゃないんだ」
「そうでしょうか……」
少し青っぽい瞳を濁らせ、同色の髪を震わせる。
「ワタシはそもそも、逃げる口実がほしくて今回の作戦に参加したんです。どうせみんなワタシを嫌うだろうから、それを都合のいいトラウマにして堂々と逃げようって」
「動機はみんな違うんだ。俺だって俺のために動いている。だから……いいんじゃないか、それで」
「ジョットマーイさんと……同じこと言わないでよ……っ」
ややかすれた声が、プリアさんの口から絞り出された。
「このことはジョットマーイさんにも言えませんでしたが……ワタシは最低の人間なんですよ……っ。ワタシ、あの男に文字を刻まれる前に、ジョットマーイさんのもともと乗っていた船にしばしば乗っていたんです。そのときのジョットマーイさんを見て『本当にワタシと違って大きくて明るくてみんなに慕われてるな~』って思ってました。で、その後しばらくしてから、その船が沈没したことを聞きました。ジョットマーイさん以外の船員が全員死んじゃったことも耳にしました。それ聞いて、ワタシがどんなふうに感じたと思います……?」
返答しない俺に対し、ごくりと喉を動かし、言う。
「喜んだんですよ……ワタシ。うれしかったんです……っ!」
顔をうつむかせ、両手で覆った。
「ジョットマーイさんのことは苦手だけれど嫌いじゃないです、むしろ好きです。そう思っていたのにワタシ、心の底では傷ついたジョットマーイさんを笑っていたんです……あの男が死んだことを喜ぶのはまだワタシが被害者ってことで言い訳も立ちますが……これについては、本当に……本当に擁護の仕様がない……っ」
「君が喜んだのは――」
両手からあふれる涙を見つつ、俺は返す。
「ジョットマーイが生きていたからじゃないのか」
「……へ?」
「たぶん君はジョットマーイに憧憬を感じていたんだろう。だから彼女が生き残っているという報を受けて喜んだんだ。でも同時に、ほかの亡くなった船員のことを考れば、うれしがった自分に罪悪感を覚えるのもまた自然だ。これが普通の人間であればそういう自分の都合の悪さから目を背けるけれど、プリアさんは自分の心と真剣に向き合うことができる。だからそのことで自分を責め続けている。君はジョットマーイを笑っているんじゃない。ジョットマーイのことを誰よりも思っているんだ」
「今さっき初めてこのことを知ったアナタになんでそんなことが分かるの……っ? ワタシですらワタシの心の底が分からないのに……!」
涙ぐんだ顔をプリアさんが少しだけ上げた。
「まさかアーティットさんにも同じような過去が」
「いや、そういう過去はない」
「って、ないんですかっ」
「ただし兵隊をやっているから君の気持ちはなんとなく分かる。戦場で仲間が生き残ってくれたとき、正直うれしい。でも犠牲ゼロで終わる戦争はこの世に存在しない。生き残った仲間がいるなら、死んでしまった仲間もいるんだ。死んだ人間のことを考えると、仲間や自分の生存を喜ぶことに罪悪感を覚えたりもする。『生き残れてよかったな』と誰かに不用意に言えば、『自分以外の味方がいっぱい死んでいるのに、なにが「よかった」だ』と返ってくるかもしれない。君はそういう現実から逃げていないんだ。戦いが終わったら気持ちをリセットして次を始めていた俺よりも、プリアさんは何倍も強いんだよ」
「なんですか……アナタ」
プリアさんは左右の手首の甲で目の周辺をぬぐった。
「たとえアナタが正しいことを言っているにしても……ワタシはアナタの言葉で救われたなんて絶対に思いたくありませんよ……」
一歩だけ横にスライドし、俺から微妙に遠ざかった。
「アーティットさん。だからあなたのこと、もっと違う位置から見ていいですか。ついてはお願いです……」
右手を胸に当て、涙の残った瞳を向ける。
「ワタシだけプリアさんって言うの、やめてくれません……?」
「分かった、プリア。言うのはやめる」
「そんな素直に言うとおりにしなくていいですって。でも……真剣に話を聞いてくれて……ありがとうございました」
手を合わせたあと、プリアさんは早歩きで別の文字保有者のもとに向かった。
意外にもその人物はナーグルアだった。
ナーグルアについていたシー(๔)のピーがプリアさんの頭上をも飛び始める。
「ぶしつけですみません……どうしてナーグルアさんはそんなに強くて堂々としているんです……っ」
「ロールア(ร)さま。そう見えるのでしたら、それは私が私を愛しているからですわ」
「だったらワタシには無理ですね……」
「そのようなことはございません。私が自分を愛する私を愛するように、あなたも自分をなかなか愛することができないあなたを愛すればよいのですわ」
シーのピーはしばらくプリアさんの近くを飛んだが、ナーグルアがきびすを返すと共にシーもプリアさんから離れた。
* *
それから俺たちは見張りを交替しながら眠った。
グラジョームから取り出した寝袋を俺はみんなに配った。
クマリーは相変わらず体のサイズを小さくして俺のへそにもぐり込む。
だが一回の見張りを終え、俺がもう一度起きたとき――。
へそから出たクマリーが、頭のそばでしゃがんでいた。
しかも格好がいつもと違う。
白っぽいものではあるが、いつもの上着や腰布がない。
どうやら水着に着替えているようだ。
「あれ……クマリー。君はエーンから水着を借りていなかったと思うけど」
「それがですねお兄さん……エーンお姉さんやハーチャお姉さん、キアさんのような格好になったほうが動きやすいかな~って思ったら装備することができましたっ!」
「……そうか。もしかしたら、いろいろなものを着脱できるウォーウェーン(ว)の力が成長しているあかしなのかもしれないな。今回はその力が君の服装に適用されたんだ」
「はいっ、クマリーはまだまだとまりませんっ。ところでお兄さん……」
まだ寝ているみんなを見回し、ごにょごにょと声を出す。
「……『おはよう』の書き方を教えてもらえませんか?」
「もちろん構わない」
コープクン(ขอบคุณ/ありがとう)の次は「おはよう」か……。
次回「138.第五の数字(๕)【前編】」に続く!(7月11日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
プラパーカーン(ประภาคาร)→灯台
ラップサープ(รับทราบ)→了解
ナンプラー(น้ำปลา)→魚醤/実際の発音は「ナムプラー」です。
カオヤム(ข้าวยำ)→ごはんやサラダなどを混ぜて食べる料理/たぶん発音は「カーオヤム」でもよさそう。




