136.第四の数字(๔)【中編】
水の壁の向こうにジェオが吹っ飛ばされたあと、新しい数字(๔)の精霊が姿を見せた。
そのピーも俺たちに向かって飛んでくる。
とくに一番近くにいたナーグルアの肩にとまった。
ナーグルアが肩のピーに微笑したあと、俺に声をかける。
「トータハーン(ท)さま。思わず高ぶって飛ばしてしまいましたが、ジェオさまを手元に置いて監視しておきたいのでしたら……私、あのかたを連れ戻しますわよ」
「ありがとう、でも今は放置してもいいと思う」
彼女の圧倒的な強さに畏怖を覚えつつ、俺は努めて冷静に応じた。
「俺もさっきまでは監視下に置こうと考えていたけれど、いくらなんでも君への態度が積極的すぎる。だからジェオと一緒に行動するリスクは高いと考えなおした」
「さすがトータハーンさま。あのかたは、まだまだ実力を隠していらっしゃいました。そのような魅力的な殿方がそばにいましたら……私自身も辛抱たまらん心持ちになって襲ってしまうかもしれませんわ」
本当にナーグルアは、ケンカするのが好きらしい。
それも、すがすがしいケンカを求めているフシがある。
……数字(๔)のピーがナーグルアの唇にふれる。
一方クマリーはジェオと遭遇した件についてチャーイハート班に報告していた。
「黒髪金目のおっきな人ですっ。一緒に観光しに来たもう一人を捜しているみたいですね~。なんか好戦的な感じでしたが、ナーグルアさんにぶっとばされちゃったのでゴ・ナームの反対側に出てしまっているかもしれません」
『報告大儀であるぞ』
チャーイハート自身がクマリーに返答している。
『ジェオはヨムの仲間かもしれんし、こちらの班でも警戒する。おそらくジェオともう一人は拙たちの見つけた横穴とは違う場所からゴ・ナームに侵入している。よって島の外側からその出入り口を押さえることも必要であろうな』
「ままま、待ってください……っ!」
プリアさんがクマリーのイヤリングに口を近づける。
「確かにジェオは連れと二人で来たみたいに言ってましたけど、そんなのウソかもしれないじゃないですか……本当はもっとたくさんの仲間がいるのかも……」
『その可能性も否定できんな。的確な指摘に感謝する、プリア。拙たちもジェオ側が二人とは限らないという前提で備えておく』
「ระวัง(ラワン)〔気をつけてくれ〕」
俺はプリアさんと入れ替わるかたちで通話に参加する。
「たとえ一人で来ていたとしてもジェオは俺を瀕死に追い込んだサットプララート(バケモノ)だ。戦い方は――」
二年前の情報ではあるが、俺はジェオの戦闘スタイルを細かく共有しておいた。
ナーグルアに仕掛けようとした極め技にも注意するよう念を押す。
ついで自分のイヤリングでサラサルアイに連絡する。
「サラサ……君はジェオと戦場で会ったことはあるか」
『ああ、目の下に数字の入れ墨をしてる男だろ。一回だけあんぜ』
声を潜め、サラサが応答した。
『撤退戦でな。おれはしんがりの軍にいたんだが、百を超えるおれらに対してヤツは一人だけで追ってきた。しかも、おれのマネをして四つ足になって並走を始めたんだよ。で、ほかのみんなには目もくれねえの』
「ジェオは戦闘の量よりも質を重視しているようだな」
『たぶんな。あんときは、おれしか眼中になかったぜ』
「最終的にどうやってジェオを振り切ったんだ」
『いや別におれはなんもしてねえぞ。あいつが勝手に目の前の谷に落っこちたんだよ。橋を渡るおれを凝視しながらな』
「愛嬌があるな。あの人らしいといえばあの人らしいんだろうけど」
サラサとの連絡を終え、クマリーのほうを見る。
クマリーはナーグルアのまわりを飛ぶ数字(๔)のピーに興味を示していた。
そのピーは、クマリーのそばにいるソーン(๒)のピーに近寄った。
まるであいさつするかのように左右のはしをそっと折る。
俺はクマリーの近くに移動し、新しいピーの示す数字が「シー(๔)」すなわち「四」であることを教えた。
合わせてシー(๔)の書き順も伝える。
まず真ん中に反時計回りで小さな丸を描く。
丸の下から右下へと、緩やかな角度の線を引っ張る。
右下に来たら、もとの線をなぞるように折り返す。
丸の手前で左斜め下に方向を転換する。やはり緩やかな坂を作るように短い線を続けるわけだ。
字の右下のはしと同じ底の高さに達したところで、左に張り出す弧を引きながら上に寄る。
すでに作った丸よりも少し高い場所に到達してから右に進む。
最後は線の真下に右下のはしが来た瞬間に右斜め上へと線を持ち上げ、右上でとめる。
これで「数字の四」すなわち「シー(๔)」のかたちのできあがりだ。
「お兄さん、またまたありがとうございますっ! 最初は難しいかと思いましたが……慣れると線の角度の緩急がとっても気持ちよくてクセになりますね~」
今までの復習も兼ねて、クマリーはヌン(๑)もソーン(๒)もサーム(๓)も宙に書いた。
ここでキアが、か細い声で俺に耳打ちする。
「トータハーン(ท)……われわれは数字のかたちを持つ謎のピーの三体目を発見したわけだが、貴様は違和感に気づいているか」
「ああ、ジェオがいなくなった直後にシー(๔)のピーは都合よく出現した」
キアの金髪を目に入れながら、俺も同様の声量を返した。
「理由は不明だが意図的にジェオはシー(๔)のピーをこちらに渡したようだな。そもそもジェオはキアと共に近寄ってきたサーム(๓)のピーに対してもまったく驚きを見せなかった。数字のかたちを持つピーはジェオにとってもめずらしかったはずなのに」
話の途中でキアの髪に、そのサームのピーが舞い降りる。
「つまり事前にジェオは数字のピーの存在を知っていたということだ。すでにシー(๔)のピーを所持していて、さっき手放したんだろう。たぶんわきに挟んでいたんだな」
「いやヨーヤック(ย)に攻撃を仕掛ける際、広げた両腕の下からピーは出てこなかった。おそらく臀部の割れ目に挟んでいたのだろう」
「それは盲点だった」
このあと、念のためシー(๔)のピーのもともとの姿をヒマに暴いてもらった。
ヒマは髪をまとめる輪っか状のヒモをほどいてシーを囲み、「ドゥームティー」と唱えた。
ヒモに限られた空間でシーが菜の花色の光につつまれる。
しかし、外見になんの変化も見られない。
罠の可能性もあると思ったが……シー(๔)のピーは純然たるピーであり、あやしいところはどこにもないとヒマによって証明されたわけだ。
タハーン・ラートのような斥候用のピーがくっついているわけでもない。
(ジェオはなんでシーのピーを置いていったんだ。彼にとって価値がないにしても……すでに二体の数字のピーを所持している俺たちに対して一つの交渉材料にもできたはずだ。タダで渡す意味が分からない。まさか……)
そうして考えていると、ヒマが俺の前でジャンプし始めた。
「アーティット! これ見てっ」
ヒマは何重にも折って厚くなった紙を持っていた。
その紙に、地図が書き込まれている。
細い通路がいくつか延びている程度だが、ヒマがなにを書いているかはすぐに分かった。
しかも先ほどジェオが貫通した水の壁が何枚も、地図には追加されている。
「これはゴ・ナームの俯瞰図か」
「といってもまだ途中で、ルディみたいにうまくできないんだけど……」
「すごく助かるよ、ヒマ。俺たちの位置も分かりやすいし、あとでチャーイハートたちと情報を共有する際にも役立つ。ありがとう」
「やったあ! マッピングはこっからもヒマに任せてね~」
ヒマもみんなの役に立とうとがんばっている。
そんなヒマの背中を見送っていると、またプリアさんが真後ろから声をかけてきた。
「やっぱりみんなはすごいですね……」
自嘲を交ぜながら、プリアさんが続ける。
「アーティットさんはちゃんとリーダーやってますし、ナーグルアさんは強敵を撃退しましたし、キアさんは行動が速くていろんな細かいところにも気づいているようですし、クマリーは連絡係を率先してこなしてますし、ヒマは地図の作成に一生懸命ですもん……っ」
「プリアさんも潜水艦で周囲を警戒したりエーンと一緒に海底を調べたりしたんじゃないのか……? 君もみんなの役に立っている」
「でもゴ・ナームに入ってからはワタシ、なにもしてませんよ……」
「さっきはジェオたちが二人とは限らないという重要な指摘をしてくれたと思うけど」
「あれはワタシがビビっただけですって……。基本、こんなふうに、しつこくアーティットさんにネチネチからむだけで……」
プリアさんの目に、静かに涙がたまっていく。
「まるでワタシ、がんばってる人の足首にからまるきたないモクズですよ……っ」
「……プリアさん」
なんとなく思ったが、彼女は自身を過剰に卑下してわざと嫌われようとしているのだろうか。
しかし俺がプリアさんを嫌いになることはない。
俺は背後のすすり泣きを聞きながら、静かに尋ねてみる。
「今、なにが食べたい?」
「え……」
「これからごはんを作ろうと思うんだけど、とくに思い付かないんだ」
「じゃ、じゃあ……っ」
左から微妙に顔を出して、遠慮がちにプリアさんが見上げる。
「……キュウリ」
次回「137.第四の数字(๔)【後編】」に続く!
๔←これが「4」の数字。コークワーイ(ค)を左に倒して少し変形させたような感じですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
シー(สี่)→数字の4(๔)
ラワン(ระวัง)→注意する




