135.第四の数字(๔)【前編】
水の島「ゴ・ナーム」の内部にて、俺たちは黒い髪と金色の目を持つ大柄な男と遭遇した。
(サラサはゴ・ナームについて「人のにおいもしねえ」と言っていた。少なくとも、俺たちの使用した入り口付近には人のにおいが残っていなかったということだ。とすると……この男は別の方向から内部に入った可能性が高いな)
現在、外に比べて青い霧はほとんどない。
水でできた洞窟は薄暗いものの、分裂させたタハーン・ラートの光を受けてキアの像が水の壁に映っている。
当の男はランプを右手に持っていた。
その光と、ラートの光が溶け合うように混ざっている。
背中側から、キアが鋭い口調で男に問う。
「貴様の名前はなんだ。なぜ貴様はここにいる」
「初めて会った相手になかなか強気だなー」
男は声のボリュームをやや落とし、背後のキアをちらりと見た。
「おれはジェオ。ギンガー海域を観光しに来た。ここには二人で訪れたのだが、はぐれてしまったからその連れを捜している最中なのだっ!」
「だが一般人ではないだろう?」
「嫌だなあ、おれは普通の人間さ」
「普通の人間がトカゲザメの群れを突破してギンガー海域に入れるわけがない」
キアの指摘はもっともだ。
「貴様も連れとやらも、ヨムの仲間だな?」
「ヨム? なにそれ」
とぼけているのか本気で知らないのか、男――ジェオの態度からは判断がつかない。
ジェオは目の下に作った一対のサーム(๓)を右手でなでた。
近くを飛ぶサームのピーにも軽くふれる。
「しかし金目金髪のおまえさん。おれが普通じゃないってことで警戒しているみたいだけどよ、ちょっと言い分が一方的すぎる気がするのだ」
「……そうだったか?」
「精霊を突破してここに来たのはおまえさんたちも同じはずなのだ。だからおれも、おまえさんたちを普通じゃない人間として警戒している」
ジェオの指摘もまた正しい。
頭が切れるというよりは、思ったことをそのまま素直に口に出している感じがする。
「おまけに今は後ろをとられ、六対一の状況。おれが小心者であれば、わんわんと泣いちゃっているところだ」
「ขอโทษที่มารยาทบังอาจ(……コートート・ティー・マーラヤート・バンアート)〔……非礼を詫びる〕」
謝罪を入れたキアがジェオの背後から離れ、プリアさんのもとまで下がった。
サーム(๓)のピーもキアに再びまとわりつく。
ついでジェオは俺にキラキラした瞳を向けた。
「さて……会えてうれしいな。相も変わらず、りりしい男の子でなによりだ。アーティットはおれのこと覚えてる?」
「忘れられない」
二年前の戦争で俺に瀕死の重傷を与えた男がジェオである。
思えば、そこで半殺しにされていなければスーンからトータハーン(ท)の字を刻まれることもなかった。文字保有者のみんなと仲間になることもなかった。
「あなたには恩義すら感じている」
「え……てっきり恨んでいるものかと」
「あのとき俺は望んで戦場に行った。敵兵に殺されそうになったとしても、それは当然のことだろう。恨む理由がどこにあるんだ」
「やっぱりいい男の子だなあ、アーティット」
……男の子という呼び方が気になる。
どうやら壮年のジェオにとっては俺も子どもにすぎないようだ。
目の下の入れ墨を、ジェオが左右の人差し指でつつく。
「この数字のカウントは、戦場で出会った素晴らしい敵を殺すたびに減っていく。アーティット、おまえを殺したと思ったときも減らしたのだ」
「光栄だな」
「ありがとう! でも実際、アーティットは生きていた。傭兵として大活躍するアーティットのウワサは以降もいっぱい耳に届いたな~。それで、ちょっとカウントのつじつまが合わなくなってしまったのだ。ムズムズする。だからこそおれはアーティットを殺したくて仕方がないのだっ!」
「だったら今やるか?」
左手の平でこぶしを作り、俺は半歩だけ前に踏み出す。
ジェオは首を横に振り、ふんわりと笑った。
「気持ちはとってもうれしい。けれど、まだここは戦場じゃない」
「しかるべき環境でやり合いたいというわけか……」
彼には彼の美学があるらしい。
「ところでジェオ。あなたは連れを捜しているんだろう? その人が見つかるまで俺たちと行動を共にするのはどうだ」
この提案にプリアさんが拒否反応を示しているのは顔を見なくても分かる。
しかし本当にジェオがただの観光客としてここにいるのだとすれば助けなければならないし、ヨムとつながりがあるのだとしても監視しておく必要がある。
さりげなく俺は左手の平をひらいてジェオの反応を見る。
もしヨムの仲間になっていれば文字についても詳しく聞いているはずだ。
俺のトータハーン(ท)にも強い興味を示すだろう。
だが相応の反応が返ってくるか試したものの……ジェオはとくに気にしていない。
もちろん、これだけでヨムとのつながりを否定することはできないが――可能性は二つに絞られる。
(ジェオとヨムとのあいだに関係はないか、あるいは……ジェオはヨムの仲間であり自分たちの事情を偽ることもできる厄介な敵。俺の文字に視線をまったくやらないのも、かえってあやしい。わざと見ていないようにも感じられる。裏表があるというよりは、ボロを出すなという指示に素直に従っているといったところか)
リアンゲの縄について把握しているヨムならば、ギンガー海域に仲間を派遣していても不思議はない。
(強さと動機の面から見てヨムがジェオに目をつけるのも自然だしな。目的は俺たちの文字か……それとも)
考え込む俺に、ジェオが返答する。
「せっかくだけど、一緒に行動するのは遠慮する」
「でも一人だと危ないだろう。この水の島は人知を超えている」
「だとしても、おれは強い男だ」
「……普通の人間じゃなかったのか?」
「普通の人間だから強いのだ」
それは事実だ。
もしかしたら二年前に戦ったときよりもジェオは強くなっているかもしれない。
ジェオは俺に笑いかけたあと、ナーグルアの白すみれ色の瞳と目を合わせた。
「そしておまえさんも殺してみたいな」
「あら、ジェオさま。私をご存じですの?」
おしとやかに、ナーグルアがほほえむ。
うなずいたジェオはランプをこちらに突き出した。
「ヨーヤック(ย)の文字保有者、ナーグルア」
ジェオがナーグルアの素性を知っていること自体は不自然ではない。
ナーグルアはあちこちで暴れ回っているので文字保有者のなかでも比較的有名なほうなのだ。
「悪者を問答無用でボコボコにし、戦いを求める強者をことごとく返り討ちにする美しき鬼の女の子と聞いている……」
「まあ、『女の子』だなんて照れますわね」
「アーティットとやり合うのも楽しみだけどよ、おれはおまえさんともケンカしたくなったのだ」
「辛抱たまらんといったところでございましょうか」
背中に回していた棍棒を右手に持ち、ナーグルアは軽く振った。
「しかし、まだこの場所は戦場ではなかったのではなくて?」
「ちょっとだけ、つまみ食いしたくなったのさ」
「ふふ。いけない殿方ですこと。では殺しのない優しいケンカといたしましょう」
ナーグルアとジェオが柔和な笑みを送り合う。
ジェオほどではないものの、ナーグルアも背が高いので見た目の威圧感は充分だ。
とはいえこの勝負……ナーグルアも滅多なことはできない。
ジェオがヨムの仲間であることが確定しておらず、現状こちらに危害を加えようともしていない以上、生け捕りも手荒なマネも不可能だ。
もしえん罪だった場合、罪のない民間人を害したということで俺たち文字保有者の立場が一気に悪くなる。
もちろんヨムとのつながりが確定すれば問答無用で拘束させてもらうが、確証のない現段階では手の出しようがない。
それを分かっているから、キアもいったん身を引いたのだ。
ジェオが水の地面を蹴立て、両腕を広げる。
腕で相手の上体を固定し、極め技をかける気のようだ……!
(……なにがつまみ食いだ! その巨体で抱擁されたらいくらナーグルアでも)
だが俺が動くよりも前に。
「น่ารักนะค่ะ(ナーラック・ナ・カ)〔かわいいですわ〕」
突起付きの黒くて太い棍棒が右下から左上に向かって振り上げられた。
すると――。
棍棒の先っぽがかすっただけのジェオの巨体が奥へと吹っ飛ばされた。
背中から水の壁を突き破ったかと思うと、その先の通路の壁もさらに轟音と共に破裂した。
それを幾度もくり返し、何層もの水の壁の向こうでジェオが一挙に小さくなっていく。
「ありがとおおっ……」
ナーグルアの反撃に対する彼の感謝の言葉もフェードアウトする。
破られた水の壁はすぐに修復したものの、この水の通路にはいまだに波紋と震動が発生していた。
(……え)
涼しい顔のナーグルアと波紋の残る壁を見て、俺は青ざめてしまった。
(文字保有者になる前だったとはいえ、当時の俺が完膚なきまでにたたきのめされたジェオをこんな……こんな簡単に)
確かにナーグルアの強さは知っていたが、ここまでやるとは思っていなかった。
いや、むしろ俺は彼女の本当の強さを理解していなかったようだ。
(人面ムカデの巨大コピー複数を相手にしていた時点でナーグルアはすさまじかったけれど……実際はそれどころじゃないな)
弱点という弱点は、力がありすぎること――それだけしかないような気がする。
ただ、息をのんでばかりもいられなかった。
ジェオが消えたあとの空間に、赤い光が現れたからだ。
蝶のように飛んでいる。
その正体はソーン(๒)、サーム(๓)に続く、新たな数字(๔)のピーだった。
次回「136.第四の数字(๔)【中編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
コートート・ティー(ขอโทษที่)→すみません
マーラヤート(มารยาท)→態度
バンアート(บังอาจ)→失礼だ
ナーラック(น่ารัก)→かわいい
ナ(นะ)→○○ね




