134.第三の数字(๓)【後編】
いったん俺とサラサルアイは、海上に浮くチャーイハートの円盤に帰った。
あたりは青い霧に覆われて暗くなっている。
霧の向こうにたたずむ、壁に似たシルエットを見据えながら俺たちは報告した。
――陸地のすべてが水でできているとおぼしき、目の前の島のことを。
文字保有者のみんなはそれぞれ驚きを見せた。
軽くまばたきし、エーンがサラサに問う。
「ウチ、ちょっと疑問なんだけど……目の前に浮かんでいるのってけっこう大きいよね。なんでサラサくんは一部だけを見て『島』って断言したん? 建造物や船の可能性もあるっしょ?」
「そりゃ、おれがそう感じたからだぜエーン」
濡れた服を絞りつつ、サラサが答えた。
「なんつーか、デケえし……カクカクしてないから人工物っぽくもねえ。そして乗っかってみりゃ分かるが、あれは水面に浮いてねえし、しっかり海底に固定されてる。おまけに人のにおいもしねえときた。ってこたあ、精霊によって形成された『島』としか思えねえってわけよ。全部が水でできている以上、自然にできたとは考えにくいしな」
「さすがサラサくん。さっきウチとプリちゃんでこれが浮島なのか調べてみたんだけど、確かに、崖の部分から水中に延びた斜面が海底まで続いて全体を固定しているね」
エーンはプリアさんにも視線を送った。
プリアさんは目を泳がせて小さく空笑いを浮かべている。
上半身だけを出したチャーイハートが、自身の円盤に両ひじをついてせき払いした。
「これより島を『水の島』すなわち『ゴ・ナーム(เกาะน้ำ)』と呼称する。この水の島についてはギンガー海域で暴れているピーが作り出したと見て間違いないであろうな」
「ヨムの本拠という線はないのか」
俺はズボンの裾を絞り終えた。
「やつも海域のピーと共にリアンゲの縄に封じられていたかもしれない」
「可能性はあるが低いな。キサマもすでに聞いていることかもしれんがホーノックフーク(ฮ)の推理によるとヨムがいるのは小さな孤島なんだそうだ。キサマとレックが回収したヨムの上着はかなりいそくさかったらしい。だが水の島は大きく、なかに潜む場合は潮風も当たらんだろう。それともゴ・ナームは海水で構成されているのか」
「いや、島の水に塩分は含まれていないと思う」
「おれも実際になめて確かめたぜ。淡水っつーか真水だったな。けっこうアロイぜ」
サラサの証言も勘案すれば、水の島がヨムの本拠地という可能性は限りなく薄くなる。
「……で、どうすんだチャーイハート。今からおれら全員でゴ・ナームの探索をおっぱじめんのか」
「しばし二手に分かれる」
確かにゴ・ナームを調査する必要はあるが、かといってこの水の島だけに人員を集中させればギンガー海域全体への監視の目が緩む。
トカゲザメを追い出した問題のピーが、ゴ・ナーム内にいる確証もないのだ。
問題はチーム分け。今回の作戦に参加しているのは十一人なので五人と六人に分かれることになる。
俺とクマリー、ニウフアメーとリアンゲはそれぞれセットで動いているから別チームに配属するのが妥当として、あとは……。
しかしチャーイハートはすでに各メンバーを決めていたようで、よどみなくチーム分けの詳細を発表した。
反対意見も募ったが、とくに反論も出て来ない。
ついで樺色の瞳を俺に向けた。
「以上のとおり、拙とキサマは別々のチームだ。しかしアーティット、キサマにはそちらの班のリーダーを頼みたい」
「クラップ・ポム(了解した)」
* *
チャーイハート班は水の島を時計回りでぐるりと一周しつつ、ギンガー海域全体の様子も把握することになった。
メンバーの内訳は……円盤によって海上を移動できるリーダーのチャーイハート、ピーを封印していた縄を感知できるリアンゲ、その頭部を持つニウフアメー、座標把握に優れるエーン、島に外から上陸して素早く探索することができるサラサルアイの五名だ。
一方俺の班は島の横穴に入り、内部を調査する任務を負う。
定期的に鐘のイヤリングで連絡をとる。
連絡係については、今回もクマリーが率先して引き受けてくれた。
「もしもし、アメお姉さんっ。クマリーたち、本当に水の洞窟を進んでいますっ! 水でできた地面も壁も天井も快い温度で、固体みたいにぷるぷるしているのと同時に、液体みたいにぱしゃぱしゃしています」
はしゃぎつつ、はだしで元気よく水を蹴る。
「楽しいし涼しいので、クマリーも飛ばずに歩いちゃってます。どうぞっ」
『へえ、こっちは今のところ変わったものはないからクマリーちゃんたちがうらやましいなー』
耳にビリッとくるニウフアメーの返答がイヤリング越しに返された。
そんなクマリーを俺が斜め後ろから見ていると、ヒマがひじでつついてきた。
「アーティット~。バナナはちゃんと余ってるよね!」
「まあチャーイハートが俺をリーダーに指名したのは食料を保存しているタハーン・グラジョームを意識してのことなんだろうな。長丁場になるかもしれないし」
俺はタハーン・ラートで照らしつつ、ヒマの菜の花色のおだんごを見た。
「もちろんバナナ一本くらいなら今から出してもいいが」
「いや食料は有限だから今はヒマ、がまんする! がんばったあとのバナナこそ格別だっ!」
ウキウキとした調子で言って駆け出し、クマリーとたわむれ始める。
クマリーにはソーン(๒)のピーがついたままなのだが、二人はそのピーにも積極的に話しかけていた。
……ゴ・ナームのなかにはトカゲザメ以外の未知のピーが潜んでいる可能性もある。
その正体を明らかにできるようチャーイハートはヒマを内部探索班に振り分けたわけだ。
また、水の壁を壊して先に進むことができるようナーグルアも選出している。
ただし現在ナーグルアは両手に持った棍棒を背中に回したまま、静かに通路を歩いているだけだ。
今のところ敵と遭遇する気配もない。
そしてプリアさんが俺の真後ろについておどおどと話しかけてくる。
「ア、アーティットさん……っ」
「なにか気づいたのか、プリアさん」
「いえ別に……ただ、チャーイハートさんのリーダー指名を即座に受けたのさすがだなあって……」
「兵隊は指揮官の命令を聞くものだからな」
「迷いがないんですね。アーティットさん。やっぱり信念がある人はすごいです……」
「コープクン。でもプリアさんにしかできないこともある。すべてが水でできたこのゴ・ナームを探索するにあたって、潜水艦を含むプリアさんの『船』の存在が俺たち全員に安心感を与えている」
「あ……あまり、ワタシをアテにしないでください……どうせ肝心なときに役に立たない女なんですワタシは……っ」
「そのときは、みんなが君を助けるよ」
スーンとの戦いで充分に活躍していたじゃないかと俺は言おうと思ったが、過剰なフォローはかえってプリアさんにとって苦痛かもしれないのでここまでにしておく。
あらためて俺はゴ・ナーム探索班六名を確認する。
クマリー、ヒマ、ナーグルア、プリアさん……そして俺。
残りの一人はサーム(๓)のピーを連れている。
金色の髪と瞳を持つ暗殺者の女性、キアだ。
キアは刃渡り十五センティメートのサーベルを提げていた。
(リアンゲの首を飛ばしたときの得物か……)
しかも今のキアの格好は水着だ。
水着で作戦に参加しているエーンが、チャーイハートに続いてキアにも水着を貸したのだ。
都合よく本人に合うサイズがあるのは不自然だったが、おそらくエーンは海上での作戦を想定して全員分の水着を持ってきていると思われる。
動きやすさの観点からいえば、悪くないだろう。
事実、ふくらはぎの半分ほどまで沈む水のゆかを歩くたび、服が水を吸って重くなり、前進のスピードが遅くなっている。体力も余計に消耗する。
天井も壁も水なので、水に直接ふれていなくても湿気のせいで通常の服では動きづらい。
それを嫌い、キアはチャーイハートたちと別れる前に水着になったということだ。
ただし両手にはめられたネズミ色の手袋はいつもどおり。
とはいえ俺としては少し心配だ。
キアのノーヌー(น)は全身の肌を移動する文字なのだが、その文字の秘密を知られないよう普段からキアは厚着をしている。
ところが水着の場合、その秘密が露見するリスクは必然的に上がってしまう。
エーンの趣味なのか、用意された水着は全身をくまなく覆うものではない。
だから俺は一応、本人に聞いておいた。
「……キア、水着はだいじょうぶなのか」
「問題はない、トータハーン(ท)」
彼女の声が、か細くなる。
ノーヌー(น)の力を使えば自分と相手の会話をほかの人に聞かれないようにすることが可能である。
キアが甘ったるい声ではなくか細い声を出しているときは、秘密裏の会話をしているときなのだ。
「今はノーヌーを左手の平に退避させたまま手袋で隠している。むしろこの機会に皮膚を多く露出させた格好でも戦えるよう訓練しておこうと思ったのだ」
「そういうシチュエーションも想定するんだな」
「当然だ。たとえばわれがシャワーを浴びているときにホーノックフークが襲われたとする。そのとき『なにも身にまとっていなかったから動けなかった・助けるのが遅れた』では護衛としても暗殺者としても失格だ。結果としてホーノックフークが殺されれば、もはやそのような言い訳は意味をなさない。たとえ一糸まとわぬ状態であってもあらゆる事態に全力で対応する――貴様も兵隊であれば同様の心構えを持っているはずだ」
「確かに、いつも万全の装備で戦えるわけじゃないからな」
うなずき、俺は言葉を継ぐ。
キアがホーノックフークをそこまでして守る理由が気になったからだ。
「……どうして君はホーノックフーク専属の暗殺者になったんだ」
「われから話す気はない。知りたいならホーノックフークにじかに聞け」
キアは甘ったるい声に戻り、俺から離れた。
サーム(๓)のピーが慌てて彼女についていく。
「全員いったんとまれ。声も上げるな」
またか細い声になり、静かにキアが言い放った。
「右前方から人の足音がする。大柄な男のものだ」
奥の通路は右に折れている。
音を立てずに俺は前に出て、カーブの五メート手前で相手を待ち構える。
(相手が文字保有者であれば誰の足音かキアは気づいているはず。……いったい誰だ。人型のピーか)
次第に俺の耳にも足音が聞こえるようになった。
間もなく、大きな左手が出て来てカーブのカドをつかんだ。
続いて、金色の目とたてがみのような黒髪を持つ壮年の男が現れた。
青いズボンをはいており、上半身は裸である。
身長が二百五十センティを超しているようにも見える。
「おお~ッ! その赤い髪と赤い目は!」
鼓膜が痛くなるほどの大声が水の通路を震わせた。
天井からポタリポタリとしずくが落ちる。
男の左右の目の下にはサーム(๓)の入れ墨が一つずつ刻まれていた。
文字保有者ではない。が、初対面でもない。
俺はこの男と会ったことがある。
しかし俺が男に話しかける前に、男の後背から甘ったるく鋭い声が響いた。
「貴様、不審な動きをしたら分かっているな」
気づかないうちにキアが男の後ろに移動し、背中にもたれかかっていた。
身長差があるので臀部にもたれかかっているようにも見える。
キアにまとわりついていたサーム(๓)のピーが、その赤い身を男の入れ墨のサーム(๓)二つに当てる。
当の男は焦るどころか両の口角を上げ、健康的な歯をのぞかせた。
次回「135.第四の数字(๔)【前編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ゴ(เกาะ)→島
ナーム(น้ำ)→水




