131.第二の数字(๒)【前編】
「作戦概要を説明するぞ」
チャーイハートが上半身を三百六十度時計回りに動かし、俺たち十人を見る。
現在クマリーやプリアさんを始めとする低子音単独字組の面々と俺は灰色の円盤の上に座り、チャーイハートの上体を囲んでいる。
つまりチャーイハートの大きくなった腰の円盤に乗って海上を移動している最中だ。
浮き輪のようになった円盤を進めるために櫂で漕いだほうがいい気もするが、逆に操縦しにくくなると円盤中央の当人に言われたので俺たちは車座になっているわけだ。
なおチャーイハートはエーンから借りた水着に着替えている。
海中に沈めた下半身を用いて、襲いくるトカゲザメを撃退しているようだ。
一応、俺はシャチの姿をした海の兵隊を泳がせてサポートしておく。
プリアさんもレモンに似た自律型の小さな潜水艦をもぐらせて周囲を警戒してくれている。
さてチャーイハートが言葉を継ぐ。
「今回の作戦目的はギンガー海域の制圧だ」
ギンガーとは「トカゲ」という意味である。
「例のトカゲザメはキアとサラサルアイ以外すでに目撃したであろう。ギンガー海域は、そのトカゲザメの精霊が住みついている海にあたる」
「つまりリアンゲさんの縄に捕らわれていたトカゲザメたちがあたりに流出したってことなん?」
円盤に寝転がった状態でエーンが聞き返した。
なおエーンは自身のタコを大きくして俺たちの頭上に浮かせ、日傘としている。
日陰のなかでチャーイハートはかぶりを振る。
「さにあらず。化け物係の報告によるとギンガー海域において別の精霊が暴れ始めたようだ。トカゲザメはそのピーから逃げるために、もともと住んでいた海を離れたと思われる」
「するってえと、トカゲザメを追い立てたピーのほうがリアンゲの縄に封印されてたってわけか」
「まあモーマー(ม)の言うとおりだろうね。今のわたしでも、蛇に見立てた縄のなきがらがこの先にあるのだとなんとなく分かる」
四つ足を折り畳んだサラサルアイと、箱に入ったリアンゲの頭部が互いに目配せを送り合った。
キアが金色の瞳でチャーイハートをねめつける。
「ノーネーン(ณ)……ヨムの本拠地はギンガー海域にあると思うか」
「可能性はあるが確証はないな。身を隠すには好都合な場所ゆえ、探索する価値は充分だが。それとヨムに関してホーノックフークから指令が出ているなら教えてほしい、キア」
「承知した。――貴様ら」
金色の目が俺たち一人一人の顔に向けられた。
「もしヨムやその仲間と遭遇することがあれば殺さず生け捕りにしろ」
身柄を拘束してホーノックフーク(ฮ)の前に引きずり出すことに成功すればヨム側の目的や計画を丸裸にできるので当然の指示と言える。
ホーノックフークの力は死体に対しても有効ではあるだろうが、安易に殺害に及べば今後ヨム側との交渉の機会が失われてしまうのは明白なので慎重に行動せざるを得ない。
(もちろん……人面ムカデとの決戦後に現れたヨムがあのままレックを殺していたとすれば、俺はその指示を聞かなかったかもしれないな)
話を終えたキアがチャーイハートに続きを促す。
チャーイハートはあらためて上体を反時計回りに動かした。
「ギンガー海域制圧における第一目標はリアンゲの縄から解放されたピーだ。必要ならこれを仕留める。カヤンから聞いたが、ヒマとアーティットとクマリーとナーグルアは人面ムカデ討伐で『頭』をたたいたのであろう? そのときとほぼ同じ流れで作戦を進めるのだ」
「よっしゃー、みんな、ヒマのことも頼りにしてね~。なんなら、ピーたちのもともとの姿も暴いちゃうからっ!」
「やる気だね、ヒマちゃん! クマリーもみなさんの力になれるよう気合いを入れますよ~!」
「同じ流れで制圧するなら、『蓋』をしてトカゲザメの逃げ場をふさぎたいところだな。逃げたトカゲザメが一般の人たちを襲う可能性もあるから」
人面ムカデ討伐戦を思い出しながら俺はあぐらのひざを立てた。
「といっても今はフォーファー・ヤーンロップがいない。作戦中、なんらかの手段でギンガー海域を封鎖できればいいんだが」
「それについてはわたしがなんとかするよ、アーティットくん」
ひざに載せたリアンゲの箱をなでつつ、ニウフアメーが答えた。
「だけどエーンちゃんにも力を貸してもらおうかな」
「全然いいよアメちゃーん」
あお向けの体勢のまま、微妙に顔を上げてエーンが返した。
おしとやかな声がそれに続く。
「であれば作戦目的のギンガー海域制圧のために私たちがまず実行すべきは、当該海域外縁の封鎖およびトカゲザメのみなさまを追い立てているピーの正体を明らかにすることですわね」
ナーグルアは水平に倒した棍棒を幾度も左右に揺らしていた。
彼女の右隣にいるプリアさんが、おどおどした調子で質問する。
「あの……ナーグルアさんはさっきからなにをしているんです」
「沈めているだけですわ、ロールア(ร)さま」
よく見ると棍棒の直線上にある遠くの海面で水柱が上がっている。
害をなそうとするトカゲザメを遠距離から狙撃しているのだろう。レックもやっていたことだが、ナーグルアも得物によって空気の塊を飛ばすことができるらしい。威力はともかく、さすがに精度はレックに劣るようだが。
ちなみに悪意や戦う気のない生き物に対してナーグルアが攻撃をかけることはない。
ちまたでは暴力イカレ女とも呼ばれているものの、実際の彼女は無差別に戦いを仕掛けるような戦闘狂とは少し違う。
ともあれナーグルアが当面の作戦をまとめてくれたのでチャーイハートはうなずいた。
さらにみんなで、細かい作戦内容を詰めていく。
* *
そうして話し合いは一段落した。
ギンガー海域に着くまで、まだ時間がある。
この空き時間を使ってクマリーはリアンゲ・プリアさん・キア・サラサルアイに声をかけた。
「みなさんの字を、あらためてなぞらせてくださいっ! そしてお名前の書き方も教えてもらえませんかっ」
「ウォーウェーン(ว)のちゃんとした継承者になったからこそ、クマリーはもう一回学びなおす必要があるみたいだよー。ヒマからも頼むっ!」
ヒマがクマリーのお願いを後押ししてくれた。
対する四人は拒否することがなかった。
「ウォーウェーン・クマリー。このあいだの鱗山ではウィサーハとホーヒープ(ห)の前で遠慮したようだが、やはり君の学習意欲は応援したくなるものだね」
ニウフアメーにかかえられたままリアンゲがあごを上げてその裏に刻まれたンゴーングー(ง)を見せつける。
直接ふれることはできないものの、半透明のオレンジ色の箱越しにリアンゲの文字をクマリーがなぞりなおした。
続いてプリアさんの左手の平とサラサの額の文字にも指をすべらせる。
キアのノーヌー(น)に関しては全身を移動する字ではあるが……前回図書館塔で示したとおりキアは手袋を外して左手の平に移った文字を見せた。
クマリーは感謝を返す際、四人それぞれの手にコープクン(ขอบคุณ)と書きしるした。
反応の薄いキアの横で、サラサルアイとリアンゲは大いに喜んでいる。
「すさまじい成長じゃないかね、前はほとんど字も知らなかったというのに!」
「やるじゃねえかッ、ピーのお嬢ちゃん!」
ちょっとした言葉が書けるようになっただけだと冷笑せず、彼らは純粋にクマリーの成長を祝っている。
ただ、プリアさんは少しうつむいていた。
「アーティットさん……クマリーの文字学習はそこまで必要なことなんですか」
「必要だ。……スーンはウォーウェーン(ว)の力を行使して俺たちに文字を刻んだ。だからクマリーに継承されたウォーウェーンも『文字』に反応する性質があるはずだ。こうしてじかに子音字にふれ、書き言葉を習得していくなかでウォーウェーンとしてのクマリーはスーンレベルの覚醒に近づき……君のロールア(ร)を安全にはがせるようにもなるだろう」
「そうなったら……アーティットさんもトータハーン(ท)を外すんですよね……っ」
「俺はもう文字を手放すつもりはない」
「ワタシだけがオサラバすることになるわけですか……あ、あはは……」
無理に出したような笑い声だった。
それを聞かれたプリアさんはクマリーやサラサに心配されたものの、ぎこちなく顔をほころばせてその場を流した。
「そ、そんなことより……クマリー。アナタにワタシの名前の書き方、教えるからさ」
「ありがとうございますプリアさんっ」
今度は口で、クマリーは感謝を述べた。
プリアさんの名前を書く際には、「イア」という音を記号であらわす必要がある。
母音記号マーイナー(เ)を子音字の左に、ピンイ(–ิ)とフォントーン(')を上に、ヨーヤック(ย)を右に置けば「イア」という音になるとプリアさんは説明した。
「クマリー(กุมารี)のリー(รี)みたいにピンイとフォントーンが上についているからといって絶対に『イー』って発音になるとは限らないからね……左のマーイナー(เ)と右のヨーヤック(ย)に挟まれていたら『イア』になるって覚えておいて……」
あとはポーパーン(พ)とローリン(ล)を重ねて「プル」という二重子音を作ればいい。
なお子音がセットになっているときピンイとフォントーンを置く場所は後ろの子音字の上である。
以上を踏まえてプリア(เพลีย)という名前がクマリーによって書かれた。
プリアさん自身の左手を、クマリーの右人差し指が走った格好だ。
そしてマーイナー(เ)、ピンイ(–ิ)、フォントーン(')、ヨーヤック(ย)を使って「イア」をあらわせると覚えたからには、キアとリアンゲの名前も書きやすくなる。
くしくもキアとリアンゲの名前にも「イア」が含まれているからだ。
コーカイ(ข)と声調記号「マーイエーク(◌่)」を合わせて用いるのだと分かればキア(เขี่ย)という名前もすぐに完成する。
リアンゲという名前の前半部分についてはローリン(ล)と声調記号「マーイトー(◌้)」を使う。
あとはンゴーングー(ง)を続け、リアン(เลี้ยง)と書く。
後半部分の「ゲ」に関してはマーイナー(เ)二つとウィサンチャニー(ะ)で子音字ゴーガイ(ก)を挟み、短い「エ」をあらわす。
このゲ(แกะ)は一つの音の塊であり、二つの音の塊になればテーラ(แต่ละ)さんのように「エー」と「ア」という音に分かれるので注意したい。
しかしクマリーは説明に耳をしっかりかたむけ、リアンゲ(เลี้ยงแกะ)という名前をとどこおりなく書ききった。
最後はサラサルアイの名に移る。
彼の名前ではソースーア(ส)とローリン(ล)をセットにした音が連続する。
音の切れ目に位置する「ア」をウィサンチャニー(ะ)単体で示し、サラ(สละ)と表記。
さらに「ウア」を表現するためにウォーウェーン(ว)を付加する。トゥアム(ท่วม)と同じく、サラサルアイの名前についてもマーイハンアーガート(–ั)は必要ない。
名前の最後の「イ」はヨーヤックなので、サラサルアイ(สละสลวย)という文字配列となる。
クマリーは以上四名の名前をそれぞれの手の平にしるしたあと、またコープクンと書き足した。
「リアンゲさん、キアさん、プリアさん、サラサさん、お名前もありがとうございますっ! リアンゲさんは蛇のように妖艶であり、キアさんはまっすぐな人であり、プリアさんはやっぱり親しみやすく、サラサさんは雄々しくてかつ美しい――あらためてそんな印象をみなさんのお名前からクマリーは受け取りました」
「蛇のようか。それは素晴らしい」
「われがまっすぐだと……?」
「へへっ。照れるわ、お嬢ちゃん」
「……クマリー。エーンさんの文字はなぞらなくていいの?」
「だいじょうぶですプリアさんっ。エーンお姉さんのお名前とロージュラー(ฬ)はすでに先日、書かせていただいていますっ。ジョットお姉さんについてもです!」
「はあ、ふーん……ジョットマーイさんもね……」
前にルアダムナームで俺と戦ったあとプリアさんは「ジョットマーイさんみたいに大きくないんです、ワタシ」と言っていたが、どうやらジョットマーイに対してプリアさんはとくにコンプレックスを感じているようだ。
* *
クマリーの文字学習が終わったあともまだまだ時間があったので、俺は新しい数字を教えることにした。
「一番目の数字であるヌン(๑)は覚えているよな」
「はいっ、これですよねー」
クマリーは空中に渦を作るようにヌン(๑)とくり返し書いた。
「どうですっ! クマリーは数字も書ける天才ですっ」
「そのとおりだな」
「えへへ……っ、ありがとうございます~」
「じゃあ次は二番目の数字を書いてみようか。それができたらもっと天才だ。やっぱりかたちは子音字とは違うけど」
「あ! あんな感じでしょうか!」
「そうそう……え?」
俺はクマリーの指差した奇妙な物体にクギ付けになった。
まさしく今からクマリーに教えようとしていた二番目の数字(๒)が蝶のように宙を飛んでいたからである。
(は……? 夢なのか、俺はいつの間にか眠ったのか……?)
数字そのもの(๒)が、チャーイハートの円盤のふちで潮風と共に舞い踊っている。
しかも赤く輝いている。
次回「132.第二の数字(๒)【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ギンガー(กิ้งก่า)→トカゲ




