129.低子音単独字(ง ญ ณ น ม ย ร ล ว ฬ)の十人【中編】
「プリアちゃん、リアンゲくんを拾ってくれてありがとう!」
俺とチャーイハートのそばを過ぎ、新たな人影が砂浜に現れる。
ヨーイン(ญ)の文字保有者であるニウフアメーだ。
(さっきの耳にビリッとくる声はやはり彼女のものだったか)
螺旋をえがく冥色の長髪は後ろから見ても目立つ。
重ね着された紫・青・緑・黄・赤の上着は暑そうではあるものの、本人はまったく汗をかいていない。
両腕を大きく振り、潜水艦のプリアさんに呼びかける。
「リアンゲくんの生首が入った箱、投げていいよー!」
「魔女さん……ワタシそこまで強肩じゃありませんよ」
紡錘形の潜水艦がサイズを徐々に小さくしながら波打ち際に近づく。
ハッチから頭を出したまま、プリアさんがオレンジ色の箱を持ち上げる。
箱は半透明であるので、緑がかった長髪の壮年男性の頭部がなかに入っているのが外側からでも分かる。
「そ、そもそもこのリアンゲさんの頭部はなんなんですか……っ。まさかお墓から出て来たんじゃ……!」
「いやいや安心しておくれ」
「わああっ、また……っ!」
リアンゲの頭部がしゃべった瞬間、プリアさんは箱を落としそうになった。
当のリアンゲは、は虫類のような目を見ひらいて愉快そうに声を続ける。
「別に幽霊というわけでもないさ。確かにわたしはノーヌー(น)に首を落とされたが、あご裏のンゴーングー(ง)とホーヒープ(ห)の箱のおかげでなんとか頭部だけでも活動できているんだよ。これはホーノックフーク(ฮ)もみとめてくれていることだ」
「はあ……そういうことなら怖がったりしてすみませんでした。それにしても許せないのは……あの男ですよね」
あの男とはスーンのことだ。
スーンはプリアさんに無理やりロールア(ร)の字を刻んだ。
それはかなりの痛みを伴うことでもあり、プリアさんの人生そのものを踏みにじる行為にほかならない。
リアンゲもスーンにそそのかされて、スーンのもとの体の自殺をほう助することになった。
おかげでホーノックフークの意向で文字どおり首を飛ばされた。
お互いスーンの被害者であるということで、プリアさんはリアンゲと感情を共有しようとしているのだろう。
しかしリアンゲは気にしていないふうだ。
「わたしは元ウォーウェーン(ว)を許せる立場にすらないよ。無論、君は許さなくていいだろうがね」
すでにリアンゲも、プリアさんがスーンに被害を受けたことを分かっているようだ。
(しかしプリアさんはリアンゲに対してかなり複雑な思いをいだいているだろうな)
プリアさんにとってリアンゲは加害者のスーンを殺してくれた人間ではあるものの、それはスーンの意思を受けたものであり、プリアさんを救うための行為ではなかった。
しかもリアンゲが殺したのはスーンのもとの体にすぎず、リアンゲの行為自体スーンの手の平で踊らされた結果でしかなかったわけだ。
(もしリアンゲがスーンの自殺をほう助しなかったら、スーンはどうしていた。自分の本性を知っていたプリアさんに矛先を向けていた可能性もあるだろう。だからこそプリアさんにとってリアンゲは恩人でもある。単純に感謝することも忌避することも無視することもできない……とても微妙な恩人だ)
なぎさに近づくリアンゲとプリアさんに、目を丸くしてヒマが寄る。
「よろしくプリア!」
「……はあ、どうも。アナタの名前、ヒマだっけ」
「うんっ、ヒマヒマ!」
ついでヒマがリアンゲに手を合わせる。
「リアンゲさん、頭だけで生きられるなんてすごい生命力ですねー」
「エネルギッシュな君には敵わないよ。ホーヒープの箱から出ることはできないし」
「そうだ、ウィサーハさんに顔を見せてあげてほしいです!」
「彼女とはもう話したさ、ローリン(ล)」
「よか……そうだったんだっ」
ヒマは「よかった」と言おうとしたようだが、頭部だけになったリアンゲにそう伝えるのは勝手かもしれないと思ったのか無難に相づちを打った。
そんな会話に俺が耳をかたむけていると、左肩をたたかれた。
「みんな来てんね~。元気なあんたら見られてウチもうれしいよ」
サバサバした声と共に俺の左に腰を下ろしたのはロージュラー(ฬ)の文字保有者であるエーンだった。
赤茶色の髪と瞳も日焼けした肌も健康的に輝いている。
白のサンダルをはき、紺色の水着の上に水着と同じ色の半袖の上着を引っかけている。
「今回は海での作戦なんだよね、別に水着でもいいっしょ? ハートちゃん」
「無論だ」
チャーイハートは俺の右隣でいまだにバナナをなめていた。
エーンは左手にタコ糸をまとめた棒を持ち、そこから五本足の赤いタコを揚げている。
風にあおられ、まるで生きているかのようにタコが揺れ動く。
「ティットくんも、そういうことでよろしくね~」
「……ああ。ファークドゥアイ(よろしく)、エーン」
「ちょっと歯切れ悪いじゃん。もしかしてウチが普段いる無人島を離れたのが不思議なん?」
「みんなに情報を一斉送信できる君の力は優先的に守られるべきものだからな」
「といってもチュアくんの鐘のおかげでウチの負担も減ったわけっしょ。ってことで、積極的に出て行くのもいいと思ったんだよ~」
続いてエーンは砂浜を見渡した。
「えっと、もう来てるのはティットくんにハートちゃん、アメちゃん、クマちゃん、ヒマちゃん、プリちゃん、リアンゲさんかあ。クマちゃんの保護者のティットくん以外は低子音単独字組なんよね? ってことは、あと三人そろえば今回のメンバーは全員集合ってわけだね」
ここでエーンが立ち上がる。
揚げていたタコが突如として震え、暴れ始めたためだ。
「みんな気をつけて、なんか来るっぽい」
エーンの言葉どおり、海面に大きな波が立った。
サメの黒い背びれがいくつも横に並んでこちらに向かっている。
だがその群れが達する前に潜水艦のそばでしぶきが上がり、トカゲのような手足を生やした例のサメが宙を舞った。
砂のなかに身を隠していたのだろう。
口をあけ、プリアさんに奇襲をかける。
硬直したプリアさんを助けようとニウフアメーが動こうとした。
その前にヒマが跳躍する。
「テンラム!」
踊るようにトカゲザメのヒレや牙をかわし、平手打ちを横腹に入れた。
サメはヒマの攻撃を受け、ひしゃげた身を海に沈めた。
「プリア、無事っ?」
「あ、ありがと。ヒマ……」
プリアさんにケガはないようだったが、一方で横並びのサメたちが迫る。
俺もチャーイハートも前に出て波打ち際を踏んだ。
ざっと見ただけでもサメの数は百を超える。
ンゴーングー(ง)の力を使えないリアンゲ以外の文字保有者全員が臨戦態勢に入った。プリアさんも後れて潜水艦を再発進させようとする。
すべてのサメが波打ち際の五メート手前で飛んだ。
漏れなくトカゲの手足が生えており、俺たちを食おうと大口をあけている。
(そちらが食うつもりなら、こちらも容赦する理由はない)
上体を左後ろにひねり、俺は抜剣の構えをとった。
「プロイ・コム・ダープ」
左手の平のトータハーン(ท)から剣を抜こうとした。
直前――。
「コ」
おしとやかな女性の声が向かって左から響いた。
短すぎる詠唱と同時に、突起付きの黒く太い棍棒が一番左のサメに当たる。
するとそのサメは爆発し、全身が水となって飛び散った。
(百パーセント水でできた精霊……?)
そう思う間もなく、爆発したサメの隣のサメも衝撃を受けて四肢の先までを水に変じ、破裂した。
さらに――まるで導火線を火が伝っていくように、左から右へと次から次にトカゲザメが爆ぜていく。
総勢百以上のサメが数秒もたたず爆散して海に溶け落ちる。
一番右にいたトカゲザメが水に変換されたあと、海には波音だけが残された。
向かって左から、棍棒を持った背の高い女性が歩いてくる。
胸の前に垂れた白すみれ色の左右の巻き毛も、吸い込まれそうな蠱惑的な瞳も、四枚の布からなる薄い青のボトムスも海水に濡れている。
棍棒を立てて背中に回し、妖艶に笑む。
「きょうも生きてケンカができることに私は感謝を捧げますわ」
ヨーヤック(ย)の文字保有者であるナーグルアが天上と反射した海面から太陽を浴びている。
その場にいたリアンゲ以外の全員が彼女に手を合わせて感謝を示した。あるいはこの動作には畏怖も含まれていたかもしれない。
対するナーグルアはあごを上げて胸をそらし、目を細める。
「マイペンライでしてよ」
それから、先ほどのヒマの攻撃から回復したトカゲザメが浮上すると同時にナーグルアはそのサメを蹴って爆裂させた。
トカゲザメのピーの残骸がすべて水となる。
飛び散る水を浴びたのち、一回だけ犬のように身を振った。
「それにしてもみなさま――ああ、なんてすがすがしい暑さなんでしょう」
次回「130.低子音単独字(ง ญ ณ น ม ย ร ล ว ฬ)の十人【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
コ(เคาะ)→たたく




