127.第一の数字(๑)
今回から第四章に突入します!
「――ร้อน(ローン)〔暑いな……〕」
太陽の照りつける海辺で、俺は短くつぶやいた。
今さらながら、世界には季節があるという事実を俺は噛み締めている。
大地が公転している関係上、一年を通して世界の季候は移り変わっていく。
降水量の多い雨期、晴天の続く乾期、気温が高くなる暑期――この三つの季節を「三季」と呼ぶ。
俺とクマリーが出会った季節は「乾期」だったが、時間が進んで今は「暑期」である。
今年は、例年よりも早く暑期が来た。
ファとの最終決戦において俺が世界の裏面から大地を釣り上げたからだ。
影響は最小限にとどめたつもりだったが、早めの暑期の到来に困惑している人も多いようだ。
とはいえ今からまたファに頼んで裏面に連れていってもらい大地を釣るとすればますます混乱を大きくしてしまうだろう。
だからこれ以上は大地に干渉するなとホーノックフーク(ฮ)からも化け物係の使者からも言われている。
暑期が来たおかげで目の前の砂浜も、暑い空気を蓄えている。
(チャーイハートとの待ち合わせ場所はこの海辺でいいんだよな)
彼女の用件は、リアンゲの縄から解放された精霊の討伐に関することで間違いなかった。
詳しい内容は会ってから話すとのことだが、おそらくこの砂浜に近い場所に凶暴なピーが出現したのだろう。
(そういえばホーノックフークは、ヨムが海の孤島にいると推理しているみたいだな。チャーイハートの用件がそれと関係あるかは分からないけど……できればヨムの本拠地もこちらから見つけたいところだ。ともあれ、今はこの暑さが問題か)
太陽光が海面に反射している。ひどく蒸し暑い。
上着はファに預けたので、黒い胴衣に直接熱線が当たる。
「ルークタハーン・ロムガンデート」
左手の平のトータハーン(ท)を淡く光らせ、文字のなかから青い日傘を引っ張り出す。
日傘をひらいて砂浜に刺し、その日陰に俺は立った。
瞳を輝かせて海に見入っているピーの少女に呼びかける。
「クマリー。チャーイハートが来るまでここで休んでもいいよ」
「お兄さんっ」
オレンジの混ざった茶髪と白っぽい衣装を潮風に揺らし、クマリーが飛んできた。
俺の左手の平に「コープクン(ขอบคุณ)」としるす。
ついでふにゃふにゃ声で同じ言葉を口にする。
「ありがとうございますっ! でもクマリー、この大きくてキラキラした海で遊びたいですっ」
「どんなふうに遊ぶんだ」
「見せましょう!」
クマリーが左手を引っ張ってくるので、俺は日傘を持ってついていく。
浮遊をやめ、クマリーは波打ち際に足をつけた。
もとからはだしであり、腰に巻いた布は膝丈なので濡れる心配はない。
波が引いたところでしゃがみ、水を吸った砂の表面に指をつける。
それからクマリーは、文字ですらないジグザグの模様を描いた。
じきに波が寄せてきて、そのジグザグ模様を洗った。
再び波は引いたものの、先ほど描いた模様はほとんど消滅している。
「面白いですよね~。お兄さんもやってみてくださいっ」
「ああ、楽しそうだな」
日傘をなぎさに刺しなおし、はだしになって俺もしゃがむ。
いい機会と思ったので、クマリーに例の字を教えることにした。
「ワッタジャックのパイ・ゴーガイでたたか……遊んだとき、俺は約束した。君が四十二個の子音字をすべて覚えたあとで『数字』を教えると」
「はいっ、クマリーは数字の書き方も知りたいですっ!」
「まずは一つ、一緒に書いてみようか」
「やったあ!」
喜ぶクマリーの素足をまた波が洗った。
俺は波に背を向けた状態で、右隣のクマリーに指の動きを見てもらう。
「一番目だから『一(หนึ่ง/ヌン)』を書くのがよさそうだな。コツはグルグルを意識すること」
トータハーン(ท)やホーノックフーク(ฮ)といった子音字が音を示す一方で、数字は数そのものをあらわす。
一に対応する字は「๑(ヌン)」だ。
真ん中のやや下側から書き始め、まず左斜め上方向へと弧を引く。
時計回りに弧を曲げて中央に小さな丸を作ったあと、さらに大きな丸をえがく。
いったん左斜め下に出てから時計回りを続け、中央の丸を囲むのだ。
内側の円周と外側の円周とのあいだの距離は、内側の丸の直径とほぼ等しい。
そして外側の大きな丸は右下で途切れる。
右下よりも少し左に寄ったあたりで、線をとめる。
こうして「数字の一」すなわち「๑(ヌン)」のかたちが完成する。
「おお……っ!」
クマリーも俺の書き順を見ながら砂にヌン(๑)としるした。
「グルグルしてて、書いていて楽しい字ですねっ」
「これがヌン(๑)だ」
俺は指を一本立てる。
「財布のなかの硬貨にも書かれているからあとで確かめるといいよ」
「まだまだ字を覚えることができてクマリーは大興奮です」
同じくクマリーも、濡れた指を一つ立てた。
波が再三やってきて、クマリーと俺の書いたヌン(๑)を消す。
もう一度砂の上にその数字を書きつつ、クマリーが聞く。
「そういえばヌン(๑)の文字保有者のかたはどこにいるんです?」
「いないよ。スーンが刻んだのは四十二個の子音字だけだから」
「文字保有者のみなさんはそれだけ特別ということですね……っ」
「君もその一人だよ、クマリー」
「えへへっ、そうでした」
しかし言われてみれば「数字保有者」がいないのは不可解である。
スーンが俺たちに文字を刻んだのはもともとコマにするため。
その目的のためなら子音字だけでなく数字も使って文字保有者を最大限に増やしそうなものだが、実際のところスーンは廃字以外の子音字しか使用していない。
(そもそもスーン(ศูนย์)という名前自体がゼロ(๐)を意味するわけだ。ヤツが数字を刻まなかった理由と彼の名前とのあいだには、なにか関係があるんだろうか)
俺が考えごとにふけっていると、クマリーが俺の胴衣の裾を引いた。
「あ、あの……お兄さんっ。海の向こうからなにかが来ています!」
彼女の言葉を受けて海面へと振り向くと、サメの背びれとおぼしき黒い物体が激しく水を切っていた。
背びれは波打ち際の俺たちに近づいてくる。
徐々にその正体が日の光にさらされる。
確かに体はサメだ。背中側が黒く、腹側が白い。
だが黒と白の境界線からトカゲのような手足が生えており、その手足で砂を蹴りつつ接近しているようだ。
(普通じゃない。こいつはピーだな)
サメ型のピーは間合いを三メートまで詰めたのち、一気に跳躍した。
暗い鍾乳洞のような口内が迫る。
そして噛みきった。
――俺が砂から抜いた青い日傘を。
俺の体が淡い青の光を発する。
クマリーが宙に「アーティット(อาทิตย์)」という俺の名前を書いてくれたおかげで集中力が増す。
柄の下端を突き出し、まだ破られていない日傘の内側でサメの腹を受けとめた。
間髪いれず布越しに掌底を入れる。
左手の平のトータハーン(ท)を光らせながら詠唱した。
「ラーイムー」
掌底によって押されたサメ型ピーが沖の向こうに飛んでいく。
壊れた日傘を手の平に収納し、俺はクマリーに礼を伝える。
当のクマリーは俺に礼を返したあと波打ち際から少し離れた。
「さっきのお魚さんはいったいなんだったんでしょう……っ」
「暑期にもかかわらずこの砂浜に俺たち以外誰もいないのは今のトカゲザメのせいみたいだな。もしかしたらチャーイハートの用件と関係があるのかも」
「しかり」
砂浜の近くにある茂みから、樺色の髪と瞳を持つ女性――チャーイハートが現れた。
やはり上半身と下半身のあいだには灰色の円盤が挟まっているようだ。
「サワッディーであるぞ、キサマら」
声も変わりなく、こちらの脳に直接響いてくる。
チャーイハートは腕を組み、あいさつを返す俺たちへと近づく。
「トカゲザメのことを拙は知っていたがあえてキサマらには教えなかった。初見でキサマらがどう対応するか興味があったゆえ」
しかし波打ち際に達したチャーイハートはそこで転んでしまった。
「ひゃあんッ!」
想定外のことが起こったときにすっとんきょうな声を出すのも相変わらずらしい。
俺とクマリーは彼女を助け起こそうと駆け寄ったが、チャーイハートは腰の円盤を大きくさせて即座に立ち上がった。
「そしてキサマらに伝えなかったことがもう一つ」
灰色のノースリーブのトップスと扇形の白いロングスカートを両手ではたくチャーイハートだったが、海水付きのため砂がなかなか落ちない。
「今回の作戦には、あと八人が参加する」
「もうメンバーは決まっているのか」
「ノーネーン(ณ)の拙やウォーウェーン(ว)を持つクマリーを始めとする『低子音単独字組』の全員である」
「……でもそれだと俺は」
「そうだ、アーティット」
瞬間、チャーイハートの上半身と下半身がそれぞれ別方向に回転し、砂をすべて振り落とした。
「キサマだけは例外だ。トータハーン(ท)だからな」
次回「128.低子音単独字(ง ญ ณ น ม ย ร ล ว ฬ)の十人【前編】」に続く!(6月27日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
๑←これが「1」の数字。一筆書きの二重丸みたいな形ですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ヌン(หนึ่ง)→数字の1(๑)
ローン(ร้อน)→暑い
ロムガンデート(ร่มกันแดด)→日傘
ラーイムー(ลายมือ)→手相
また新章に突入しました。あらためて読者のみなさまに感謝を申し上げます。
評価やブックマーク等も大変励みになります!
本作の第1話を投稿したのが去年の12月22日なので連載を始めてから半年が経過したようです。
ようやくタイ語の子音字42個が出そろってからの新章と思うと、長かった気もしますね~。




