番外編06.船の行く末・ルアパイナイ(เรือไปไหน)
アーティットとファたちの抗争が終わり、ヨムが人工島に新たな仲間を連れて来ていたころ――。
北部地方の東西に延びる大河・グラーン川はその日もゆるやかに流れていた。
ただし、川を遡上する奇妙な物体もあった。
人の肩幅ほどのハスの葉一枚である。
葉の外縁は内側に折り込まれており、まるで一艘の船にも見える。
ハスの葉はしばらく流れをさかのぼったあと、南の岸に取りついた。
ついでハスに水がたまり、その水のなかから身長百五十センティメートに満たない少女が出て来た。
少し青っぽい髪は雑に縛られており、同色の瞳はどこか自信なさげに震えている。
少女がなにか唱えるとハスの葉はねじれ、左手の平に赤く刻まれている文字――「ロールア(ร)」へと吸い込まれた。
彼女は何回かその場を行ったり来たりしたあと、重い足取りで川岸から離れた。
白のバレエシューズが地面を踏むたびに、青っぽい髪も白いワンピースも水色の上着も乾いていく。
一人で歩きつつ、おどおどした声をくり返している。
「や、やっぱ引き返そうかな……いや、でも」
言いながら、ゴーガイ・ディアオの治める高床式都市「ムアンガイ」へと足を運ぶ。
都市の北西端にある階段を上ったあと、赤茶色の木造家屋の前に立った。
扉にふれようとするも、手がとまる。
硬直したあと、きびすを返して来た道を戻ろうとした。
しかし少女が背中を見せた瞬間、扉があいた。
所作のきれいな女性がなかから姿を現した。
「久しぶりね、プリアちゃん。また顔を見ることができてうれしいわ」
「あ、これはジュットジョップさん……すみませんワタシは逃げようとしました」
青っぽい髪の少女――プリアはつま先の向きを半分だけ戻す。
ジュットジョップと呼ばれた女性はほほえみ、なかに入るよう促した。
「ディアオさまは不在よ。仕事場のほうにいるから」
「そ、そうですか……お邪魔します」
ぎこちなく手を合わせたあと、目を泳がせながら家のなかに入り、プリアが靴を脱ぐ。
プリアはロールア(ร)の文字保有者になる前、ホーノックフーク(ฮ)の図書館塔を頻繁に訪れていた。
当時、司書として働いていたジュットジョップとも交流があった。
しかし文字保有者になってからプリアは図書館に来なくなった。
スーンに無理やり文字を刻まれたことが原因だったが、ジュットジョップはディアオと結婚してからもプリアを心配し続けていた。
今はトラウマを刺激することを恐れてか、ジュットジョップはそのことにふれず、自然体でプリアと接することを心がけているようだ。
プリアが両手を胸に当て、おどおどと言う。
「おこっていますよね、ジュットジョップさん……ワタシ、いきなり図書館塔に来なくなっちゃってずっと音信不通で……なのに今ごろノコノコ現れて……」
「プリアちゃん、だいじょうぶよ」
廊下の途中で振り返り、ジュットジョップが優しく目を細める。
「わたくし、おこっていないわ。元気なあなたともう一度会えてよかったと思ってる」
「元気だなんて、そんな。ワタシ逃げてばっかりで」
「もっとプリアちゃんは自信を持ってもいいのよ」
ジュットジョップはプリアを客間に案内し、いったんその部屋から出て行った。
客間の席には亜麻色の髪と瞳を持つ若い女性が座っていた。
ひざに水兵帽を載せた彼女が、はつらつとした声でプリアにあいさつする。
「おっ、プリアちゃん、待ってたよ。会えてうれしい……สวัสดี(サワッディー!)〔こんにちはっ!〕」
「はあ……サワッディーです。ジョットマーイさん」
テーブルを挟んだ対面の席にプリアは腰を下ろした。
さらにジュットジョップが茶を淹れて戻ってきた。
「はい、プリアちゃん」
「どうもです……」
「ジョットマーイさんもどうぞ」
「ありがとうございます、ジュットジョップさん。プリアちゃんと会う場所を用意してくれたことにも感謝します。そうディアオさんにも伝えておいてください」
「分かりました、ではごゆっくり」
ジュットジョップは再び部屋から姿を消した。
プリアは猫背になり、茶をすする。
対するジョットマーイはホットパンツのポケットから鐘のイヤリングを取り出した。
「まずこれを渡すね、プリアちゃん。チュアモーンさんとガムランくんの開発した通信装置だよ。使い方は簡単で――」
受け取ったプリアは生返事をしつつ、ジョットマーイの説明を聞いていた。
説明が終わってから質問を返す。
「このイヤリング、ワタシ以外の全員に行き渡っているんですか」
「まあそうだねっ」
「ワタシが最後ですか……やっぱりワタシがずっとルアダムナームに引き籠もっていたから迷惑をかけていたんですね……ヒマだったのにカヤンさんの招集にも応じませんでしたし」
「いやいや気にすることないよ。こうして渡せたんだから問題なし」
「……サラサルアイさんに言われてここに来ましたけど、用はイヤリングを渡すことだけじゃないんですよね? それだけだったらサラサルアイさんにイヤリングを持たせておけばよかったわけだし」
ワンピースの裾を両手で握り、うつむく。
「コープクンでした。気を利かせてくれたんでしょう、ジュットジョップさんとワタシを会わせるために……」
「あたしがプリアちゃんと話したかったからでもあるよ」
「ワタシとですか……っ」
自嘲気味に笑声を漏らした。
「アナタと比べて心も体も魂もすべてが小さいワタシなんかと会話しても得られるものなんてありませんよ……明るくて元気で仲間のみんなから頼りにされてるジョットマーイ船長さんとは違って、ワタシは役立たずの性格最悪モクズ女ですもん……」
「別にあたしはプリアちゃんのこと、そんなふうに思ってないんだけどなあ。みんなだって……」
「じゃあ、これ聞いても同じこと言えますかね」
茶をすするのをやめ、プリアがまくし立てる。
「あの男……スーンが死んでワタシは『わあい!』と思ったんですよ……っ! いっさいの罪悪感なしに。でもジョットマーイさんにとってスーンは人生を救ってくれた人なんでしょう? どうですか、ワタシはアナタの気持ちも考えずにあの男の死を純粋に喜んでいます。そんなワタシがアナタの目の前でのうのうと呼吸をしているだけで不愉快でしょう……っ」
「スーンさんがプリアちゃんに見せていた側面とあたしに見せていた側面は違ってた。だったらプリアちゃんの気持ちもあたしの気持ちも間違ってない。不愉快なわけがないよ。あたしはプリアちゃんのことが好きだよ」
「そういうところがあ……っ! まぶしいんですよお……」
うつむいたまま、プリアが左手の平のロールア(ร)に爪を立てる。
「ジョットマーイさん……アナタといるとワタシがとてもちっぽけなものに感じられるんです。かたや大きなジャンク船。かたや小さなただの船。アナタがジャンク船のポーである『ポーサムパオ(ภ)』の文字保有者で、ワタシが船のローである『ロールア(ร)』の文字保有者っていうのはひどく皮肉が利いてますよ……」
「大きなジャンク船も小さな船もどっちも大事だよ」
ジョットマーイが自身の左手の平に刻まれたポーサムパオ(ภ)に視線を送った。
「それに……あたしはあたしよりもプリアちゃんのほうが大きいと思ってるんだ」
「どこがです」
「器が」
ひざに置いた水兵帽をなで、言葉を継ぐ。
「確かにあたしは元気に振る舞ってはいるけれど、プリアちゃんほど自分の心と正直に向き合う強さを持っていないよ。だから本当に人のことを考えて、人のために動けるのは――あたしよりもプリアちゃんのほうだと思うな」
「わ……分かりませんよ、そんな調子のいいこと言われたって」
やや背を伸ばし、プリアがバツの悪そうな顔をする。
「……ワタシ、クマリーがウォーウェーン(ว)の力に完全に目覚めたら真っ先にロールア(ร)を外してもらうつもりです」
「そう」
「ほかにないんですか……」
「文字をどうするかはプリアちゃんの自由じゃないといけないから」
「ジョットマーイさんは、とことんまぶしくて大きい人ですね……」
目の前の茶を一気に飲み干す。
「それまでワタシはどうしたらいいんでしょう。ヨムとかいうヤツのことも怖いです。潜水艦に籠もって、みんなが事態をなんとかしてくれるのをひたすら待つだけでいいんでしょうか……」
「プリアちゃんは望んで文字を刻んだわけじゃない。無理をすることはないんだよ」
「はい、そのはずです。そのはずなんですが……なんか息苦しくて」
両手で胸を押さえる。
そしてプリアは唇を噛み締めていた。
「このままみんなに役立たずと思われたままでいいのかって」
「誰もプリアちゃんのこと、そんなふうに考えてないからだいじょうぶ」
「言い間違えました……ワタシがワタシを役立たずと感じてしまうのが嫌なんです……っ。しょせんワタシは自己中なんで。これまではトラウマを免罪符にできてましたけど、あの男が死んだ今、それも通用しなくなったって話です……勝手でしょ」
「みんなの力になってくれるなら、それだけでありがたいよ。動機なんて人それぞれだし、プリアちゃんの気持ちも悪くないんじゃないかな」
「……ひとまずお試しで、リアンゲさんの縄から解放された精霊の鎮静化にワタシも参加しようかと思っています……まあ人面ムカデみたいなのを相手にするのはゴメンですけれど。どうせ足手まといで陰気くさいワタシが参加したところでみんな煙たがりますよ……それを口実にしてルアダムナームに堂々と引き籠もろうって算段です……ワタシは第一にそういう罪悪感を減らしてくれる免罪符がほしいんですよ……っ! みんなの役に立ちたいとかうそぶいていますが、そんなのポーズにすぎません……」
「それでいいんじゃないかな。あたしも支持するよっ!」
ジョットマーイも自分のぶんの茶を干した。
なにか返そうとしたのかプリアは口元を動かした。
しかし、それは言葉にならない。
ここでジュットジョップが茶の容器を回収しに戻って来た。
あらためてジュットジョップに礼を言うジョットマーイをプリアがおずおずと見ている。
「ワタシは……アナタのことが嫌いじゃないです。ただ、とても苦手です」
その言葉を否定せずにうなずくジョットマーイに、静かに手を合わせる。
「だけど話をしてくれて、ありがとうございました。アナタはやっぱり大きな人です……」
「あたしもみんなもプリアちゃんの仲間だよ。いつでも頼って」
「そんな資格、ワタシにあるんでしょうか」
「あるんだよ。みんなもプリアちゃんを頼るから」
「……ウソ、つかないでください」
プリアは席を立ち、帰り際にジュットジョップにも手を合わせた。
「お茶、おいしかったです」
「ありがとう。プリアちゃんはこれからどこに?」
「さあ……とりあえず」
鐘のイヤリングを耳につけ、ぎこちなく笑ってみせた。
「流されてみます、船らしく」
次回「127.第一の数字(๑)」に続く!
タイ語のサブタイトル「ルアパイナイ(เรือไปไหน)」を単語に分解すると「ルア(เรือ/船)」+「パイ(ไป/行く)」+「ナイ(ไหน/どこ)」になります。したがって「船はどこに行く」と直訳できます。
英語だと「Where is the boat going? 」みたいな感じでしょうかね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
パイ(ไป)→行く
ナイ(ไหน)→どこ
サワッディー(สวัสดี)→こんにちは




