番外編05.勝利の予感に酔い痴れろ・マオガップラーンチャイチャナ(เมากับลางชัยชนะ)
「――ただいま、ムート。シアムも元気にしてたかな?」
乳白色の髪と瞳を持つ若い男が灰色の人工島に降り立ち、ドーム状の洞穴に入った。
少々高めの声で帰りを知らせる。
薄い闇で満ちたその空間で待っていたのは、巨大なビンに入った墨色の長髪の女。
だが女は目を閉じたまま反応を返さない。
一方、洞穴のすみでひざをかかえてじっとしていた黒目赤髪の子どもは言葉を返した。
――ただし、冷淡に。
「ヨム。もう帰ってきたわけ?」
「ちょっとちょっとシアム~」
軽薄な調子で男――ヨムが苦笑した。
「文字保有者に対抗すべく俺が一生懸命仲間集めを進めてヘトヘトになって帰還したっていうのに、それだけっていうのは冷たいんじゃないのー。せめて『ヨムお兄ちゃん、がんばったね……っ』ってな感じで俺の胸に飛び込んで優しくねぎらいの言葉をかけるとかさー」
「เคือง(クアン)〔うっざあ……〕」
シアムのうなじで燃える赤黒い炎までもが拒否反応を起こしたかのようにチリチリと揺れる。
「それ聞いて、ますますあなたに協力したくなくなったわ」
「え、おこらせちゃったの? 理由は分からないけどごめんねー」
「フップパーク(黙ってくんない?)……ホント、人をイラつかせるのが得意ね、ヨムは。ただ起きるためだけにあなたみたいな男を頼らざるを得ないムートに同情を禁じ得ないんだけど」
ムートとは、洞穴中央の巨大ビンのなかで眠っている若い女のことだ。
彼女を目覚めさせるには文字のエネルギーが必要である。だからこそヨムは文字保有者から文字を奪おうとしている。
文字保有者は体に刻んだ文字を失うと死ぬ。
それでもヨムにとってはディアオやラートリーといった文字保有者のいのちよりも、ムートを起こすことのほうが重要なのだ。
だが文字保有者は四十二名いるため、ヨム一人ではなかなか文字を奪取できない。
そこで、文字を奪うという目標を達成するためにもまず仲間を集めなければならないと結論づけた。
とはいえ現状、この島に強制的に連れて来られたシアムとしてはヨムやムートがどうなろうと知ったことではない。
確かに、自分と敵対した文字保有者たちの動向は気になるが――。
「にしてもヨム。なんか急に暑くなった感じしない?」
柑子色の服の裾をはたき、内部に空気を送り込む。
「まだナーローン(หน้าร้อน/暑期)は先のはずなのに」
「おそらく、これは文字保有者の仕業だろう」
左手に持った空きビンを空中で回し、ヨムが答える。
「なんかシアムとの戦いが終わってから文字保有者のみなさまがたは身内同士で争ってたっぽいんだよねー。その抗争の結果、大地の軌道が少しずれたみたい。あ、シアムは大地が丸くて太陽のまわりを回っているってちゃんと知ってる? 公転って言うんだけど」
「バーにしないで、知ってるっての。てか身内同士でやり合ってんならチャンスじゃん。今のうちに弱いヤツでも仕留めれば?」
「それがさあ。彼ら、すでに和解して仲よしこよしに戻っている感じなんだよ。さすがの結束力だよね」
「結局、仲間を集めないとどうしようもないってわけ」
シアムが首を動かし、ヨムの周辺に視線をやった。
「で、肝心のお仲間は何人か集まったの?」
「とりあえず二人」
ヨムは順手で空きビンをつかみ、右手でビンをたたいて音を鳴らす。
「二人ともー、俺のかわいい妹分に自己紹介おねがーい」
「待ってよ。誰がいつ、あなたの妹分になったのよ」
「え? でもシアム、俺の仲間になるのヤなんだよね?」
「そうだけど仲間にならなかったら妹って発想がおかしい。あなたの脳みそ、実は空きビンでできてんじゃないの?」
「バレちゃったか」
「適当こくなあっ!」
「ほお~! おまえら仲むつまじくて癒やされるな~!」
鼓膜が張り裂けんばかりの大きな声が、ヨムとシアムの会話のあとに続いた。
島の外から穴を通って現れたのは、壮年の大柄な男であった。
金色の目と黒い髪を持つその男は、黒いタンクトップと青いズボンを着ていた。
はだしに、焦げ茶の草履をはいている。
身長は二百五十センティメート以上。
獅子のたてがみを思わせる黒髪も男に威圧感を与えている。
しかしもっとも特徴的なのは、両の目の下にある入れ墨だ。
左と右それぞれにサーム(๓)の数字が浮かび上がっている。
シアムが警戒しつつ、大男に質問する。
「なにその左右合わせてサームシップサーム(๓๓/三十三)の数字は。あなたも文字保有者じゃないよね?」
「なんのことだっ!」
「ちょ……うるさっ。もっと声、抑えてくんない」
「すまん」
大男の声は小さくなったものの、それでも不思議と鼓膜に響く。
「おれの目の下の数字はカウントダウンさ。戦場で出会った素晴らしい敵を殺すごとに一個ずつ減っていくのだ。ガーオシップガーオ(๙๙/九十九)から始まったこの数字をスーン(๐/ゼロ)にまで持っていくのがおれの目的なのだ」
「はあ、それはさぞお強いことで。でもなんであなたはヨムみたいな腹立つやつの仲間になったの」
「あー、おれも最初は興味なかったんだけどよ……」
シアムの前でしゃがみ、大男がひざに両手の平を添える。
「ヨムくんの標的のなかにアーティットって男の子がいるって聞いてな」
「男の子って呼び方が適切かは知らないけど、アーティットって赤目赤髪のあいつのこと?」
「そうそう。おれはアーティットを殺したいんだ」
「恨みがあるんだ?」
「いや別にそんなのないよ」
身を前傾させ、目線の高さを合わせようと試みている。
「ただ、アーティットは二年前におれが殺したはずなのだ。でもそのあとも傭兵として活動を続けているアーティットのウワサがおれの耳に入ってきた。なぜかアーティットは生きていたのだ。以降、おれは減らしたカウントのつじつまを合わせるためにもアーティットを探し回っていたんだけれど……ヨムくんによるとアーティットが復活したのは文字保有者とやらになったからだそうじゃないか。で、その文字保有者をねらうヨムくんに協力すればアーティットを今度こそ殺せると思って仲間になったのだ」
「カウントのつじつま合わせをしたいなら今すぐサームシップサーム(๓๓/三十三)をサームシップシー(๓๔/三十四)にすればいいだけじゃん」
「あ、なるほどっ!」
「ちょちょ……シアム、余計なことは言わないでよー。せっかく仲間にしたのにっ」
ヨムが慌てて両腕を斜めに振る。
だが大男はシアムの言葉にうなずきつつも、両のこぶしを強く握った。
「つってもおれはアーティットという男の子をもう一度殺したい。彼は今、二年前よりもっと素晴らしい敵になっているんだろう? だからおれはカウントをもとに戻さずアーティットを殺しきり、つじつま合わせを完遂するのだ」
「こだわりすぎでしょ。カウントがスーン(๐/ゼロ)になったら、なにか特別なことでも起こるの?」
「おれが満足するっ!」
「……なんによせ赤目赤髪を倒した話が本当ならかなりの戦力じゃん。といってもあなた、ヨムがウソを言っているとは思わなかった?」
「ふふふ。出会ってすぐにおれたちはお友達になっちゃったからな」
「はあ?」
貼りつけたようなヨムの笑みを、シアムは右中指で指し示した。
「こいつと?」
「いやあ、ヨムくんは開口一番おれの目の下の入れ墨を褒めてくれたし。素敵な男の子だなと」
「素敵なのはピュアなあなただよっ!」
照れ笑いを返す大男をじっと見たのち、シアムはまた首を大きく動かす。
「……で、お仲間は二人じゃなかったっけ。あと一人はどこよ」
「ありゃ。確かにあの子、外に出たままだ」
ヨムが穴の外に向かって声を上げる。
「もしもしー、恥ずかしがらずに出て来なよー。シアムは怖くないよー」
「なんでわたしが怖がらせている前提?」
「ち、違います……っ」
蚊のなくような少女の声が返ってきた。
「ワタシは自分のことを怖がっているんです。みなさんを傷つけるんじゃないかと……っ」
「……へ? いやいやだいじょうぶだっての。わたしはすでに死んでるし」
「本当ですか……精霊の力を借りているんですね……? ちょっと安心しました。でも念には念を入れてワタシはもっと自分を緊縛しておきます」
「なんか変な言葉が聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな」
「では、なかに入りますね」
姿を見せるのをためらっていた少女がようやくシアムと同じ空間内に現れる。
薄茶色の簡素な貫頭衣をまとった少女だ。
細腕の大半が露出しており、貫頭衣以外で身につけているのは足首から太ももまでを覆う薄茶のレッグカバーのみ。
栗色の髪は臀部まで届いている。
その毛の性質は綿のように柔和に見えた。
目は青色で大きく、一対の濡れた宝石のようでもある。
もし少女の特徴がそれらだけであったならば、なぜヨムがこの少女を連れて来たのかシアムは疑問を呈していただろう。
だがその少女には明らかに異常な部分があった。
少女はわきがのぞくまで両腕を上げているのだが、天に向かった両手首には手錠がはめられ、しかもその手錠から延びるロープが真上へとピンと張っているのだ。
自分で自分を緊縛しているかたちである。
まさか一人でやったとは思えないので、おそらく少女はみずからの使役するピーに自身の緊縛を頼んだのだろう。手錠のロープを引っ張っているのもそのピーのようだ。
あ然とするシアムに、ヨムがしたり顔で声をかける。
「この子と俺との出会いは運命的なものでね。そう……暴漢に襲われそうになっているところを俺が助けたんだよー」
「いえ、食い逃げ容疑で捕まっていたヨムさんをワタシが助けたんです……でもヨムさんは意図的に食い逃げしたのではなく、ただ財布を落としただけのようでした。それを一緒に探して見つけたんですよ……っ」
「……俺が事情を話すとこの子はすぐに意気投合してついてきてくれたんだっ!」
「何回もことわったんですが泣きつかれたのでかわいそうになったんです」
「いやいや、今のどこにヨムについていく理由があったの?」
笑う大男を尻目に、シアムが疑いを口にする。
「まさかヨムに誘拐されたんじゃ」
「ワタシは自分の意思でヨムさんの仲間になると決めました……っ!」
「え……でも」
「決定打は顔です」
「顔しかいいとこないよ、こいつ!」
「さっきから俺に辛辣すぎない? 照れ隠しなのかな、シアム」
「むしろあなたに辛辣じゃないヤツとか、どんだけ聖人なんだっての」
それからシアムは大男と緊縛少女の二人を交互に見つめた。
「あ、そうだ。わたしはヨムの仲間じゃないけどさ、あなたたちの名前は? ちなみにわたしはシアム」
「おれはジェオだっ!」
「ワタシはマリです……っ」
「ふーん、ジェオにマリね。いい名前じゃん。あと伝えておくけれど間違ってもわたしのこと『君』って呼んだりしないで」
「了解したのだ、そしてシアムもいい名前だな~」
「よろしくお願いしますシアムさん……っ。ご要望とあらば緊縛レベルをもっと上げますよ……」
自己紹介が終わったところで、ヨム、シアム、ジェオ、マリは車座になった。
ただしマリは座してもなお手錠をつけたまま両腕を上げている。
「ジェオ、マリ。あらためて俺についてきてくれてありがとう」
ヨムが二人に目配せしたあと、巨大ビンに入ったムートのほうに視線を送った。
「あの子が俺の起こしたいムートだよ。そしてムートを起こすためには文字のエネルギーが必要だから、文字保有者を狩る。単純な流れだろ? 二人にはその協力を頼みたい」
うなずくジェオとマリを確認し、ヨムは続ける。
「でもまずは頭数をそろえないと彼らを狩ることはできない。そこで次の段階では各自最低二人ずつ新たな協力者を見つけてくることにする。仕掛けるのはそのあとだ」
「ちょっとヨム。別にあなたにアドバイスを送る気はないけど、相手は四十人以上いるんだよね。あなたとジェオとマリで合計六人程度集めてもせいぜいあなたの勢力は十人前後にしかならない。単純に四倍の戦力差があんじゃん。それで勝つ気なの?」
「あんまり人数を増やしすぎると裏切りが怖いからね、シアム。こっちにはホーノックフークのような抑止力がいないんだ。それに十人ほどの勢力を作ったからといって文字保有者全員に即座に戦いを挑むわけじゃないよ。まずはムートの覚醒を最優先にする」
「起こしても戦力が一人増えるだけだっての」
「そうでもないよ、だって――」
ヨムが自身の空きビンを掲げ、それを通して巨大ビンのなかの女を見た。
「ムートが目を覚ましさえすれば、勝利するのは俺たちだからだ」
いぶかしげに首をかしげるシアムと楽しそうなジェオと体を震わせるマリの手元にビンが落ちてくる。
「さて新たな出発に向けて乾杯しようか。勝利の予感に酔い痴れながらね」
おいしそうにビンをかたむけるヨム。
それぞれの持ったビンはいずれも中身のないものではあったが、疑問を差し挟まずに口をつけるジェオとマリを見た瞬間、シアムもいちいち指摘するのが面倒になった。
次回「番外編06.船の行く末・ルアパイナイ(เรือไปไหน)」に続く!
タイ語のサブタイトル「マオガップラーンチャイチャナ(เมากับลางชัยชนะ)」を単語に分解すると「マオ(เมา/酔う)」+「ガップ(กับ/○○と)」+「ラーン(ลาง/前兆)」+「チャイチャナ(ชัยชนะ/勝利)」になります。したがって「勝利の前兆と共に酔う」と直訳できます。
英語だと「drunk with a sign of victory」になりそうですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ジェオ(แจ๋ว)→すごい
マリ(มะลิ)→ジャスミン
マオ(เมา)→酔う
ラーン(ลาง)→前兆
チャイチャナ(ชัยชนะ)→勝利
クアン(เคือง)→うっとうしい
ナーローン(หน้าร้อน)→暑期




