117.【ฎ】冠のドー・イーガー【その5】
敵と同じフィールドを共有するチーム戦においてもっとも重要なことの一つが「情報の共有および指令の伝達」であることは言うまでもない。
報告や命令を円滑におこなえるチームは、味方と的確に連携して状況に応じた作戦を適宜実行できる。
だがその際に注意しなければならないのは、敵に情報が漏れること。
たとえば味方に伝達するときに大声で「敵の右側を攻めろ!」と言えば当然ながらそれを聞いた敵も即座に対応してくる。右に罠を張ったり、手薄になった左側へと逆に攻めてきたりする。
よって戦場においては味方にのみ伝わる方法で情報をやりとりしたいところだ。
あらかじめ決めたサインを用いたり解読手段を共有したうえで暗号を使ったりするなどの方法が考えられる。
俺たち文字保有者ならば、チュアモーンとガムランの共同開発した鐘のイヤリングでこっそり連絡をとるのも手。
事実、イーガーも鐘のイヤリングを活用していた。
ではファの旗によりその方法を使えない俺はどうやって秘密裏に情報を共有すればいいのか。
俺はイーガーとの勝負が始まるや、「バンダーを沈めろ」と声に出して指示した。
先ほども「チャーイハートをまず落とし、イーガーを完全に孤立無援にする」とジウにさけんだ。
だから相手に直接声をかけるという方法だけで指令を出しているように思っていたプレイヤーもいたかもしれないが、実際は違う。
本当は音声ではなく、視覚情報で指示を出していた。
ホタルの光に似た俺の精霊・斥候の兵隊を使っていたのだ。
ラートは味方の手の平で微細な光を発し、俺の指示を反映した文字列を作っていた。
イーガーたちに見えないよう、手の平が死角になっているときのみ発光するよう俺は命じた。
魂を介して俺はラートに命令を下しているので、俺からラートに伝えられる指示が敵に漏えいすることはない。
当然ながら味方全員にはラートの存在を悟らせるなと指示してある。
手の平を見るのは最低限にし、むしろ声による指示に反応しろと伝えた。
声による指示なしでなんらかの行動を起こした場合は、自分で状況を判断して的確に動いただけという体裁を保ってもらう。
もちろん……パイロが俺をかばったこともそうだが、俺の指示を待つことなく各自がみずから選択して行動する姿もこの戦いでは多く見られた。だからこそ真の伝達手段は露見しにくかった。
書き言葉をまだ充分に理解していないクマリーの隣のマスに極力味方を配置するようにも俺は動いていたが、それは隣のマスにいる味方が口頭でクマリーと情報を共有するため。
文字保有者として成長段階にあるクマリーならばそばに護衛がいてもおかしくないし、口頭のやりとりを見せれば敵にこちらの伝達手段を誤認させることもできる。露骨にやれば怪しいので、ほかの者に聞こえない程度の小声を使うことにはなるが。
そのようなお膳立ての末に出された「チャーイハートをまず落とす」という口頭での指令。
声だけで俺たちがやりとりしていると信じ込まされた相手は、その言葉をうのみにする。
しかし俺はタハーン・ラートを使い、ジウの手の平に別の文字列を映し出していた。
『チャーイハートはウソ。真の標的はイーガー』
イーガーは俺の言葉を受け、チャーイハートに近い右側三列の盤面にマークルックの黒い駒十六個を出現させた。
ただの駒ではない。
巨大なピーの軍団である。
だが俺とジウはチャーイハートを襲う寸前で引き返し、大将イーガーのいる盤面左側へと一気に戻った。
俺は空の兵隊の風で、ジウは薄桃色のかすみの勢いに乗ってイーガーに奇襲をかけた。
チャーイハートがねらわれると思っていたイーガーは俺たちの急な方向転換に対応できずマスに侵入され退場――。
――などということには、ならなかった。
白い大きな馬の駒にかかえられ、後退したからだ。
イーガーが静かに言葉を返す。
「กำลังพลจริงหักมุม(ガムランポン・ジン・ハックムム)〔真の軍勢はここにある〕」
馬の駒……「マー」が二つに増殖したかと思うと、さらに駒から「ルア」二個・「コーン」二個・「ビア」八個・「メット」一個・「クン」一個が生じた。
チャーイハートの近くに展開された駒は黒いが、イーガーのそばに展開された駒はどれも白い。
例外なく巨大であり、それらの駒が俺とジウのいる二マスを一瞬にして取り囲んだ。
俺たちが反撃しようとしてもイーガーは直前でそのマスの駒を消し、別の駒に俺たちを攻撃させればいい。
ここまで完璧に対応されたのは――。
イーガーが俺たちの本当の伝達手段が声ではなくラートによる視覚情報だったと看破していたからにほかならない。
最初からイーガーは俺の声に惑わされず、真の標的がチャーイハートではなく自分自身であると読んでいたのだ。
確かにこれまでの戦いを注意深く観察していれば、声以外で俺の指令が伝達されていたことは分かるかもしれない。
だが自身も戦場にあって、しかもこちらがボロを出していないにもかかわらず見抜くのは並みの人間には不可能だ。
誰よりも盤上の駒を見てきたドーチャダー・イーガーでなければ。
だから勝つ。
俺が勝つ。
タハーン・ラートは分裂させ、チャーイハートのまわりに残してきた。
「……プリアントゥア」
ぼそりと唱えた。
するとチャーイハートを囲んだ三つの光が消滅し、代わりの兵隊たちが現れる。
コウモリ姿の空の兵隊がラートに代わってチャーイハートの頭上に出現する。
さらに後ろにはイノシシ姿の陸の兵隊が、真正面にはシャチ姿の海の兵隊がラートと入れ替わるように姿を見せた。
「ワーンペッチャカート」
ルアの二つの歯列がチャーイハートの上唇と下唇に当てがわれ、反撃のいとまを与えず噛み合わされた。
チャーイハート自身にケガはなく、ただ駒へと変形する。
「せ……ッ」
悪いがしゃべらせない。イーガーに情報は与えない。
だから口をねらわせてもらった。
すかさず俺はルアに消えるよう心で命じた。
ついで盤の外に飛ぼうとしたチャーイハートの駒へとボックが高速で突進を食らわせる。
黒い駒たちの攻撃が来る前にボックにも無言で「消えろ」と命令した。
最後はアーガートが二対の翼をひるがえし、その風圧でチャーイハートの駒を俺のいるマスへと水平に撃ち出した。
被弾リスクを考慮してアーガートにも消えてもらい、俺の頭のなかへと帰す。
タハーンに対する黒い駒たちの攻撃は空振りに終わる。
さらにチャーイハートの駒が剛速球で進むのをみとめた白い駒たちは、とっさにそれをよけた。
駒が近づいてきたところで右ひじを引き、イーガーを視野に入れたまま俺は荒らげた声をはき出す。
「アスニバート……ッ!」
チャーイハートの駒はまわりの駒と比べて大きくない。
それを殴りつけてイーガーに飛ばすための予備動作として右ひじをいったん引いたのだ。
イーガーが駒を動かそうとしたが、その前にジウが唱える。
「サーグラ」
ジウから生じたかすみが、桜の花びらのようにあたりに散る。
子ども状態なので攻撃にはならないものの、目くらましには充分だ。
(ラートとほかのタハーンを入れ替える「プリアントゥア」をジウは前に俺と戦ったときに見ていたからな。だからこそ、すぐ対応してくれると信じていた)
俺のまわりにだけ、かすみはない。
とはいえかすみはジウの一部なので反撃をもらった瞬間にジウは駒になって退場する。
「貴公は強くなった。小生が保証する」
そして俺のもとにチャーイハートの駒が来る。
同時に、まわりに出現していた白い駒たちの気配が消えた。
かすみの煙幕のなか、どの方向に俺が攻撃を仕掛けるか分からない以上イーガーも当たり判定のあるピーたちを消さざるを得ない。チャーイハートの駒は俺の得物ではないのでたたき落とせても俺は退場しない。よって迎え撃つデメリットのほうが大きい。
「――マット!」
アスニバート・マットの詠唱を完了し、大声をとどろかす。
だが俺は予備動作に反してチャーイハートの駒を殴らなかった。
代わりに前方に飛び出し、隣接する真正面のマスを踏んだ。
ジウが退場したことにより視界が晴れていく。
俺の顔とイーガーの顔がほとんどふれ合う距離にあった。
「今度こそルック・カートだ、イーガー」
「……先にマスに侵入されたからわたしの負けか」
どうやら大将の場合はすぐに退場しないらしく、イーガーはその場にとどまる。
「よく気づいたもんだね。最後わたしが近づいていることに」
「かすみで視界がふさがれ駒を下げざるを得ない状況になっても君は逃げずに勝ち筋を求める。だからチャーイハートの駒を殴り飛ばそうとする俺の隙を突こうとしてくると予想できた」
「……もう一つやられた。わたしはあなたがノーネーン(ณ)をまず落とすと言ったとき、それをウソと考えたんだよ。戦闘中あなたがピーによる視覚情報で指令等をおこなっていたのは読めていたからね。だから同時に本当の指示を――すなわちわたしのほうを真の標的としているという指示をソールーシー(ษ)に出していると思ったのさ」
「それで俺の言葉をまともに受け取ったふりをして、チャーイハートの近くへと派手に駒を出現させたんだな」
「あなたたちがこちらへと引き返してきたら白い駒で囲んでルック・カートのはずだった。しかしあなたはノーネーン・チャーイハートを退場させ、そこから見事に逆境を切り抜けてみせたね。つまり言葉どおり……あなたは本当にわたしではなくノーネーンのほうをまず落とすつもりだったわけだ」
「イーガーが優れていたから俺たちは勝てたんだ。もし君がラートによる伝達方法を見抜いていなければ、俺の指示をそのまま聞いて徹頭徹尾チャーイハートを守っただろう。かといって俺がイーガーを先に仕留めると言っても対策されるだけだし、黙ってジウに指令を出すだけだと君はもっと慎重になってじわじわと俺たちを追い詰めていただろう」
「ふ……これはやられたね、トータハーン(ท)」
微笑し、イーガーがきびすを返す。
「……『待った』は言わない。あなたの勝ちだよ」
みずから盤の外へ歩を進める。
そんな彼女の背中に、俺は話しかけた。
「ありがとう、イーガー」
沈黙する背中に言葉を続ける。
「君はこのゲームで、俺が文字保有者の仲間のことをどこまで見て……どこまで信じているかを確かめてくれたんだろう。敵にしろ味方にせよ仲間のことを分かっていなければ俺が必ず敗北する――これはそういうゲームだった」
「あなたは言ったね。仲間の悩みや心残りは今のうちに解決しておくべきだと。だから今は、そういうことをしている場合なんだと」
少しだけ、イーガーが横顔を見せる。
「果たして、みんなと分かり合えたかな?」
「関係は深められたと思う。だけど、まだまだ分かりたい。……君のことも」
「わたしは……ドーチャダー・イーガーはマークルックを指すのが好きな女にすぎないよ」
「だったら、また指すしかないな」
「……トータハーン(ท)……うん、そうだね。はははは、はははは! 結局それしかないってのも、いいもんだ!」
豪快に声を響かせ、盤面から――台座の上から飛び下りる。
といっても高さ三メートほどの台座なので彼女にとっては危険もない。
台座のそばの地面には、駒に変形したみんなが転がっていた。
イーガーがそれらに手でふれると、駒はたちまちもとに戻った。
みんなに外傷はないようだ。
俺も台座から地面に移動して、手を合わせた。
味方として戦ってくれたウィサーハ、ワッタジャック、ダーンナー、マレット、クマリー、パイロ、ジウと――。
敵として戦ってくれたバンダー、ネーティとルイくん、ニウフアメー、フルンフリン、トラニー、チャーイハート、イーガーに礼をした。
「ขอบพระคุณ(コーププラクン)〔感謝を〕」
みんなと戦えて素直に楽しかったから。
といってもみんなの反応も一様ではない。
ウィサーハは目を泳がせつつチラチラ俺を見ているし、ワッタジャックはパイ・ゴーガイを取り出して笑顔でシャッフルしているし、ダーンナーは首をかしげて俺の真意を真面目に考えているし、マレットは髪飾りをクルクル回して水牛乳をみんなで飲まないかと提案しているし、クマリーは俺の胸にぶつかってほおをこすりつけてくるし、パイロはチンを小さくして耳にはめながら大きな瞳孔で俺をやわらかく見ているし、ジウはすでに中肉中背の体に戻って杖で地面をつついてるし――。
バンダーは舌打ちして口をとがらせているし、ネーティは耳をパタパタさせるルイくんの鼻をなでながらほほでんでいるし、ニウフアメーは重ね着した上着の袖口をはじきながら髪と体を揺らしているし、フルンフリンはなにやらことわざをつぶやきつつ自分の髪をわしゃわしゃさわっているし、トラニーはまぶたを閉じて寝息を立て始めるし、チャーイハートは唇をつまんで俺に苦笑を向けているし、イーガーは手を合わせて俺に礼を返している。
そんなみんなが、俺は好きだ。
次回「118.【ธ】旗のトー・ファ【その1】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ガムランポン(กำลังพล)→軍
ジン(จริง)→本当の
ハックムム(หักมุม)→どんでん返し
コーププラクン(ขอบพระคุณ)→感謝します




