112.台座のトー(ฐ)【後編】
夢の世界から帰還し、寝台から起きた俺とクマリーは再びトラニーに近づく。
いまだに眠ったままのトラニーが寝言を発して次の話題に移る。
「むにゃあ……指輪のウォー(ว)」
ウォーウェーン(ว)の文字保有者であるクマリーに話しかけた。
「あなたにわたしの文字……トーターン(ฐ)を教えるからもっと近寄って……んっ」
「ありがとうございます」
クマリーが感謝をするのもいつものこと。
文字保有者の文字をなぞるのも……いつものこと。
だがみんなの文字を学ぶのはこれで終わりだ。
それを思うと、変わらないクマリーの態度にも少しさびしさを覚える。
トラニーは自分の文字の刻まれた場所を伝える。
「くー……わたしのฐは左手の平にあるよ……」
「お兄さんやジョットお姉さんと同じなんですねっ」
「まあねー……わたし、頭の上で両手を絡めているけれど、ほどいていいからね……すやあ」
「失礼しますねっ」
クマリーがトラニーの手をそっとひらく。
手の平のトーターン(ฐ)に右人差し指をつける。
書き出しはジョージャーン(จ)に近い。
まず真ん中に時計回りで小さな丸を書く。
その丸の右側から右斜め下へ線を引き、全体の右下に来たら上昇させる。
丸の高さを超えたところで左斜め上へと緩やかに進む。
さらに丸よりも左に突き出したら右に折り返し、上に張り出す弧をえがく。
全体の右上に来ると同時に線を右斜めに少しだけ持ち上げ、とめる。
ここで二画目に移る。
右下の鋭角よりも低い位置に、すでに書いた丸よりもやや小さな丸を時計回りで追加する。
このときその丸の右側が上の縦線の延長線上にあるといいだろう。
そんな丸の右側から直径より少し小さい短い線を下ろす。
ついで左に進み、丸の左側よりも左に出そうになった時点で左斜めに盛り上がる。
丸の下側よりも高い位置にならない程度に上げたら、すぐに左斜め下へと方向を転換する。
すでに書いた底と同じ高さでその線をとめ、今度はまた左斜め上に。
二番目の丸と同程度の丸を反時計回りで作ったあと貫通し、右斜め上へと線を突き出す。
そうして二番目の丸のてっぺんと同じ高さに来たらとめる。
これでトーターン(ฐ)の文字は完成だ。
(もちろん書き順は文字保有者に刻まれている書体に従ったものにすぎない。だから俺たちとは異なる書き方で文字を書く人もいると思う)
とはいえ現時点で、すべての子音字をクマリーは認識できるようになった。
「クマリーの集大成に……ふさわしい字でした……っ」
宙にトーターン(ฐ)をくりかえし書きながら、落涙している。
「ようやくイカした文字……四十二字をコンプリートしました! すべての文字を学ぶというクマリーの夢が叶ったんです。最高ですっ! お兄さんにもトラニーさんにも、文字を学ばせてくれたみんなにも、今一度感謝を捧げますっ」
「むにゃむにゃ……インディードゥアイ(おめでとさーん)」
「ถึงระดับนี้ในที่สุด(トゥン・ラダップ・ニー・ナイティースット)〔ついにここまで来たな〕」
最後の子音字をクマリーが学習したことは喜ばしいが、俺は少し警戒していた。
元ウォーウェーン・スーンの刻んだ文字たちに直接ふれることで、クマリー自身のウォーウェーン(ว)の力が一気に開放されるかもしれないからだ。
だが四十二の文字を学んでからも、クマリーに大きな変化は見られない。
ウォーウェーンの力が高まっているのは感じるものの、スーンレベルの覚醒にはまだ遠い。
(ヒマの言っていたとおり、ウォーウェーン(ว)を正式に継ぐ前になぞった文字をもう一度学びなおす必要があるんだろうな)
そしてクマリーはうれし涙をにじませたまま、トーターン(ฐ)とトートゥン(ถ)が同じ高子音であることを聞いたあと……トラニーの名前を書きたいと言った。
文字をすべて学んでも、文字保有者の名前を書こうとする気持ちは失われていない。
当のトラニーの名前には三つの子音字が用いられる。
トートン(ธ)で、息を出すトーを示す。
ラは巻き舌なのでロールア(ร)を使う。次の子音字とひとセットみたいなものなので、母音記号がなくても軽く「ラ」と発音する。
ニーにはノーヌー(น)ではなくノーネーン(ณ)を使用する。これに「イー」をあらわす母音記号ピンイ(–ิ)とフォントーン(')をかぶせる。
トラニー(ธรณี)という名前をクマリーはすぐに完成させ、何回も宙に書く。
この光景に関しては、今後もしばらく見ることができるだろう。
「ありがとうございました……っ。トラニーさんのお名前はコンパクトであり、かつ広がりを感じる並びですね。くしくも先頭にファさんの文字であるトートン(ธ)が見えるのも、どこか偶然じゃない気がしますっ!」
「……んっ」
瞬間、トラニーのまぶたがあいた。
瞳の色は、やはり髪と同じくちなし色だった。
焦げ茶の靴をはき、寝台から下りる。
目はパッチリあいているものの、寝言でしゃべっていたときよりも口が引き結ばれている。
「【ฐ】トーターン・トラニー、つかさどる字は台座のトー。残った仕事を片付ける」
眠そうな寝言からは想像できない、キビキビとした声だった。
「ラークターン」
詠唱と共に寝台三つが床へと沈む。
足もとの白い台座に縦と横の黒い線がいくつも走る。
表面が八かける八マスの格子模様になったあと、台座の変化はとまった。
この模様には見覚えがある。
「まさか……『盤』か」
「そうだよ、トータハーン(ท)。悪くない趣向と思うだろう、はははは!」
豪快な声を響かせて、すず色の髪と瞳を持つ女が空の上から降ってきた。
台座に着地した彼女は両腕を組んだ状態で笑い声を張り上げる。
「はははは、ついにここまで来たねトータハーン(ท)、ウォーウェーン(ว)!」
「イーガー」
すず色の瞳と目を合わせ、俺は彼女の名を呼んだ。
「台座の模様はマークルックの盤そのままというわけか」
「そうさ、トーターン(ฐ)に作ってもらった感謝するッ!」
イーガーの礼を受け、トラニーはほおを染めた。
ついでイーガーのそばへと移動し、俺たちと向き合う。
キビキビとした声で短く言う。
「ตอนท้ายเริ่มต้น(トーンターイ・ルームトン)〔終盤開始〕」
次回「113.【ฎ】冠のドー・イーガー【その1】」に続く!
ฐ←これが「トーターン」の文字。意味は「台座のトー」……長かったですがトータハーン(ท)から始まり、ようやくこれで子音字42個が出そろいましたね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ターン(ฐาน)→台座
トゥン(ถึง)→達する
ラダップ(ระดับ)→レベル
ニー(นี้)→この
ナイティースット(ในที่สุด)→ついに
ラークターン(รากฐาน)→土台
トーンターイ(ตอนท้าย)→終盤
ルームトン(เริ่มต้น)→開始する




