109.女のヨー(ญ)【後編】
ニウフアメーが俺の肩から手を離し、右腕を振る。
「……ただ問答するだけじゃつまらないよね。ทำเป่ายิ้งฉุบด้วยกัน(タム・パオインチュップ・ドゥアイ・ガン)〔一緒にジャンケンもしよっか〕」
「ただのパオインチュップ(ジャンケン)じゃなさそうだな」
俺はニウフアメーを取り巻く彼女自身の髪に目をやった。
あたりの植物のかげから小さな人型の精霊たちや鳥が出てきてその髪にふれる。
ニウフアメーは彼らをしりぞけることなく言葉を継ぐ。
「もちろんだよ。わたしはメーモット(魔女)だからね。このジャンケンは互いの真実を暴き出すジャンケンなわけ。本当のことを言えば勝てるし、偽りを述べれば負ける」
ついでクマリーに視線を投げる。
「試しにクマリーちゃん、わたしとパオインチュップしない?」
「やりますっ!」
クマリーは乗り気のようだ。
「でもやりたいですけど、パオインチュップってなんです」
「手でかたちを作って勝敗を競うゲームのこと」
それからパオインチュップ(ジャンケン)のルールを説明したニウフアメーは右こぶしを小さく揺らした。
「ところでクマリーちゃんは、これからアーティットくんが死ぬかもしれないって心配してる?」
「お兄さんならだいじょうぶですっ!」
「そうなの。パオインンンン~」
なおニウフアメーは「パオインンンン(เป่ายิ้งงงง)」をかけ声としているようだがジャンケンのルールは地域によって違うので、これが絶対的な形式というわけではない。
クマリーも慌てて声を合わせる。
「ぱおいんん……っ」
さらに二人同時に手を前に出す。
「チュップ(ฉุบ)!」
ニウフアメーの手はこぶしのまま。
(これはハンマーのかたち……つまり「グー」か。グーはハサミのチョキに強く紙のパーに弱いが結果は果たして)
対するクマリーは五指をすべてひらいていた。
パーを出したことにより、グーのニウフアメーに勝利したかたちである。
「やりましたあ……っ! パオインチュップ楽しいですねっ」
うれしかったのか、クマリーが俺の胸をパーでペチペチたたいてくる。
だがこれは単なるパオインチュップではない。真実を暴くパオインチュップだ。
先ほどクマリーはニウフアメーの「これから俺が死ぬかもしれないと心配しているか」という質問について「俺ならだいじょうぶ」と回答した。
(その回答に偽りが含まれておらず、かつ俺の死を心から危惧していないありのままの気持ちをクマリーはさらした。だからニウフアメーに勝つことができたというわけか)
とはいえ一回の勝負だけでこれが特殊なジャンケンであると断定することはできない。
(ヨーインすなわち「女のヨー(ญ)」の文字保有者ニウフアメー。その正体は魔女……だがなぜこんな勝負を仕掛ける? 単純に真実を暴くのであればホーノックフーク(ฮ)に見てもらったほうが早いし確実なはずだ)
クマリーに笑みを向けたのち、ニウフアメーがビリッとくる声で俺に問う。
「――君はバナナが好き?」
「大好きだ」
短い問答の直後、俺たちは「パオインンン(เป่ายิ้งงง)」と口にして右手を構える。
ついで「チュップ」という声と共に手のかたちを確定させた。
俺がグーで、ニウフアメーがチョキだった。
「さすがバナナ信者のアーティットくん。堂々と本当の気持ちを語ったね」
「当然だ。でも本命は次以降の質問だろう?」
「ふふ。じゃあ聞いてあげる」
自分のまわりを飛ぶ小鳥やピーをなでながら、ニウフアメーが静かに言う。
「君にとってクマリーちゃんやファちゃんは大切かな」
「ああ」
今度は俺がチョキを、ニウフアメーがパーを出した。
これで彼女は三連続でジャンケンに負けたわけだ。
ぬかるんだ足もとをピチャリと鳴らし、ニウフアメーは質問を重ねる。
「自分の大切な人やピーを助けるためなら、君は死んでもいいと思ってる?」
「俺は兵隊だ。犬死にはゴメンだが、俺の死で救われる人がいるならそれはそれで満足だよ」
「へー……パオインンン」
「チュップ」
その結果は――。
再びチョキを出した俺が、ニウフアメーのグーに負けるというものだった。
(負けた……確かに俺は真実を言ったはずなのに。それとも)
「わたしのパオインチュップがインチキだとでも思ったの?」
ニウフアメーが間合いを詰める。
「だったら何回でも同じように答えてみたらどう。コーン(グー)でもグラダート(パー)でもガングライ(チョキ)でもなんでも出してさ」
「……まだ続けるのか」
以降も俺は同じ質問に対して同一の回答を示し、ジャンケンをくりかえした。
が、もはやニウフアメーに勝つことはかなわなかった。
グーにはパーを、パーにはチョキを、チョキにはグーを返される。
(あいこすら発生しない。すでに俺は彼女の魔法に捕らわれている)
ここは回答を変える必要がありそうだ。
「もともと俺はその日その日を生きるために傭兵をやっていただけの男だ。本当は自分さえよければ他人なんてどうでもいいのかもしれないパオインンン~チュップ」
しかし、そう答えても結局ニウフアメーに負けてしまった。
「……もしかして君は、真実とは関係なく俺の考えを変えようとしているのか」
「変えるなんてとんでもない。君の考えは君を形成する大切なものじゃない? わたしは君に自分自身の本当の気持ちを分かってほしいんだよ」
「ならホーノックフークに見てもらったほうが早いんじゃないか」
「そういう話とも違うんだよね。これは君自身が自力で気づかないと意味がないわけ」
「分かった。もう少し考えてみる」
俺は右隣に浮くクマリーを見た。
彼女の世界を守りたいと思う。多くの文字を学び、自分の世界を広げつつある彼女のことを。
……いや、それだけだろうか。
(お兄さんと一緒に食べるバナナはおいしいんです。お兄さんと一緒に文字を知っていくのが、楽しいんです)
(これからもずっとクマリーと一緒にいてくれますか……?)
(お兄さん、クマリーと一緒に来てくれるとうれしいですっ)
クマリーが俺にかけた言葉のいくつかが思い出された。
なぜか「一緒に」という単語がくっきりと再生される。
そして俺は港町で彼女に言ったはずだ。
(これからも安心して文字を学んでほしい。君には兵隊がついている)
もうすぐクマリーは四十二の子音字をコンプリートするが、かたちや発音を覚えただけで各文字の使い方を完全にマスターしたわけじゃない。
むしろここからがスタートラインだ。
(なのに俺は……クマリーを残して死んでもいいのか? 彼女が助かりさえすればそれで満足なのか)
ファのことも考える。ファは俺の死を望んでいるわけじゃない。それは本人の口から聞いたこと。
かつての俺を取り戻したいという一心から、いのちを吸い取る旗を俺に刺し、文字保有者たちと俺を激突させた。
そこまでの思いを持つファをこの世に置いて俺が死ぬとすれば、その行為はあまりにも――。
(勝手だな)
ほかの文字保有者たちも俺に思いをぶつけてくれた。
今こうしてジャンケン問答をしてくれているニウフアメーもそうだ。
仲間を助けられれば俺は死んでいい……そんな考えは、自分の死後にみんなの身になにが起ころうとどうでもいいと言っているのと同じじゃないか。
(それは、みんなの思いを乱暴に捨てることとなにが違うんだ)
どうせなら俺はそのあとも生きなければいけない。
……生きていたい。
みんなの世界が今後どのように広がっていくかを見ていたい。
俺はそういう兵隊なんだ。
「あらためて答えるよニウフアメー。自分の大切な人やピーを助けるためであっても、俺は死なない。トータハーン(ท)の文字に誓って、みんなも俺自身も必ず守る」
「パオインン……」
ニウフアメーは直接の返事をせずにパオインチュップの体勢に入る。
右手を握り締め、俺もかけ声を重ねた。
「チュップ」
俺の手はグー。
ニウフアメーの手はチョキ。
「……それがアーティットくんの本当の気持ちなんだね」
満足げに彼女が手を引っ込める。
こぶしをほどき、俺は両手を合わせた。
「コープクン。君のおかげで俺は今の答えにたどり着けた」
「いいや、最初からアーティットくんはその答えにたどり着いていた。君は……今の自分がどこにいるかに気づいただけだよ」
ニウフアメーが左袖に右手をすべらせる。
赤・黄・緑・青・紫の順に袖口の色をなでた。
「君は自分の死についてあまり恐れていない――そうわたしは言ったけど、それは君が死を軽んじているからじゃない」
ついで右手にこぶしを作り、優しく振る。
「死に対して君がガタガタ震えていないのは、君が最初からみんなと共に生きようとしているからだよ」
「そこまで言うと買いかぶりだ」
「どうかなパオインンンンン~」
「えっパ、パオインンンンン~」
「チュップ」
「チュチュップ……ッ!」
彼女のかけ声に引きずられ、慌てて俺はパーを出した。
ニウフアメーの右手は、中指と人差し指を立てていた。
「最後はわたしの勝ち。君の負け」
瞳を深く輝かせ、彼女がほんのりと笑う。
ジャンケンに負けただけなのに、少し手玉に取られた気分だ。
ここでニウフアメーがみずからの髪をチョキの指に挟み、俺の唇にそっとふれさせた。
「女は女でも、魔女をなめたらいけないからね」
その髪はバナナの果実の味がした。
次回「110.台座のトー(ฐ)【前編】」に続く!(5月30日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
タム(ทำ)→する
パオインチュップ(เป่ายิ้งฉุบ)→ジャンケン
ドゥアイ(ด้วย)→○○も
ガン(กัน)→○○しよう
メーモット(แม่มด)→魔女
コーン(ค้อน)→ハンマー/ジャンケンのグー
グラダート(กระดาษ)→紙/パー
ガングライ(กรรไกร)→ハサミ/チョキ




