106.たまごのコー(ข)【中編】
「【ข】コーカイ・バンダー、つかさどる字はたまごのコー。そういやおまえにコーカイ(ข)の力をさらすのは初めてだったな、アーティット」
俺の魂を女の体に移したバンダーが、右の金髪と左の黒髪をかき上げる。
「コーカイ(ข)は相手に産卵を促し、たまごからかえった生き写しにそいつ自身の魂を乗り移らせることができる。孵化する個体は親をベースにしているが、年齢・性別・肌の色・髪の色や長さ・身長・体重・骨格・声帯はオレの気分次第。好きな服を着せることもできるし、各部位についている脂肪や筋肉の量も細かく調整可能だぜ」
「だが永続じゃないな」
男の体ではなくなった俺の声が崖に響く。
「長期間にわたって魂の移し替えが可能なら、長生きしたがっていたスーンが君を利用していないわけがない」
「ああ、時間制限は当然あるさ。だがてめえを這いつくばらせて泣かせるには充分すぎるほどの猶予だよ」
「確かに、慣れない体に戸惑っている今の俺相手なら勝ちやすいかもな」
話しつつ、状況を整理する。
(現在の俺の体は女性のそれだが身長はあまり変わっていない。左手の平にトータハーン(ท)も浮き出ている。服はもともと着ていたものと同じでファの旗も左肩に刺さった状態。クマリーが宙に俺の文字を書いているものの、今の俺にも魂が抜けて横たわっているもとの俺の体にも変化はなし)
その場で俺は軽くジャンプをくりかえす。
(骨格および脂肪や筋肉の付き方がいつもと違うせいで、だいぶ動きに違和感があるな)
対するバンダーは右脚を振り上げ、たまごのような白い靴を俺に撃ち込んできた。
俺は空の兵隊にかかえてもらい、空中でバンダーを見据える。
崖から張り出した突起の水平面に対したあと「ゲーンタハーン・タヌー」と唱え、トータハーン(ท)を赤く光らせる。
弓矢を引っ張り出し、数発の矢を発射した。
矢は水平面に立ったバンダーではなく、まったく違う方向に飛んでいく。
すぐに俺は別の突起の面に降り立ち、手の平から槍を引き抜いた。
俺を追って跳躍してきたバンダーめがけて突きをくり出す。
その突きのスピードをバンダーが見切り、向かって左に軽々とかわす。
カツンと靴底を鳴らし、彼が唱える。
「パイピバット……」
いつの間にかバンダーの右手に鳥のたまごに似たものが握られていた。
それを槍の穂先の軌道上に投げ上げる。
槍がたまごの殻を砕くと同時に、なかから鉄砲水が噴き出した。
俺は水に押され、後退した。
さらに背中へと打撃が加えられる。
(バンダーは前方にいる。誰だ……)
振り向いて確かめると、バンダーに生き写しの男が俺の真後ろにいた。
(彼自身が彼自身を産むことも可能というわけか。こちらはピーに操作させているな)
打撃を連続で入れられた俺は鉄砲水の圧力をじかに受けたあと、はじかれた。
岩壁にぶつかり、地に伏す。
「やっと這いつくばったか、まあ体重も軽めにしてやったからなあ」
トゲトゲしく言いながらバンダーが俺のそばに立つ。
瞬間、俺は右手につかんでいた槍を彼へと突き出した。
サッとよけ、バンダーが自分に生き写しの個体を呼び寄せる。
「精彩を欠くじゃねえかよ、アーティット。やはりいつもとは違う体になっちまったら、さしものおまえもお手上げだな。それとも性転換させたオレを卑怯とでもののしるか?」
「まさか。君は君の力を存分に使って戦っているだけだ」
「分かってんならさっさと泣けや」
うつ伏せ状態の俺をバンダーの両足が踏みつける。
同時に彼へと奇襲をかけようとしたアーガートは、彼の生き写しによってその動きを封じられた。
だが俺は槍の柄を横にしてバンダーの足を受けとめた。
ついでほふく前進で彼の足もとを通過し、背後に回る。
素早く立ち上がりつつ、バンダーの両足に俺の足を引っかけて手前に寄せる。
ほぼ同時に彼の上半身を押し、転倒させた。
それでもバンダーは冷静に詠唱をおこなう。
「ヌムニム」
俺の足もとにやわらかいゼリー状のたまごが数個発生し、今度は俺自身がよろめいた。
体勢を立てなおしたバンダーと、アーガートをしりぞけた彼の生き写しが俺を前後から挟み撃ちにする。
いったん俺は身を沈めた。
間髪いれず、二人に対して両のこぶしを突き上げる。
急きょ呼び出した雪の兵隊で足もとのゼリー状のたまごを凍結させ、二つのあごを真下からたたいた。
本物のバンダーは蹴りで反撃したものの、俺は彼の脚部を両手でいなす。
いらだったバンダーが舌打ちする。
「ちッ! さっきまでとは明らかに動きが違うじゃねえかよ。もう女の体に慣れたってのか!」
「慣れていないよ、バンダー」
相手の肩に両腕を回し、俺は彼を引き寄せた。
「俺がずっと精彩を欠く動きをくりかえしていたのはわざとだ。性別が変わって動きが極端になまったと思わせて、君が懐に飛び込むのを待っていた」
体が変わったおかげで、いつもどおり戦えなかったのも事実である。
(だったら慣れない体で中途半端に動こうとするよりも、この状況を利用して相手を罠にはめるだけ)
なんにせよすでに射程内だ。
左右のこぶしを何十発もバンダーにたたき込む。
戦闘に復帰したアーガートが彼の背後に空気の壁を作っているため、簡単には脱出できない。
「て、てめえ……っ。アーティット、なんでおまえは性別を変えられても難なく戦えていやがるんだ……」
「男だろうが女だろうが」
上体をひねり、右こぶしを後方に下げる。
「俺が俺であることに変わりはない。アスニバート・マット」
ジグザグの挙動をえがき、俺のこぶしがバンダーの腹部をえぐった。
その威力により、足もとで凍結しているゼリー状のたまごもアーガートの空気の壁も割れた。
さけびながらバンダーが吹っ飛ぶ。
足場のふちギリギリの地点で、生き写しが彼を受けとめた。
彼の生き写しはバンダーをとどめたあと、たまごの殻のように崩れて動かなくなった。
俺はあお向けのバンダーのそばでしゃがむ。
「なぜ君は俺のもとの体を人質にとらなかった。もしくは俺の体をもっと弱くして孵化させることもできたはずだ。そういう戦術が頭になかったわけじゃないだろう」
「……知らねえよ」
トゲトゲした態度を崩さずに、バンダーがそっぽを向く。
医者の兵隊を彼に取りつかせ、俺は言葉を引き取る。
「その理由は、君が誇り高い人間だからだろうな。バンダー王子」
次回「107.たまごのコー(ข)【後編】」に続く!
ข←これが「コーカイ」の文字。意味は「たまごのコー」……ソーソー(ซ)やチョーチャーン(ช)よりも線を折る回数が少ないようですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
カイ(ไข่)→たまご
パイピバット(ภัยพิบัติ)→災害
ヌムニム(นุ่มนิ่ม)→やわらかい




