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105.たまごのコー(ข)【前編】

 ネーティやルイくんとも別れたあと、俺(おれ)とクマリーは鱗山(プーカオ・グレット)をあとにした。


 さらに一夜(いちや)が明ける。

 この時点でグラーン川(がわ)下流にある港町から出て、五日目を迎(むか)えたことになる。


 いのちを吸い取るファの旗は俺の左肩(ひだりかた)に刺(さ)さったままであり、日(ひ)に日(ひ)にその赤みを増している。完全に深紅(しんく)になれば俺のいのちは尽(つ)きる。


 これまで俺たちは逃(に)げたファに旗を抜(ぬ)いてもらうため、待ち構えていた文字保有者とぶつかり合いながら西へと向かっていたわけだ。


(そして現時点で接触(せっしょく)していない文字保有者は残り三人……)


 これはクマリーの文字学習があと三文字で終わることも意味している。


(とうとう……四十二個ある文字全部に出会うという彼女の夢が叶(かな)うんだな)


* *


 プーカオ・グレットの西隣(にしどなり)には盆地(ぼんち)が広がる。

 その盆地は、山ではなく切り立った崖(がけ)に囲まれている。


 もとは平地だったが自然的な沈降(ちんこう)によって「穴」が形成されたわけだ。

 底は海面よりも低い位置にあるものの、雨が降(ふ)っても土が水をことごとく吸収するため、たとえば盆地が湖に変化(へんか)したりすることはない。


 俺たちは今、その崖を下(お)りている。

 コウモリの姿をしたアーガートにかかえてもらいながら俺は下降する。


 一方(いっぽう)、飛行できるクマリーは俺のそばで浮遊(ふゆう)の高度を落としていく。


「お兄さんの読みでは、この底にファさんがいるんですよねっ」

「間違(まちが)いない。鐘(かね)のイヤリングが反応(はんのう)しているからな」


 チュアモーンの鐘をつけて特定の文字保有者を頭に思い浮(う)かべると、その相手に接近するごとに鐘が小さく揺(ゆ)れる。


 同じイヤリングを持っている相手が近い場所にいるほど鐘は敏感(びんかん)に反応するようだ。

 ファの顔を思って下降するたびに、鐘の揺れが顕著(けんちょ)になっていく。


「とはいえファだけじゃなくて、いったん俺たちの前から去ったイーガーやフルンフリンも底に集結しているかもしれない。加えて、まだこちらに接触(せっしょく)してきていない三人の文字保有者の動向も気になるところだ」

「三人ですか……。そういえばクマリーは今のところ三十九文字を学んでいますから、全四十二文字のうち残り三文字はちょうどその三人のかたから学ぶことになるんですね……っ。もうすぐ、イカした文字のすべてをコンプリートできるんです。感無量(かんむりょう)ですっ!」


 このクマリーの口調(くちょう)には少し違和感(いわかん)を覚えた。

 全面的にはうれしそうだが、わずかに不安をいだいているような印象も受ける。


(……クマリー?)


 俺は彼女になにか不安があるのかと聞いてみたが、クマリー自身にもその不安の正体が分からないようだった。


* *


 半分以上下(お)りたところで、崖から張り出す突起(とっき)を見つけた。

 まとまった大きな突起であり、ほぼ水平面を作っている。


 いったん俺たちはその水平面に着地して休憩(きゅうけい)をとることにした。


 例によってバナナで栄養を補給(ほきゅう)する。

 だが手持ちのバナナを食べ終わったときに、別の突起の上から声をかけられた。


 妙(みょう)にトゲトゲしい青年の声である。


「ついにフップカオ・ダーオに来(き)やがったか」


 男の言っている「フップカオ・ダーオ」とは、現在(げんざい)俺たちが下(お)りているこの盆地の名前だ。「星の谷」あるいは「星の盆地」を意味している。


「アーティット。いよいよてめえの泣(な)き顔(がお)を拝(おが)めるかと思うと興奮(こうふん)が収(おさ)まらねえぜ」


 青年は跳躍(ちょうやく)し、俺とクマリーのいる突起の面(めん)に降(お)り立った。


 彼(かれ)こそがコーカイ(ข)の文字保有者・バンダーである。

 右側の髪(かみ)と右目は金色(きんいろ)だが、左側の髪と左目は黒。


 りりしく華(はな)やかな面立(おもだ)ちである一方(いっぽう)、近寄りがたい感じはしない。


 上半身(じょうはんしん)は前開(まえびら)きの黒い長袖(ながそで)の上着に白いシャツという格好。

 上着の裾(すそ)や袖、首回りには黒い羽毛が蓄(たくわ)えられている。


 ズボンは藍色(あいいろ)であり、とくに変わった点は見受けられない。

 そのぶん、鶏卵(けいらん)を横倒(よこだお)しにしたようなだ(・)円(・)形(・)の白い靴(くつ)が目立(めだ)つ。


 俺はクマリーに下(さ)がるよう耳打ちしたあとバンダーに接近し、質問する。


「バンダー……君の戦う理由はなんだ」

「聞きてえのか? 実はオレはずっと前からおまえのことが――」


 深呼吸を差し挟(はさ)み、やはりトゲトゲした声で言いきる。


「憎(にく)くて嫌(きら)いだったのさ」

「そうか。俺は君を尊敬しているし好きでもあるんだが」


「というかてめえだけじゃねえ。とくに理由はねえがオレはこの世に存在しているもののすべてが嫌いだ」

「つまり俺への気持ちも特別なものじゃないと」


「いいや特別さ、特別。この世で嫌悪感(けんおかん)以上に信用できる感情はねえんだからよ。憎いおまえを泣かしたいって思いは偽(いつわ)りのない本物だ。だから同様に嫌いなファにも協力したってわけだ」

「……やはり君は尊敬に値(あたい)するな、バンダー」


 さらに半歩だけ、俺は彼に近づいた。

 当のバンダーも同じだけ踏(ふ)み出し、眉(まゆ)をひそめる。


「安い皮肉はやめろ」

「皮肉じゃない。君の嫌悪で救われる人もいる」

「いるわけねえだろ」

「現に俺は君の『嫌い』が心地(ここち)いい。正直な気持ちを堂々と言われると、なかなかすがすがしいんだよ。君が俺だけを嫌(きら)っていたのならもちろんショックだったんだろうけど、君がほかのものも平等に嫌っているとすればとくにショックは感じないな」


 俺は右手を持ち上げ、手招(てまね)きの仕草をした。


「ともかく来いバンダー。君の気持ちをもっと浴(あ)びせろ」

「戦場(せんじょう)で敵意を受けすぎておかしくなってんな、ติ๊งต๊องทหาร(ティントン・タハーン)〔変態兵隊〕」

「……俺の泣き顔を見るんじゃなかったのか」

「それだけじゃ足らなくなったぜ」


 左足を上げ、たまごのような靴で地面を踏(ふ)む。


「這(は)いつくばらせてやる」


 バンダーが反動で右の脚部(きゃくぶ)を浮かせ、素早(すばや)い回し蹴(げ)りを放(はな)つ。


 ここは崖から張り出した突起の水平面。

 足場から落ちないよう、俺は左腕(ひだりうで)でガードしつつ踏みとどまる。


 続いて右こぶしを返そうとしたとき――。


 カツン……という音(おと)が背後から聞こえた。

 見ると、こぶし大(だい)のたまごが地面に落ちていた。鶏卵のような殻(から)がついている。


(なんのたまごだ……?)


 戸惑(とまど)いを見せた俺に、バンダーが答えを明かす。


「おまえの産んだたまごだよ」

「男の人間がたまごを産むなんて初耳だな」

「別にいいじゃねえかティントン・タハーン。ヒヨコみたいにたまごの殻を破って孵化(ふか)する人間も、もしかしたら存在するのかもしれない」


 口角(こうかく)を上げ、詠唱(えいしょう)する。


「グート」


 すると地面に落ちたたまごが膨(ふく)らみ、だ円の長軸(ちょうじく)が一(いち)メートを超(こ)えた。

 ついで短軸(たんじく)方向にヒビが走り、なかから何者かが出てくる。


(こいつは……!)


 たまごの殻から出現したのは赤目赤髪の――。

 俺(・)そ(・)っ(・)く(・)り(・)の(・)人(・)間(・)で(・)あ(・)っ(・)た(・)。


「なんだ? コピーを作ったのか」

「んなもんと一緒(いっしょ)にすんなよ」


 バンダーの金(きん)の右目と黒い左目が俺を射抜(いぬ)く。


「おまえがおまえを産んだんだ」

「……なんだと」


 瞬間(しゅんかん)、俺は視界に違和感を覚えた。

 先ほどまでと見ている角度が違う。


 いつの間(ま)にか俺のまわりにたまごの殻が飛び散っている。


 しかもバンダーと俺のあいだに――。

 俺(・)自(・)身(・)が(・)横(・)た(・)わ(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)の(・)が(・)見(・)え(・)る(・)。


「え、お(・)兄(・)さ(・)ん(・)……?」


 困惑(こんわく)するクマリーの声も聞こえた。

 バンダーは右手の指をパチンと鳴らす。


「今のてめえを見てみろよ」


 彼の力(ちから)によって周囲に散ったたまごの殻が、鏡のように光を反射し始めた。

 その鏡面に映っていた自分は――俺であり、俺ではないものだった。


 顔はほとんど同じなのだが、体つきが男のそれではなくなっている。


 驚(きょう)がくする俺にバンダーが言葉を浴びせる。


「おまえを女として孵化させた。たまごを介(かい)して魂(たましい)を女の体に移し替(か)えたってところか。だが安心しろよ」


 横たわっている男の俺の体をまたぎ、トゲトゲしく笑う。


「性別が変わろうが、オレの嫌悪は変わらない」

次回「106.たまごのコー(ข)【中編】」に続く!


今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り

フップカオ(หุบเขา)→盆地(ぼんち)

ダーオ(ดาว)→星

ティントン(ติ๊งต๊อง)→クレイジーだ

グート(เกิด)→産まれる

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