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104.象のチョー(ช)【後編】

 鱗山(プーカオ・グレット)は火山であるが、その火口(かこう)は頂上から少し外れた位置にある。

 実際に頂上を見ても、周囲に火口らしきものはない。


 代わりに、空気中を泳ぐ二(に)メートのナーングアック(人魚)がいた。

 精霊(ピー)である彼女(かのじょ)が激しく身を躍(おど)らせながら、登頂(とうちょう)した俺(おれ)たちへと向かってくる。


 スープパンの言っていた「気性(きしょう)の荒(あら)いナーングアック」とは彼女のことだろう。

 ただし話によれば人間を襲(おそ)ったりしたわけではないようなので、まずは様子を見ることが必要だ。


 ウィサーハが魚のしっぽをピチピチ揺(ゆ)らし、大きなナーングアックと目を合わせる。

 俺たちの分からない言葉で会話を始める。


 そんな光景を目に入(い)れたクマリーが俺にささやく。


「これ……ちっちゃな人魚さんたちも使っていた言葉ですよね」

「そうだよ」


 ウィサーハたちの会話を邪魔(じゃま)しないよう、俺も声を抑(おさ)えた。


「俺たちの使っている言語とはまったく異(こと)なる。ウィサーハ以外、なにを言っているか分からないだろうな」

「なんかすごいですねっ。ルディさんもミツバチの踊(おど)りを一(ひと)つの言葉と捉(とら)えていましたし、そう考えるとクマリーの覚えている文字だけが言葉のすべてじゃないんだって思います」

「ああ、世界には自分の知っているものとは違(ちが)う言葉がある。きっとそれぞれの言葉がかけがえのないものなんだ」


 こういう話に関しては、言葉や文字の歴史について詳(くわ)しそうなプラトゥに聞いたら面白(おもしろ)い回答が得られそうだ。


 ここでグアック(人魚)との会話を終えたウィサーハが俺たちに向きなおる。


「話(はな)してみて分かったけれど、彼女は誰(だれ)かを襲(おそ)おうとしているわけじゃないわ」

「なにか困っているのかね」


 リアンゲがスープパンの左手の箱から口(くち)をひらいた。

 姿勢を正(ただ)し、ウィサーハが答える。


「はい、リアンゲさま。彼女は自分の子どもたちの遊び相手を探していたそうです。確かに近場(ちかば)にほかのグアックは多くいますが、当の子どもたちは恥(は)ずかしがって自分から遊びに誘(さそ)えないのだとか」

「なるほど。まずは誰かと遊ぶことに慣れてもらうことで、子どもたちの交流のハードルを下げようと考えたわけか」


「ではクマリーが行(い)きますっ!」


 右手を挙げ、クマリーが前に出た。

 意外そうにウィサーハがあやめ色の瞳(ひとみ)を開閉する。


「単なる興味本位で言ってるわけじゃないわよね」

「クマリーが子どもたちと遊びたいんです」

「……なら頼(たの)むわ」


 ウィサーハは息をつき、魚のしっぽを少し丸める。

 ここでネーティの頭で香箱座(こうばこずわ)りをしている象のルイが鼻を挙げた。


「クマリーだけだと不安だな。ぼくも行(い)く」

「いいけど、ルイくん……優(やさ)しくできる?」


 やや厳(きび)しめな口調(くちょう)でウィサーハが詰(つ)め寄る。

 ルイは――ルイくんは四(よ)つ足(あし)を立てて自信満々に言う。


「そんぐらい余裕(よゆう)だっての」

「分かった。ルイくん、クマリーと一緒(いっしょ)にお願いね」


 このあとウィサーハは二(に)メートのグアックに再び話しかけ、クマリーとルイくんが子どもたちの遊び相手になることを伝えた。


 子どもたちを刺激(しげき)しないよう、同行するのは保護者ポジションの俺とネーティだけ。

 スープパンとリアンゲとウィサーハは頂上で待機する。


 だがグアックの子どもたちのもとに向かう前にウィサーハが俺に耳打ちした。


「アーティット。グアックの彼女から頼まれたのだけど、あなたにやってほしいことがあるの」


* *


 俺たちはグアック(人魚)についていき、円すい形の岩肌(いわはだ)の裏側に回(まわ)った。

 そこに洞窟(どうくつ)があった。


 光を発するグアックのうろこを頼(たよ)りに、斜面(しゃめん)を下(お)りていく。


 じきに洞窟の奥(おく)に到着(とうちゃく)した。

 手の平サイズの三体のグアックが宙で身を寄せ合っている。


 二(に)メートのグアックは子どもたちとなにか話したあと、クマリーとルイくんに目を向けた。


 ルイくんはネーティの頭から跳(と)び、ゆかに着地する。

 クマリーはグアックの子どもたちに目配せしたあとネコのようなルイくんのもとまで下降した。


 グアックの子どもたちも宙を泳ぎ、おそるおそるルイくんとクマリーに近寄る。


 母親のグアックはいったん離(はな)れ、俺とネーティのそばに浮(う)く。

 俺たちは洞窟の壁(かべ)に背を預け、子どもたちの様子を見守ることにした。


 まずルイくんが鼻を掲(かか)げて子どもたちに話(はな)しかける。


「おい、おまえら。ぼくが遊んでやるよ」


 向こうが言葉を理解しているかは定かでないものの、グアックの子どもたちは高圧的な態度を感じ取ったのか震(ふる)えている。


 ここでクマリーがやんわりと言う。


「初めまして、クマリーはクマリーですっ」

「……あ、忘れてた。ぼくはルイ」


 自己紹介(しょうかい)を聞いたことで、子どもたちの一人(ひとり)が警戒心(けいかいしん)をといたようにクマリーとルイくんのまわりを泳いだ。


 ちなみに、少なくとも鱗山(プーカオ・グレット)に生息するグアックに個体を識別する名前は与(あた)えられていないらしい。

 ウィサーハが通訳として同行してくれたら分かりやすかったのだろうが、子ども同士のあいだに入(はい)るのをさけたのか彼女自身はそれを拒否(きょひ)している。


 さて、まだ身を寄せ合っていた二人(ふたり)のグアックのうち一人(ひとり)がクマリーとルイくんの前に来て左右に素早(すばや)く泳いだ。


 ルイくんは鼻を鳴らし、首を振(ふ)る。


「んなことされても分かんねえっつうの」

「むむ……もしかして」


 なにかに気づいたのかクマリーが両手をたたく。


「鬼(おに)ごっこしたいんじゃないかなっ」

「ホントかよ」


 半信半疑の様子ではあるものの、ルイくんは軽く走ってみた。

 クマリーがルイくんを追い、その象の体を捕(つか)まえる。


 すると左右に泳いでいたグアックがうれしそうに何回もうなずいた。


「マジで鬼ごっこがやりてえのか……」


 どこかルイくんからは元気が抜(ぬ)けてきている。

 グアックの子どもたちに対してなかなか優(やさ)しく振(ふ)る舞(ま)えない自分にもどかしさを覚えているのだろう。


 ふとネーティのほうを見ると、彼女は口(くち)もとを結びつつ、両手を胸に当ててルイくんを見守っていた。


 しかしこの瞬間(しゅんかん)、子どもたちの前に不気味(ぶきみ)なものが現れる。

 向かって右から、白くぼんやりとしたな(・)に(・)か(・)が出現したのだ。


 人の上半身(じょうはんしん)のような輪郭(りんかく)を持つが、顔や服は煙(けむり)のように曖昧(あいまい)である。


 おまけに両腕(りょううで)らしき部位を持ち上げ、威嚇(いかく)のポーズを作っている。

 グアックの子どもたちはガタガタ震えて再び三人で身を寄せ合う。


 クマリーもあたふたしていた。


「お、おばけ……っ!」


 すぐには動けないようだ。

 白くぼんやりとしたそのおばけが彼女たちに迫(せま)る。


 そのとき、ルイくんが彼女たち四人の前に立ちはだかっておばけをにらんだ。


「こいつらに手を出してみろ。ぼくが許さないからな……!」


 耳を広げ鼻を突(つ)き出し、威嚇し返す。

 おばけはビックリしたように慌(あわ)てて方向転換(てんかん)し、さっとその場から逃(に)げ去った。


 直後、グアックの子ども二人がルイくんに近づいてうれしそうにその耳と鼻を優しくなでた。

 まだ警戒心をぬぐえていなかった最後の一人(ひとり)も顔を赤らめながらやってきて、ルイくんにほほえみかけた。


 言葉が通じなくても、彼女たちが感謝しているのはルイくんにも伝わっただろう。

 ルイくんは照れ、耳と鼻を揺(ゆ)らしてちょっと体を縮(ちぢ)こまらせた。


 クマリーもルイくんに明るく声をかける。


「ルイくん、おばけを追い払っちゃうなんて、とってもかっこいいっ」

「べ、別に……おまえらがビビりなだけだろ……っ」


 やはり素直(すなお)になれないようだが、ルイくんの声にはうれしさがにじみ出ていた。


「んなことより、さっさとみんなでやろうぜ、鬼ごっこ。最初はぼくが鬼をやってやるからよ」

「わーい!」


 クマリーだけでなく、グアックの子どもたち三人も笑顔(えがお)で逃げ始めた。

 ただし現在ネコと同じ大きさのルイくんが追いかけられる高度を保ちつつ、彼女たちは逃げている。


 楽(たの)しそうなみんなの様子を見ていると、母親のグアックが俺の袖(そで)を引っ張ってきた。


「コー……プ、クン」


 確かにコープクン(ありがとう)と聞こえた。

 俺はゆっくり返す。


「マイペンライ(どういたしまして)」


* *


 子どもたちが充分(じゅうぶん)に遊んだあと、母親のグアックを先頭にして俺たちは洞窟の出口へと引き返す。

 ルイくんとクマリーは俺とネーティの前を進みながら、グアックの子どもたち三人と楽(たの)しそうにたわむれている。


 とろけるような声でネーティが俺にささやく。


「アーティ、あたしからもコープクンです」

「なんのことだ」


「さっきのおばけ、アーティが仕掛(しか)けたものでしょ。ウィサーハさんを介(かい)して人魚のお母さんから頼まれたんですね」

「……まあな」


 先ほど俺は、ホタルの光に似た斥候の兵隊(タハーン・ラート)を分裂(ぶんれつ)させ、それをおばけのようなかたちに集めて子どもたちの前に出現させたのだ。


 普段(ふだん)のラートは黄緑色(おうりょくしょく)だが色を変えるのも不可能ではない。

 今回は白くぼんやりとした光を放(はな)ってもらった。


「たぶん親として子どもの遊び相手が信用に値(あたい)するか確かめたかったんじゃないか。もし相手がかばってくれたなら、これをきっかけにして子どもたちも大きく警戒心をとくだろうし」

「おかげでルイくんもみんなと仲よくなれたみたいです。本当に感謝してます」


「ただ、ルイくんもクマリーも人魚の子どもたちも、おばけが俺の用意したものであることは知らない。本当のことを知ったら、とくにルイくんはおこると思う」

「そりゃプンプンになるでしょうね。もしバレたら」


 さび色の左目を閉じてウインクし、ネーティが息を吹(ふ)き込(こ)むように言う。


「あたしも一緒(いっしょ)におこられてあげます」


* *


 洞窟の外に出たところで、俺たちをスープパンが手招(てまね)きした。

 近寄ると、彼女の足もとに色あせた縄が輪っかの状態で落ちていた。


 リアンゲの頭部がは虫類のような目を輝(かがや)かせる。


「これはわたしの縄の一(ひと)つで間違(まちが)いない。縄が弱ってあたりの空気が乱れたせいでナーングアックの気性が通常よりも荒くなり、かつ頂上付近のピーの数も少なくなったと思われる」

「縄は『箱』にしまう」


 スープパンが言葉を引き取った。


「ただ、この縄が封(ふう)じているピーが厄介(やっかい)。だからネーティさんとルイくんを待ってた」


 話によると、縄はウイルス型のピーを封印(ふういん)しているらしい。

 肉眼では捉(とら)えきれないサイズである。


 しかしネーティが唱える。


「ルアップ」


 するとルイくんの鼻が縄の輪っかの中心に伸びた。

 その先っぽで器用になにかをつまんだルイくんは、スープパンを見上げる。


「ちっこいのをつかまえたぜ、スープ」

「ขอบใจ(こーぷじゃい)〔どもどもー〕……ぱぬっく」


 スープパンの詠唱(えいしょう)と共にルイくんの鼻先に半透明(はんとうめい)の板が出現し、箱をかたちづくった。


 彼女が縄の輪っかを拾い、その箱に放り込む。

 ついで右手でさっと箱を回すと、跡形(あとかた)もなく消えた。


「お手柄(てがら)。ネーティさんとルイくんがいなかったらパンデミックになっていたかも」


 それからみんなに礼を言い、スープパンはリアンゲの頭部と共にここを去ると言った。


「โชคดี(ちょ~くでぃ~)〔じゃね~〕……別の場所にあるっぽいほかの縄も回収したいから。ウィサーハさんも来る?」

「わたしはリアンゲさまと行(い)きたい」


 正直に気持ちを口(くち)にし、首としっぽを左右に振(ふ)る。


「でもまだケジメをつけなきゃいけないことがあるの」


 ファとの協力関係を放棄(ほうき)するわけにもいかないという意味だろう。


「それに、ずっとリアンゲさまにベタベタして嫌(きら)われるのも嫌(いや)だわ」

「わたしは君を嫌(きら)ったりしないよ。ともあれ、また近いうちに会おう、ウィサーハ」


 リアンゲが少しだけ頭部を右にかたむける。

 ウィサーハは微笑(びしょう)し、自分のしっぽでリアンゲの箱をなでた。



 スープパンとリアンゲが去ってからウィサーハはしばらく立ちつくしていた。


 グアックの子どもたち三人が、頂上付近に現れた別のグアックの子どものもとに緊張(きんちょう)しながら向かうのを見ていた。


 クマリーとルイくんが遊び相手になったことで、子どもたち三人の心理的ハードルはだいぶ下(さ)がったようだ。


 無事(ぶじ)遊びに誘(さそ)うのに成功し、彼女たちは元気に追いかけっこを始めた。

 それを見届けてからウィサーハがクマリーとルイくんに手を合わせる。


「わたしが言うことじゃないかもしれないけれど感謝するわ。わたしはあの子たちのことをよく知らないけれど、やっぱりグアックが幸せそうだとうれしいの」


 さらに俺とネーティをやわらかく一瞥(いちべつ)し、しっぽを振りながら頂上から下(お)りていった。


* *


 おとなしくなった二メートのグアックも、クマリーとルイくんに「コープクン」と声をかけた。

 クマリーは素直に、ルイくんは照れながらその言葉を受け取った。


 そしてネーティは左の手袋(てぶくろ)を外し、その手の平に刻まれたช(チョーチャーン)をクマリーに見せた。


「【ช】チョーチャーン・ネーティ、つかさどる字は象のチョー。こう見えても象さんに乗るのは得意なんですよ」

「ルイくんとのコンビネーション、いつか見せてもらいますっ! ではネーティさんの字もなぞりますよー」


 クマリーの右人差し指がチョーチャーン(ช)に置かれる。


 まず左上の少し下(した)の位置で小さな丸を時計回りで書く。

 その丸の上から右へと線を引っ張り、続いて丸の外側に沿(そ)う弧(こ)をえがいていく。


 丸よりも低い位置に来たところで線の流れを時計回りから反時計回りに切り替(か)える。

 線が底(そこ)近くに達したら、下に張り出す弧をえがく。


 全体の右側に着いたタイミングで線を持ち上げる。

 すでに書いた丸のてっぺんとほぼ同じ高さに到達(とうたつ)した瞬間(しゅんかん)、左に小さく折れる。


 折れたあとは、すぐに線を右斜(なな)め上に引く。

 最後は右上でとめる。


 これでチョーチャーン(ช)の字は完成だ。


「ありがとうございましたっ! ガムランさんのソーソー(ซ)の最初のコブが二(ふた)つに分かれていないバージョンですね。まるでルイくんのようにか(・)っ(・)こ(・)か(・)わ(・)い(・)い(・)素晴(すば)らしい文字ですっ!」


 もはや言うまでもなくクマリーはチョーチャーン(ช)を何回も宙に書く。


「ところでパイロさんのチョーチン(ฉ)との違(ちが)いはなんでしょうか」

「パイロさんのチョーチンは高子音であたしのチョーチャーンは低子音です」


 おなじみのやりとりである。

 ネーティの名前の書き方もクマリーは教わる。


 ただし、ネーティの「エー」がマーイナー(เ)一(ひと)つであらわせることと、「ティ」の子音がトータオ(ต)であることが分かれば瞬時(しゅんじ)に書ける。


 マーイナー(เ)、ノーヌー(น)、トータオ(ต)に「イ」を示すピンイ(–ิ)を並べるだけだ。


 すぐに「ネーティ(เนติ)」という名前ができあがる。


「短く無駄(むだ)がなく、荘厳(そうごん)でもあるイカしたお名前ですねっ」

「どうもです。そう言うクマリーの名前もイカしてますよー」


 手袋をはめなおし、ネーティが笑う。

 クマリーも名前を褒(ほ)められたことで照れ返す。


 ついでクマリーは地面の上で香箱座(こうばこずわ)りになっているルイくんの正面に回った。

 ルイくんはクマリーが口(くち)をひらく前に言葉を発した。


「そういやおまえとは気性の荒いナーングアックを先に鎮(しず)めたほうが勝ちって勝負してたな」


 象の鼻をしおらしく落とし、ひと息つく。


「あれ、おまえの勝ちだわ。悔(くや)しいけどぼくとは違ってクマリーは子どもたちに優しく声をかけることができてた。進んで自己紹介もやって……相手の言いたいことを考えて……。そのおかげで子どもたちは自分から心をひらけるようになって、ナーングアックの親は子どもの遊び相手を新たに探す必要もなくなったわけだろ」

「なに言ってるの」


 砕(くだ)けた口調(くちょう)になり、クマリーがルイくんにほほえみかける。


「ルイくんはおばけが出たとき、子どもたちとクマリーを守ってくれたよね。本当に子どもたちが心をひらいたのは、あの瞬間だったと思う。だからこの勝負、ルイくんの――」

「あー、言わんでいいっつーの……っ」


 鼻を左右に揺(ゆ)らし、ルイくんが目を泳がせる。


「みんなと楽しく遊べたし、もう勝負とかどうでもよくね……」

「だねっ」


 ニコニコしてクマリーは返事をした。

 さらに地面に文字を書く。


 クマリー・トーン(กุมารีทอง)という自分の名前ができあがった。


「……クマリーの名前、こう書くんだ」

「だからなんだよ」


「ルイくんのお名前も書きたいな」

「は……はあっ? ぼく、象なんだけど。ネーティのチョーチャーン(ช)のおかげでしゃべれているだけで、ピーかどうかすらあやしいのに……」


 そう言いつつもルイくんは牙を動かし、ローリン(ล)、「ウ」を示すティーンイアット(◌ุ)、ヨーヤック(ย)を並べて「ルイ(ลุย)」と地面に書いた。


 クマリーがルイくんの右隣(みぎどなり)に移動し、その名前を指でなぞる。


「ありがとう。……クマリー、ルイくんの友達になりたい」

「か、勝手にしろよ」


 ルイくんは横目を向ける。


「それって、ぼくもクマリーの友達ってこと?」

「もちろんだよ……っ」


 クマリーがルイくんの鼻をそっとなでた。ルイくんはそれを拒絶(きょぜつ)しなかった。


 それから耳をパタパタさせているルイくんのもとに、グアックの子どもたちが宙を泳いでやってきた。

 すでに遊んだ三人だけでなく、ほかのグアックも数人交(ま)じっているようだ。


 彼女らとルイくんとクマリーはみんなで鬼ごっこを始めた。

 とくにルイくんは楽しそうに、小さな象の体を走らせている。


 俺から鐘(かね)のイヤリングを受け取りながら、ネーティがその様子を見つめている。

 静かに俺は質問した。


「ネーティ、今から俺と戦うか」

「いや、もう勝負はいいです」


 先ほどのルイくんと似たようなことをネーティが口(くち)にした。


「本当のところあたしはルイくんに友達ができたらいいなと思っていたんです。演目で失敗してサーカス団を追い出されてからいつも、仲よさそうな人たちやピーをうらやましそうに見ていたから」


 ジグザグに伸びたさび色の髪を軽くはじく。


「そんななか、みんなの字をクマリーちゃんが積極的に学んでいると聞いて……もしかしたらみんなを差別しないクマリーちゃんならルイくんの友達になってくれるんじゃないかと期待しました」

「ファに協力したのはどうしてだ」


「最初から仲よくなりに行(い)くという体裁(ていさい)だとルイくんが素直になれないと思ったんです。だからアーティと戦うという名目でクマリーと会うことにしました。ファに本当のことを言ったら、『それでいいであります』とみとめてくれましたよ」


 ネーティの視線を追うと、鬼になったクマリーが笑ってルイくんの背中にだきついている。

 それをグアックの子どもたちが楽しげに見守っている。


 ルイくん自身も体を軽快に揺(ゆ)らし、うれしさを爆発(ばくはつ)させているようだ。


「――あたし、ルイくんがみんなと楽しそうにしているのがうれしくてたまりません」


 ここでネーティは黙(だま)って手を合わせた。

 心のなかでクマリーたちに「ありがとう」と言ったのが分かった。


 しかし、そんなネーティの足を鼻がつつく。

 それはルイくんの象の鼻だった。


「じゃ、そろそろオサラバしようぜ、ネーティ」

「……あれ、ルイくん。もういいんです?」


 しゃがみ、ネーティが右の目もとをぬぐう。

 ルイくんの鼻がそっと伸び、彼女の左の目もとにふれた。


「うん。本当に楽しかったから。それと……ネーティがぼくのために気をつかっていたのは分かってるから……その」


 やはり素直になれない性格のようだが、ルイくんは意を決して気持ちを伝える。


「あ、ありがとな」

「ルイくん……あたしからも、ありがとう。いつも一緒(いっしょ)にいてくれて」


 ネーティがルイくんの体をやわらかく抱擁(ほうよう)した。


 それから再び体高三メートほどになったルイくんはネーティを背中に乗せ、その場を去る。

 クマリーもグアックたちも名残(なごり)惜しそうに手を振った。


 ズシン、ズシン……と山が揺れる。


 その象と騎乗者(きじょうしゃ)の彼女が向ける後ろ姿は、実際のそれよりも大きく見えた。

次回「105.たまごのコー(ข)【前編】」に続く!(5月23日(土)19時から23時59分のあいだに更新)


ช←これが「チョーチャーン」の文字。意味は「象のチョー」……最後に少し線を折るところがポイントですね~。


今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り

チャーン(ช้าง)→象(ぞう)

ルアップ(รวบ)→つかまえる

コープジャイ(ขอบใจ)→ありがとう/「コープクン(ขอบคุณ)」よりも砕けた感じの「ありがとう」

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