101.魚のポー(ป)【前編】
赤い溶岩をたたえた湖に差しかかった俺とクマリーは、湖面を泳ぐ魚のしっぽをまじまじと見つめた。
大きな青い尾びれが俺たちに近づく。
ついで溶岩のなかから人の両手が出てきて湖のへりにつかまり、みずから全身を引っ張り上げた。
溶岩から出てきたのは魚の尾びれを持つ女性。
あやめ色のロングヘアが赤く濡れている。
瞳もあやめ色であり、星のように輝いて見える。
服の材質は魚のうろこに近い。
といっても本物の魚とは異なり、数えきれない枚数のうろこが重なっているわけではない。
大きなうろこ二枚が彼女の胴体を前後から挟み、身頃を作っているのだ。
その青い半透明の服にも溶岩らしき赤い液体がすべっている。
うろこに似た服は腰のあたりでくびれたあと、臀部から太ももにかけてふわりと広がる。
ボトムス部分も半透明のうろこのような素材だが、色は瞳や髪と同じあやめ色に近い。
そこから延びた脚部をおおうのもやはりうろこのような素材であり、白っぽい半透明のニーハイブーツをかたちづくっている。
しかし彼女の一番の特徴は臀部の少し上から生えた魚の尾びれだろう。
青い尾びれがボトムスの内側から垂れ、ピチピチと揺れている。
正確に言えば彼女が生やしているのは尾びれだけでなく、魚の下半身そのもの。
この尾びれを含むしっぽに関しては細かいうろこが浮き出ている。
ただし先端については半透明の三日月型であり、うろこはついていないかもしれない。
俺たちのまわりに浮く魚の下半身を持つ手の平サイズのピーたちとは違い、彼女は人間の女性と同等の身長を持ち、かつ人の脚部を有している。
草木のない湖畔に立った彼女が魚のしっぽを激しく振りながら、なまめかしい声を出す。
「よく来たわね、アーティット」
「……ウィサーハ」
ボックから下りて俺は魚のしっぽを持つ彼女――ウィサーハに接近する。
「君は俺にどんな戦いを仕掛けるんだ」
「その前にわたしの話を聞いてくれるかしら」
「なんでも言ってくれ」
俺は彼女の左斜め前に立ち、次の言葉を待った。
溶岩の熱波のせいで、相手の姿がゆがんで見える。
ウィサーハは身を震わせ、自分の体についた溶岩を湖面へと落とす。
「実は今のわたしには復讐したいやつが三人いるの」
「誰と誰と誰だ」
「一番ぶち殺したいのはホーノックフーク(ฮ)」
魚のしっぽが少し膨張し、地面をたたく。
「あいつこそがいとしのリアンゲさまを殺した張本人だから」
どうやらウィサーハはリアンゲを慕っており、彼が殺されたことで恨みをいだいているようだ。
「根本的にスーンが事件の発端で、かつリアンゲさまも悪かったというのは分かっているけれど、問答無用でリアンゲさまを殺したホーノックフークのやり方をわたしは許さない」
「君の恨みは正当だ。ところで二番目に復讐したいのは?」
「キア」
ノーヌー(น)の文字保有者の名前が出てきた。
「あいつはホーノックフーク専属の暗殺者だからといってあっさりとリアンゲさまのご尊顔を胴体から切り落としたわ。いっさいためらうこともなく雑にね。ユアユちゃんに押さえられていなかったら、わたしがあの場でキアを葬っていたわよ。なのにスゴスゴ帰らされて、本当にリアンゲさまが浮かばれない」
以前クルムはホーノックフークに、リアンゲを慕う人はたくさんいると指摘していた。リアンゲが殺されたことに反発している者の存在についても示唆していた。
そのなかで、もっともリアンゲに思いを募らせていたのがウィサーハなのだろう。
「で、アーティット。わたしが復讐したい三人目が誰か分かる?」
「俺だろ」
左斜め前から移動し、俺は彼女の正面に立った。
ウィサーハのしっぽがまた膨らみ、湖面をはじいて赤いしぶきを上げる。
「さすがにそこまでバーでもないようね。アーティット、あなた……リアンゲさまが殺されたあと迷わずみんなのあいだを駆け抜けてキアのそばに向かったでしょう。しかもその前、スーンを殺害した犯人についてホーノックフークは思わせぶりにあなたを見た。あれはミスリードという茶番だった。……これらのことから、あなたが事前にホーノックフークの強硬手段を知っていてそれに協力していたのは明らかだわ」
「君の言っていることは事実だ。ただしリアンゲが下手人とまではキアもホーノックフーク(ฮ)も事前に分かっていなかった」
このことについてキアとは「ホーノックフーク以外の誰にも他言しない」と約束していたが、ここで俺がだんまりを決め込んでもウィサーハが納得するはずがない。
「慕っている人が殺されたんだ。君の復讐心は否定できない。そして君はまず俺への復讐を遂げるためにファに協力したってわけだな」
「ええ、そうよ」
なまめかしい声が着実に怒気を帯びていく。
「リアンゲさまはナーングアック(人魚)と人間のあいだに産まれたわたしのことを……それを気にして人里から離れていたわたしのことを否定しなかったもの。魚のしっぽもうろこの服もきれいだって褒めてくれたわ。それどころか何回もわたしのもとを訪れて優しい話し相手になってくれた。リアンゲさまのおかげでわたしは対人恐怖症を克服して日々を明るく暮らせるようになっていたのよ。わたしのたまごからリアンゲさまとの子どもが生まれてきたらもっと幸せだろうなー、あの素敵な緑がかった髪やは虫類みたいなかっこよすぎる目を持った子どもに恵まれたいなーとも夢想してた。なのに……」
怒張した尾びれを何回も溶岩にたたきつける。
「あの日リアンゲさまのいのちが一瞬にして奪われた! 時間が経過しようが受け入れられるはずないじゃない。わたしはホーノックフークとキアだけじゃなく、リアンゲさま殺害に関与したアーティット……あなたを今ここでほうむる。ファちゃんに協力したほかのみんなはどうか知らないけど、わたしはあなたを殺す気でかかる。もちろん黙ってやられるのも許さない。それじゃわたしがトータハーン・アーティットを倒したことにはならないものね。この件に関して、あなたに言い訳はある?」
「ない」
俺はウィサーハのあやめ色の瞳から目を離さずに答えた。
瞬間、俺の左脇腹になにかが直撃した。
巨大化した魚のしっぽが当たり、俺を溶岩の湖面へと吹っ飛ばす。
「【ป】ポープラー・ウィサーハ、つかさどる字は魚のポー。あなたたちは、わたしのうろこを逆撫でしたのよ」
「……アーガート」
コウモリ姿の空の兵隊を呼び出し、その翼にささえてもらいながら溶岩の真上に浮遊する。
ついで俺は、トータハーン(ท)の文字を宙に書こうとしているクマリーに声をかける。
「クマリー。気持ちはありがたいけど今回は手を出さないでほしい」
「……はいっ、お兄さん。分かりました」
湖の手前にいるクマリーは右手をとめ、ボックやまわりのピーと共に俺たちを見守る体勢に入った。
そして身をくねらせて空中を泳ぎ、ウィサーハが俺の真横に肉迫する。
「自分を慕っている相手に応援されて、本当にいい気なものね」
そのまま右手のパーで俺の左ほおを張り倒した。
俺は左肩に刺さった旗をかばいながら後退する。ファの口ぶりを思い出すに、溶岩で旗が損壊した場合も俺のいのちは尽きると予想される。
いったん溶岩の湖のエリアから脱出しようとしたものの、ウィサーハが進行方向に立ちふさがり、ことごとくルートが断たれた。
次第に俺とアーガートは湖の中心部の上空に追い詰められる。
ここでウィサーハが溶岩に飛び込み、赤い湖のなかに身を潜めた。
その隙に俺は動こうと思ったが、次の瞬間に俺の右ほおに直線の傷が入る。
よく見ると、無数の透明のうろこが溶岩から噴火に似た挙動で飛び出し、俺のもとに向かっている。
とっさに俺はアーガートに命じ、空気の層を展開させてバリアを作った。
だがうろこの切れ味はすさまじく、じきにバリアを突破して刃物のように俺を襲う。
左肩の旗をかばう必要があったためそのぶん別の部位への防御がおろそかになった。
しかもうろこの刃の一枚一枚が溶岩の熱を帯びている。全身の傷口から血が漏れ、痛みが脳まで駆けめぐる。
間髪いれず俺の真下の湖面からウィサーハが顔を出し、唱える。
「ターピースア」
すると周囲の溶岩が変形し、ウィサーハの体と魚のしっぽにくっついた。それは巨大な蝶のような翼をかたどっていた。
胴体の一対と怒張したしっぽの二対を羽ばたかせ、ウィサーハが舞い上がる。
俺はアーガートに硬い空気の層を作ってもらい、直上のそれを蹴ってウィサーハに近づく。
「タハーン・ユアック。トゥッガターヒマ」
雪の兵隊を呼んで大量の雪を発生させ、ウィサーハの真正面から巨大な雪玉を二発撃ち込む。
しかしウィサーハは三対の溶岩の翼を動かし、正面からの雪玉を防いだ。
雪玉はみるみるうちに溶けていく。
「最後の抵抗がこの程度だなんて、あなたはリアンゲさまの足もとにも及ばないわ」
だがそう言った直後、彼女は気づいたようだ。
自分の背後から刃物のようななにかが飛んできたことに。
「え……これって」
それはウィサーハ自身が放った透明なもの――。
「わたしのうろこじゃない……!」
気づいたときには真上をのぞくあらゆる方向から彼女に向かって無数のうろこが発射されていた。
雪玉で攻撃をかけるかたわら俺はアーガートに命令していた。
上空をまだ飛んでいるうろこをその風でかき集め、ウィサーハの周囲に散らせろと。
相手が雪玉に気を取られている隙にウィサーハをうろこで包囲し、こちらの雪に対抗しようと溶岩の羽を動かした時点でうろこの一斉掃射をおこなう。
「いい気にならないで!」
三対の溶岩の羽がすぐにウィサーハを取り囲み、うろこをガードする。
一方、溶岩によって溶かされた雪玉は大量の水に変化していた。
それを俺はユアックの冷風によって凍結させ、ウィサーハに落とす。
氷塊はつららとなって落下したものの、ウィサーハに達する前に溶解した。
「浅知恵なのよ」
「まだだ」
溶け落ちた氷から俺が出てくる。ただし左肩の旗の周辺だけは氷を分厚くして守っている。
(これで溶岩の羽の内側に侵入できたな)
それを見てウィサーハが目を丸くする。
「まさかあなたも一緒に氷になってたの……!」
「ゲーンタハーン・ダープ」
「ウアト!」
ウィサーハの魚のしっぽが、俺の左半身を殴打した。旗をおおっていた氷が割れた。
だが分かっていた。
彼女が旗の刺さった左側のほうをねらうことは。
俺は左手の平を右手の下に移動させる。
そのまま上体をひねり、抜剣の体勢をとった。
「プロイ・コム・ダープ……」
左半身への攻撃を受けた俺は右に飛んでいる。
この状態で左手の平のトータハーン(ท)を赤く輝かせ、なかから剣を抜く。
逆手で持ったその剣は、赤い柄と銀色の刃を持つ。
ただし鞘はないので、俺自身の手の平を鯉口にして鞘走らせる。
俺はむしろ魚のしっぽによる威力を殺さずにその勢いに乗った。
体を反時計回りに回転させ、右手の剣でウィサーハを斬る。
反射的に彼女は尾びれで防御したが、俺は回転を連続させて剣のスピードをさらに速めた。
アーガートの風で加速しながら。迫りくる溶岩の羽の熱さをユアックの冷気でごまかしながら。
魚のしっぽから、きしんだ音と共にうろこが何枚もはじけ飛ぶ。
「そ……そんな。ここまでやるだなんて、トータハーン・アーティットッ!」
さけんだ直後にウィサーハは真下の湖面へと勢いよく落下した。
溶岩の羽は形状を保てなくなり、ただ彼女が湖面に激突したことにより数十メートの溶岩の柱が立った。
(……それはこちらのセリフだよ、ウィサーハ。俺も満身創痍だからな)
だいぶ弱ったアーガートにかかえてもらいながら、俺は息を切らして溶岩を見つめる。
波紋と共にウィサーハが浮上し、上半身と尾びれの一部を出す。
あやめ色の瞳をぎらつかせて俺をにらみつける。
「諦めない」
宙を泳ぎ、こちらへと再び向かってきた。
「わたしはリアンゲさまのかたきをとるのよ……っ!」
「なら来い。俺に君の気持ちから逃げる権利はない」
俺も剣を順手に持ち替え、振り下ろす体勢に入る。
この刹那――。
「ほんぱっく」
やる気なさげな声が湖のほとりから聞こえた。
途端、俺と俺のタハーンのまわりに一辺三メートほどの「箱」が出現し、動きを封じてきた。攻撃しても箱の壁を貫通することができない。
見ると、ウィサーハも同様の箱に捕らえられている。
箱を壊そうとする俺と暴れるウィサーハに、湖畔から声がかけられる。
「ใจเย็นๆ(じゃいえんえーん)〔落ち着いてー〕」
ほとりにいたのは、細い棒を口にくわえた女の子。
黒いダボダボのシャツと白のマイクロスカートをはいている。
クリーム色の髪は羊毛のように蓄えられており、同色の瞳は半分しかあいていない。
次回「102.魚のポー(ป)【後編】」に続く!
ป←これが「ポープラー」の文字。意味は「魚のポー」……ボーバイマーイ(บ)の右の縦線を長くした形ですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
プラー(ปลา)→魚
ナーングアック(นางเงือก)→人魚
ターピースア(ท่าผีเสื้อ)→バタフライ/泳ぎ方の一種
トゥッガターヒマ(ตุ๊กตาหิมะ)→雪だるま
ウアト(หวด)→鞭打つ
プロイ(ปล่อย)→解き放つ
コム(คม)→刃
ホンパック(ห้องพัก)→客室
ジャイエンエン(ใจเย็นๆ)→落ち着け




