冬 1節
肌を切り付けるようなカルナバルの寒さに、ライタイの自宅から一歩出たサマル・ティーネージは自分のあだ名を想起した。
カルナバルの剃刀女。
かつて彼女がこの街において、最強の座を欲しいままにしていたことの証であり、その座を降りる原因となった事件の象徴。手のひらに落ちた粉雪が消えていくのを見て、"同じようにしてきた"ものたちが瞼に浮かぶ。
「だぁ〜、クソッタレ」
白い靄を吐き出しながら軽く頬を2回、両手ではたく。
「朝からなんてこと思い出させやがる。おらっ、仕事だ仕事ォ」
言い聞かせてアパートを出る。そのまま真っ直ぐに向かう楽士堂では同じ頃、新たな事件により大騒ぎになっているとも知らずに。
第2章 「冬」。
霊気はなおも理不尽に牙を剥き、ときに誰かに牙を貸し与える。
*
サマルという女は生まれも育ちもカルナバルであり、名前もライタイの街の「夕方の喧騒」を意味する言葉を由来としている。その名の通り活発に育った彼女の周りには常に騒ぎが絶えなかった。喧嘩である。
それだけ言うとフレディの境遇にも似通っているが、サマルの特異なのは「無敗である」ということだ。おまけに彼女は勉強もよく出来た。学舎で優秀だった彼女はときどき、ほんの些細なことから他人に拳を振るい、文字通り血祭りにあげた。いよいよ暴力衝動が目に余るようになってくると、彼女の両親は学校から楽士堂道場へ娘を入門させるよう勧められた。楽士団の下部組織である武術教室であり、技術はもちろん、精神性を重んじる教育に定評がある。すぐに放り込まれたサマルはやはり他の門下生に負けることだけは無かったが、師範たちの指導の甲斐もあり、今まで無邪気に振るってきた力をきちんと制御し、使う相手を見定めるということを学んだ。反面、朗らかな活発さは身を潜め、少しクールに振る舞うことが増えてきていた。
15歳で楽士団に入り、実戦部隊に配属されたたちまち頭角を表した。訓練では少し遅れて入団したゼン・クロークくらいにしかサマルの相手は務まらず、そのゼンすらも彼女に土を付けられない有様で、これは三度の楽士団総合演武会でも同様だった。この連続優勝ののちにサマルは当時、発足間もないファースト・アンサンブルのメンバーとして抜擢され、諸外国まで名前を轟かせることになる。成功させた作戦、挙げた戦果の数は膨大で、その功績を賞して現在の彼女のトレードマークである、右半分が赤く染められたショートマントが贈られている。楽士団の歴史において、他国からの武力挑発行為が頻発した時代に抵抗した大司祭ラシックのパーソナルカラーにあやかった物だったが、のちにそのマントは、別の意味を持つことになる。
ファースト・アンサンブルの任で、さる国の王女の警護に就いたサマルは、夜な夜な城内を徘徊する化け物と対峙した。鎮めてみればその正体は、王女に恋焦がれた貴族の青年であったのだ。
駆けつけた警備の兵たちに状況の説明を済ませ、あとは彼らに処遇を任せるだけ…誰もが気を抜いた一瞬の隙に拘束を振り解いた青年は、血走った真っ直ぐな視線と同じように隠し持った凶刃を王女に突き立てんとした。
本当にあっという間の出来事だった。王女に埃ひとつつけることなく、サマルは青年の胸を斬りさばいて凶行を止めた。彼の息の根と共に。今度はサマルが拘束され、ただちにシュライン・フォレスト共和国とかの国の間では調査と協議の体制が整えられた。
彼女のしたことは言うまでもなく問題行動だ。
セレモニア条約ではバーンナップの依代も「霊気災害の被害者」として扱う。にも関わらずその依代を殺害してしまったうえに、彼は相当な末席におり非現実的であったとはいえ、王位継承権を持っていたのだ。
そもそも彼は霊気にのぼせなければ正気だったのか。他に凶行を止める方法は本当に無かったのか。といった事実関係の検証と、国家のメンツを保つための外交的対話。そうして出た結論は、サマル・ティーネージのファースト・アンサンブルからの除名と国外活動の禁止、そしてヴィオラ・ダ・スパーダを任務において使用することの禁止という処分だった。
楽士堂で教官職に就いたサマルへの、周囲の目には軽蔑が多く混じった。彼女のマントを「血染めの赤」と言うものすらいた。しかし、最早サマルにとってはどうでもよかった。ヴィオラを取り上げられたときに、自分は死んだのだ、と、空虚な気持ちで日々を過ごしていた。
だが、それから一年と少しが経過したころ、当時はあまり接点の無かったはずのギーガー家から呼び出されたサマルはそのまま試奏場へと通された。
陽光の差し込む板張りの部屋の真ん中に、1人の老楽士が佇んでおり、彼の腰には黒いバックラーと、ヴィオラが下げられていた。サマルが入ってくるのに気がつくと振り返って、彼女の顔を見て鼻で笑った。
「本当にコイツで合ってんのかい。随分腑抜けたツラしてやがるじゃあねぇか、評判と違うぞ?」
どうもサマルを呼び出した張本人であるらしいのが"ウェイト"の15代目の使い手、バルナー・デイ。彼への第一印象は最悪だった。試奏場の中にいるとき以外は常にパイプを手放すことが無いベビースモーカーであり、タールで黄ばんだショートマントからも煙草の臭いを漂わせていた。近づいてこられたときにはサマルも少し顔をしかめたが、気にするそぶりを見せない老爺は彼女に、真っ白なバックラーと剣を一揃え差し出した。
「こちとら死ぬほど暇なんだ。お前もそうだろ? ちっと付き合ってくれよ」
渋々受け取ってコートに向き合い、一礼を交わしたのちに斬り込んだ。いくら剣を振っても、盾を打ち込んでも、身じろぐ程度にしか動いていないバルナーの得物に吸い込まれてしまう。
「おいおい、見て分かんねえか。そういう道具じゃあ無ェんだよ」
バルナーは一切の遠慮なく、サマルの腹にバックラーを打ち込んだ。彼女の猛攻によってギラギラと輝いていた打面はエネルギーを発散し、まともに食らったサマルは吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
それまで負けたことの無かった自分が、あまりにも簡単に敗北した。圧倒的に、為す術無く。衝動が、心臓からあらゆる壁を突き抜けて脳に達し、通り道の喉から信じられないほどの大声が出た。
「やりやがったな、クソジジイ!!!」
立ち上がり、すぐに重低音の剣を構え敵意全開に睨んでくるサマルを見て、バルナーはハァーッ!!と引き笑いで吹き出して、腿を激しく叩いた。
「本性現したなガキンチョ! そうらどんどん来い!」
日が暮れるまで打ち合いを続けたが、とうとうサマルがバルナーに一矢報いることは無かった。翌日、目が覚めてから自分の身体が痣だらけになってしまっているのを見て何故か、「昨日は楽しかったな」と思ってしまった。全力を出しても壊せない、敵わない、気取る余裕が無いし、必要も無い。そういうものをもしかしたら、ずっと求めていたのかも知れない。自分はまだ、暴れ足りなかったのかも知れない。
「使い方」を覚えた2日目からは幾分とマシになったが、それでもバルナーを負かすには至らなかった。こちらが技を繰り出すときには既に、彼の防御は完成していた。どんなに裏を掻こうとしても、その意思自体を見透かされているようだった。一週間ほど過ごしてから、サマルはどうしてそんなことができるのかを聞いてみた。
「知らん、分かるから分かるんだ。神からの賜りモンだろうよ」
バルナーと出会うまで、サマルは霊通力という能力が何を為すのかを見たことが無かったし、彼は自分であまりそういう話はしなかった。今、サマルの知っているバルナーのパーソナリティのほとんどは他人からの伝聞だし、きっと何も語らぬまま墓場まで持っていってしまったことの方が多い。数年を彼と過ごしたある日に「今日からお前が16代目だ」と言い残して、ポックリ亡くなってしまったのだから。エコーズの父、エクス・カラル・ギーガー氏によれば、元々は対バーンナップのエキスパートとして今のフライヤのような活躍をしていたようだが、その晩年はいつまで経っても現れないウェイトの後任の使い手を安全な場所で待ち続けるよう楽士団に命じられていたらしい。バルナーは人生の最後の力を使い果たしてサマルを鍛え上げたのかもしれない。
「せめてそれがあの人の「退屈」を払拭できていたらいいな…」バルナーの葬儀を終えて、サマルは初めて、彼の弟子としての己の心を自覚した。
剣の代わりに盾を振るうことを十全に身につけたサマルは、その後指導教官として非常に評判が良くなっていった。明るく優しく、肩の力を抜いて新人楽士たちとコミュニケーションを取る彼女には最早、おそろしき「剃刀女」の面影は無い。シャウト・コズモにエコーズ・ギーガー、フライヤ・イクスビーなど、彼女を先生と慕う後進たちもだいぶ増えた。そしてようやく、ウェイド・ビーツという弟子も現れた。サマル自身は国外に出られない身だが、彼が育ち切ったあかつきには、ファースト・アンサンブルのメンバーとしてバーンナップに苦しむ世界中の人々を救いうるだろう。バルナーのように。
それを実現させることが自分の弟子としての最後の役目だと、サマルは考えていた。




