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秋 8節

 かくして、ファーストアンサンブルのメンバーを実質二人も投入した一大作戦は無事に終了した。バーンナップの出現によって霊獣と衝突することはそこまでレアケースでは無いものの、街の近郊での事案発生は大きな脅威であるため、さしたる損失もなく解決できたことに関係者たちは胸を撫で下ろした。


アウティーヤ楽士堂へ戻り、ロスト楽士長へ直々に帰還報告をする中で、彼の息子たるシャウト・コズモは神妙な面持ちで一歩前へ出た。


「今回の作戦では、俺の力が及ばないばっかりに、楽士ファドと楽士クロウを危険に晒し、サマル先生一門の助力無くして解決はできませんでした。申し訳ございません」


楽士章に手を当て、深々と頭を下げるシャウト。その背後ではファドが首を横に振り、サマルが両手の平を天に向け、ニヤケ顔で口を波打たせている。そんな光景にロストはフッと笑い、「シャウト、頭を上げろ」と呼びかけた。


「"身内贔屓"のような印象を持たれまいと、普段なら神経質にもなるんだが…皆がお前の証人となってくださっているし、心配無いだろう。未来に起こり得る脅威への、良い勉強になったな。私からはそれだけだ」


「親父……」


ロストに双肩を叩かれて、シャウトはしばし目を丸くしていたが、再び襟を正して、敬礼の姿勢に戻った。


「街の安全のために、これからも学び、励んで参ります」


シャウトが一歩下がり、ロストはそれを認めてから皆の方へ向き直ると「改めて、諸君らの活躍に感謝する。ありがとう」と礼を述べた。


「それで楽士サマル、楽士ウェイド。件のバーンナップだが……」


「おん、中はヒトじゃあ無かったですねぇ」


あんまりにも何でもないようにサマルが答えるので、ウェイドも言葉を続けた。


「粘土の破片みたいなのが出てきました。一応拾ってきたので情報部(バス)に渡してあります」


「そうか、分かった」と返して、ロストはしばし一同に背を向けた。考え込むようなため息をひとつ吐いて、「全員、少し時間を貰えるか?」と言うと、執務机のそばの本棚からスクラップブックを取り出す。


 それから、ロストはカルナバルの周辺で起きている異変について話した。"中身"の無いバーンナップの頻出と、思念の籠った芸術品である遺作(レリック)が関連している疑い。さらに裏で糸を引いている存在と、ハル・マーキュリーが彼らに与している可能性を。


聞きながら、ウェイドは心臓を掴まれたような気分でいた。ハルの動向については未だ続報が無かったが、今この瞬間ももしかしたら、彼は暗躍を続けているのかも知れない。なんなら再会したときよりも、力を増していることだって十分にあり得る。


早く力を付けなければ。

早く技巧を高めなければ。

そして一刻も早く、彼を見つけ出さなければ……。


逸る気持ちで頭がいっぱいになっていたところを、トン、と肩にかかる重い刺激で不意に打ち破られた。それはファド・パンチの籠手であり、威圧的な甲冑楽士が送る眼差しは、何故かこちらを慮っていることが分かる。


「楽士ウェイド…案ずるな。お前の歩みは確かだ。慌てて駆け出してしまえば、息を切らして余計に時間を食うぞ。ひたすらマイペースに歩き続けろ。それが一番早い」


まるで、全てを見透かされているようだ。なぜこの人にはこんなことが出来る? なぜこんなにも"重さ"を感じる?

探ろうとして頭の中の手を少し伸ばしてみるが、途端にファドの"思念"みたいなものは波のように引いていって、(ヘルム)からは何も感じ取れなくなってしまった。そうなると、使えるのはもう、言葉だけだ。


「ありがとうございます、楽士ファド。少し、気分が落ち着きました」


「何よりだ」


お互いに敬礼を交わす。

ロストの方へ向き直ると、彼も深く頷いた。


「決して油断のできない状況だ。故に引き続き、諸君の力を頼らせて貰いたい。団も、街も、そのためのバックアップを惜しまない。…霊獣の見渡すその全てに祝福があるように、一丸となって使命を果たそう」


ロストが己のショートマントの楽士章に手を当てると、その場の全員が続いた。


「ヴォイスの目となり、耳となり、口となる者」。

彼らの奮闘と奔走は、これからも続いていく。



 窓から吹き込んでくる風は冷たさを増していく一方だというのに、耳に入ってくる音色は陽光のように暖かく朗らかだ。目を閉じて聴き入っている内に自分がほとんど眠っていたことを、クロウは夢から醒めて理解した。ラフデッサン用に持ち込んだスケッチブックの角が少しよれてしまっている。


「おぉっとスマン、ちょっとばかしウトウトしとったわい」


あくび混じりのクロウの言葉にも鍵盤を叩く指は止まらない。構いやしないと言わんばかりに跳ね回り、ついでにクリスは軽口だって飛ばせる。


「ちょっとどころじゃ無かったっつーの。カフェイン足りてんのかぁ?」


「へっ、おかわりが欲しいんなら素直にそぉ()えい」


クロウは椅子から立ち上がると、クリスのピアノの側に置いてある小さなテーブルから空のティーポットを持ち上げて、部屋を出てキッチンへ向かった。ポットの中の茶葉を替え、湯を注ぎ、部屋へ戻る。なんの戸惑いもない。


 クリスの家はクロウのアパートから本当に近かった。今まで出くわすことの無かったのが不思議なくらいに。そして、いつぞや聴こえてきた音色の主も、やはり彼女だったのだ。事件のあと、ふたりはよくお互いの家に出入りするようになり、お互いの作品がインスピレーションを高め合う心地よい時間になっていた。


あるときはクリスが「ここに小せえオルガンとか置いちまおうかな」とアトリエの一角を指差し、すかさずクロウが「勘弁してくれぇ。床が抜けてしまうわい」と返したり。またあるときはクロウが「ウチに帰る時間が惜しいわい。次からここにインク持ち込んでやろうか」などと言えば、クリスは「ざっけんなよ。ピアノ(これ)汚しやがったら承知しねえからな?」と中指を突き立て、そして笑い合う。出会ってから間もないが、飾らない、非常にリラックスした関係を築いていた。


 クロウは一度、先ほどのサイドテーブルにティーポットを置くと再度持ち直して、クリスのカップに紅茶を注いだ。彼女は「サンキュー」と片手だけ鍵盤から離してカップの持ち手をつまみ、一口飲んだ。


「なぁクロウ?」


「なんじゃい」


クロウはもとの座っていた場所から自分のカップを持ってきて、それにも紅茶を注ぎ始めた。クリスの華奢なティーカップに対して、彼のマグカップはただただ白くがっしりした作りで無骨に見える。しかしクロウはこれを買った雑貨屋で「いんや、これじゃあ」と譲らなかったことを、彼の手元を見ながらクリスは思い出していた。


「私、遠征行くことになってさ。しばらく帰れねえ」


「そらまた。例の"中身のないバーンナップ"か」


熱いお茶を口に含みつつ、隣のクリスを見やる。


「ああ。ファースト・アンサンブル総動員だってよ。普段は王都にいるゼンすら今頃森ン中だ」


クリスの声も目線も正面を向いたまま、ずっとカップの底に当たってくぐもっている。まるで「ファド・パンチ」でいるときみたいに。別に彼女はこうでもしないと話せない訳ではないし、むしろ鎧を脱いでいる間ははつらつとしている。だからこそ、こんな話し方になるのはどういうときか解りやすい。


「いつ頃帰るかは決まっとらんのか」


「うん」


「そうか、しばらく寂しゅうなるのう」


「うん……」


マグカップを置く。

ティーカップも、ソーサーの上で鳴る。椅子が「がたり」と大きな音を立てる。

広げた腕の中にクリスがすっぽりと収まってきて、ふたりの呼吸がぶつかる。まじる。

視覚も霊気も使わずに、ただただ啄み続けて互いの存在を確かめる。互いが確かに居ることと、互いを通して、自分が居ることを。かけがえのない証人を。


「…必ず、(けぇ)って来い」


「別に、テメーが来たっていいんだぞ」


「それもそうじゃあ。なら、死ぬ気で(ヴィオラ)を学んだって良いかも知れん。ワシの持ってるモン、全部使って……」


クロウは腕に力を込める。横隔膜を押されてクリスの声が漏れ出す。


「全部欲しい。全部……」


クリスの目尻から、さらりと彗星が落ちる。クロウがその軌跡すらをも追いかけて自分の中に汲み取ろうとすると、彼女は「そっちじゃないだろう」と言わんばかりに、再び彼の呼吸を封じ込めた。


「っ…ふぅ。へへ。やれるもんなら、やってみろよ」


文字に起こせばぶっきらぼうだが、声色は滑らかで柔らかくて、暖かい。彼女自身の演奏を想起させる。


間違いなく、この音から自分が得たものは創造力だけでは無かったのだ。初めて聴いたときから。

こんなにも溢れている。こんなにも、生命(いのち)に満ちている。これを手中に収めるならば(彼女が必要とするかはさておいて)どれだけの対価を用意しよう? でも、


「やったるわい。絶対に、何がなんでもな」


視線が真正面からぶつかって、火花すら散りそうだった。赤く彩られたふたりの顔は、それぞれにとって尚一層、華やかに映った。



 来るべき日の夜明けごろ。すっかりおとなしくなったライタイの街道沿いを、リュックサックに小型の塗料缶を入るだけ詰めて、脚立を担いだ小男が忍足で歩いていた。手頃な建物の外壁を見出すと、手荷物を下ろし足場を立てて、作業の準備を手早く済ます。イメージトレーニングは完璧だし、「構図」は頭に焼き付いている。というか、思うがままにやってしまえば自然その通りになるという確信すらある。


「へっ…楽しみにしとれよ」


そう言うとクロウは、ハケにたっぷりと塗料を浸した。



 実戦部隊(アルト)のメンバーたちに、ファド・パンチは盛大に送り出されることとなった。もちろん彼女だけの措置ではなく、ちょっと前には王国で同じように勇者、ゼン・クロークも任地に向かっていったそうだ。


鎧の楽士はロスト楽士長より薫陶を受け、街道に並ぶ他の楽士たちへ敬礼をする。その中にはもちろん、クロウ・ワイトも居た。当然目を止めた彼女は、白髪混じりの愛しいちんちくりんが眉で上を指していることに気づいて、その通りにした。


 彼の頭上には、大小様々な踊る獣たちが、極端な曲線と色彩でデフォルメされて壁いっぱいに散りばめられていた。よく見るとその中には、先日出会したあの猿のような霊獣と思しきものもいる。

さらに上には月桂樹の葉のように並べられた白鍵、黒鍵の縁取りがあり、囲われているのは女性の横顔だ。両手を軽やかに広げている様は今にも鍵盤に手を置こうとしているかに見える。

女性の側頭部からは立派な角が伸びている。ファドにとって、モチーフは考えずとも分かった。これは彼女の兜にあしらわれた角と全く同じ形だ。つまり、この横顔はクリス・O・テイシアのものである。まぁ、流石にそうとは分からないように強くデフォルメされているが。

なんならちょっと遠くから眺めると、楽士章の正式な構図にそっくりなシルエットになるよう描かれている。つまりこの大袈裟な壁画はクロウが、クリスだけに宛てたエールだったのだ。


(…ばかやろう)


ファド・パンチがショートマントの刺繍に手をかざすその中で、クリスはそっと微笑んで、また、涙を流した。


 街道を通り過ぎていくファドの背を見送りながら、クロウはこれからのことを考えていた。彼女相手に啖呵を切ったからには、実現のためのプランが無いわけでは無かった。身体能力だけを鍛えたとて間も無く頭打ちになってしまうだろう自分を、更に高めるための方策。いよいよ父親に言われた「知識の活用」を始めなければならない。自分の頭の中の本棚から、棚卸しを始めなければならない。


(気合い入れて頑張らんとなぁ。とっとと追いつけるよぉに)


ふと、唇を風が撫でた。もう冬も目の前だというのに、確かな温かみを帯びた風だった。そして、


「楽しみにしてるぜ、クロウ?」


リバーブのかかった声に驚いて街道の先を見る。ファドは周囲に手を振りながら、少しだけ、視線をこちらに向けたような気がした。


「…へへ、なんちゅーアクトじゃあ」


クリスはこうして、彼を焚き付けた。火の勢いを強めた。自分が将来「おいしいマシュマロ」にありつくために。



 ギーガー邸(うち)がこのごろ騒がしい。と、エコーズは感じていた。

まずは道場。言わずもがなウェイドとサマルが鍛錬に励む訳だが、この間のバーンナップ騒ぎで自信を付けたのか、彼が積極的に攻勢に出るようになったので打ち合いの激しさは以前と比べものにならない。


加えて、鍛冶場。

川沿いに建てられたギーガー邸の鍛冶場にはエコーズの父エクスと、彼の弟子兼作業員が数人おり、日々仕事に励んでいる訳だが、最近ここから時折やっっかましい声が聞こえてくるようになった。


「なぁるほどぉ! 重低音の剣(スパーダ・ディ・バッソ)の音鋼は、実質合金みたいなモンじゃったんかぁ!!」


「そうだとも、クロウくん! マサ・メタルの比率が全てのカギなんだ。だが初代も先先代も、肝心のそれを遺していないんだ。ぜひ、我々の手で解き明かそうじゃないか!!」


 父はこんな大声を出すことがあるのか、と、呆然とする縦ロール。例の事件で壊れたヴィオラを「自分で修理させて欲しい」というので、そういうことなら?と了承してエクスに仲介したことと、現在の状況を半分面白がってもいる自分が悔しくてしょうがない。どうもあんちくしょうは、鍛造技術を学んで自分専用のヴィオラを作り上げようとしているらしい。そんなことが本当にできるならば、まぁ見てやらないこともないと思っている。


 ぼーっとよそ見をしていたら今度は目の前の道場で一際大きい響きが聞こえた。驚いて視線をコートに戻すと、なんとサマルの背に、ウェイドのバックラーが添えられている!


「うっげー、マジかよ!?」


サマルも珍しく呼吸が荒いが、ウェイドはいっそう息を乱して、大粒の汗を浮かべている。お互いに構えを解いて一礼すると、彼はその場にへたりこんでしまった。すかさずエコーズは、タオルを2枚引っ掴んで駆け寄った。それを差し出す頃には、すっかりすまし顔で。


「お疲れ様でしたわ、お二人とも。念願叶ったりってカンジかしら?」


ウェイドは礼を言ってタオルを受け取るなり、顔中をがしがし拭いとった。


「一本取っといてアレだけど、ぜんっぜんそんな気がしない…現場で毎度こんなのやってたら肺が何個あっても足んないよぉ」


「ほーん、肺がいっぱいありゃあまた私から一本取れるってかい?」


サマルがファイティングポーズを取ると、ウェイドは大袈裟にひっくり返った。


「勘弁してください! 流石に今日はもうムリ!!」


「あら、残念ですわ。もうすぐフレディもこっちに来るのに」


エコーズが口走った瞬間に、「噂をすれば影がさす」の文字通りに小走りの音がやってきて、景気良く道場の扉が開く。


教官殿(マム)! 実はちょっと前から見てやした、アタシも混ぜてくだせぇ!!」


「おっけぇやっちまおうぜ!」


 なぜそんな余力があるのかわからない、という感じのウェイドに肩を貸しながら、エコーズは一緒に外へ出る。すぐそばの溜池のベンチに並んで座るとすぐに、フレディの高音双剣(ソプラノ・スパーダ)のハイトーンが聴こえてくる。反対側からは、相変わらず鍛冶場の男どもの楽しそうな声が響く。


「エコーズ」


呼びかけられて、ウェイドの方を見る。ほんのさっきまで死にそうな顔だったのが、すっかり穏やかな丸い表情で「楽しそうだね?」と訊いてくるので、「まぁね」と返した。自分ももしかしたら、彼と同じふうになっているのだろう。


「だって、こんなに賑やかなの初めてよ? 何もかも変わってしまったわ。貴方のせいね」


「謝ったほうがいい?」


「ふん、しーらない」


ちょっと間を置いて、ふたりで吹き出した。


「きっと、みんな変わったんだよ。みんなが自分のやるべきことを見つけたし、決めたんだ。しかも強い力で前に進んでる…本当にすごいよね」


なんだか、遠い景色を眺めて感嘆しているみたいだ。

自分だってそのひとりだろうに、とエコーズは可笑しくなった。


「そういうウェイドは、何を見つけましたの?」


「ボクはたぶん、もっとタフになんなきゃいけないんだ。この何ヶ月かは特に、そう思わされる出来事がいっぱいあったし」


目立ちにくいハズの深いブラウンの瞳は、こちらへ向くと何故か少し眩しい。なのに虹彩の隅々までじっくり見たくなる。彼がエコーズと話すときにはしょっちゅう、よーく目を覗き込んでくることへの仕返しも込めて。


「だから、もっと難しい打ち合いにもトライして、特技以外のことにもどんどんチャレンジしてこうかなって。テンポは同じでも、より傾斜のキツいとこを歩いてこうって、思う」


受け取ったはいいが、なんて言おうか。すぐに一言浮かびはしたが、口の代わりに手がよく動く。「ほんと、そういうところ…」まで出してみたはいいが、やっぱり恥ずかしくて、彼の肩に頭を預けるだけにした。一方で、後に何が続くのかはちゃんと伝わっている。だからウェイドも黙って、エコーズの手に自分の手を重ねる。彼女にとって強く大きな手は、相変わらず熱っぽく感じた。


ふたりはまどろみのようなものを感じながら「ずっとこうなら良いな」と考えつつも「そこで満足しなかったから今がある」ということをよく分かってもいた。


何より、流れ続ける"時"こそが、彼彼女らがその場に留まろうとすることを許さなかった。


2章 秋 完。

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