◆8 へっ。王様が死んだんだ。この王宮にもはやアンタを庇うヤツはいないさ。
私、ソルニア王女は、王宮奥の院にある自室に入って、ベッドに潜り込んだ。
思い出されるのは昔ーーまだお兄様のオジェと仲が良かった頃の情景だった。
私、ソルニアにとって、オジェ王太子は、小さい頃には一緒に遊んでくれた、頼もしいお兄様だった。
側室の子、正室の子といった大人の事情が二人の仲に入り込んで来たのは、十歳頃だろうか。
十五歳成人を迎えた頃には、抜き難い身分差がある、と二人の間で認識されていた。
実際、父王様から声が掛かるとき、先に呼ばれたのはいつも私、ソルニアだった。
でも、幸いなことに、王位継承権において優先されるのは男子だったので、いずれ王位を継ぐのは兄のオジェであることが確実視されていた。
そのおかげで、後援派閥を巻き込むような、無駄な対立をせずに済んだ。
正室と側室の別ーー実家の家柄による差別が、継承権における男性優先によって著しく緩和されていたのだ。
ゆえに留学するときは、兄のオジェは、私が王妃代理になることを祝福してくれたうえに、「自慢の妹だと学友に教えるためさ」と称して私、ソルニアの肖像画をペンダントにして懐に忍ばせて持って行ってくれたほどだった。
それなのに、留学から帰ってきたときにはすべてが変貌していた。
融通の効かない優等生が、放埒な放蕩者に変わってしまったのだ。
いや、我が国に帰って来てからではない。
留学中に、それも一年目くらいから夜遊びをするようになっていた。
仕送り金を都合つけていたのは私であったから、兄の行動習慣の変化を金銭の動きでつぶさに把握していた。
おそらく、留学一年目の段階で、授業に付いていけなくなって、それから捨て鉢になったと思われる。
私の肖像画が入ったペンダントも下級生にくれてやったと言っていた。
次第に同じように成績の悪い者同士がつるんで授業をサボるようになり夜遊びを覚えた。
そこを政治利用しようとするバンシェル帝国の手の者に乗じられて、持て余し気味の第三皇女を兄に押し付ける算段を付けたに違いない。
あの頃はバンシェル帝国との関係を良好なものにしたいと苦慮していたので、父王様の強い勧めもあったため、事後承認という形ながら、兄が帝国皇女と婚約するのを祝福した。
だが、事ここに至っては、この婚約こそ最大の失敗だったと思う。
(ああ、留学先で、あのパスワケレス皇女に出逢ったんだ。
あの女とつきあいだしてから、兄は変わってしまった……)
もっと、パスワケレスの人となりを見て知ってから兄との婚約の是非を決めるべきだったのだ。
王位を継承することが確実な王太子だったのだから、婚姻はもっと慎重に決めるべきだった。
どこか、「側室の子」という扱いに慣れ切っていたせいで、兄の婚約を軽く考えてしまったのではないか。
父王様も、宰相も、そして私、ソルニアも。
反省しなければならない。
あの時の判断の甘さが、私が王宮から追放され、まだ会ったことも見たこともない蛮族の許に嫁がされる結果を招いたのだ。
こうなるとわかっていれば、宰相のイエギド公爵が勧めてくれた、私を王位に押し上げようとする計画に乗るべきだった。
とはいえ、それはこのような結果になったがゆえの「後追いの後悔」であり、実際、今でも私、ソルニアは「マルチノ王国の国王になりたい」とは思っていない。
王妃代理や王権代理といった職務に邁進できたのも、こうしたお役目は数年すれば終了して、いずれは誰かと結婚して家庭を築き、家を守る貴族夫人となるのだ、と信じて疑わなかったからだ。
それなのに、紛争地帯に巣食う蛮族、それも噂では五十を超えた男で、しかも第八夫人に押し込められようとしている。
なんて酷い仕打ちだろうかーー。
そんなことに思いを馳せていると、いきなりドアが、コンコンとノックされた。
私は「どなたですか」と反射的に問いかけた。
が、ドアの向こうから返答がない。
ここは王宮、しかも王族のみが住まう奥の院である。
王権代理の任を解かれたとはいえ、部屋の前には護衛騎士が常駐しているし、すぐ隣には侍女が控えている小部屋もある。
そういう意味では、夜分に自室のドアをノックされることは、通常、あり得ない。
ーーそこまで考えて、ようやく私は「しまった!」と思い、両手で口を塞いだ。
「どなたですか」と反射的に問いかけたことによって、王女がこの部屋にいることを、外の者に知らせてしまったのだ。
案の定、今度はドカドカ! と大きな破裂音がして、斧の刃がドアノブあたりに食い込んで、ドアを破壊した。
こじ開けられたドア板を踏み付けるようにして、五、六人もの男どもが押し入ってきた。
皆、全身を黒い炭で塗られた革装束を身にまとっていた。
「誰か!」
と私は叫んだが、大柄な男二人から体当たりを喰らい、ベッドの上に押し倒されてしまった。
そのまま何人もの男にのしかかられ、口には猿轡を噛まされ、両手両足を紐で縛られ、ベッドの四隅の柱に括り付けられてしまった。
私は口をモゴモゴさせながらも、
「あ、あなたたち、私が王女と知って……!?」
と抗うと、目の前にのしかかったリーダーらしき男が、
「へっ。王様が死んだんだ。
この王宮にもはやアンタを庇うヤツはいないさ」
と鼻息を荒くしながら答えられた。
(どうやって、こんな暴漢が王宮深くにまで……!?)
もちろん、王宮の、しかも王女の寝室に、自由に暴漢が入り込めるわけがない。
案の定、黒幕が男どもの後ろから姿を現した。
白い寝巻き姿のパスワケレスであった。
私付きの護衛騎士や侍女を追い払い、暴漢どもを率先して手引きしたのだ。
すっかり本性を表したパスワケレスの顔は、眉を吊り上げ、唇を大きく歪めて、じつに醜かった。
いったいどうして、帝国の皇女が、これほどまでに私を憎んでいるのか理解できない。
彼女の寝巻き姿はとても扇情的だった。
わずかな布面積しかない下着に、ローブも薄い生地で、殆ど肌が透けて見えるほどだった。
性に奔放な普段の生活が窺われ、この妖艶な雰囲気に兄は呑まれて、言いなりになってしまったのかと思うと、情けなく思われた。
兄の許婚者は、ペッ! と私、ソルニア王女の顔に唾を吐きかける。
「良い気味ね。
もう、明日からはワタシがこのマルチノ王国の王妃なんだから、口出ししないでよね」
「私が何をしたというの?」
「しらばっくれて!
オジェとの婚約に反対し続けたそうじゃない!?」
「貴女の国との付き合いが難しかったからよ。
それに、私は反対していないわ。
父王様が積極的だったから、貴女と兄の婚約は認めたわ。
第一、私や父王様が認めるも何も、先に婚約の約束を互いに交わしていたというじゃないの。
貴女のご実家であるバンシェル帝室から、兄の手紙よりも先に、貴女たちが学友たちが見守る中、婚約を果たしたと報せる書状をいただいたわ」
「そうは言っても、いつ婚約をご破算にされるか、気が気じゃなかったんだからね。
でも、今はあの憎いサウルス王もいないし、あの馬鹿オジェも私の言いなりになったわ。
私の言いなりになった方が、自分が考える必要がないと気付いたみたい。
オジェを操り人形にするのは簡単だったわ。
ちょっとした嘘をついたのよ。
オジェの実母である側室シャロワが、じつは公爵家の出身で、貴女、ソルニアの実母カドリーが平民出身だった、とね。
本当は真逆なのにね。
でも、そんな安っぽい嘘にオジェがあっさり引っ掛かったのは、貴女たちが悪いのよ。
オジェが将来の国王だからって気を遣って、シャロワの出自が踊り子であることを隠していたのだから。
その逆だったと嘘を吹き込んだら、オジェはその嘘を喜んで信じたわ。
もちろん、そうした『嘘を吹き込んであるから、筋書きに従ってね』と、シャロワから許可も取ってあるわ。
彼女も、『息子さんのための嘘ですよ』と言ったら、喜んで受け入れたのよ。
さすがは平民親子、卑しさが出てるわね。
すっかり嘘を信じ込んだオジェは、留学先の街角にある酒場で、顔を真っ赤にして言ってたわ。
『やっぱり僕の実母は歴とした貴族出身の姫君だったんだ。
それなのに、平民の血である妹が王妃や王権の代理職に就くだなんて!』って」
やはり、この兄の許婚者パスワケレスが、留学中の兄に虚偽を吹き込んで、マルチノ王家の分断をはかったのか。
合点が入った私は、男どもにベッドに括り付けられた姿勢ながらも、ペッ! と生唾を吐き返した。
唾はパスワケレスの瞳に入って、キャアア! と悲鳴をあげた。
そして逆上した皇女は、用意していた小瓶の栓を開け、私の顔に液体を振りかけた。
きゃあああああ!
今度、悲鳴をあげたのは、私、ソルニア王女の方であった。
薬品を振り掛けられた右半分の頬はジュウ、と音を立てて白い煙をあげた。
女王の顔に、灼けるような激痛が走る。
皮膚を溶かす、帝国において拷問の際に使われる薬液であった。
顔が熱を帯びるとも、両手両足を縛られた私は、焼け爛れた頬に手を当てることすら出来ない。
涙を溢れさせて耐えるしかない。
視界が白く掠れる中、兄の許婚者が嬉しそうに笑みを浮かべているさまが映り込む。
顔中に感じる熱のせいで意識が朦朧となる中、無慈悲なやり取りを耳にした。
「おまえたち、この女、好きにしていいわよ」
「やりい!」
「へへへ!」
身動きが取れない私は、暴漢どもに良いように弄ばされてしまった。
顔が灼ける痛みに耐えかね、さらには暴行された衝撃もあり、私は意識を失った。
◇◇◇
それからどれほどの刻が経ったであろうか。
私、ソルニア王女が気が付いたときには、手足に鎖が付けられていた。
自分の右頬からは相変わらず熱を感じるが、鏡もないので、どういう有様になっているのかもわからない。
手を当てて頬の焼けるような痛みを和らげたかったが、両手を鎖で壁に繋がれているのでままならない。
声を出して泣いても、誰も反応する者がいなかった。
結局、私、ソルニアは、兄オジェの新王即位の戴冠式を見ることも、それに続いてパスワケレスが王妃、シャロワが国母となる儀式も見ることもなく、一週間も地下牢に閉じ込められることになる。
ようやく私が解放されたときは、意識が朦朧とする薬をたっぷり飲まされたうえで、純白のウエディングドレスを身にまとわされていた。
結婚式の花嫁という役割を担わされた状態であった。




