◆7 もう王権代理ではないのだから、さっさと冠を脱いで、王宮から出て行ってくれない!? 貴女には蛮族の禿げジジイの連れ合いがお似合いよ!
まだ、さして寒くなっていない、秋の夜ーー。
父王サウルス・マルチノが亡くなった。
病床に伏してから十年ほどが経っていた。
たしかに、いつ亡くなってもおかしくない状態であった。
ただ父王陛下が血を吐いて亡くなったのが、ちょうど兄の許婚者で、仮想敵国バンシェル帝国の皇女が王宮に乗り込んで来たときであった。
しかも皇女パスワケレスは、まるで父王様が亡くなるのを予告するかのような発言をしていた。
怪しみながらも、父王サウルスが伏せっていた寝室へと、私、ソルニアは駆け込んだ。
だが、臨終には間に合わず、すでに父王は亡くなっていて、顔には布をかぶせられていた。
脈を見ている医師は、いつもの見知った医師とは違っていた。
列席している人物を見れば、王宮侍従長をはじめとした、父王付きの侍従や侍女たちだけであった。
ほかには、たまたまこのとき王宮にいた宰相イエギド・カルボン公爵、内務卿レビュー・ブック侯爵、外務卿リオ・ネロ伯爵といった重臣たちも参列していた。
兄オジェとその実母シャロワ、兄の許婚者パスワケレスを除けば、皆、信用のおける人たちで、顔見知りばかりだった。
宰相イエギド公爵は、私の肩に軽く手を置いて慰めた。
「ソルニア王女殿下。
貴女様の長年に渡るお働きを、父王サウルス陛下は、とても満足しておられた。
『余などよりも、よほど国王に適しておる』
とすら仰せになっていました」
私は目尻から涙を拭うと、微笑みを浮かべた。
「そのような褒め言葉は、生きておられる時に直接、伺いたかったですわ。
もう私は政務はうんざりなんですけどね。
お父様が喜んでくれていたのなら、やり通した甲斐がありました」
十年も床に伏せていた父王サウルスである。
亡くなったとしても、「ようやく旅立ったか」としか思わず、涙も出ないんじゃないか、と思っていた。
それなのに、思いのほか、冷たいものが頬を幾筋も流れるのを感じた。
思わず窓の外に広がる星空を見上げる。
今頃は、お母様と一緒にあの世でワインを酌み交わしているのではないかと思うと、なんだかホッとする思いだった。
私、ソルニア王女が王妃代理、そして王権代理となってから七年ーー。
長いようで、あっという間だった。
それでも、ようやく私は肩の荷が降りた気分であった。
◇◇◇
王室典範の規定により、父王サウルス陛下が亡くなると同時に、ソルニア王女の王権代理の任は解かれ、父の死後に発見された遺言により、『委細は後継者であるオジェ王太子に任せる』こととなった。
そして一週間の喪が開けた直後ーー。
兄であるオジェ王太子に、私、ソルニアは謁見の間に来るように呼ばれた。
謁見の間に訪れてみれば、玉座には兄オジェが腰掛け、脚を組んでいた。
随分と横柄な態度である。
左右の壁際には、今まで見かけない者どもが居並んでいた。
私にとってのお馴染みの貴族たちが、一人もいなかった。
しかも、その貴族どもが身にまとう服装は、よく見かける、この国の貴族紳士の礼服とは違って、襟が無闇に高く、袖口あたりには白いヒラヒラが付いていた。
話に聞く、海の向こう、バンシェル帝国風の服装だと思われた。
玉座を前に、礼式通り、ドレスの裾を軽く摘んで片膝立ちになる私に対して、
「サプライズがある」
と兄のオジェ王太子は胸をそり返した。
「もう聞き及んでいると思うが、明日、俺は新王に即位する。
ソルニア、おまえにも異存はないだろうな?」
私は黙って頷く。
それは当然だ。
側室の子息ではあるが、王族直系唯一の男子であるし、二十七歳というのも少々若いが、国王に即位するのに十分な年齢である。
左右に列する連中の人数から見ても、すでに貴族からの支持もあるようであった。
が、聞き捨てならないことを言われた。
「俺は即位すると同時に、パスワケレス皇女と結婚して、このマルチノ王国の王妃とするぞ。
文句ないな!?」
私、ソルニアは顔を上げた。
「それは、いきなり過ぎませんか?
父王陛下の喪があけたばかりで、それは……。
それに、バンシェル帝国の動向がいまだ明らかでないことにはーー」
明日にも新国王となる兄に対して、慎重になるよう訴えようとしたが、その私の言葉にかぶせるように、
「ご心配に及びませんわ」
と発言した女性がいた。
兄が座る玉座の背後から、今、話題にのぼっていた許婚者パスワケレスが姿を現したのだ。
許婚者オジェの父王の喪中があけたからとはいえ、謁見の間で身にまとうには、随分と艶やかな服装であった。
真紅のドレスで、胸元には大きな黄色い蝶を象ったブローチが飾られており、腰に巻かれたベルトは白く、極端に裾は短く、太腿までが白く露出していた。
実際、彼女のルーツであるバンシェル帝国は、これほど服装が派手で自由なのだろうか。
我がマルチノ王国よりもタイトな文化と聞いているのに、彼女の装いはまるで派手なものだった。
そんな皇女パスワケレスに感化されたのだろうか、兄のオジェ王太子は、留学する前は、割と性的なことに関心がなさそうだったのに、彼女と婚約を果たした後は、彼女と人前でいちゃつくばかりか、他の女の尻までニヤニヤしながら追いかけるほど、締まりのない男になり果てていた。
今も妹相手に、兄は好色そうな目付きで提案してきた。
「ソルニア、おまえも今まで、さぞ、大変だっただろう。
王妃代理、王権代理、お疲れさま。
ということで、どうだ、おまえも結婚すれば? ん?」
兄が思いもしなかったことを口にしたので、私は目を丸くした。
「私が?
ご冗談を。
お相手もおりませんのに」
「居るんだよ、それもちょうど良いのが。
俺が新王に即位した暁に、新たに国交を開きたい部族国家があってな。
その国の第四王子だ」
兄のオジェがほくそ笑むのみならず、パスワケレスも玉座の右側の肘掛けにもたれて紅い唇を歪める。
たしかに明日、兄のオジェが新王に即位したら、妹ソルニア王女の結婚相手の決定権は彼のものとなる。
私、ソルニアは顔から血が退く思いがした。
「それは、いったいどの国ですか?」
「ジャバイ族長国だ。
最近、建国されたばかりというからな。
どれだけ保つか知らんが、おまえも腕の振るい甲斐があるだろう?
元王権代理としては」
「ジャバイ族といえば、海の向こうにあるバンシェル帝国よりもさらに南の紛争地帯ブーブルに巣食う一族……彼の地は未開な部族ばかりが巣食う土地ではありませんか!?」
「そうだよ。
だから、その蛮族の王子に、おまえが宮廷マナーのひとつでも教えてやってはくれんか?」
兄のオジェは顎を突き立てて得意そうにしている。
その隣で、パスワケレスが扇子で口許を隠し、クスクス笑っていた。
「私の祖国にとっても、渡りに船なのですよ。
オジェ様と話し合って、貴女がご結婚するに最適のお方ではないか、と」
私は顔をあげ、真っ直ぐ玉座の兄を見詰めた。
「その縁組はバンシェル帝国にとっては利がある話でしょうが、我がマルチノ王国にとってはそうではありません。
私自身、マルチノの王女として政略結婚をする覚悟はありますが、王国のためにならない婚姻はーー」
ここで兄のオジェは、ダン! と大きな音を立てて足を踏み鳴らした。
「王国のためになるかならないかは、国王である俺様が決めるんだ!
ソルニア、おまえではない!」
兄の発言を受けるように、今度は私の背後から声がかけられた。
いつの間にか、シャロワ妃が控えており、口を挟む。
「まだわからないの?
貴女はもう王権代理ではないのよ。
先妻の娘である貴女は用済みなの。
政治の一線から引退してちょうだい!」
喪があけたばかりだというのに、側室とはいえ、仮にも亡きサウルス国王の伴侶であったにもかかわらず、シャロワは歳に似合わぬピンク色のドレスを身にまとい、青い薔薇を模したブローチを胸元に付けた格好であった。
半身を捩りながら、私は声を張り上げた。
「ええ、もとより引退するつもりでした。
ですが、そのような無益な結婚はーー」
だが、抗弁すること自体が無駄だった。
マルチノ王国にとって、殆ど価値のない、恥多き婚姻を組ませて、私、ソルニアを王宮から追い払うーーそれこそが、兄のオジェとパスワケレス、シャロワの狙いだったのだから。
玉座の傍らから、パスワケレス皇女は扇子を広げて自らを煽ぎつつ、私に対して目を細めながら言った。
「ウザかったんだよね、貴女は。
もう王権代理ではないのだから、さっさと冠を脱いで、王宮から出て行ってくれない!?
貴女には蛮族の禿げジジイの連れ合いがお似合いよ!」
居並ぶ貴族連中もゲラゲラと哄笑する。
そして、玉座の前で片膝立ちとなっている私に、聞こえよがしの噂をする。
「蛮族は十人近くも妻を娶ったりするんだろ?」
「しかも、来客があると妻を夜伽に差し出す風習があるとか」
「ほほう。まるで売春宿の元締めだな」
「お相手となるのは第四王子とは言っても、もう五十二歳なんだろ?
殆ど父親の年齢と言っても差し支えない年の差婚だな」
「それも八番目の妻だそうだ」
「王権代理から、凄い転落振りですな」
あっははは!
哄笑の只中で、私、ソルニアは唇を咬む。
私を嘲笑う連中には、見知った者は二、三人しかいない。
あとの二十数名は、見覚えのない者たちであった。
服装は金銀で刺繍された華美なもので、大半の者の襟が高かった。
やはり海の向こう、バンシェル帝国の服飾文化を積極的に取り入れたスタイルに思われる。
ここ数日で、王宮の様子は随分と変わっていた。
放蕩者の兄が我が物顔で振る舞っているだけでなく、兄に媚び諂った者どもが整列し、それらを操る、パスワケレスやシャロワの得意げな様子を見るにつけ、父王サウルス陛下がほんとうに亡くなってしまったのだ、と実感されて、私は寂しく思った。
「宰相のイエギド・カルボン公爵は!?
リオ外務卿やレビュー内務卿は、どうしたの!?」
私が問いかけると、ヤレヤレとばかりに、玉座の主が溜息をつく。
「おまえと懇意にしていた貴族どもを、俺が逃すわけがないだろ?
ほんと、いつまでも王権代理気分でいないでくれよ、ソルニア。
マルチノ王国のために、今まで頑張ってきたんだろ?
だったら、最後までおとなしく王国の犠牲になってくれよな」
ニヤつく兄の顔を睨み付けて、私は立ち上がる。
「……愚かな。
即位前に、すでに国家の屋台骨を自ら破壊するとは。
父王陛下はさぞお嘆きになっておられるでしょう!」
捨て台詞を残して、私、ソルニアは身を翻す。
だが、周囲は敵ばかりであった。
兄や帝国の皇女、異母だけではない。
華美な服装に身を包んだ見知らぬ者どもが、皆、私を嘲る。
男は肩を揺らし、女は扇子を広げてその裏で笑い続けていた。
子供の頃から見慣れた建物の中で、いつの間にか、見知らぬ人たちに囲まれていたのだ。
あたかも言葉の通じない外国に、群衆の中に独りで放り込まれたような、強烈な孤独感に私は襲われた。
私、ソルニア王女は人々から嘲笑われる中、謁見の間から走り去るしかなかった。




