◆4 おまえはわかっておらぬ。余が心配なのは、この王国の行く末だ。
マルチノ王国の王権代理を務める私、王女ソルニア・フォン・マルチノは、政務事案を除けば、二つの家庭内問題に頭を悩ませていた。
一つは、三歳上の兄オジェ王太子が放蕩三昧で、まるで役に立たないこと。
そしてもう一つは、病床にある父王陛下が不平不満ばかり口にして、相手にするのがしんどくなったことだった。
当時、父王サウルスは介護を必要とする病人であった。
介護を担う侍女たちと交流を密にして、時折、自ら食事を手伝ったり、身体を濡タオルで拭いたりしているが、齢六十五ほどながら、父王は衰える一方だった。
最近は呂律も廻らなくなり、意思疎通もままならなくなっていた。
発言内容も、疑心暗鬼を募らせるものとなっていた。
私、ソルニア王女が寝室に入ると、ベッドの上で半身を起こした父王サウルスは、開口一番、悪態をついた。
「遅いではないか!」と。
侍女に持って来させた果物が盛られた大皿とコーンスープが満たされた皿が載るトレイを、ベッドの脇に設置された丸テーブルの上に置くと、私は看病用の椅子に腰を下ろす。
「お父様とお母様の仕事を、いっぺんに両方こなしているのですから、何かと忙しいのです」
そう答えてから、父の手を握り締めて対話を始めた。
父の手は想像よりずっと筋張っていて、無数の皺が刻まれていた。
「余は心細いのだ。
余が死んだらどうなる?」
「お母様の許に行かれるかと。
もしお母様にあの世でお会いになられれば、私は元気でやってるとお伝えください」
「余は怖いのは、己の死ではない。
天国などというものは、宗教家どもがのたまう戯言だ。
余は信じてなぞ、おらぬ」
「だとしても、すべて生まれた者は、いずれはあの世へ旅立つのです。
諦めるしかありませんね」
「おまえはわかっておらぬ。
余が心配なのは、この王国の行く末だ。
そしておまえのーー」
(また、父王様の心配性が始まった……)
私、ソルニアは話を逸らすためにも、スプーンを手に取ってスープを掬い、父王サウルスの食事の介護を始めた。
「さあ、お口を開けて。
お父様が食べたら、私も一緒に昼食をいただきますので」
一緒に食べるとはいっても、父への介護のため、自分の食事は後廻しになりがちだが、仕方ない。
父王はクチャクチャと咀嚼音を立てながら、しばらく黙っていたが、急に真顔になって言い始めた。
「余から引き継いだ従者や侍女とはいえ、誰が相手であっても、気を許すなよ。
余が毒を盛られている可能性もあるのだ。
それにオジェーーおまえの兄貴に注意しろ。
外国帰りには警戒を怠るな」
父王サウルスに近侍する者はすべて、私が物心ついた頃にはすでに忠勤に励んでいたメンバーだ。
今更、父王様を害したところで、不利益しかないだろう。
それに、兄を「外国帰り」と言うが、北方のミエイ神聖皇国への留学を決めたのは父王様ご自身なのに、何を今さら警戒するというのか。
ミエイ神聖皇国とは友好的な付き合いを維持しているし、何より遠方の国家だ。
直接、隣接する国家ほど警戒の必要はない。
やはり人を疑うようになっているようだ。
食べたら気を落ち着かせたとみえて、父王様はあっという間に眠ってしまった。
これまでの時間で、随分と政務に遅れが出てしまった。
宰相イエギドは、さぞ苛立ちながら待っていることだろう。
部屋を出る際、主治医と顔を合わせたので、
「病気の回復の見込みは?」
と、父王様の容態を尋ねた。
すると、いつもは首を横に振て、溜息ばかりをつく宮廷医師は、珍しく明るい声で答えた。
「陛下は現在、気弱になっておられますが、身体は最悪の状態から持ち直しつつあります。
近いうちに政務に復帰できるかもしれません」
私の表情はパッと明るいものとなった。
だが、良く考えたら、それは朗報と受け取って良いものか、どうなのか。
父王様は政務に復帰される前に、疑心暗鬼の念を鎮めていただかないと、暴君になられるかもしれない……。
ーーなどと、当時の私、ソルニア・マルチノ王女はじつに呑気で、愚かな判断をしていたのだろうか。
今、思い返せば、臍を噛む思いだ。
病床に伏せながらも、父王サウルスは正しい警告を、娘の私にしていた。
それなのに、それを耄碌したと思って、私、ソルニアは聞き流してしまった。
当時の私は、目の前に山積みされる政務に邁進するあまり、水面下で動いていた陰謀にまるで気付いていなかったのである。




