◆2 ほんとうに悔しい。こんな馬鹿な兄に、今まで築き上げてきた実績をすべてご破算にされるだなんて。
私はマルチノ王国の王女ソルニア・フォン・マルチノ。
父王サウルス・マルチノは長らく病床に伏せっており、私の実母カドリー王妃が亡くなってからは王妃代理となっていた。
父王が病床にあったために事実上、七年間も国王の仕事を代行し、王権代理とも呼ばれていた。
宰相イエギド・カルボン公爵の助けもあって、国内では殖産興業の推進、国外では国防を主とした様々な交渉をこなし続けてきた。
それなのに、父王サウルスが亡くなり、兄のオジェが国王に即位した途端、兄の婚約者だったパスワケレスが王妃に、父の側室だったシャロワが王母となった。
そして同時に私、ソルニアはあらゆる権限を剥奪され、強引に蛮族のジャバイ族の第四王子の許に嫁がさせようとしていたのだ。
五十代の、肥満体の禿げ男の許に。
しかも第八夫人として。
王権代理を務めた王女として、これ以上の屈辱はないーー。
兄オジェの実母であるシャロワと、兄の結婚相手であるパスワケレスらが結託して、私、ソルニアを貶めたのだ。
彼女たちが様々な陰謀を働いてきたことが、今ならわかる。
私は、結婚式場の左右側面に居並ぶ貴族たちに声をかけた。
「誰か……こんな結婚、辞めさせて。
オジェ新王、そしてパスワケレス新王妃の暴挙を止めてください。
このままでは、マルチノ王国は失われるーー」
ところが、壁に沿って並ぶマルチノ王国貴族どもは皆、ヘラヘラ笑っているだけだった。
ザッと見廻したら、良く知らないーーつまりは共に仕事をしてこなかった貴族ばかりだった。
いつも一緒に執務をしていた宰相イエギド・カルボン公爵や内務卿レビュー・ブック侯爵、外務卿リオ・ネロ伯爵といった、実力派貴族たちの姿がなかった。
兄のオジェは興奮して声を裏返した。
「ハッハハ!
おまえの腰巾着どもは、皆、牢獄行きになってる。
宰相も外務卿も、内務卿も、だ」
「どうして……お兄様にそこまで恨まれる覚えはないわ」
「うるさい。
俺は外国に留学して、ほんとうに良かった。
父王やおまえからかけられた洗脳が解けた。
俺と母君は不当に貶められてきたのだ。
側室だからと、母は王妃になれなかった。
しかも俺が留学している間、妹であるおまえが王権代理になっているだなんて。
俺が王国内に居たとしても、父王は俺を王権代理になどしてくれなかっただろう。
側室の子だからだ。
ところが、どうだ。
俺は秘密を知ったんだ。
じつはおまえの母親ーー王妃だったカドリーこそが平民出身だったというじゃないか!
それなのに、俺の母親シャロワを、公爵家の娘だったのに、平民の踊り子呼ばわりしやがって!
俺と母君は、父王と亡き王妃に嵌められたんだ。
そしておまえのような平民の血が流れた卑しい妹が、兄である俺様から国を盗んだんだ。
ようやくマルチノ王国が、俺のものになった。
俺の好きに出来るんだ!」
兄のオジェは顔を真っ赤にして叫ぶ。
だが彼が訴えた内容は、まるで事実ではない。
私の亡母の実家はオクシタニア公爵家であり、今でも親交がある。
対して、兄オジェの母親シャロワは里帰りをしたことがない。
それだけで明白ではないか。
事実、本気になって怒っているのは兄のオジェだけで、兄の実母シャロワや新王妃のパスワケレスですら、笑いを堪えていた。
嘲笑った顔をしているのは、その女性二人だけで、あとの人たちは、目をあらぬ方角へ向けたりして、兄に言いがかりを付けられる私から目を逸らしていた。
「あはははは!」
私は大声で笑った。
口を開けるだけで顔の右半分が痛むが、込み上げる衝動をどうしても止めることができなかった。
「まったく、お兄様、こんなことじゃあ、いつまで王冠を頭に戴けるものか、わかったものじゃありませんわね。
誰に唆されたのか知りませんが、そんな見え透いた嘘を信じるような人物だから、お兄様は父王様から信用されなかったのよ。
お兄様のお母様であるシャロワ妃を良くご覧なさいな。
四十を超える年齢になっても、相変わらず貴族婦人としての礼儀作法も弁えず、外国語も喋れず、基礎的な法知識もない。
国政に興味を示さず、宝飾品を買い漁って、舞踏会で踊るばかり。
父王様がどうして、お兄様とその実母を政務に携わらせなかったか、少し考えればわかるはずですよ。
念の為に言っておきますが、私は、平民だからと言って無能呼ばわりするつもりはありません。
現に、政府では大勢の平民出身の官僚が働いておりますから。
でも、お兄様と、その母シャロワは駄目です。
政務に携わろうという気概もなければ、そもそも人を観察して自分で判断する力がない。
事実、平民言葉しか使えず、踊りしかできない母親を公爵家出身だと信じ込まされるほど、お兄様は物事を観る眼が致命的に欠けている。
せっかく父王様や宰相閣下が帝王学を教えようと教師を何人も与えているのに、授業をサボって逃げ出す始末。
男子が王位を継ぐものとはいえ、上手く王国を維持できるか、父王様も不安になられてイエギド公爵やレビュー侯爵からの補佐を良く受けられるよう人事も手配していたのに、それもすべて壊してしまってーーお兄様はきっと我がマルチノ王国を没落させてしまうに決まっているわ。
それこそ外交の場に出てみなさいな。
お兄様がいかに無能者なのか、さすがにおわかりになるでしょうから。
結局、ここに居る皆は苦しむことになるでしょうね。
これからこの王国は没落していくのですから。
せいぜい自分の首が絞まらぬよう、足掻くが良いですわ!」
今に思えば父王様が言うことは正しかった。
お兄様の留学先が、友好関係にある北の大国ミエイ神聖皇国だからと、私は油断していた。
お兄様と同じ学校に、潜在的な敵国であるバンシェル帝国の皇女も留学してくるという事態を、まるで想定していなかった。
まさか、留学先で仮想敵国の皇女と婚約して、しかも洗脳されて帰ってくるとは。
まったく油断も隙もありゃしない。
ほんとうに悔しい。
こんな馬鹿な兄に、今まで築き上げてきた実績をすべてご破算にされるだなんて。
私は七年間、亡き母の遺志を継いで、マルチノ王国の国政を預かってきた。
父王様も、私が政務に携わることを望んでいた。
それなのにーーこれほど王国に尽くしてきたのに、愚かで卑怯な者どもに、すべてを奪われた。
民の生活を豊かにするために、鉱山の採掘事業や、装飾品や工具、農具の加工産業を起こし、衰弱しがちな農業を立て直した。
軍事強国に三方を囲まれながらも、積極的に協定を結んで、戦火が及ばぬように腐心した。
綱渡りのような毎日だったーー。
「お兄様たちは、何もわかっていない。
海の向こうのバンシェル帝国の言いなりになったらうまくいく、と思ったら大間違いよ。
かの帝国の歴史をご存知?
周囲の国家を併呑して領土を拡張してきた歴史を。
そして、その呑み込まれた国の貴族の大半が財産を没収され、犯罪者扱い、奴隷扱いにされて、その子孫が今も苦しんでいることを。
それなのに、そんな帝国の皇女の口車に乗るだなんて。
お兄様も、その取り巻きも、警戒心がなさすぎる。
おまけに宰相や外務卿といった有力貴族を牢獄に放り込むだなんて、まるで国を奪ってくださいって言ってるようなものだわ。
おほほほ!」
「うるさい、黙れ!」
激昂した兄は私の胸倉を掴んで殴り付け、お腹を蹴り上げる。
さすがに痛い。
吐き気がする。
床に倒れてお腹を抱えていると、兄の命令を受けたのだろう、甲冑を着込んだ騎士たちが大勢でのしかかってくる。
その時の衝撃によって床に頭を打ち、私の視界は暗転した。
私、ソルニア・マルチノ王女は、激痛とともに、意識を失ってしまったのであった。




