◆11 風はオクシタニアへ
蛮族の中年男と強引に結婚させられたソルニアは、従兄のルヴァンによって助けられて、母方の実家オクシタニア領へと逃亡した。
後腐れないよう、夫方の蛮族十人余りを皆殺しにした挙句の出奔であった。
オクシタニアはベルニア海峡に浮かぶ三つの島の総称だ。
ベルニア海峡とは、マルチノ王国がある大陸ルビンドと、バンシェル帝国がある大陸パールベルデに挟まれた海域をさす。
帆船で片道三日かかり、それなりに広い海峡だ。
そのちょうど中間地点に、オクシタニアは存在する。
ルヴァンの父シールド・オクシタニア公爵に謁見し、ソルニアは近況を伝えた。
シールド公爵をはじめとして、大勢のオクシタニアの人々が、マルチノ王国の元王権代理ソルニアを優しく迎え入れてくれた。
魔道具で、ソルニアの額から頬にかけて出来た皮膚の爛れを治す。
シールド公爵は、ソルニアと同じ銀髪、蒼い瞳で、申し訳なさそうな表情を浮かべて語りかける。
「治癒というよりは、復元というべきだがな」
ソルニアは、血の繋がりがある肉親から気遣われて嬉しく思い、晴れやかな顔になった。
「ありがとうございます。
感謝に耐えません」
横合いから、ルヴァン・オクシタニア公爵令息が声をかける。
「バンシェル帝国の船はすぐにもやって来るだろう。
軍船団を率いて、マルチノ王国の海軍と挟み撃ちにするかもしれん」
オクシタニアは、バンシェル帝国、マルチノ王国よりも軍事力も経済力も劣っている。
経済規模でいえば、マルチノ王国の五分の一、バンシェル帝国の十分の一といったところか。
正面からぶつかれば勝ち目はないのは明らかだった。
歴史的には二十年ほど前にマルチノ王国に組み込まれただけとはいえ、オクシタニア群島はもとより王国や帝国の一貴族の領地程度の規模しかない。
マルチノ王国とバンシェル帝国に国交を断行されただけで、経済的には干上がってしまう可能性が高かった。
ソルニアは、綺麗になったばかりの頬に手を当てつつ呟く。
「今までにマルチノ王国の王権代理として築き上げてきたもので凌いでいくしかありませんね」
シールド公爵は、中年ながら厚い胸板をドン! と拳で叩いた。
「ここらの海域は我らの庭だ。
時間稼ぎぐらいはしてみせよう」
オクシタニアの軍事力は、当然、マルチノ王国、バンシェル帝国の両国に比べると圧倒的に弱い。
兵力も武器の数も、装備から何まで、すべてが劣っている。
シールド公爵はしかし、絶望していない。
勝つための方策が、いろいろとあるらしい。
「これが使えれば、いかに敵勢が多かろうと、形勢を逆転出来るのだがな」
シールド公爵は、怪しげな筒を手にしていた。
透明なガラス製の筒のようで、中には赤い物体が浮いていた。
ソルニアは、その筒の中身を覗き込む。
「それは魔道具なのですか?」
「ああ。
この筒が魔道具でね。
これによって、あるものを長い年月もの間、新鮮な状態で保存したものだ。
我が家の家宝なんだ」
ルヴァン公爵令息も、その魔道具が何か、わかっているらしい。
前のめり気味に、慌ててソルニアに言い募った。
「ソルニア、君には、その魔道具を使うのは危険過ぎる。
使い方を誤れば、味方にも被害が出る」
ソルニアは顔をあげて、兄同然のルヴァンに尋ねる。
「味方に被害が出ないためのコツは、なにかあるのですか?」
ルヴァンは少し戸惑いながらも、頬を掻く。
「これを使う者は、足の速い舟に乗っていなければいけない。
コイツを海に放り込んだら、逃げの一手だ」
「わかりました。
それだけ聞けば、大丈夫ですよ。
ルヴァン兄様は、軍船を率いてバンシェル帝国やマルチノ王国の水軍を相手にしなければならないんでしょ?
でしたら、自由に動ける私が使う方が都合が良いですよ」
外交に向かう折、戦況に応じて、これを使ってみようーーそうソルニアは思った。
シールド公爵は頷きつつ、魔道具の筒をソルニアに手渡した。
「うむ。
ソルニアには、護衛としてコンモードを従わせよう。
よろしく頼む」
黒髪黒眼の男が、いつの間にかソルニアの傍らで片膝立ちになっていた。
ソルニアは筒を抱えて、真面目な顔付きになった。
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしました。
さすがに目が覚めました。
私は、あの新王と新王妃が君臨するあの国を、私の大切なマルチノ王国とは認めません。
ゆえにマルチノ王国本来の王権代理として、しっかり後始末をさせていただきます」
◇◇◇
マルチノ王国の王都ビルユウにある王宮では、新王妃パスワケレスが桃色髪を振り乱して、黄色い瞳を怒らせていた。
バンシェル帝国から、ソルニアを乗せた船が戻って来ないと連絡があったからだ。
ソルニアを乗せた船が帝国に辿り着いていない。
行方不明となっていた。
新王オジェ・マルチノは金髪を苛立たしげに掻き分け、碧色の瞳を細める。
「ソルニアは何処へ?」
新宰相ラフィアン・デル伯爵が、新王に向けて恭しく緑色の頭を下げてから、黄色い瞳を向ける。
「捜索の手を伸ばしてはおりますが、もし生きておられたのなら、おそらくは海峡の間にあるオクシタニアに逃げ込んだかと……」
「そうか、オクシタニアか。
あそこの一族はソルニアにとっては母方の親類だからな……」
オジェが呟くと、ラフィアンは大きく頷く。
「王都にあるオクシタニア公爵邸は空でした。
オクシタニア公爵自身、海に浮かぶ領国に帰っておられるようで……」
オジェは玉座の肘当てをバン! と叩く。
「叛逆の意図ありだろう、それは!」
新宰相ラフィアンは眉間に皺を寄せながらも、ゆっくりと首を横に振る。
「王都の屋敷に居ないということだけで謀叛の嫌疑をかければ、キリがありませんぞ。
貴族家はおよそ百を数えますが、過半数を超える八十以上もの貴族家が領地へと帰還しております」
オジェ王は親指の爪を噛む。
「よもやソルニアが、これほどの信望を勝ち得ていたとは……」
マルチノ王国貴族の間で、ソルニアに対する信望が厚いというのは事実ではあった。
が、それよりも新王オジェと新王妃パスワケレスによる政府に信用が置かれていない、ということがまず最初にあった。
彼ら高位貴族の大半は、王権代理であったソルニア王女が行方不明(じつは薬漬けのして地下牢に放り込んでいた)になった途端に、王都からそれぞれの所領地へと居を移して事の成り行きを静観する構えをみせていた。
その隙を突く形で、新宰相ラフィアン・デル伯爵が、宰相イエギド・カルボン公爵や内務卿レビュー・ブック侯爵、外務卿リオ・ネロ伯爵らを投獄し、さらにバンシェル帝国に靡いた中堅貴族たちを動員して政府を乗っ取ることに成功したのだ。
だが、オジェ新王を掲げる勢力は、いまだその権力も権威も、共に不十分なことは否めない。
オジェ王は膝を打つ。
「大領を擁する貴族どもに王宮への参内を申し付けるのはどうだ?
まずは招集をかけなければ、手駒が揃わぬ」
すかさず新宰相は、新王に反問する。
「招集をかけるにも、口実はいかがなさいます?」
「ソルニア元王権代理の行方不明では駄目か?」
玉座から身を乗り出して尋ねる新王に、新宰相は吐息を漏らす。
「かえって、有力貴族は来なくなるでしょう」
ソルニアが行方不明と知れたら、誰もが新王オジェと新王妃パスワケレスが亡き者にしたとしか思わないであろう。
新宰相ラフィアン・デル伯爵は、それでも新王と新王妃を励ました。
「でも、見方を変えれば、これは好機です。
バンシェル帝国に軍船団を派遣してもらいましょう。
行方不明となった、元王女が乗った船舶の捜索を援助してもらうということで」
パスワケレス王妃は嬉しそうに声を弾ませた。
「ジャバイ族の族長のご子息と、マルチノ王国の元王女が乗っていた船が行方不明なのですからね。
きっと皇帝陛下は動いてくださるわ!」
蛮族と称されるジャバイ族であったが、去年、バンシェル帝国の南方に広がる紛争地帯の統一を実現させていた。
その族長デバイは、バンシェル帝国と和平条約を結んだばかりであった。
そしてこのマルチノ王国は、娘であるパスワケレスの嫁ぎ先だ。
ジャバイ族もマルチノ王国も、どちらも現在のバンシェル帝国にとって深い縁故がある。
ラフィアン伯爵は緑色の髪を掻き分けて提案する。
「大半の貴族が領国に引っ込んでおりますので、王国海軍のすべてを動員するのは無理でしょう。
ですが、半数の軍船は動かせます。
バンシェル帝国に援助要請がしやすくなるよう、まずは我らマルチノ王国の手によってソルニア元王女の捜索を開始するのはいかがでしょうか」
オジェ王が同意するのを確認すると、ラフィアン宰相は念を押すように尋ねる。
「その際、まずは何処へ軍船団を派遣なさいますか?」
オジェ王は玉座から腰を浮かせる。
「無論、オクシタニアへ!」
次いで王妃パスワケレスが声高に唱えた。
「バンシェル帝国にオクシタニアを襲ってもらいましょう!
その後、帝国艦隊を我がマルチノ王国に招き入れて、東のエクトル王国、西のロンランド共和国の両国を叩くのよ。
そして一気にルビンド大陸の統一を果たす!
これよ!」
新王オジェは妻の提案を耳にして興奮した。
「それは良い。
マルチノ王国建国以来、歴代の王でも成し得なかった偉業だ!」
夫が盛り上がるのを受け、新王妃パスワケレスが立ち上がり、
「私が自分で軍船に乗って、海に出るわ!」
と宣言した。
いきなりの決定である。
宰相ラフィアン伯爵が慌てたのは言うまでもない。
「王妃殿下自らが出向かなくともーー!」
だが、王妃は桃色髪を掻き分けて笑うばかりだった。
「私はね、ソルニアの泣きっ面を、直接、見てやりたいのよ!」
三日後、新王派の軍勢を掻き集めて大型帆船十隻から成る軍船団を形成し、一路、オクシタニアに向けて軍を進めることとなった。
だが、新王妃パスワケレスの思いつきによって始まった場当たり的な軍事行動は、当然のごとく、オクシタニアによって阻まれることになったのである。




