◆10 出奔ーー蛮族の嫁になんか、なりません!
私、ソルニアが船の甲板上で、野蛮人に手籠めにされようとしたとき、助けが入った。
言葉もわからない野蛮な中年男を、母方の従兄ルヴァン・オクシタニア公爵令息が、背中から刀剣で刺し殺してくれたのだ。
その後、裸の私に白い布をかけてくれて、引き上げて立たせてもらった。
まさか海上で助けてもらえるとは思いもしなかったので、私は涙目になりながらも、
「ルヴァンがどうして、こんなところにーー?」
と問いかけた。
すると、精悍な顔立ちの従兄は、顔を少し紅潮させながらおどける。
「どうして、はないだろ?
ソルニアを助けるために、この帆船の船長に扮したっていうのに」
彼の後ろには何十人もの男たちが立っていて、中には血に濡れた剣を持っている者もいた。
「安心して良いよ。
野蛮人の手下には毒を盛っておいたから」
と、ルヴァンはこともなげに言う。
船の中で酒盛りをしていた連中は、料理に混ぜられた毒で、全員が死んでいた。
念の為に、剣でトドメを刺しておいたから安心だ、という。
(これじゃあ、どっちが野蛮人か、わからないわね……)
私、ソルニアは苦笑いを浮かべながらも、状況を整理した。
「つまり、この蛮族が私を連れて船で帰ることを知っていたので、あらかじめ貴方たちが船乗りに扮して待ち受けていたーーと」
従兄が厚い胸板を叩いた。
「その通り。
俺たちは普段から船を操ることに長けているから、バンシェル帝国に雇われることも簡単だったさ。
いや、ひょっとしたら口封じで殺す予定で、俺たち外国人を船乗りにしたのかな?
この船が海難事故にでも遭ったことにして、皆、始末して仕舞えば帝国としても都合が良いかも」
私は顎に手を当てて同意する。
「たしかに、それもあり得るわね……」
改めて振り向いて、甲板にうつ伏せに倒れている禿げ男の背中を見遣れば、背中に短剣が突き刺さっていた。
従兄が突き刺してくれた。
おかげで間一髪で助かったのだ。
事態を飲み込んだ私の様子を見て、従兄のルヴァンも安堵した表情を浮かべた。
「良かったよ。
顔の半分は焼けちまったが、ソルニアが普段通りの心の持ちようで。
地下牢に閉じ込められたと聞いたときには、薬で廃人にでもされたらどうしようか、いっそのことマルチノ王宮を襲撃すれば良いのかって悩んだんだ」
従兄のルヴァンは、本気で私を気遣っていた。
実母カドリーの実家オクシタニア家の面々とは、母が亡くなった後も懇意にしていた。
私、ソルニアは王権代理の職務に没頭しながらも、年に一回、表敬訪問するルヴァン・オクシタニア公爵令息の一行を王宮で歓待し続けていた。
特に、カドリーが生きていた頃の幼少時には、夏と冬には長期に渡ってオクシタニア群島のいずれかに宿泊して島国でのバカンスを堪能していた。
オクシタニア家は、母カドリーの兄であるシールド・オクシタニア公爵が家督を継いでいたが、そのシールド伯父には一人息子であるルヴァンがいた。
五歳年長であるルヴァンは、私にとっては信頼できる兄貴分で、子供の頃には良く遊んでもらっていた。
さらに、従兄のルヴァンの後ろから、革防具を胸や脚に付けた、私の見知った男が前に進んできた。
彼は幼少時からルヴァンと共に育った乳兄弟で、今ではオクシタニア公爵家に仕える護衛騎士となっていた。
血塗れた剣を手にしていたのは彼、コンモードであった。
私はそんなコンモードと、その妹であるレモンとも仲良しであった。
母方の実家に泊まった時は、彼は必ず私の護衛役として付けられ、街中や港を共に歩いた仲だったからだ。
「コンモード、久しぶり!
レモン嬢はお元気?」
明るく声をかけられても、コンモードは黙っている。
剣先にこびりついた血糊を布で拭き取ってから、ようやく黒い瞳を細めて、ニコリと微笑んだ。
相変わらず無口だ。
私がオクシタニア家に泊まっているときでも、コンモードは朝昼晩と一時間ずつ素振りをし、さらには腕立て、腹筋、スクワットをして、律儀に体力をつけていた。
そうした彼の運動する姿を、私は何度も見てきた。
それゆえに、彼の身体は均整の取れた筋肉質なものに見受けられた。
気持ちの悪い、禿げの中年野蛮人の突き出た腹とは大違いだ。
コンモードと旧交を暖めた後、船乗りに扮したオクシタニア家勢の面々と甲板上で車座になってワインを杯で酌み交わす。
ソルニアも一緒に乾杯する。
成人後、オクシタニア家に泊まった折には、晩餐でいつもする挨拶みたいなものだった。
銀髪で屈強な身体付きの従兄ルヴァン公爵令息に、私は頭を下げて礼を述べるとともに、改めて懸念を表明した。
「助けてくださったのは非常にありがたいのですが、よろしかったのですか?
今、私はマルチノ王国から追放されて、蛮族に嫁がされた身です。
私を強奪して匿っていると知ったら、新王オジェが黙っていないし、新王妃パスワケレスの背後で糸を引いているバンシェル帝国も何らかの手を講じて来るかと思われますが……」
「構うものか。
貴女の亡き母上であるカドリー王妃殿下は、俺にとっても優しい叔母さんだった。
その娘である貴女が南方蛮族への貢物にされるのをみすみす見過ごすわけにはいかない。
そもそも、俺たちオクシタニアには、マルチノ王国への帰順意識は希薄だからな」
もともとオクシタニアは小なりと言えど独立国家であった。
だが、カドリーが王妃になったことを祝って、兄のシールドがマルチノ王国への参入を表明し、それにサウルス国王が彼に公爵の爵位を与えて応えたに過ぎない。
「オクシタニアはいつでも独立する準備があったんだ。
ソルニア、貴女がこんな酷い扱いを受けると知っていたら、カドリー様が亡くなったらすぐに独立すべきだった」
そう言ってルヴァンは、ほんとうに済まなそうに伏目がちにして、ソルニアの焼け爛れた頬にそっと濡れ布巾を当ててくれた。
「このルヴァン、貴女をここまで痛みつけた者どもを許しはしない。
今までマルチノ王国に献身し続けた亡きカドリー王妃と貴女、ソルニア王女に対して忘恩行為に及んだ者どもには、必ず報いを喰らわせてやる!
それにソルニア、貴女は我がオクシタニアの民からも愛されていた。
だから、この度の私の義挙にも、必ずや賛同してくれるさ」
「そうだったら、良いけど……」
杯に満たされたワインに視線を落として、ソルニアは思案する。
オクシタニア領は主に三つの島からなる、海峡中間地点にある領地だ。
改めて独立するには領地の規模は小さい。
王国と帝国に挟まれた、海上に存在する。
生活は、マルチノ王国とバンシェル帝国との間で交易することによって成り立っていた。
経済力の規模でいえば、マルチノ王国の五分の一、バンシェル帝国の十分の一といったところか。
中継貿易と漁業だけでは、産業国であるマルチノやバンシェルには到底、叶わない。
正直、マルチノ王国とバンシェル帝国に国交を断行されただけで、経済的には干上がってしまう可能性が高い。
軍事力も両国に比べると圧倒的に弱い。
兵力も武器の数も、装備から何まで、すべてが劣っている。
歴史的には二十年ほど前にマルチノ王国に組み込まれただけとはいえ、オクシタニア群島はもとより王国や帝国の一貴族の領地程度の規模しかないのだ。
互いに戦争に明け暮れるエクトル王国やロンランド共和国とも満足に矛を交えることはできないだろう。
とても私を匿うほどの余裕が、オクシタニアにあるとは思えない。
ーーそのように長年、王権代理として政務に携わってきた知性が、私、ソルニア王女の頭に訴えかけてくる。
だがしかし同時に、オクシタニアが自分を助けてくれた、と知ったことで、実際に私の心は喜びに溢れていた。
ワインが杯からこぼれることも厭わず、従兄のルヴァンや護衛のコンモードに体当たりするかのように抱きついて、熱い涙を溢れさせて、泣きじゃくってしまった。
父王サウルス陛下が亡くなってから、初めて安堵することができたように思う。
「おいおい、齢二十四を数える、良い年をした王女だろうに。
相変わらず、泣き虫だなあ」
従兄のルヴァンは強く抱き締めてくれて、護衛のコンモードは黙って銀髪頭を撫でてくれた。
王権代理のときには、誰にも見せられなかった、あられもない感情をダダ漏れさせた女性の姿が、そこにはあった。
夜空に瞬く星々は私を明るく照らし、甲板には蛮族の血が血溜まりとなっていた。




