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第8話 また会えますように

 夏至祭まで、あと一日。


 朝からフィオラ村はどこか浮き立っていた。


 家々の軒先には花飾りが吊るされ、広場には色とりどりの花灯籠が並んでいる。


 風が吹くたび、花の香りが村を優しく包み込んだ。


 カイロスは朝の散歩がてら広場へ向かう。


 村人たちは忙しそうに準備をしていた。


 それなのに誰も疲れた顔をしていない。


 むしろ楽しそうだった。


 祭りというものは、こうして待つ時間も含めて特別なのかもしれない。


「カイロス」


 振り返るとミーナがいた。


 今日は薄いクリーム色のワンピースを着ている。


 髪はいつものハーフアップだった。


 朝の光を受けた蜂蜜色の髪が柔らかく揺れる。


「おはよう」


「おはよう」


 ミーナは小さく笑った。


「今日はね、願い事を書く日なの」


「願い事?」


「うん」


 広場の奥を指差す。


 そこにはまだ飾り付け前の灯籠が並んでいた。


「夏至祭の日に流す花灯籠」


「願いを書くのか」


「そう」


 ミーナは頷く。


「みんな書くんだよ」


 その言葉にカイロスは少し首を傾げた。


 願い事。


 今まで考えたこともなかった。


 王都では努力するものだった。


 願う前に動けと教えられてきた。


 だから少し不思議だった。


 昼前。


 二人は川辺へ来ていた。


 夏の陽射しが水面をきらきらと照らしている。


 涼しい風が流れ、草が揺れた。


 ミーナは膝を抱えて座りながら川を見ている。


「昔ね」


 ぽつりと話し始めた。


「私、毎年同じ願いを書いてたの」


「同じ?」


「うん」


 少し恥ずかしそうに笑う。


「子どもの頃だから」


 そう言って川面へ視線を落とした。


「また会えますように、って」


 カイロスは少し首を傾げた。


「誰とだ」


 ミーナは目を瞬く。


 それから少し考えて、ゆっくり首を横に振った。


「誰ってわけじゃないの」


「?」


「フィオラってね」


 ミーナは穏やかな声で続けた。


「旅人も来るし、村を出ていく人もいるでしょう?」


「ああ」


「だからかな」


 風が吹く。


 川面がきらりと光った。


「お別れしても、また会えたらいいなって思ってたの」


 その言葉はどこかミーナらしかった。


 特別な誰かではなく。


 出会った人たちみんなに向けた願い。


 カイロスは黙って川を見つめる。


 不思議だった。


 自分ならそんな願いは思いつかない。


「変かな?」


 少しだけ不安そうに尋ねる。


「いや」


 カイロスは首を横に振った。


「ミーナらしい」


 そう答えると、ミーナは少し驚いた顔をした。


 それから照れたように笑う。


「それ、褒めてる?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


 くすりと笑う声が風に溶けた。


 午後。


 二人は広場の一角で花灯籠を受け取った。


 薄い紙で作られた小さな灯籠。


 そこへ願いを書いて流すらしい。


「カイロスは何を書くの?」


 ミーナが首を傾げる。


「分からない」


 本当に思いつかなかった。


 願いたいことがないわけではない。


 ただ言葉にならない。


 ミーナは少し考える。


「じゃあ無理に書かなくてもいいかも」


「いいのか」


「うん」


 笑った。


「願いって、見つけるものじゃなくて自然に出てくるものだと思うから」


 それはミーナらしい考え方だった。


 急がない。


 押し付けない。


 ただ待つ。


 カイロスは灯籠を見つめる。


 白い紙。


 まだ何も書かれていない。


 その時だった。


 近くの子どもたちの声が聞こえてくる。


「僕は騎士になる!」


「私はパン屋さん!」


「私はお姫様!」


 皆、楽しそうに願いを書いている。


 カイロスは少しだけ目を細めた。


 王都では聞かない種類の願いだった。


 けれど嫌ではなかった。



 夕方。


 作業を終えたあと、二人はいつものようにフィオラの丘へ向かった。


 風が吹く。


 草が揺れる。


 空は夕焼けに染まり始めていた。


 丘の上へ着くと、二人は並んで腰を下ろす。


 自然とそうなった。


 いつの間にか習慣になっていた。


 しばらく空を眺める。


 沈黙は心地良かった。


「ねえ」


 ミーナが空を見たまま言う。


「カイロス」


「なんだ」


「願い事、見つかった?」


 カイロスは少し考える。


 そして首を横に振った。


「まだだ」


「そっか」


 ミーナは微笑んだ。


 それだけだった。


 急かさない。


 残念そうにもしない。


 ただ受け止める。


 風が吹く。


 蜂蜜色の髪が揺れる。


 遠くで川が光っていた。


 カイロスはその横顔を見て、ふと考える。


 願いとは何だろう。


 強くなりたい。


 それは昔から思っていた。


 守れるようになりたい。


 それも変わらない。


 けれど今。


 胸の奥にあるものは少し違う気がした。


 まだ言葉にならない。


 まだ分からない。


 ただ一つだけ確かなことがある。


 明日の夏至祭を楽しみにしている自分がいた。


 夕焼けはゆっくりと夜へ変わっていく。


 やがて空に最初の星が輝いた。


 二人は何も言わず、その星を見上げる。


 願い事は口にしない。


 それがいつの間にか、二人だけの習慣になっていた。


 夏至祭の夜は、もうすぐそこまで来ていた。


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