10-5
ヒロミはトワを連れ、第一研究室へと向かっていた。
二人ともある程度汚れは落としたが、先程まで沼地に倒れ込んだりしていたのだ。ヒロミは羽織っていたローブを脱ぎ、トワは新たに替えのローブを纏っていた。だが通り雨をまともに浴びた後でもある。服も髪も、完全に乾ききった状態ではなかった。
そんな理由もあってか、トワの足取りは決して軽やかではなかった。髪をなびかせ颯爽と歩く普段の堂々とした振る舞いとは程遠い、うつむき気味で弱々しい様子だ。ヒロミの手の先端をつまむように握りながら、ゆっくりと続いた。――勿論理由はそれだけではないだろう。突然ここへやって来るに至った様々な経緯もある。ヒロミはあえてそのことには触れないでいた。二人きりのときであればそうした弱さをさらけ出すのもいい。だが、「トワに会いたい」と願う者が今の彼女の様子を見たら、どう思うだろうか――。そのことには若干の不安を覚えざるを得なかった。
やがて廊下の先に光の漏れている一室が目に入った。道に迷いやすいヒロミのためにドアを開けておいてくれたのかもしれない。場所的にも第一研究室で間違いないだろう。ヒロミは振り返らずに言った。
「あそこだよ、トワ」
トワは足を止めた。
「待って」
そこでトワは握っていた手を放した。しばらく目を閉じ、深く息をすると、髪を整え顎を引き、胸を張って姿勢を正した。
「行こう」
「うん!」
それは普段の"トワ"に戻るために必要な儀式のようなものなのかもしれない。二人は並んで研究室へと向かった。
「いやー、いやー、ヒロミさん!トワ様!いやー、よく来てくださいましたね、んふ、んふふ!」
室内ではクトゥアが両腕をバタバタさせながら迎えた。
「どーも、どーも、へへっ」
セデイも軽く会釈をして見せた。室内には見慣れない機器や食事も用意されているように見えた。
「こちら、手術を担当してくれたクトゥアさんと、立会をしてくれたセデイさんです!お二人にはすごく助けてもらったの」
ヒロミはそう紹介した。
「スマーリ国操士のトワだ。ヒロミが世話になった、有り難う」
「いえ!いえ!手術、うまくいったようで本当によかったです!ね、んふふ、笑える!んふ」
髪や服操に乱れはあるが、トワはようやく普段の所作を取り戻したように見えた。彼女の礼に対してクトゥアも心底嬉しそうに返した。
「どーも、バルーティからの客員研究員のセデイです、へへっ、いやーあたしは何もしてないですけどね、へへへっ」
セデイも珍しくうやうやしく頭を下げてからそう言った。
「いやー、いやー、ね、ね!こんな機会、めったにないですから!ね、はい、せっかくなので軽くお食事でも、と思いまして。んふふ!」
クトゥアはどうぞ、と言いながら室内の空きスペースに新たに用意されたテーブルの方へと二人を案内した。取り立てて豪華な品というわけでもなさそうだが、複数の皿に小綺麗な料理がいくつも盛られている。
「あ、有難うございます……!」
ヒロミはそう言いながらも、更にその脇に置かれた2セットの機器に目を向けた。
「……これは?」
「あー、あー!気付いちゃいました?んふふ、んふ!」
クトゥアは若干大げさにそう返した。それは金属製の台座にアクチュエータのような稼働部位で繋がれた幅の狭い椅子と、ヘッドレスト部分から伸びるアームに上から被るゴーグル状の機器が接続されたものだ。椅子の側面には脚部、胴体、腕周りを囲うようにフレームが取り付けられ、そこにいくつもの円形のスピーカー状の物体――おそらくは受容器だろう――が内向きに設置されている。一目、ヴォイアクーやヴォイアースの操縦席を模したものに見えた。
「――あ、あぁ、セデイさんの……」
「えぇ、えぇ、んふ!」
そう、確か手術の直前に少しだけ聞いたことがあったはずだ。セデイには武術の心得があり、シミュレーターを用いてヴォイアースの模擬戦などもしている、と。クスンでは相手をしてくれる人がいない、という話ではなかったか。おそらくトワがやって来ることを聞きつけわざわざこのセットを持ち込んだのだろう。
「ま、まーね、へへっ、出来たらでいいんだけどさ……」
セデイもどこか緊張しているというふうだった。
「ここに座ってさ、ヘッドセット着けるだけでいいのよ、機体とか状況も色々設定できてさ」
「へぇ」
「映像はモニターできるわけ、使ってない人も中の様子見られるようにね」
そう言って近くのヴォイミにモニターを展開させた。
「……衝撃を受けたら、実際に揺れたりするわけですね?」
「そうそう、モーターの振動も再現できるからね」
ヒロミはセデイの話に耳を傾けながら、シミュレーターに近付き興味深く座席や操縦桿周りを見回していた。だがトワは何ら関心を示していないようだ。料理の置かれたテーブルの周りから動いていないことが察せられた。
「「……ヒロミ、乗ってみれば?」」
不意に背後からそんな心韻が届き、ヒロミは軽くビクッとした。記念すべきトワとの初心韻が、まさかの提案だった。
「「わ、私!?」」
ヒロミも振り返ることなく反応した。いや、ここでの対象は明らかにトワだろう。そんなことは本人も十分に分かっているはずだ。ただ一国の首席操士たる人物が、素人相手においそれとシミュレーターの相手など出来ない、とそういう意向もあるのだろう。トワは飲み物の一つを口に運びながら、何やらクトゥアと話している。あえて2人の様子に目を向けることもなく、直接自らに話しを振られるまでは無関心を貫くつもりかもしれない。
「あんたも興味あんの?」
セデイがヒロミに声をかけた。
「え、えぇ……」
以前の自分であれば間違いなく否定していただろう。いや、ネーリに来る前からそれなりに調べてはいたのだから興味がないわけではない。ただ自分で操りたいという方へ気持ちが向くことは一切なかった。今は違う。変わりつつある。自ら操縦できる可能性があるから、という側面もあるかもしれない。だがどこか、これまでも幾度となく乗ってきた、そんな感覚も植え付けられている。ヒロミは確かめてみたかった。仮に思い過ごしであったとしても、試してみなければ分からない。機会があれば実際に体験したかった。そうでなければ、ヒロミはこの先も先程ヴォイアクーに乗ったときに味わった興奮と高揚感の正体を追い求め続けてしまうかもしれない。そんな思いに駆られた。
ヒロミは座席に手をかけたままそう答え、トワの方を見た。トワはそっと頷いて見せた。ヒロミはセデイに頼むことにした。
「先に……、一度だけ、いいですか?私も乗ってみたかったんです」
「へ~、ふーん、そう、……まぁ、面白そうだね、へへっ」
セデイはやや気乗りしないふうではあったが、機器を起動し設定を始めた。座席が揺れながら中央に浮かぶように位置し、ヴォイミの映し出すモニターには地平線まで続く平原と空が映し出されていた。ヒロミたちはその様子に目を向けた。
「いきなりヴォイアースってのは無理だろうけどね。けど低速の機体なんかじゃこれ使う意味もないし、せっかくだからある程度本格的なの体験してもらおうかね」
セデイはそう言いながら操縦桿近くのボタンを操作し、着々と設定を進めていった。モニターは渓谷地帯上空を移動している映像に切り替わった。
「まぁセッティングとか離陸とかのフェーズは飛ばそっか。あたしが並走してサポートすっから、操縦してる感覚はそれで十分伝わるだろうしね。……うーん、まぁこんなもんかな」
一通りセデイによる設定が終わり、ヒロミが着席することになった。座席のサイズを調整し、シートベルトを締め、ヘッドセットを下ろし装着した。大きいゴーグル状のそれは鼻から上の目の周囲を完全に覆い、ヒロミの視界には自分がワイヤーフレーム状の部屋にいる状態として表示された。
「見回して、違和感ある?」
隣のシミュレーターに着席したセデイが尋ねた。
「いえ、問題ないです」
ヒロミは答えた。
「OK、まだフィードバックは切ってるからね。操縦席に切り替えるよ」
すると周囲に操縦席内部の映像が映し出された。窮屈な様子が再現されている。映像内で操縦桿や受容器のある位置に、シミュレーターの各部も移動し調整されているようだ。
「スマーリの戦闘型ヴォイアクーの一つでね、旧式で"3型"とか呼ばれてるんだけど、内部はほとんど現行機と変わってないはずなんだ」
セデイはそう説明した。
「こんなデータあるんだな……、どこから手に入れたんだ……?」
トワが映像を見ながらつぶやいた。ようやく多少興味が出てきたのかもしれない。
「へへっ、まぁ、色々ありまして……」
セデイは笑いながらそう答えた。
「じゃ、いい?一通りさっき言った通りで、操縦桿は基本ゆっくりね。スロットルは目一杯倒して大丈夫、むしろそれを体感するのがいいかもね、へへっ。外の映像、出すよ」
「はい……!」
これまでワイヤーフレームだった空間が、渓谷上空へと移り替わった。既にかなりの速度で飛行しているようだ。ヒロミの鼓動が高鳴った。やや離れた位置にセデイのものと思われる機体が並走しているのが見える。先程実際に乗せられたハチのような形状の機体とは異なり、黒い丸みのあるフォルムをしている。ヒロミの知識でもヴォイアクーのものは不足していた。
「じゃフィードバックもオンにするよ!」
「はい!」
――ドォォォォッ!!!
一気にモーターの駆動音とその振動、そして機体の受けている力、風、そんなものがヒロミの体内に直撃した。ヒロミは圧倒され、震えながら操縦桿を握った。
「「加速してみて」」
セデイの心韻が届いた。
「「は、はい!!」」
ヒロミはスロットルレバーをいっぱいまで傾けた。
「「大丈夫、ケガはしないから、へへっ」」
そんな心韻を聞いた直後、機体は猛烈に速度を上げた。ヒロミは体が座席に押し付けられるような圧力を感じた。
「きゃああああああああ!」
ヒロミは思わず声を上げた。その速度はヒロミの味わったことのない世界のものに思えた。手に力が入り、機体が右方向に傾いた。瞬間、ヒロミは体内の血が半身に一気に流れたような感覚を味わい、バランスを取ることが出来なくなった。
「ちょ、おい!」
セデイの声がしたように思えた。機体は急激に失速し地面に向かって回転を始めた。直後、視界に渓谷の断崖が迫った。機体は激しい衝撃と共に墜落し、ヒロミの視界は闇に包まれた。
「はぁっ、はぁっ――!」
ヒロミは息を荒げながら、ヘッドセットを外した。セデイとトワが真剣な表情で覗き込んでいるのが分かった。
「……す、すみません!私、慌てちゃって!!」
ヒロミは混乱しつつもそう伝えた。
「――いや、ヒロミ……。今、何した?」
「へ?」
トワの問いに、ヒロミが聞き返した。




