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10-1

 外の空気はひどく重く感じた。


 ヒロミにとっては久々に触れる外気だ。クスンに到着した日の夕方以来だろうか。王城では雨季が終わったタイミングだったこともあり、この地でも晴れやかな天候が続いているものだと思っていた。実際クスンの研究施設はかなりの高地に作られており、空気も澄み乾燥していることが多いという印象だった。今も日は傾きかけてはいるものの決して天気が荒れているわけではない。ただ湿地を囲む山々の稜線の向こうには黒い雲が迫っており、それによって運ばれる湿った空気が施設一帯を覆っているように感じられていた。この後一時的な夕立があるのかもしれない。


 ヒロミはヴォイミを操っていた。クトゥアに案内されたときに乗っていたのと同じ、アメンボ型のやや大型の機体だ。実験室でクトゥアが目覚めセデイが戻るのを、そしてトワの到着を、ただ待っているのに耐えられなかったということもある。同時に、最低限の心韻の基本を習得はしたがまだどこか不安が付きまとっていた、ということもヒロミが一人で外出した理由の一つだ。部屋に残ったヴォイミには2人への伝言を頼む方法も調べ、命令を与えた。自分の居場所も常に確認できるように設定した。これで彼女たちも自分がいないことで心配することはないだろう。特に念を入れて調査したのは以前現れた巨大なワーム状生物をはね返した、バリアのような透明な防御膜の貼り方だ。これが機能しなければ単独での移動は危険すぎる。ヒロミはその機能を有する機体を選別して呼び出し、幾度かの検証も行った。様々なケースも想定し、何かあったらすぐに別のヴォイミを呼ぶ方法なども学んだ。実際にはこれでも十分に不安は残る。だがヒロミの好奇心と、くすぶる焦燥感を拭いたいという思いが、ヒロミを屋外へと駆り出した。


 ヴォイミは湿地の水面を滑るように移動していた。ヒロミは水分を多く含んだ空気に、さらに湿度が重くまとわりついたようなべたつく風を肌に感じていた。

「「マップを……」」

ヒロミがそっとつぶやくように心韻を送ると、ヴォイミはアームの一つにこの湿地一帯の地図を映し出した。その後の学習により、明確に"命令"や"対象"などを単語として送らなくとも、そう意識した部分にアクセントをおくように送るだけで、意思疎通は可能ということも分かった。ヒロミは検査着を纏ったままだったが、その上にはネーリアの間で一般的なローブを羽織っている。ローブ姿でヴォイミにまたがり、心韻で命令をする――、この風貌、この様子だけを見れば、十分にこの環境に溶け込めているのではないか――、そんなふうにすら思えた。


 マップにはある程度この湿地の利用目的やその管轄なども記されている。ところどころ浅瀬の部分には樹高の高い林が形成されており、それらが広大な湿地をちょうど区分けしているようにも思えた。林に到達するまでにも十分な広さがあるように見えるが、視界に収まっているのはこの湿地の4分の1にも満たない範囲だということが分かる。ヒロミの持ち込んだ地球の植物はその林に差し掛かる手前のエリアの一画に植えられている。以前見たよりもその範囲を3倍近く広げているようだった。


 丈の高い草むらを抜けると、あの巨木を倒したような状態の地球の植物が、おそらくは6~7本、湿地の上に横たわっているのが見えた。ヒロミはヴォイミを止めた。しばらくぶりに目にしたその様子は、随分と変わっていたからだ。


 おそらくは現在ユーフへの対抗策として使用している成分を抽出するためなのだろう。茎の周囲には一定間隔ごとに大型のタンクを背負ったヴォイミらが張り付き、何らかの機械を作動させ内部から液体を吸い出しているようだった。貯まったタンクを取り替え、研究棟に戻るヴォイミもいる。茎のはるか先端の方では飛行型ヴォイミが5~6体、ワイヤーを使って植物を吊り上げようとしてるのが見えた。作業場所を確保するためか、それとも成分の抽出を終え、処分するためだろうか――。ある程度の高度まで植物は持ち上げられたが、内部が空洞化しているためか、表皮がボロボロと崩れ落ちていくのが見えた。そして最も大きな変化が見られたのはこの一画の外周だ。飛行型、歩行型含め、武装したヴォイミが多数配備され、文字通り目を光らせていた。


 ヒロミは遠目にその様子を認め、それ以上近づくことをしなかった。今なら心韻で、自分が関係者として進入できるかどうかを確認できるかもしれない。――だが、しなかった。


 ヒロミはそこで改めて、自身の心境の変化を自覚した。ここへ来た当初の目的はあの植物のデータを取り、王城に送るという研究目的が第一ではなかったか。その機会はいまだ訪れていないが、もはや様子は一変している。これまでのヒロミであれば、――いや、そもそもの、"地球人"ヒロミ・クロカワであれば――、ここで何が行われているのか、是が非でも自分の目で確かめたくなっていたはずだ。抽出している成分の詳細や、地球環境との差異、そもそもの大型化の原因など、分かっていないことばかりだからだ。


 だが、今はどうだ――……?状況が大きく変わったということも勿論あるだろう。しかし、以前のような研究対象への根源的な欲求のようなものが、恐ろしいほどに薄れているのに気付かされた。一人で外へ出た理由についてもそうだ。ヒロミはクセのようにその理由を考えたくなるが、本当のところはヴォイミを自分で操りたいという、シンプルな衝動が強かったのだ。それは心の中から湧き上がるが、当然ながらその経験のないヒロミが持ち合わせた欲求ではない。


 ――自分は、変化している。


 それが発音器と受容器の移植によるものであることはもはや明らかだろう。ヒロミはヴォイミのステップ部分にかけた自分の足元と、そして生産工場のように稼働を続ける植物周辺の様子を眺め、自らの存在についての不気味な自覚をせざるを得なかった。ヒロミの抱えていた不安の正体は、なんとなくこのことだったのかもしれないと思い当たった。


 しかしこれはもはや戻れない現実だ。受け入れていくしかない。得体の知れない自分を、"自分"として認めていくしかない。――そんなことができるのだろうか?ヒロミはしばし考え込んだ。警備用のヴォイミがヒロミとそのヴォイミの存在を不審に思ったのか、ゆっくりと接近してくるのが見えた。ヒロミは気付かぬふりをしてその場を離れることにした。


 雨雲はまだ湿地には到達していなかった。傾きかけた日の光が林の左手側に長い影を落としている。ヒロミはその樹高の高い植物が群生する浅瀬にヴォイミを寄せた。地球の水辺でも見られる気根を露出させたような形状の植物種も見られる。丈の低い種類しか見てこなかったヒロミにとっては、10mは超えるであろう大型の植物を間近で見るのは初めての経験だった。だがここでも、ヒロミの興味は別のものに移った。木陰の先、向かって左手側の水面が強烈に日の光を反射している。よく見るとそれらは揺らめいており、初めてこの地に到着した際にも目にした、鏡のような羽を持つ虫の群れであることが分かった。日光浴をしながら羽を休めているということだろうか。それは林の周辺が豊かな餌場であるのと同時に、今のところは彼らを捕食するような大型の生物はいないと理解していいだろう。ヒロミはヴォイミを降りて自分の足で歩いてみようと考えた。以前クトゥアにも言われたように寄生虫には警戒しなければいけない。ヒロミは危険が迫ったら知らせるようにヴォイミに伝えたうえで、なるべくぬかるみの少なそうな場所を選び足を下ろした。


 ヒロミには外へ出て以降感じていたことがあった。あらゆるもの、現象が、心韻を通してなにかを訴えているような感覚だ。草であればさらさらと、林を構成する植物であればざわざわと、水面であればさぁぁっと、まるで大げさな擬音のような何かが、聴覚とは別に心韻としても伝わるように感じられた。ただ単に感覚が鋭敏になっているというだけかもしれない。だが目の前に集まっている虫たちも、そして植物たちも、音とは別にそれぞれが互いにやり取りをし、何らかのメッセージを発しているようにも感じる。ヒロミ自身も無差別な心韻に悩まされていたのだ。そのやり取りに干渉し、輪に入ることもできるのかもしれない。もしかするとネーリアにとっては、その感覚はごく自然なものなのかもしれない。「星に許される」、何度か耳にしてきたそのフレーズも、誇張ではないのかもしれない――。


 ヒロミがぼんやりとそんなことを考えているとき、急に空をつんざくような高音が接近してきた。ヴォイアクーだ!ヒロミにはそれが特殊な機体のものであることがすぐに分かった。トワだ。間違いない。

「待って……」

ヒロミは後ずさりしながら、音のする研究棟の方を振り返った。ドーム状の建築物の向こうから、一体の飛行物体が急速に近づいてくる。尖った羽を持ったハチのような形状のヴォイアクーだ。またたく間に頭上を通過したかと思うと、減速し大きくターンをしたと見え、林の右手側に回り込み、林からやや離れた平坦な場所に着地しようとしていた。

「どうして……分かったの……」

ヒロミはつぶやいた。見付けてくれたのだ。こちらからは何も伝えていないのに。そのことは素直に嬉しい。しかしまだ心の準備が出来ていなかった。ヒロミはローブの首元を締めた。まだこの姿を見られたくはなかった。


 「ヒロミ!!!」

ヴォイアクーの操縦席から飛び降りたトワの声が響いた。沼地に足を取られながらも、必死に走り寄ってきている。ヒロミは震えた。そして背を向け、逆方向に向け走り出した。

「ヒロミ!!待って、ヒロミ!!」

トワの声が追いかけ、近付いた。


 水面に集まっていた虫たちが、ヒロミが走り抜けることで一斉に飛び立った。反射による光が舞い上がり、虫たちの放つ大量のスケイルヴェールがヒロミと、追いかけるトワの上に降り注いだ。虹色の雪のような光の欠片が舞い散る中、息を切らせたトワがヒロミの腕を掴み、強く抱き寄せた。2人はそのまま折り重なるように沼地へと倒れ込んだ。


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