9-12
ヒロミの鼓動は激しくなった。
トワが王城からクスンへやって来る。夕方には到着するということだ。――舞い上がっているのだろうか?いや、期待に胸を躍らせているという感じではない。術後の自らの姿を晒したくないこと、そしてここへ来てもいまだ何ら目的を達成できてないままであることから来る嫌悪感が、どうしても心の中から拭えないのだ。
ヒロミは地下実験室内をうろついていた。手術台に戻るのも変だろう。クトゥアが普段使用していると思しき椅子の一つを引き寄せ、腰を下ろした。クトゥアは壁際で寝息を立てている。まだしばらく起きてくることはなさそうだ。手術を手伝ったヴォイミたちは忙しそうにデータ処理を続けている。セデイは話があると言って通信室で別れたきり、まだこちらには戻っていない。彼女が連れてきた3体のヴォイミらは、所在なさげにキョロキョロしたり、時折ヒロミの方に顔を向けたりしていた。
――落ち着く必要があるだろう。
ヒロミは深く息をし、先程まで歩行をサポートしてくれていた1体のヴォイミをぼんやりと見つめたまま、考え込んだ。もしかしたらこの空間でこのままあと数時間、ヒロミ一人で過ごすことになるのかもしれない。トワが到着するまで、何をして過ごせばいい?幸い頭痛はやわらぎつつあった。心韻の違和感は引き続き脳内を刺激しているが、悶えるほどの苦痛ではなくなってきている。先程の思い付きを検証してみるべきだろう。飛び交い迫りくる数多くの心韻をただ受け流すのではなく、都度自分にとって必要ではないという判断をそれぞれに下すというものだ。移植後で過敏になっているとはいえ、現在の感覚は普通ではないとヒロミは感じていた。おそらくそうした処理を、ネーリアたちは無意識に行っているのではないか。それがヒロミの予想だ。途方もない手間にはなるだろうが、ここで訓練し対策をしなければこの星での日常生活に支障が出てしまう。
ヒロミは目を閉じた。ますますはっきりと、脳内に到達するヴォイミらの放つ心韻の形状がイメージされる。それらは体内にゴツゴツと衝突しながら、瞬時に通過していった。決して一つ一つが同じ方向から順番にやって来るわけではない。時には数十個もの単位で、あらゆる角度から同時に押し寄せるのだ。不思議なことに同時に到着してもそれぞれを独立して認識することは可能だった。そうした心韻のブロックが通過する一瞬の間に、その一つ一つに対し、いわばラベリングし、受け入れていくというイメージだ。
ヒロミは試みた。痛みが発生する前に、それを回避すればいい、通過させなければいいのだ。同時にそれは意味を理解する、ということにも繋がるはずだ。そう信じた。ヒロミの顎関節には、既にそのための器官が備わっているのだから。
1つ――、2つ3つ――。……難しい。反応がまるで追い付いていなかった。また1つ――。後追いで形状を思い出すことは出来るが、来た瞬間に判断することが難しい。セデイからの心韻は何も苦労することなく、"言葉"として理解することが出来たのに――。そこだろうか?ヒロミはヴォイミたちの言葉をそもそも知らない。それをブロックのような"形"として認識しているのも、ヒロミ特有のものに過ぎないのかもしれない。形状をそのまま理解するしかないだろう。1つ――、また1つ――。形としては同じもの、最も多いパターンが続いた。お互いの位置を確認するために常に飛ばしている「打韻」と呼ばれるものだろう。そんなふうに見当をつけてみると、同様の形状が到着した際、ほぼ自動的にそれがその通りの内容であることが認識できた。
それは不思議な感覚だった。決してヒロミの位置を確認するために飛ばされたものではないことは分かる。ただ、どこかにいる1体のヴォイミが、別のどこかにいる他のヴォイミとの間で心韻を送り合っている、ということを不思議と"認識"できるのだ。
――何かが掴めたようにヒロミには思えた。
意味が理解できた心韻は、体内に激突し痛みを伴うこともなく、溶けるように消えていく。それは同種の心韻の場合においては必ず同じ反応となった。一つ、痛みを消すことができた!ヒロミは目を見開き、自然と笑みを浮かべた。
出来る。ヒロミは確信した。こうなればあとは同じことを繰り返すだけだ。ブロックの種類は多くて数十個であることは分かっていた。不明なものもいくつかあるが、それは後で調べればいいだろう。ヒロミは一心に試行を続け、ほぼ全ての心韻の意味を理解し、痛みを克服することに成功した。
次だ――!
ヒロミは目の前で待ちぼうけ状態になっている1体のヴォイミを睨むように見つめた。セデイからは自由に使っていいとも言われていた。受信するだけでなく、自ら発信できなければ心韻を使えることにはならない。この機会にこの機体を使って試すしかないだろう。
最初に送るのは「識別」の命令だ。先程の経験から用いられる形状も理解している。ヒロミは目の前のヴォイミに向け、その体の中心目がけて心の中で呼びかけた。
「『識別』――」
ヴォイミは微動だにしない。心の込め方が足りないのだろうか。ヒロミは繰り返した。脳内に飛来していた形状をイメージし、それに意味を乗せ飛ばす感覚だ。
「『識別』」
しかしヴォイミの様子に変化はなかった。強く力を込め、発音器を震わせるよう意識して、何度も送った。だが、結果は変わらなかった。ヒロミは考え込み、そして思い当たった。形状として認識しているのはヒロミ特有なのかもしれない、ということだ。そして、特に力も込めず、ブロックを意識することもなく、念じるようにその意味をメッセージとして送った。
「『識別』……」
「「53642187925433、"木の実"、フリー、言語が利用できます」」
目の前のヴォイミが一瞬ピクリとして、ヒロミの方に顔を向け目を点滅させると、そう返した。――通じた!!ヒロミは立ち上がり飛び上がらんばかりに喜んだ。脳から脊髄にかけて若干痺れるような刺激が走ったが、もはやこれまでのような衝撃的な痛みは一切感じない。とうとう、心韻のやり取りが可能となったのだ。ヒロミは口を両手で覆うようにし、興奮気味に次の命令を考えた。冒頭の数字は個体識別番号のようなものだろう。そして"木の実"というのがおそらく固有のニックネーム、呼び名だ。セデイが命名したのだろうか、意外と可愛らしくシンプルな名前に思えた。フリーというのは命令を受け付けている状態で、言語の利用はネーリアの口語がある程度通じるということを意味しているはずだ。
「『表示』、ニュースを」
ヒロミはおそるおそる続けた。
「承知しました、契約期間内につき無料です」
ヴォイミはそう答えると、カシャカシャと1本のアームを伸ばして半透明のモニターを展開させた。そこにはヒロミがここへ来て以降何度も望んだニュース映像が映し出された。とうとう、とうとうだ!ヒロミ自身の力で、このニュースを見ることが出来るようになった。ヒロミは感動を噛みしめながら、再び椅子へと座り込んだ。
こうなるとヒロミの探究心は止められない。思い出すのは王城でフェイミから借りていたブレスレット型端末のことだ。心韻のネットワークに繋がってさえいれば、様々な情報を引き出すことができる。あのときも定期便の運行情報などは調べることができた。このフリーの状態にあるヴォイミを介すれば、より多くのネットワークに入り込み、多くの情報を知ることが出来るだろう。ヴォイミへの心韻についてさえも、例えばそう、命令の組み合わせなども、調べることが可能なはずだ。
ヒロミは「調査」の命令を多様した。ヒロミにはやりたくてもやれなかったことがたくさんあるのだ。まずは部屋のロックの仕方だ。そして自分用にヴォイミを雇う方法、期限や使用料、望む行動を取らせるにはどういった命令を与えるべきなのか等、そういった情報をひたすらに調べ続けた。
――そうして、ヒロミの知識量は短時間で猛烈に増大した。ヒロミは感情の高ぶりを抑えるように、おもむろに立ち上がると、目覚めた際にクトゥアから貰ったオイル入りの小瓶を手に取り、少量を口に頬張り、残りを首周りに塗りたくった。やれる。まだたどたどしく使いこなしているとは到底言い難いが、少なくともこの研究都市で生活を送れるレベルには、心韻を使用できるようになっているはずだ。そして――
そして、では何をする?部屋を見回すと先程までと様子はまるで変わっていない。クトゥアが起きる気配も、セデイが戻る様子もなかった。ここまでは意外にも短時間で心韻の基本を習得することができた。だがそのために酷使し過ぎたせいか、発音器や受容器周辺のただれ具合は変わらず、表面にうっすらと鮮血のようなものまで滲み出していた。ヒロミは急に我に返り、目を背けた。どうする……?今ならばおそらく使用者であるセデイとは、このヴォイミを通じて心韻で話すことが可能のはずだ。だが、どこかそれもためらわれた。夕方までにはまだ時間がある。ヒロミは入念に、ここに到着した日にクトゥア乗せられたアメンボ型ヴォイミと、その自律的な防御方法について調べていた。このまま地下の実験室でじっとしているのもヒロミには息苦しく感じられた。今学んだことを、ヒロミは早速実践に移そうと決意した。




