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9-9

 患部にオイルを塗り込んだ影響というだけではないだろう。急速に麻酔が切れ、受容器と発音器が移植されたヒロミの下顎と鎖骨周りの部位に、感覚が戻ってくるのが実感できた。


 「……ったた!!」

ヒロミは思わず声を上げた。

「ど、どうされました?」

クトゥアが手術台を覗き込んで尋ねた。

「どこか、痛みますか?」

「い、いえ……、そうでは……、ん、うわぁぁっ!!」

突如ヒロミは天を仰ぎのけぞるようにしてうめき声を発した。そして顎関節付近を両手で覆った。


 「何か……中に……!」

ヒロミは体内に強烈な異変を感じた。

「尖った……何かが、中で……!!」

それは経験したことのない感覚だった。ヒロミの体の中を、いや中ですらないのかもしれない、身体の体積では到底収まりきらないほどの大きさの角張った何かが、次から次へとヒロミの体を通過していくような、そんな感覚がした。実際に質量を伴う物質でないことは分かる。だがそれらが体内をすり抜ける際にはゴリゴリと体の各所を内側から突き破らんばかりに刺激して移動しているのが伝わった。

「あぁ、あぁ、受容器の、周りでしょうか?」

クトゥアは慌てて聞いた。

「あ……はぁ……!く、首から……」

ヒロミは言葉を発するのも苦しく感じた。かろうじて手を動かし、首から上にかけての頭部にその痛みが集中していることを訴えた。

「えーと、受容器が、過敏に反応してるのかも、ですね、えぇ」

ヒロミにも何となくその原因は推測できた。だが痛みを引き起こす物質たちは次から次へととどまることなくヒロミの体内に訪れ続け、抑えることができない。ヒロミは顔を歪め、ただ痛みに身をよじらせ手術台の上で体を左右に振ることしかできなかった。表面上には何も変化が起こっていないが、眼球も、口も、喉も、内側から押し潰そうとするかのような激痛が襲ってくる。


 「え、えーと、ヒロミさんも、ご存知かと思いますが、ヴォイミたちは常に互いの位置を把握するため、心韻を飛ばし合っています。受容器は、通常はそういった心韻は、受け取らないですけど、おそらく移植直後ということで、周囲の心韻を全部拾ってしまうほどに、感覚が、鋭くなっているのかもしれないです、はい」

クトゥアは心配そうにヒロミを見つめながら言った。

「ただ、そこまでの反応を示すことは、私たちの間では、聞いたことがないです、えぇ。手術後ですので、痛み止めを使うのも、避けた方がいいでしょう。すぐに落ち着いて、慣れてくるとは、思います、はい」


 慣れる――?そんなことができるのだろうか。通過していく物体は立方体のように感じるときもあれば、トゲの生えたウニか何かのように思えるときもある。そのいずれもが、尖った部分を体にこすりつけていくのだ。ヒロミの思っていた心韻とはまるで違う印象だった。心韻が言語的メッセージだけを扱うものでないことはヒロミも把握していた。ヴォイミを経由して実現される中継映像や、他にもヴォイアクーやヴォイアースをコントロールする際に多くの情報を機体との間でやり取りしているということは、ヒロミも実際に目にして理解できていることだ。しかしそれらの情報を受け取った際にどんな体験をするのかについては、まるでイメージできていなかった。実際トワと初めて対面したときに聞こえたように思えた心韻らしき音声も、体の芯を揺さぶるような重さを伴う圧迫感こそあったが、伝わったのは言葉だけだ。ヒロミが心韻として認識していたものはあくまで"声"を届ける手段としてでしかなかった。ネーリアの実生活に即して考えてみれば飛び交う情報が言語だけではなくあらゆるものを含むということはある意味当然だろう。そして生まれながらにそうした情報の海に投じられ不要な要素を受け流す手段を心得ている者からすれば、その方法について事前の共有がないのも仕方ないことだったのかもしれない。少なくとも、今流れ込んでくる心韻には言語として認識できる要素はまったくなかった。


 「これ……、ヴォイミの使う、言葉……なんですか?何か……箱みたいな……、モノって感じがして」

ヒロミはなんとか質問を投げかけた。

「えぇ、はい、言葉かどうかは、ネーリアにとっては、日常的すぎてよく分からなくなってるかもですけど、えぇ、確かに、我々の使っている言葉とは、ちょっと違いますね、はい」

ちょっとどころではなかった。これではヒロミがコントロールできるという予感すらしない。グラフィカルな、何か積み木のようなものの配置や組み合わせで文章やその情報の内容を表現しているということだろうか。いやしかし逐一体にゴツゴツと当たるのは勘弁してほしい。そしてヴォイミに心韻を送って何らかの指示を出すとしたら、この箱のようなかたちのメッセージをこちらから送らねばならないということだろうか。心韻の習得には随分と壁があるように思われた。同時に、これまで聞こえていたと思っていた心韻らしきものは単に気のせいだったのではないかという疑問も浮かぶ。いや、夢でもヴォイアースを操縦できていたはずではないか。――ごく自然にそう思えたが、詳細は思い出せなかった。受容器に――、そう確かヴォイアースが感じているのと同じ感覚を受け取り、それに応じて命令を出し機体を制御できていたのだ。あの感覚が、移植後に起こり得る体験としてヒロミに希望を抱かせていたのは間違いないだろう。実際には全方位から金属の箱を脳内に投げつけられているような、そんな苦痛でしかなかった。


 「……ど、どうすれば、……慣れるんでしょう……」

「んー、そうですね、んー」

クトゥアが返答に窮していると、実験室入り口のドアが開いた。

「おー、無事終わったかー」

「あ、セデイさん」

クトゥアの反応を聞き、うつむき気味だったヒロミもなんとか視線を前に向けた。そこには手術の立会人としても呼ばれていた研究員セデイが、数体のヴォイミを引き連れ、またも何か武器のような得体の知れない突起物を複数携え入室してくる姿があった。


 「「よっ!」」


 「ぎゃああああああああああ!!」

それは確かに心韻だった。セデイが挨拶代わりに送ったのだ。ヒロミにとっては初めて受け取ったヴォイミ以外からのものだった。間違いなく理解できるメッセージとしては伝わった。だがその音量が、いや言葉の存在感自体が尋常ではなかった。頭や脊髄を直接揺さぶるような、凄まじい衝撃と痛みがヒロミを襲った。ヒロミは手術台から転げ落ちるほどにのたうち回った。


 「え?え?」

「あー!あー!セデイさん!まだだめです。あー!」

セデイは困惑し、クトゥアは彼女を制するため両腕をバタバタさせて応じた。受容器と発音器は激しく痙攣し、ヒロミは全身から汗を流しながら痛みが和らぐのを待った。


 「あー、ふーん、そーゆーことね、ふーん」

セデイは時折ヒロミに視線を落としながら、クトゥアから術後の経緯について聞いていた。

「なんなら取っちゃえば?もう一度ここに入れてさ」

「いやー、そんな!いやー」

そう言いながら発音器の部分を指し示すセデイの発言を、クトゥアはまたも慌てて止めた。


 「あの、えーと、ヒロミさん、私、じゃ、しばらく休憩しますんで、えぇ、後のことは、セデイさんにもお伝えしているので、はい、お任せします、んふ」

ヒロミは初耳だった。何かにつけて物騒な言動を繰り返すこの女性が、今の自分に適切な対応をとってくれるうようには到底思えない、ヒロミはそんなふうに感じた。

「は……、はぁ……」

しかしその感情を伝える余裕も、提案を拒否することも、今のヒロミには出来なかった。

「必要な処置についてはですね、えぇ、セデイさんに、えぇ、ふぁぁぁ、えぇ、お伝えしてますからね、んふふふふふ」

クトゥアはそんな力ない言葉を発しながらも、すっとベッド脇から離れていったように感じた。ヒロミは体をねじって手術台の後方を覗き見た。薬品や備品の置かれた棚が並ぶ実験室の壁際に、小さなベンチボックスのようなものが置かれている。クトゥアは「笑える」などとつぶやきながらふらふらとした足取りでそこへ向かっていた。そして不意にヒロミの方へ振り返り、

「あー、覚えてます!はい!ポイントですね?覚えてますよー!はい、んふふ、笑える!今すぐに」

とそこまで言うと、地球人では到底収まらないであろうその狭い箱状スペースの上へ倒れ込むように横になり、一瞬で眠りについたようだった。

「あ……はい……」

ヒロミ自身ポイントのことなどすっかり忘れていた。確か終わった際には結果に応じて残りの額を払うとか、そういう話だったはずだ。


 「まーあの子ね、ずーっと寝ずに見てたからね、あんたのこと」

その様子を見ながら、何らかの武器のようなものを振り回してリズムをとっているセデイが言った。ヒロミは「そうだったんですね」と応じることもかなわず、精一杯の感謝を伝えようと軽く頭を下げた。

「あたしは全然見てなかったけどね、へへっ。ふつーに寝てたし。あーあと痛み止めも一応預かってるけど、どーする?今使うのはオススメしないけどねー、別の何かに目覚める可能性はあるかもね、へへっ」

セデイはだらっと力の抜けるような話し方をするが、その発言には時折不穏当なものが混じり、どこまでが本気なのか計り兼ねる不気味さがあった。だがクトゥアが立会人として呼ぶような人物だ。信頼をおいていることは間違いないのだろう。


 「まーしかしよくこの部屋入れてくれたよね、部外者は滅多に入れないんだよねー、あの子。しかも異星人に手術するなんて、前代未聞の超重要機密でしょ。客員のあたしなんかに任せるなんてさー。まー確かに興味あるとは話してたんだけどさ、ちょっと今のあんたの状態じゃしばらくは何も出来なさそうだよね」

セデイは半ば独り言のようにそう話した。

「あんたは知らないだろうけど、あたしの国とこのスマーリ国同士がね、ずっと結構微妙でね。あたしなんか当分帰れない身分になっちゃってんだよねー。研究そのものには国の間の問題とかあんま関係ないけど、まー次寿命が来たらもうこの国の蛹室に入れてもらちゃおうかなーとか、考えてんだよね。そうすると本格的に祖国には帰れなくなっちゃうわけ。手術受けるのとかもさ、あんたには分からないかもしんないけど、まー他国の蛹に入るってのは結構重いことなんだよねー」

彼女は続けた。

「そーゆー意味でもね、研究対象としては興味あったんだけど」

セデイにとってヒロミの存在はやはりそうした側面が大きいのだろう。彼女が連れてきたヴォイミらに視線を走らせると、それぞれがセデイのつけているようなゴーグルや、何らかの計測器具のようなものを数多く運び込んできているのが分かった。術後に実験に協力するということもクトゥアとの間で事前に約束していたことではある。だがこの物騒なセデイによる研究の対象にもならなければいけないのだろうか。そこは改めて確認する必要があるだろう。


 ――それに、だ。


 何よりも、この手術を終えたらしたいことがあったはずではないか。これまで出来なかったことが出来るようになる。相手の居場所も分かる。距離を隔てていても、声が聞ける、話が出来る。その時をずっと待っていたのだ!それなのに――、初めて受け取った心韻はよく分からないヴォイミのもので埋め尽くされ、ネーリアとの初めてのやり取りはまさかのセデイとのものになるとは――、予想だにしていなかった。しかし肩を落としている暇などないだろう。まずはこの暴力的な痛みになんとか対処しなければならない。そして、すぐに自らの心韻が使えないのならば、確認しなければならないことがある。ヒロミは実験室内で所在なさげにぶらついているセデイに向け、振り絞るように言葉をかけた。


 「セデイさん……!ニュースを……、見せてください……!」


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