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ヒロミの夢は、深く、重く、知覚に繋がる体験としてヒロミに迫った。目に映るのは当時と同じ景色だったが、どこか第三者的立場から俯瞰して見ているようでもある。不思議な感覚だった。
結論から言えば、その出来事は事故だった。
思い出すとしても、何もこの件じゃなくても――。ヒロミはそんなふうにも思った。かなり苦しい経験だったからだ。ただ決して忘れ去りたいと思うほど辛い思い出でもなかった。
研修内容は各人が閉鎖された研修用施設に入り与えられた課題をこなし、終了した段階で外へ出る、というものだ。施設はステーションの外周に連結されたモジュールの一つでもあるが、独立して近距離を移動する能力を持ち、装備したアームで保全作業や補助活動をこなす小型作業船としても機能するものだった。当時は既に老朽化が進んでおり、本来の役目を終え実験や研修に使用されるのみとなっていた。課題はうまい具合に一人ではこなせない内容だった。そして誰と、何人で実習を行うのかは、事前には一切知らされていなかった。その点ではクロードが研修のパートナーだったことは幸いと言える。彼とはその当時特に親密な付き合いがあったわけでもない。だが地上で訓練を共に行ってきた同期の仲間だ。気の合うグループのうちの一人だったこともあり、実習への不安は大いに軽減された。
実際に課題は順調に進んだ。勿論誰でもこなせるような平易な内容ではなかったことも確かだ。施設内の機器は旧型のものが多く、そのままでは課題どころか人間が生存することもままならない環境にあった。内部の主要な状況はモニターされており、続行するのに不適格な兆候が見られた場合は即中止となるはずだった。研修期間中でも脱落者は即座に地上勤務へ異動となる仕組みで、その過程は取材が入ってドキュメンタリー番組が撮られることさえもあった。
あえて意地の悪い課題が与えられる。残ったメンバーにとってはそういった認識は十分に植え付けられていた。そして、実習が始まって4日が経とうとしたとき、ステーション側との通信の一切が不可能となった。2人は当然、作為であることを疑った。冷静に、どうやったら解決できるかを探った。時刻は地球で言う夜で、多くのステーション内の職員は眠りにつく時間だった。
実際には不具合は研修の始めから起こっていた。この実習では最初から予備電源を使用していたのだ。2人が解決策を探るうち、本体となるステーション側からの電力供給が物理的に絶たれていたことが分かった。現役を退いた施設ということもあり、利用頻度の低いいくつかの機能については始めからアラートが作動しないように設定されていたようだ。電源が切れる想定はそもそもなく、電力の不足についても一切知らされなかった。この段階になって施設内には警報が鳴り、赤い警告灯が点滅を始めた。生命維持装置が予備電源を使い切って停止し、酸素が不足したためだ。そしてこの警報はステーション側には通知されなかった。
ヒロミは比較的落ち着いていた。それでもまだ訓練の一部ではないかという疑いさえあった。思ったより短い命だったが何ならここまで来れただけでも幸運だったかもしれないと、そんなことすらも考えた。対してクロードは目に見えて焦っていた。時折自らに何かを言い聞かせるように怒鳴ったりもした。船外で原因となる箇所を探し、電力を回復させようとも言った。しかしそれは実際難しい。船外作業服の各機能が生きているか、着用が可能かをまず確認し、減圧など作業者側の準備を行うのに時間も酸素も消費する。それほどの余裕は既にない状況だった。緊急時における訓練は当然何度も繰り返している。だがこの事態はイレギュラー過ぎた。極力酸素の消費量を減らしつつ、小窓から何かを光らせるなどして、ステーションの職員に気付いてもらう――それくらいしか現実的な方法は思い付かなかった。交代で数名は起きているはずだからだ。
どこに落ち度があったのか――、せめてこの経験を後の糧として生かしてほしい。ヒロミはそんなことまで思いながら作業服のミラーを外しそれに非常用ライトの光を当てるなどして、なんとかステーション側へメッセージを送ることに努めた。クロードは最も有効性が高そうな手段として、室内のモニターだけでも復活させようと試みていた。施設内の機器は本来メンテナンスが容易なパーツで組まれているはずだったが、古い機械であることと慣用的に本来の意図とは異なる使われ方をした形跡があることから、成功には至らなかった。クロードはひどく疲労した。ヒロミはある意味覚悟を決めたように落ち着いていた。
クロード、私の分も生きて――
ヒロミはそんな言葉を口走りそうになった。既に精神が不安定だったのかもしれない。ヒロミ自身決して自分を役立たずだと思っているわけではない。だが、生存率を上げるとしたら、そしてどちらか一人しか生き残れないとしたら、彼だろう――。ヒロミは迷わず思った。場を明るく和ませ、常にいじられキャラでもあり密かに努力家でもある、そんな姿をずっと見てきたのだ。彼にかけられた期待は大きい。しかしヒロミが口を開く前に、クロードが鬼の形相でヒロミの腕を掴み、言った。
「ヒロミ、絶対に2人で生き残ろう……!!」
その瞳はヒロミを見つめているようでもあり、どこか遠く先を睨んでいるようでもあった。顔は汗だくで歯を食いしばっている。ヒロミは目が覚めたように思った。何を勝手に諦めていたのか。自分を恥じたい気分にすらなった。クロードも決して酸欠のせいで精神に異常をきたしていたわけではないだろう。彼が背負っているもの、支えるべきものを見据えた上でそう言っているように思えた。有無を言わせぬ迫力があった。ヒロミは黙って頷いた。
そこから先はあまり記憶がない。ただひどく疲れ、徐々に気分も悪くなっていった。クロードへの信頼は一気に大きなものになった。互いに憎からず思う関係であるとは感じてはいたが、彼はこの機に乗じて思いを告げるような、そんな素振りは一切見せなかった。機器の修理を諦めた後は、クロードは静かにヒロミの側に寄り添っていた。ヒロミは安心感と心の底に湧き上がる暖かさを感じた――
――ボンボン、ボンボン、ベコ、ベコッ
あぁ――そうか、このまま夢が続けば死んでしまう、ということか。すっかりクトゥアはヒロミを三途の川から呼び戻す役にでもなっているように思われた。
――そう、この後目が覚めたのはステーションの医務室だった。幸いにして後遺症などはなく、ほどなくして2人は研修生としてのカリキュラムに戻った。当時の局長から最初に出た言葉は契約書にサインするように、ということだった。開発局は資金難であり、ネーリとの学術交流を控えた今不祥事が広まるのは避けたい、ということのようだ。クロードは局長室を出た後珍しく口汚い言葉を吐いた。相当に怒りをこらえていたのだろう。だが最終的に、2人はサインをした。開発局側は非を認め、2人の研修費用は免除となった。コンペにかけられていた学術交流自然科学分野の研究課題の一つに、ヒロミの大学の提案がすんなりと通った。以降2人の関係は仲間内でもからかわれ、誰もが認めるところとなり自然と付き合うようになっていった。――ヒロミがネーリにやって来るまでの経緯は、およそそういったものだ。
まるで誰かに自己紹介を見せているようでもある。奇妙な感覚だった。呼吸はいまだ不安定で苦しく、体中が熱を帯びて焼けているように感じる。さらに言えば、思い通りの器官を思いのままに動かせないというもどかしさも強く感じるようになった。麻酔で動けないというわけではない。体は何かに反応しているが、それが何かは分からない、体内で行き場のない刺激が疼きもがいているような違和感だ。やがて夢で最初に見た川、その流れる水音が一瞬聞こえたように感じたが、すぐに轟音が耳を覆った。ヒロミならばすぐに分かる。それはヴォイアースの羽音とモーターの駆動音だ。
背後から猛烈なスピードで迫る物体に急に放り込まれたような衝撃を受けた。以前トワにはシーロトワミに乗せられたことがある。あの時は縦列の後部座席だったこと、そして警告を受けながらの低速飛行だったこともあり、本来の飛行性能からは程遠いものだった。しかし今ヒロミが知覚しているのはコクピットの前部、操士が乗り込む場所だ。速度も音も、振動も、全てが桁違いに激しい。はるか前方には雪をかぶった山々が見える。低空には雲が広がっているが、その間からのぞく地表はほとんどが雪原か、まばらに生えた草地だ。どうやら北方の海沿いへと向かっているようだ。そしてここでも、ヒロミにはどこかこの様子を俯瞰で見ているような、他者の感覚を経由しているような違和感があった。
――そうだ、そういうことか……
ヒロミの中でようやく何かが繋がった気がした。詳しく知っているわけではないが、ヒロミも以前聞いたことがある。"記憶転移"などと呼ばれるものだ。臓器提供者の記憶が受給者側に移る、という現象だ。ネーリアは種として世代間で記憶や能力を引き継ぐというミラクルを繰り返している。移植手術で同様のことが起きても何ら不思議はないだろう。今体感しているのは提供者の生前、もしくは最後の記憶ということではないのだろうか。死因は戦闘時の事故によるものと聞かされていた。つまりはこのあと致命的なイベントが発生するに違いない。
逆に言えば、ヒロミがステーションの夢で感じていた違和感は提供者に自分の記憶を見せていた、ということだろうか――?もしそうだとすれば、お互いに記憶をさらけ出し心の準備をしてから一つになりましょうとでもいうような、どこか礼儀正しい挨拶的手続きのようにも感じられる。ヒロミとしては歓迎したい心境だった。もちろん全てが根拠もなくただヒロミが自身を納得させるためだけに見ている都合のよい夢、という可能性もあるが――。
たとえそうだとしても、今ヒロミに襲いかかっているこの衝撃は提供者の記憶説を支持したくなる。そして更に好意的に解釈すれば、体の奥でくすぶっていた感覚にも見当がつけられる。その感覚ははっきりと、搭乗するヴォイアースが受けている刺激をフィードバックしているように感じられたからだ。つまり、受容器がヒロミの体に移植され、手術が確実に進行していることの現れではないのか、と。
その仮定はヒロミを前向きにさせた。体の芯をえぐるような痛みや違和感もあるが、ヴォイアースが姿勢を保ちながら飛行するための指示を自らが与えているという感覚も、擬似的ではあるが感じることもできる。だが当然ながら、まだ何かが足りていないという感触も残った。それは体の表面近いところまで湧き上がるが、放出にいたらず溜まっているという感じだ。その不快感を除けば、今の感覚はまさにネーリアのものだと思っていいのではないか。飛び交う複数の心韻の呼びかけを遮断しているという認識もある。必要な声だけを聞くようにしているのだ。
「「△△様、霧です!」」
まさにその時、後部座席の副操士から心韻が届いた。△△の部分は「ヒロミ」と呼んでいるようにも聞こえる。リアルタイムで音声が編集されているような印象だった。ヒロミが記憶を共有するために、整合性のとれない部分はそう処理されているのだろう、とヒロミは直感的に解釈した。
そして例の、植物型のユーフが周囲に漂わせていた黒いモヤのような物体が、眼前に迫っていた。どこかから急に現れたようにも見える。ヒロミたちの接近を察知し、何者かが設置したか、発射したりしたものだろうか。咄嗟に操縦桿を傾け避けようと試みたが、右側の羽はそのモヤをかすめたようだ。
「「△△!先行するなと言っただろ!」」
「隊長、あと僅かで射程に入るんです」
隊長と呼ばれる者へ、自分(?)はそう答えた。モニターには確かに身の丈よりも長い長距離射撃用の武器を持っていることを示すステータス表示がされている。しかし、わずかな接触のあったその瞬間、右半身がグレーアウトしスケイルヴェールの供給が一切絶たれていることを表す表示へと変わった。実際、先程まで受容器が受け取っていた機体右側から送られてくる情報は一切感じられなくなっていた。
「「△△様!高度が落ちています!」」
「あ、あぁ!分かっている」
副操士もそう告げた。
「「あ、あが……!あああ゛あ゛……!」」
そして直後、彼女の心韻からも異変が伝わった。操士は機体を必死にコントロールしようとしつつも、前面モニター上に後部座席の映像を映した。そこには、顔色がみるみる青黒くなり、奇妙に膨張しているように見える副操士の姿があった。そう、博士の症状と同じだ。自分も……だろうか!?いや、まだその感覚はない。発症には個人差があるのかもしれない。ほんの一瞬、モヤにかかるかかからないかの位置を移動しただけで、ここまで影響が出るものなのか。ヒロミは恐怖した。そしてステータス上では全ての羽がグレー表示へと変わった。既にヴォイアースは羽の操作をまったく受け付けない状態だった。
「「△△機!大丈夫か!!武器を離せ!防御姿勢を――」」
隊長からの心韻が届いた。操士は何かを叫ぼうとした。それは彼女が思う大事な誰かへ向けたものかもしれない。その情報は意図的にシャットアウトされたように感じた。視界に雪原が迫った。副操士の叫び声が響く。
――夢はそこで黒い闇に包まれ終わった。
冗談じゃない。こんなわずか数秒の出来事で、彼女の、提供者の命は絶たれてしまったのか……。おそらくは受容器と発音器以外の身体の破損がひどかったため、再生もかなわないという判断になったのだろう。蛹室に還れない彼女の無念さは体中に黒く渦巻くように染み込んでいくのが感じられた。実際ヒロミに何が出来るかはまだ分からない。だが、この感情は受け継ぐよりほかないのだろう。無事目が覚めた際には、きっと今後の行動に何らかのかたちで反映されるはずだ。ヒロミはそう感じた。
――ボンボン、ボンボン!ベコッ
――大丈夫。まだ諦めていない。このまま闇に沈んでいるわけにはいかない。意識ははっきりしている。自分はまだ生きられる。ヒロミは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
やがて視界にはまた新たな景色が広がった。木製の長椅子か何かだろうか、自分はそこに膝立ちの姿勢で、ステージ側に背向けた状態で後ろ側を見ているようだ。そう、ステージが前方にはある。ここはすり鉢状の円形劇場のようなな施設の一部だ。ヒロミはその最後部、つまり最上段の座席にいる。背後からは熱気に包まれた民衆たちの声が湧き上がっていた。それに背を向けているということは、ヒロミ自身はその主体にあまり興味がないということなのかもしれない。
何の景色か分からない。不思議なことに、提供者の記憶にもない夢のようだった。




