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ニュース映像が特にヒロミを刺激するものでなかったことは幸いだった。
ヒロミは研究棟に隣接する小屋のような実験室に戻っていた。第一研究室からの道のりはようやくヒロミにも難なく辿れるものになっていた。クトゥアと話し検査を受けている最中も、ヒロミは繰り返されるニュースとその更新内容を視界に入れるようにしていた。状況は進行しており、決して楽観できるものではなさそうだ。飛行型の生物は既に複数種が観測されている。徐々に大型化し運動性能も上がっているようだ。ユーフの生態については不明なことばかりだが、こんなペースで日に日に新たな種が出現していてはその対処も極めて困難だろう。おそらくユーフは既に拠点のようなものをどこかに築いているはず、ということだ。今後更に大型で耐久力、移動能力共に高い種の出現が予想されている。現在は積極的にスマーリ国に被害を与えるような行動をとっているわけでもないことから、対応としてはその勢力範囲を食い止めるにとどまっている、ということのようだった。そして――、映像内にトワの姿はなかった。ヒロミにとっては何よりもそのことが有り難く思えた。勿論そのことだけで何かが断定できるわけではない。だが、ヒロミの心は随分と安らいだ。彼女はまだ無事だと信じられる。少なくともヒロミが今向けるべき関心の対象は一つに絞られた。
明日、――いや、手術自体は1日程度かかるという話だった。全てはその時だ。1日後、目覚めたとき、ネーリに来て以降ずっと抱えていた問題、超えられなかった壁が、遂に解消されることだろう。伝えたいことを、伝えたい相手に伝えられる。目を点滅させ窓にぶつかりながら合図を送るヴォイミに怯えることも、ドアがロックできずにもどかしい思いをすることも、もうない。話したい相手と一切の意思疎通ができずに苦しむことも、もうないのだ!今はただ心身共に、健康な状態で手術を迎えることに努めればよい。
そう考えるとこの実験室を取り囲む環境にも急に親しみが感じられた。今までは虫たちの鳴き声もどこか悲痛な記憶を呼び起こしそうなものでしかなかった。しかし仮に、ヴォイミらをコントロールし自分の意思を反映させつつ、眼前の地を圃場として管理できたらどうだろうか。もとより、ヒロミがこの星で試みたいことはいくつもあったのだ。謎の巨大生物が潜む沼地でも、きっとクトゥアのようにサポートヴォイミを引き連れることで行動は容易になるはずだ。持ち込んだ様々な植物を、この地で存分に生育させよう。あのツル性の種のように巨大化するものもあるかもしれない。適応できない種も当然あるだろう。周囲の虫や生物種との関わりも調査できるかもしれない。キュイオのように固有種と掛け合わせることで、見たことのない植物たちによってこの地が彩られていくことになるかもしれない。そしてゆくゆくはこの国、この星にその成果を広めることが出来れば――。そう、これまでは何一つ思い通りに研究活動が出来なかったのだ。ようやく、ようやくだ――。敵対とまでは行かずとも、別の生き物であることをことあるごとに思い知らされてきた大きな隔たりの一つが、とうとう解消される。
すっかり夜の闇に飲まれたクスンの湿地を眺めながら、ヒロミの顔には自然と笑みが浮かんだ。虫たちの声も心なしか軽やかに、心地よく感じられる。
――だが、この時間が与えられた理由はそもそも何だった?クトゥアがあえて迷いを生じさせるような質問を投げかけたのも、ヒロミにもう少し考える時間を作るべきという配慮だっただろう。
――迷う必要、あるだろうか……。ヒロミはしばし考えた。地球に許可や、連絡が必要だろうか。ヒロミにはどうしてもその筋道が繋がらなかった。未知の体験という点ではネーリへ旅立つイベントの方がヒロミにとってははるかに重大に感じられていた。その時でさえ、家族と直接会うこともなく、何ら特別なセレモニーを催すこともなくやって来たのだ。今ここで、ヒロミが人でなくなってしまう――と、そんな事態が発生するのであればメッセージを送っておく必要もあるだろう。だがそこまでの変化でもないはずだ。もしかしたらこの先、地球人でもネーリアでもない、中途半端な生命体として一生を送ることになるのかもしれない。それは――確かに重大だ。だが……、ヒロミにとっては今の、この状況で生き抜いていくことが何より重要だ。目の前には果てしない可能性が広がっている。そのための道を切り開くおそらく唯一の手段が、自身を変えることなのだ。必要と、科学者としての好奇心とが共にヒロミを駆り立てている。あえて拒む理由を探す道理もないだろう。ただ王城では接触すらもかなわなかった通信官とのやり取りが、この地では可能だ。それでもリアルタイムの通信というわけにはいかない。であればどのみちファイルを作成するために何らかの記録手段が必要になるのは変わらない。持ち込んだ器材はまだ荷物と共にクトゥアのいる第一研究室に置かれたままだ。この部屋には相変わらず、ベンチと机と椅子、そして溢れ気味な水以外は何もないのだ。
――つまり、今出来ることは何もない。ヒロミの決意が揺らぐことはなかった。ヒロミは自らにそう言い聞かせるように瞼を閉じた。
翌朝、普段よりも多くのヴォイミを引き連れたクトゥアが予定通り実験室を訪れた。
彼女は軽い朝食を用意し、1ポイントだと言って差し出した。ヒロミは苦笑しつつ受け取った。そして改めてヒロミの意思を確認し、ようやくヒロミのカードに借金を帳消しにするほどの大量のポイントが振り込まれることとなった。
食事を終え、2人と数体は地下深い階層にあるクトゥアの実験室へと向かった。王城での経験もあり、ヒロミは地下の、そして蛹室の仕組みを利用した機器ということから、徐々に道中が天然の洞窟のような、そして生物的な内装へと変わっていくことを想像した。しかし実際には整然とした清潔感あるこの都市の構造は変わることなく続いた。実験室に辿り着くとヒロミは中央に置かれた手術台のような機器に案内された。それも聖蛹で見た蛹のような長球状のものではなく、地球人の想像する手術台と変わらないベッド状のものだ。ヒロミは拍子抜けしたようにも感じた。周囲は複数のモニターとヴォイミなどが配置されるであろう足場が囲んでいる。ヒロミはヴォイミらに支えられながらその台上に乗り、クトゥアから諸々の説明を受けた。
手術はデータに基づき、受容器と発音器をもつ地球人をベースとした生物種、という設計に従い行われる点。手術台はカバーで全体を覆われ、その後中は呼吸が可能な液体で満たされる。そこに移植すべき器官がヴォイミによってセットされ、あとは必要に応じてヒロミの身体が溶解し、癒合の完了と共に液体が抜かれ、目覚めるという流れだ。術後は体にフィットするまでに4~5日を要するかもしれないという話だった。心韻ははじめ音量の制御が出来ず、あらゆる音を拾うことで激しい頭痛を引き起こすかもしれない。だが次第にコントロールが可能になり、強制的な心韻以外は無意識に遮断できるようにもなるらしい。また対象が目で見え触れることが出来るほどの距離にいても、正確に相手の存在と位置をイメージしなければ心韻を送ることは出来ない。ローブやフードで表情を隠すのには無用な心韻を避けるという意図もあるということだ。そのため、最初は身近にいるヴォイミに指示を出すところから練習をするのがいいという。
ヴォイミはネーリアの言語を完全に理解できるわけではない。会話のようなものは成り立たず、通常は特定の文法に従った命令とその応答しか受け付けないように作られている、ということのようだ。若干クセがあり、術後にはそのための勉強も多少は必要になるかもしれないということだった。説明が続く中、実験室のドアが開き一人のネーリアの研究員が入ってきた。背中や腰には突起物を複数身につけている。
「あ、こちら、この国、この都市では、規模にもよりますけど、ね、正式な手術の場合、立会人が必要になりましてね、はい」
クトゥアがそう説明した。
「あ?何?これ?始末すんの?」
その研究員は、ヒロミが広報用映像を求めて迷い込んだあのとき、研究室にいたゴーグルをかけた女性だ。背中側に所持していた鎌のようなクワガタの顎状の突起のついた武器を手に取ると、起動させた。突起部分はヴォイアースの用いる光学剣のような鈍い音と共に光を放ち振動した。ヒロミは目を丸くした。
「あー!違います!あー!セデイさん!違います!」
クトゥアが珍しく慌ててセデイと呼ぶその研究員を止めた。
「違います、えぇ、違います、笑える、んふふふふ!ヒロミさん、違いますから、えぇ!」
「は、はい……」
ヒロミは若干身構えながら返答した。
「んー、んー、こちらね、先日、ほら、ご縁もあったということでね、お呼びしただけで、はい。研究分野も近いですし」
研究員は渋々武器を収めた。
「あ、あの……、先日は申し訳ありませんでした……!」
ヒロミは謝罪をした。
「まぁ、ね、ヒロミさん、運がよかったかもですね!んふふ!セデイさんね、個人的な趣味で、武術、詳しいんですよね、えぇ」
「あ?あー……。まぁね、あんとき眠かったし、警備もすぐ来たしね。そうでなかったら軽く足くらい切り落としてたかもね」
「あー!まぁまぁ!まぁまぁ!ね!セデイさん!んふふ」
相当に物騒な立会人とやらが訪れたようだ。ヒロミは体をこわばらせたままだった。
「あ?いや、まぁもう別にいいよ、あんときのことは。今ちょうど暇してたしね」
「で、ですよね!んふふ!んふ、笑える」
クトゥアは必死で場を取り繕っているように見えた。
「で、何?何かの罰なの?」
彼女は言った。
「え、え?」
「人体実験すんでしょ?」
「ち、違います!セデイさん!んー、違わないですけど、そういうのじゃないです、はい!」
彼女が発言するたびにクトゥアは振り回されているようだ。
「へー、変わってんね」
「ヒロミさん!そういうのじゃ、ないですからね、えぇ、んふふ!」
「あ、はい……」
「ということで、ね、こちら、南東の方にあるバルーティという国から、来られてる、客員研究員のセデイさんです、はい!」
クトゥアはそう紹介した。
「どーも」
「はい、宜しくお願いします。地球人のヒロミ・クロカワです」
「ふーん、地球人、ふーん」
セデイはゴーグルのせいで視線の先は見えないが、品定めをするかのようにヒロミの全身をくまなく見ているようだった。クトゥアが呼び、この都市で研究を続けている者だ、悪気はないのかもしれないが、どうにも穏やかな気分にはなれなかった。
「ヒロミさん、落ち着いたらね、シミュレーターの、お相手とか、してみるのも、いいかもですね!んふふ」
「へー、出来んの?ここじゃ相手になる人いないんだよねー、操士だって来ないしさ」
クトゥアの提案にヒロミは首を傾げた。
「ヴォイアースの、模擬戦ですね、んふふ。彼女は、そういうことも、得意なんです、えぇ」
「そんなこと、私全然やったことないですし!」
ヒロミは困惑して答えた。
「私もです、んふふ、んふ!笑える。ただね、心韻使えたら、小型のヴォイアクーの操縦とかは、出来るように、なるかもですからね、えぇ、んふ」
「はぁ……、出来そうにないですけどねぇ……」
ヒロミは苦笑いを浮かべた。
「さ、さぁ、では、ね、一通り説明は済んでますから、はい、始めましょう」
クトゥアがそう言うと、1体のヴォイミは記録をつけ始め、他の数体は手術台の周りの各々の持ち場へとついた。ヒロミは検査着を脱ぐように促され、裸の状態で手術台に横になった。セデイが「へー、へー」と小声でつぶやくのが気になったが、手術台の両脇からは徐々にカバーとなる殻のような物体がせり上がってきた。顔を除き、首から下はその殻に覆われたかたちとなった。カバーには若干生物的な要素が見られ、ところどころ血管のような筋が走り、すりガラスのようにやや不均一に曇っている。枕元にクトゥアが、足先にセデイが立っているであろう影が見えた。
「ちょっとバタバタしちゃいましたけど、ね、んふ、ヒロミさん、準備はよろしいでしょうか」
「はい!」
ヒロミははっきりと答えた。
「すぐに感覚がなくなると思います、はい。中の様子は、詳しく、チェックしていますので、お任せください!」
クトゥアはそう言って周囲を囲むモニターを指し示した。
「はい」
ヒロミは微笑んだ。
「では、明日またお会いしましょう!」
クトゥアがそう言うと、顔の部分のカバーも閉じられ、全身が殻に包まれた。これで蛹室の見た目と同じようなカプセル状の物体に入ったことになる。足元からちょうど体温に近い温度の液体が注入されるのが感じられた。液体は徐々にカプセル内を満たし、ヒロミは目を閉じた。




