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困惑するヒロミをよそに、クトゥアは床を滑るようにやって来たアメンボ型ヴォイミにまたがり、何やら着々と準備を進めていた。ヴォイミは胴体は細長く羽をもっているが前肢が前に長く張り出しており、地球で言うところのアメンボとは厳密には当然ながら違う形状だ。だが脚の長さやその移動法からも、同様の生活スタイルを送っている生物種をベースにしたであろうことは推測できた。
「――で、では、具体的にはどのような研究をすれば、どれくらいのポイントになるんでしょうか……」
ヒロミは尋ねた。クトゥアはローブの裾をまくり、機械仕掛けの眼鏡の縁をいじりながら調整を続けている。
「えー、えぇと、そうですね、はい……。1回のレポートで、10ポイントにはなるでしょうかね、んふ」
「え、それだと、生活には足りないのでは……?」
「あ、あぁ、まぁ、1件ごとなので、ね。複数送れば、というのと、えぇ、あとは、今は、緊急の特例ですからね、一通り、成果としてまとまれば、別途、報酬はあるかもですね、はい」
「そ、そうなんですか……」
クトゥアの返答にヒロミはとりあえず納得しかけた。
「まぁ、提出しても、受理されるのが、いつになるかは、分からないですけど、ね。んふふ!笑える」
「え!?」
「さ!じゃ、行きましょうか、ね、乗りますか?んふふ」
クトゥアはヒロミの反応にかまうことなく、ヴォイミの背中後部のわずかに空いた部分を勧めた。
「わ、私も、乗っていいんですか……?」
「えぇ、はい、この子は特殊なんで、まぁ、3ポイントですけどね、んふふ」
「えぇぇ……」
ヴォイミに手をかけるところまで近付いたヒロミは、その言葉を聞きためらった。
「んふふ!んふ!大丈夫です、んふ、今日は、貸しにしますから、ね!んふふ、笑える!」
「は、はい……、では、有難うございます……」
ヒロミはそう言って渋々ヴォイミの背にまたがった。クトゥアが心韻で指示をしたためか、入り口部分のドアがスライドして開き、機体はわずかにスケイルヴェールを散らしながらふわりと浮上した。
決して速くはないスピードながらも、脚の動きに合わせてスイスイと滑るように、2人を乗せたヴォイミは研究棟前に広がる湿地へと入っていった。日は沈みかけていたが、外はまだ明るさが残っている。王城付近は雨期が終わり空気も乾いていたが、この一帯は再び蒸すような重く湿気を含んだ外気が覆っていた。ヴォイミが水面を進むのに合わせ、それを避けるように飛び跳ねる小さい虫や、並走するように水中を泳ぐ生物も見られた。
クトゥアがおもむろに振り返り左手側を指さした。ドーム状の研究棟から張り出した、小屋くらいの小部屋が見える。
「あそこの、ね、多分、水耕用か何かの、施設なんですけど、今使ってないので、ヒロミさん、ここに滞在する間、部屋として、使ってもらうのが、いいかと、思ってますね、はい」
「あ、有難うございます」
いるべき場所が定まるのは素直に有り難く思えた。そこですかさずヒロミは思い出した。
「あ、あの!クトゥアさん!よかったら……、ロックを、ぜひ、解除しておいてもらえますか?」
「え、あぁ、はい。あぁ、なるほど、はい」
クトゥアはそう言って背筋を伸ばし一瞬心韻を送る仕草をした。
「助かります……、中は研究棟とも繋がっているんですよね」
「えぇ、そちらも、解除しました、はい。まぁ、ここなら誰も、来ないでしょうけど、ね、んふふ」
「有難うございます。けれど、やはり不便ですね……。カードで、処理したりはできないんでしょうか」
ヒロミは感謝しつつも、クトゥアが首から下げているカードを見ながら尋ねた。
「そうした機能は、ないですね、えぇ。大体、必要ないですから、はい」
「ですよね……」
ヒロミもそう答えるよりほかなかった。そもそもが心韻の使えない地球人向けの設計ではないのだ。
「サポートヴォイミを、連れていく、とか、そういうのしかないでしょうかね、えぇ」
クトゥアは前を向きながらそう言った。
「はい、それも……、心韻が使えないとなかなか指示もしづらいと思います」
「そうですよねぇ、えぇ、はい……あ、あれですね」
クトゥアはそう言って丈の高い草むらの先を指し示した。
そこには王城の自室や6区の研究室でも見たような膨れ上がり異常に生長した植物が数株見て取れた。1本は垂直に伸ばすためか支柱が何本か添えられているが、自重に耐えられなかったと見え地面の方へと再び曲がりくねりながら伸びている様子だ。他の数本は初めから水平に伸ばすべく支持されているようだ。屋外のスペースで存分に伸び広がっているのだろうが、そのサイズ感は室内のものとさほど変わらないようにも思えた。
「どうですか、私、初めてですね、えぇ、形は草のようですけど、こんな、大きくなるのを、見たのは、はい」
確かにその先に見える林に並ぶ樹木化した植物に比べればその丈ははるかに低い。それでも人の身長はゆうに超える高さと茎の太さはあった。
「ただ……、室内のものと大きさは変わらないようにも見えますね」
ヒロミはつぶやいた。
「えぇ、えぇ、生長の限界みたいなところに、到達しているのかも、ですね、はい。この植物たちも、最初の大きくなる速度は、すごかったですけど、全体の大きさは、今は、あまり変わってないみたいです、んふ」
話すうちに、2人は植物が植えられている地点へ到着した。周囲を何体ものヴォイミが飛び回り、記録をとっているようだ。自室での時のように、虫たちは思ったほど集まっていないように見える。
「何か、虫除けのようなものもあるんでしょうか?」
ヒロミは植物を見上げながら尋ねた。
「えぇ、はい、そうですね、ある程度、生長を阻害するような、生物は、防げるようになってる、はずですね、はい」
いつか見た雨除けのように、ヴォイミの貼るバリア状のものがあるのかもしれない。そしてこの一帯は水位が低く、地表が露出している部分もある。ヒロミは周囲を見回しつつ、アメンボ型ヴォイミから降りてみようと考えた。
「降りても大丈夫ですか……?」
「ん、んー、ま、まぁ、この周りなら、はい」
クトゥアは言い淀みながらも了承した。ヒロミはゆっくりと足を下ろした。そこはある程度想像したとおり、沼のようなぬかるみで、靴がぎりぎり埋まらない程度までヒロミの足先は飲み込まれた。小型の虫が飛び回る気配は感じるが、植物の周囲では確実にその数は少なかった。ヒロミは足元を確認しながら数歩歩き、そしてここへ移動するまでの道のりを振り返った。研究棟は巨大な建物でヒロミのいる場所からも十分に視認できる。
「この距離なら……、私、歩いてもギリギリ来れるんじゃないかと……」
移動のために毎日、いや毎回だろうか、3ポイントを消費するというのは不経済ではないかという判断だ。浅瀬を選んで通れば、なんとか歩いて移動することも可能ではないか、ヒロミはそう考えた。
「あー、んー、ヒロミさん、んー、それは、その、例えば……」
そのとき、ヒロミの背後でざぁぁと波立つ音がした。植物が風に揺れる音ではない、合わせて何かを噛み砕くような、低い地響きのような音もする。大きな存在が足元に迫る気配だ。ヒロミが振り返ろうとしたとき、体がひょいと軽くなり、後方に投げ出されるような感覚がした。次の瞬間、巨大なワームが、いや正確になんと呼ぶのかは分からない、チューブ状の生命体が大口を開けて地表に姿を現し、2人と1体に迫った。
「ひゃああああ!!」
ヒロミは悲鳴を上げた。その眼前で、ワームは透明の障壁に遮られ、はね返された。
巨大な生物はその後も2人を囲むように体を上下に波打たせながら移動していたが、やがてばふっと一つ息を吐き出し地中へと潜っていった。一瞬だったが、ヒロミはその口の中にヤツメウナギのような無数の歯状の突起が並んでいるのが見えた。飲み込まれたらひとたまりもないだろう。ヒロミの体は震えた。
「例えば、ですね、こういう、危険な生物が、いたりするんで、えぇ、笑える、んふふ」
クトゥアは慣れた調子で平然と続けた。
「わ、わ、笑えません……!」
ヒロミはかろうじて応じた。ヒロミらを防いだ透明の障壁は、かつて蛹室を見学に行った際に見たものと同様だろう。このヴォイミが咄嗟に発生させたものだ。
「あとですね、水中には寄生生物、いっぱいいますから、その靴と、足、戻ったらよく洗ってくださいね、んふふ。まぁ、これくらいなら、平気と思いますけどね、んふ、んふふ」
「え、は、はい……」
それは先に言ってほしかった、ネーリアの平気の基準は地球人にとって十分すぎるくらいに危険なことが多い、ヒロミは強くそう思った。一刻も早く靴を脱ぎたい、中を確認したい、ヒロミは足先が無性にむず痒く感じられた。そのとき、不意にクトゥアが遠くを見つめ背筋を伸ばした。
「――ちょっと、用事が、できてしまいました、はい、戻ります」
「わ、分かりました」
鼓動が速いままのヒロミは、ひとまずそう返答した。ヴォイミは再び軽快に水上を滑り研究棟へと引き返した。
「ちょっとですね、操士の方が、えぇ、事故があったと、もう再生は適わない状態で、こちらに運ばれている、と、そういうことのようです、はい」
「そ、そうなんですか……、では、献体、ということでしょうか……」
「そういうことですね、えぇ」
クトゥアは淡々と答えた。
「私の、専門の、ところなので、急ぎで、申し訳ないですけど、はい、処理が、必要で」
「いえ!全然、優先してください」
ヒロミは伝えた。
「よく……あるんですか?」
「えぇ、はい、そうですね、最近は特に、戦闘が、始まっているので、ね。あまり、よくないことですけどね、えぇ」
クトゥアは言葉を選ぶように答えた。
「あ、すみません!」
「いえ、かまいません、んふふ」
「あと……このタイミングで申し訳ないのですけど、明日から私はどうすれば……」
ヒロミはそっと尋ねた。
「あぁ、そうですね、あのヴォイミたちが、データを送ってくれますので、えぇ、それを記録して、まとめる、とか、まぁそんな感じですね、はい。何かあったら、こうして確認しに向かう、と」
「あ、はい……」
いや、しかし、そのヴォイミへの指示の出し方が分からない。話は途中になったままだった。先程のような緊急のケースでは、どう対応すればいいのか。ヴォイミが自発的に守ってくれるのだろうか?そして肝心のポイントを使うためのカードというのもまだ受け取ってはいない。しかし今はクトゥアも急いでいるようだ。細かいことは明日にした方がいいのかもしれない。
「では、私はここで!んふ、んふふ、また」
クトゥアはヒロミが滞在することになる実験室の前で、ヒロミを下ろした。
「はい、有難うございます!」
ヒロミは彼女とアメンボ型のヴォイミを見送った。




