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7-6

 「遺書でも書いておくべきだろうか――」


 シャワーを浴びながら、ヒロミはそんなことを考えていた。実際にそうするつもりがあるわけではない。具体的に内容を決めているわけでもなかった。ただそれくらいの覚悟が必要な状況だという認識だった。一昨日も実際に、側にいたキュイオが足を負傷し、ヒロミもろともヴォイミのターゲットとして銃撃にさらされたのだ。ヒロミに怪我がなく今こうして無事に生きていられるのも、運が良かったからとしか言えない。自分の足を見下ろしながら、ヒロミはそう実感した。


 ――もし、怪我を負ったのが自分だったら――。


 ヒロミは考えた。そしてどうしてもトワのことに考えが及んだ。あのとき、自分が怪我を負っていたら、キュイオと共に窓際までたどり着くことすらも困難だっただろう。そして、間一髪のところで駆けつけてくれたトワに会うことも――。もし自分が負傷していたら、その後のトワは同じように強い心持ちでピナとの決戦に臨むことができただろうか――?……いや、それは自惚れに近い想像の飛躍だ。戦いに私情を持ち込み操縦にぶれが生じているようでは主席操士の座は維持できまい。彼女ならばきっと、傍目には危なっかしくピンチの連続のような戦いぶりを見せながらも、最後には冷静に仕留める、そんな圧倒的な強さを発揮していたはずだ。そしてその強さをプライベートで支えているのが、あの子たち――、自室で共に暮す3人の少女たちだろう。トワは彼女らと無事会えたのだろうか。今頃はきっと安全を確認し、ほっとしているに違いない。であれば、ヒロミにもそのことを伝えてほしい。なんとかして早く連絡をとり合いたい。心韻さえ使えれば、常に繋がっていられるのに――……


 いつしかヒロミの思考はそんなところにまで広がっていた。ヒロミは首を振った。いや、今はトワへの気持ちは一旦置いておくべきだ。自分も困難に立ち向かっていかなければならない。甘い気持ちに浸っていてはいられない。少なくとも体に染み付いた濃厚な香りを振りまくことで他のネーリアに怪しまれるようなことは避けたい。ヒロミは全身に残ったスケイルヴェールや樹脂、酒の残り香を丹念に洗い落とした。


 何より、遺書を書いている余裕はないのだ。ヒロミは浴室を出て、部屋を見回した。結局これまで家族へも、開発局へも、一度も便りや報告を送ることが出来なかった。そのことは大いに悔やまれる。だが今は、フェイミか、もしくはその使いのヴォイミがいつここへ訪ねて来るか分からない。出来る限り早く準備を済ませておく必要がある。ヒロミはおもむろに部屋の隅に向かった。既に作戦は立てていた。


 そこに積み上げられているのは、ヒロミがネーリに来た翌日に運び込まれ、以降置かれたままになっている博士の荷物、主に著書の山だ。どう扱うべきか特に結論も出ないまますっかり置き物と化していたが、とうとう活用されるときが訪れた。それらはざっと数えただけでも数十箱はある。加えて研究用の機材や試料など、まだ未整理の諸々が詰められた大型の入れ物も数多くあった。ヒロミはそれらの荷物を一通り入り口付近まで移動させ、ドアの脇に積み重ねた。そして寝室からシーツやタオルケット、ローブなど、大きめの布類を集め、運び込んだ。


 ヒロミの考えはこうだ。ドアの周囲にアーチ状の囲いを築き、部屋にやって来たヴォイミを真っ直ぐに奥へと誘導する。荷物はあらかじめ一部分に隙間を作って配置しておき、ヴォイミが通り過ぎたタイミングでそこからヒロミが飛び出し外へ出る、というものだ。囲いは両脇を箱で、上部をシーツで覆う。理想を言えば、部屋の広さを誤認させられるくらいがいい。正面からのみ部屋に差し込む自然光が見え、室内へはそこからしか通じていないようにヴォイミに認識させられればベストだろう。歩行型ヴォイミの目、視覚を司るパーツはほぼ共通で、人の腰辺りに位置していると記憶していた。飛行型でさえなければ、さほど荷物を高く積み上げる必要もない。想定は完全に歩行型ヴォイミのみに対してのものだ。部屋を訪れるのがフェイミだった場合は――、その際は笑ってごまかし布を被せて視界を覆うなどして無理矢理逃げ出すより他ないだろう。あくまでヴォイミと対峙した場合に、こちらの行動を限定されないように、その影響範囲から脱する可能性を高めることを意図したものだ。


 幼稚な工作だが、急造にしてはヒロミの要求を満たすものが出来たように思われた。ヒロミ自身もローブに身を包み、トワの残したスプレーや、いざというときのためにもう一着分のローブなどを丸め、すぐに取り出せるように携帯した。


 やれるだけのことはやったはずだ。雨の音が静かに響く室内で、ヒロミは深く呼吸をした。もうこの部屋には戻れないかもしれない。やり残したことのないように、ヒロミは改めて部屋を見回した。そして、壁際へ向かい作戦のための配置についた。あとはここで来客を待つだけだ。


 仮にこの国のネーリアらが自分の存在を危険視していたとしても、監視カメラの類、またはそうした機能を有したヴォイミなどは配備されていないことは想像できた。もしそのような設備があるのならば、トワとの関係についても筒抜けだったはずだ。ゆえに、今ヒロミが作ったこの仕掛けも、おそらく誰にとっても初めて見るものだろう。たとえヒロミの想定通りの行動をヴォイミがとらなかったとしても、状況を正しく把握するまでに若干のタイムラグは生じるはずだ。そこに賭けるしかないだろう。欲を言えば、通信機器に自分の音声をセットして、部屋の奥や寝室辺りから声を流すような凝った装置がセット出来ればよかった。そうすればこのように荷物を積み上げるまでもなく、自分は浴室に身を隠しつつヴォイミをやり過ごすくらいで済んだだろう。しかし機器はとうとうメモリに保存されたファイルを再生する以上の機能を復元することが出来なかった。ヒロミがそこに費やすことの出来る時間をもう少しとることができれば――


 コン、コン、コン


 そんなことを考えているうちに、すぐ近くのドアをノックする音が聞こえた。呼びかける声は続かない。ヴォイミだ。音の聞こえる位置からしても歩行型のアームによるものだろう。まずは予想が当たった。


 ヒロミは鼓動が激しくなるのを感じた。次はドアが開く条件だ。ヴォイミが来たときだけ、ヒロミが触れることで解錠されるのか、それともヴォイミ自らロックを解除し、進入するのか。前者の場合は、隙間から手を伸ばしヴォイミに悟られる前に引っ込めるというアクションが要求される。


 反応はない。動作音のようなものも聞こえなかった。これは前者のケースだろう。このまま待っていればヴォイミは帰ってしまうはずだ。ここで行動を起こすしかない。ヒロミは壁際に空けておいた隙間から手を伸ばし、そっとドアに触れた。軽やかな音を立て、ドアがスライドして開いた。ヒロミはすぐに手を戻した。そして荷物の陰に隠れ息を潜めた。


 ――すぐには動きがなかった。やがて小さな駆動音と共に、2本のアームが部屋に向けて伸びてくるのが見えた。片方には以前フェイミから渡され使用していたのと同型のブレスレット型端末が。もう片方は何も持たず、ものを掴めるような状態のままだ。ヒロミの動きを封じるためのものだろうか?これまで物を渡される際に必要のないアームが差し出されることはなかった。何らかの特殊な用途があると想像できる。ほんのり食事の香りも漂ってきた。ドアの外には食事を乗せたワゴンも引いてきているのだろう。もしくは別の個体がいるのかもしれない。ヒロミはためらった。ヴォイミは動かない。この部屋の使用者がドアを開けに来たことは間違いないのだ。なぜその対象が視界に入っていないのか、理解しようとしているのかもしれない。もしかすると気配や何らかの反応で既にヒロミの居場所に気付いているかもしれない。だとすると、既に行動を起こすタイミングを逃してしまったのだろうか。


 ヒロミは焦った。やはりあからさまに怪しい室内の様子に、警戒心を抱かせてしまったかもしれない。少しでも部屋に入ってきてくれたら、踏み込めるのに――!ヒロミはそう考えていた。極度の緊張が続いた。そのとき、わずかにヴォイミが動き出す気配を感じた。ヒロミはかろうじて顔を向け、荷物の隙間からその姿を確認した。幸いにも、機体はこれまで目にしたことのある、一般的なタイプだ。そして武器を携行している様子もない。頭部をクルクルと旋回させ、周囲に目を光らせつつ、徐々に、徐々に、室内へと入ってきた。今しかない!!


 ヒロミは力の限り、荷物へ向け体当たりをした。いくつかの箱と、上部にかけておいたシーツが内側へ崩れ落ちた。


 そこからは記憶が定かではない。ヴォイミはすぐに反応しようとしたように見えたが、ヒロミはなんとか機体と荷物を飛び越え、室外へ転がりでた。食事が乗せられたワゴンも一瞬視界に入ったが、申し訳なく思いながらもヒロミはそれを押しのけた。入り口付近に別の機体はなかった。以前セイニが足止めを食らっていたときは廊下にも警備用ヴォイミがいたが、少なくともヒロミの駆け出した方向には見当たらなかった。ついている!


 道順は何度もシミュレートした。方向音痴のヒロミが記憶を頼りに必死で頭に叩き込んだのだ。廊下を一心に走り、階段を駆け下りた。ただ一心に、ひたすら走った。追いかけてくる存在は一瞬感じた気がしたが、振り切れたように感じた。しかしヴォイミにはネーリアとは別の専用通路がある。極力人にとって最短となるようなルートを選択し、なんとか来客用の居住ブロックを抜けた。


 時刻は通勤が一段落したくらいのようだ。行き交うネーリアの増えるターミナル付近に差し掛かる頃には、既に全力で走っていては不自然だ。心配ない、大丈夫だ、何度も言い聞かせながら、人ごみに紛れ早足で移動を続けた。そうして中央区画に再び足を踏み入れ、放射状に伸びる通路を進み、近寄る警備ヴォイミに滞在許可証を見せ、ようやく王城の各機関が集中するドーム状の空間まで辿り着いた。


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