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ヒロミは疲労困憊していた。
王城でも公的機関の集中するこのエリアは比較的人々の往来は多い。そんな中、肩で息をしながら急ぎ足でひたすら目的地目がけて歩き抜けている者などいない。すれ違う周りのネーリアも幾人かは気付いているのだろう。いや、大概の者は分かっているのではないか。この人物が、何かと噂の地球人ではないのかと。勿論、フードは目深に被り極力背を屈めて目立たぬよう行動することを心がけてはいる。しかし、ここまであからさまに大慌てで歩き続けているのはさすがに不自然に見えるのは間違いない。ヒロミは薄々気付いていることがあった。だが、今はともかく無事に目指す労働局まで来ることができた。心に浮かんだ疑念についてはひとまず置いておくのがよいだろう。
労働局内は今日も騒々しかった。いたるところで言い争いが起きている。ヒロミは呼吸を落ち着かせながら、前回と同じように手続きを進めた。訪れる理由などは何でもいい。研究棟への許可証をなくしてしまったとか、そういったことで十分だろう。目的はセイニに会うことなのだ。幸いにして、同じ窓口の同じ場所で彼女は今日も仕事をしているように見受けられた。ヒロミは必要な書類を作成しつつ順番が来るのを待った。
ここでもやはり周りにヒロミの存在を気にかける者などいない。やがてヒロミの番号が呼ばれ、セイニと対面を果たすことになった。
「再発行は出来ません、お帰りください」
ヒロミの説明を待たず、セイニは目も合わせずにそう言い放った。
ある程度の冷遇は当然予想している。事情を伝えるための準備は怠っていない。書類と重ねるように、拙いながらも覚えたネーリの文字でヒロミはメッセージを書き記し添えていた。
「お願いします」
そう言いながらヒロミは申請用の書類をずらして、その部分を見せるようにした。「トワと連絡がとりたい」という旨のものだ。
セイニは何やら端末をいじりながら、ちらりとその書類を目にすると、今度は鮮やかな緑色の瞳でヒロミを睨みつけ繰り返した。
「再発行は出来ません」
声のトーンは限りなく抑えめだ。
「待って」
もめているように見えるのを避け、なるべく早く会話を終わらせようとしているのがありありと伝わった。既に再び自分の作業に戻っているというふうだ。だがヒロミもここまで来てまさか何もせず帰るわけにもいくまい。
「待って、困ってるんです」
ヒロミはややボリュームを上げて言った。
セイニは明らかに苛立っているという様子だった。肩をこわばらせ歯を食いしばっているように見える。フードに覆われているが相変わらず彼女の感情は分かりやすく思えた。きっと髪からは燃えるようなスケイルヴェールが放たれていることだろう。極力ヒロミのことが気にならないというふりをし、手は止めず仕事に集中しようとしているようだった。そうして、隣の窓口の職員が席を立った瞬間、やや体を突き出しヒロミに向け小声で言った。
「何でここに来た!」
「な、何でって……」
ヒロミは思わず声を上げそうになったが、可能な限り自然な態度で音量だけを抑え、続けた。
「私、部屋に閉じ込められてたんです、端末も取り上げられてしまって……、彼女の、連絡先聞いてなかったから……、私が居場所知ってるのあなただけなんです」
セイニは心底迷惑という表情をした。ため息をするように口を大きく開けると、はっきりと「面倒くさい!」と唇を動かしているように見えた。改めてヒロミに何か言おうと顔を向けたところで、隣の職員がすっと席へ戻った。セイニは何食わぬ顔で関係のない書類を数枚ヒロミの提出した書類に重ねて机の上で揃えると、下の方の紙に何やら走り書きをした。
「こちらに記入してもう一度提出してください」
そう言ってヒロミに紙の束を手渡した。
「次の方ー」
そっけない口調でセイニは待合室に向けて呼びかけた。
ヒロミは書類を受け取り窓口を後にした。そして空いている記入台へと向かいながら、そっと紙をめくりセイニのメモ書きを確認した。「あとで地図を渡す、そこへ行け」とだけあった。セイニがトワの居場所を知っているということだろうか?それほどの関係とも考えにくい。だが何らかの手引きをしてくれることは確かなようだ。ここは素直に感謝し、指示に従っておくべきだろう。そしてヒロミの懸念はやはり当たっていたことを確信した。
彼らは、周囲のネーリアらは、決してヒロミの存在を意識していないわけではない。ただ関わりを持つことを避けているだけということだ。それは昨日、雨の中研究棟へ向かった際にもなんとなく感じていた。施設の入り口にいたヴォイミは決してヒロミを他の訪問者と同じネーリアとして通したわけではないだろう。往路ですれ違った者の中にはもしかしたら本当に気付いていなかった人もいるのかもしれない。だが定期運行便の車中に乗り合わせた者、そしてもっと言えば、街頭モニターにどれだけショッキングな映像が流れようとも一切目を向けずに移動しているほぼ全てのネーリアは、決してその対象に関心がないわけではないということだ。彼らは知っている。立ち止まり、それらに目を向けることすらも何らかの意思表示になるということを。そしてそこに込められた感情や何らかのサインから、自分との関わりを推定されることを極端に恐れている。たとえ心の内に対象への激しい感情が渦巻いていようとも。フードの奥にどんな熱い思いを、冷めた感情を抱こうとも、それらを表に出すことは、この星においては自らの立ち位置や時に命にさえも大きく影響を与えすぎる。スケイルヴェールや心韻の存在がその現象を加速させていると言える。
今の状況で言えば、"ユスの呪い"などという忌避の象徴と噂されるような異星人と繋がりがあると知られることは、どうあっても避けたいだろう。ヒロミとしても、接触する相手を無闇に巻き込むようなことはしたくない。セイニは、疑われているのだろうか。彼女が宇宙港からの映像を地球用のメディアに変換し、ヒロミに渡しているということは、どの程度の人に知られていることなのか。おそらくは、トワと、ヒロミと、彼女自身くらいしか知らない、内密に、非正規で行っていることだろう。彼女もトワからの要望がなければ、決して進んでヒロミと関わりたくなどないはずだ。今ある、地位と仕事を失いたくもないだろう。ヒロミが見る限り、忙しそうに仕事をこなしている彼女も時折何度か不自然に手が止まる瞬間があったように思えた。あくまでも想像だが、おそらくは頻繁に心韻が飛んできているのではないだろうか。もしかしたら中にはトワからのものもあるかもしれない。このメモも、そうしたやり取りを瞬時になんとかして反映させようとしたものにも思える。ヒロミの突然の訪問は、彼女にとって相当な負担になっているだろう。ここはヒロミも極力ごねたりはせず、無駄な騒ぎにならぬよう振る舞うのが賢明なように思えた。
そして、だとすると、仕事ということもあるにせよヒロミに積極的に関わり、身の上を心配してくれたフェイミの行為を無にするような行動をとってしまったことは、やはり軽率だったのかもしれない。ヒロミの勝手な行動のせいで、結果的により多くの者を巻き込み、事態の収集をつけづらくさせているとしたら――。ヒロミは記入台で無意味な申請書を適当に埋めながら、いつしか手を止めて考え込んでいた。いや、しかしヒロミ自身も身の危険を感じ、覚悟を決めて実行に移したことだ。ヒロミとその研究に対し何らかの処分が下される、というのは研究棟の役人らも実際に話していたことだ。悔いていても仕方がない。状況を更に悪くしてしまった今となっては、尚更――
ヒロミは考えを打ち切り、何となく記入していた書類を書き終えると、待合室の空いている椅子へと腰を下ろした。思考によって遮られていたが、ここへの道中でも視界に入っていた街頭モニターのニュースが、この労働局内にも複数ある大型モニターに映し出されている。ヒロミは改めてその映像を見てぎょっとした。うっすらと知覚していたが、正しい道順をたどるためにあえて考えないようにしていたことだ。ニュースはユーフの侵攻について伝えていた。これまでは投下されるシストそのものについてや、それらを迎撃、破壊するかたちでしかユーフというものの映像を見ていなかった。大抵は隕石のような燃え盛る塊か、落下した後の同じく球状の黒く焦げた何か、でしかなかった。ユーフの侵攻のパターンや形態が様々あることはヒロミも聞かされていた。今回はそれがどういったものなのか、遂に明かされていた。これまで海中に投下され処理しきれていなかったシストから発生したユーフが、スマーリの海岸線に上陸しつつある、というのだ。その姿は、蛇のように地上を捻りながら体を這わせ、体を安定させるための触手を無数に地表に突き刺し、いたるところで上方へ伸びる管状の突起をつくり、その先端に胞子嚢のような小さく黒い器官をいくつも形成している――
――まるで、ヒロミが地球から持ち込み巨大化した植物そのものだった。




