6-7
雨は激しくなりつつあった。
部屋へ戻るまでのわずかな距離でも、ヒロミの体は随分と濡れた。窓の外では、テニスボールほどの浮遊型ヴォイミが、雨水を弾き飛ばしながらノックするように体を窓に当てている。今度のヴォイミは届け物を渡しにきたものではない。ヒロミからの連絡を受けたフェイミが、虫を処理するために送ってくれたものだろう。ヒロミが窓を開けると、一瞬ヒロミの方に向けて前方のライトを点滅させた後、わずかな羽音を立てスケイルヴェールを散らしながら室内へと飛び去っていった。
部屋の中はさらに湿度が上がり、蒸し暑さが増したように感じられた。時間は夕方くらいであろうか。天候のせいか時間よりも暗く見えた。ヒロミはベッドへ腰を下ろし、天井付近を飛ぶヴォイミに目を向けた。
この星で「ヴォイミ」と呼ばれているものの種類は多彩だ。今朝、自ら囮になってヒロミたちを助けた地上タイプの機体は、全身を固い金属質の殻で覆い、生き物で言えば特に似たタイプのない――例えるならば料理や荷物を運ぶ小型の押し車に脚を生やしたような――、そんなメカニカルな見た目だった。対して聖蛹にいた脚の長いクモのようなヴォイミは、深海の生物を彷彿とさせる半透明で柔軟な体をもち、人間よりもはるかに巨大なタイプだ。体のうちどのくらいを機械化し、どのくらい生体要素が残っているのか、基準などはないのだろうか。ただ単に、野生ではなく、ネーリアの指示で動く機械、または生き物、程度の意味しかもたないのかもしれない。それくらいこの言葉の指す範囲は広いように思われた。
今部屋の中を飛んでいるヴォイミは、前者に近い。遠目にはほぼ金属のボールのようだが、その羽根は透明で柔らかい材質に見える。そして時折静止し、同じく柔らかい舌のようなものを伸ばし、室内の虫を捕食しているようだ。機械的な外殻を持つヴォイミやヴォイアクー、ヴォイアースも、実は内側はこうした柔らかい組織で出来ているのかもしれない。しかし、食事は……?ヴォイアース同士の戦闘でも別に相手を食い殺すわけではない。再生槽を経て組織を蘇らせることは知っているが、普段の栄養や燃料をどのように得ているかは、見てもいないし聞いたこともなかった。ヴォイミは既に部屋の入口ドア付近にまで到達し、巡回しながら何度かついばむような動きを見せている。視認できない大きさのものもありそうだが、意外と食料は豊富にあるようだ。そしてある程度同様の行動を繰り返した後、急に速度を落とし、ゆったりと室内を浮遊し始めた。
食い尽くして満足したということだろうか。ふと部屋を出る前に床へ放った虫のことを思い出した。視線を落とすと、ざっと見回しただけでも数匹の同様の虫が動いている。決して捕食対象がいなくなったというわけでもないようだ。飛行タイプゆえ、地上を這っているものは視界に入らないのだろうか。もしくはある程度間隔を空けて、また食事を始めるつもりかもしれない。
ヒロミがヴォイミについて思考を巡らせていると、いつしかヴォイミはヒロミの眼前へゆっくりと飛来していた。そしてまた目配せするように前方のライトを一瞬点滅させると、再び寝室の窓へ向かい、今度は内側からこつこつとぶつかり始めた。
(……?)
ライトの点滅には種類があるのかもしれないが、ヒロミには判別できない。心韻を送る際の合図のようなものであることは間違いない。メッセージが読み取れない以上、その動きから意図を察するより他ないだろう。目的は分からないが、おそらくはまた窓を開けろ、ということには違いない。
ヒロミが窓を開けると、ヴォイミはまたライトで合図をし、今度はベランダの床面に向け降下していった。しばし、ヒロミはその様子を観察することにした。
ヴォイミは折りたたんでいた細長い脚を伸ばして着地した。飛行に比べるとあまり慣れていないように見える動作で、うろうろと周辺を歩き回りながら、時折空を見上げるようなしぐさをしている。やがて静止すると、口を開け、雨が降り込むのを待っているかのうようなポーズをしてみせた。喉が乾いて水分を摂取したい、ということだろうか。しかししばらく経っても望む結果が得られなかったのか、今度は地面を見ながら、何かを探すように動き回り始めた。そして水たまりを見つけると、舌を何度も伸ばしそれを吸い上げているように見えた。
ベランダに出来たいくつかの水たまりの上で同様の動きを繰り返し、ヴォイミの腹部はすっかり膨れ上がっていた。体積で言えば先程までの倍以上はあろうか。十分な量を確保できたということだろう、ヒロミのいる室内の方へと向きを変えると、ヴォイミはゆっくりと飛行を始めた。体はかなり重たそうだ。ふらふらと低空飛行をしている。ヒロミは眼前を通り過ぎるその姿を見送り、窓を閉めた。水分も摂り、これから休憩でもするつもりなのだろうか。その様子には微笑ましさすらも感じられた。
やがて、部屋の中央付近の天井まで浮上すると、ヴォイミは体からその水を放ち始めた。そして徐々に体を旋回させ、まるでスプリンクラーのように1階部分全体に行き渡るように水を撒き始めた。
「――!?」
意外な行動にヒロミは面食らった。
水分で満たされていた腹部は徐々にしぼんでいく。――違う。水を飲んで一休みしたい、などといった目的ではないのだ。そしてフェイミの遣わしたこのヴォイミの目的自体が、ヒロミの考えていたものとは違う。いや、フェイミだけではなく、ネーリアの考え方との違い、と言ったほうがいいのかもしれない。
彼らは駆除を目的としているわけではないのだ。ヒロミは目を丸くしてその一部始終を見つめながら、先程までのルルアとの会話にも思いを巡らせていた。彼らにとっては自らの生存が優先されている。それは持続性を伴うものということだ。殺し尽くしてしまえば、一時的に目的は達せられるが、その後生き続けられなくなるのは自分たちの方だ。生存に必要な分を、必要に応じて処理する。そして失った分は補い、環境を整える。ここで行われているのはそういうことではないのだろうか。――勿論、ただ命令されてこのような行動をとっているだけかもしれない。ヒロミの想像にすぎないということもあるだろう。だが、目の前で整然と為されているヴォイミの所作と、ここまでのネーリでの経験を鑑みるに、何かこの星の生物の摂理とでも呼べるような、一本筋の通ったものを、ヒロミは感じずにはいられなかった。
ヴォイミはひとしきり水を撒き終えると、またゆっくりと室内を巡回し始めた。室内の湿度は一層上がった。虫たちにとっては好環境だろう。植物たちもより繁茂するはずだ。通信用の機材を寝室まで運んでおいたのは正解だった。下のフロアであれば今頃は水浸しで使い物にならなくなっていただろう。そして、撒かれたものはヴォイミの口、あるいは何らかの器官から出されたものだろうか?もし、それが体内を循環して排出されたものだったら――、それは尿ということだろう。ヒロミは急に不安を覚え、室内の匂いを嗅いだ。草むらの中にいるような独特の鼻をつく熱気はあるが、特に違和感は覚えない。無論まだヴォイミやネーリの生物の尿の匂いというものを嗅いだことはないが――。悪影響を及ぼすものでなければ心配も無用だろう。あくまで心理的な問題にすぎない。とはいえ、このままではこの部屋は、一定数の虫たちと、旺盛に伸び広がる植物に満たされた、蒸し暑い温室のような状態を維持し続けることになるだろう。高温多湿の環境では自然と愉快な思考もしにくくなる。改めて、何か対策を講じなければならなそうだ。
そして更に考えれば――、では博士の死は何だったのか、という点に思い至る。この星に生きるものを貫く何らかの意志のようなものに反しての結果だとしたら、果たしてどういった作用が働いたというのか。今のところは、地球人にとっての印象を悪くし、彼らの間での憎悪を増すことにしか繋がっていないように思われる。それは決してネーリにとってもプラスにはならないのではないか。もっとも、すべての結果に意味を求めるのならば、という仮定の話ではあるが。より大きな視点で考えた場合、何か――
コツン、コツン
そこまで考えて突然背後の窓を再びノックする音が響き、ヒロミはびくっとした。窓の外にいたのは、例の、セイニからのメモリを渡すために訪れた飛行型のヴォイミだ。まったく今日は来客が多い。このヴォイミにいたっては本日2度目だ。ヒロミは窓を開けた。ヴォイミはずっと目にあたる部分を点滅させ続けている。昼間と同じように、伸ばされたアームからメモリを受け取ったが、そのアームを引っ込めようとはしない。引き続き、ヒロミに迫るように、目を光らせていた。
「あ、ありがとう……」
ヒロミは慌てて礼を言ったが、それが無意味なことは承知している。受け取ったことを確認させるように、メモリを指で挟み、顔の横で示して見せたりした。しかし、変わらずヴォイミはずいと差し出すように、アームを突き出したままだ。チップの要求か何かだろうか?いや、ここではそのような風習はまったくないはずだ。ヒロミは懸命に考えた。武装をしていないヴォイミとはいえ、言葉の通じない相手に迫られるのはやはり若干の恐怖を感じる。部屋の施錠のことといい、この星での生活では、心韻が使えれば、と思う部分が当然多い。この状況は、やかましく怒鳴られているのに聞こえてないふりをしているかのように思われているかもしれない。環境のせいもあるだろうか、不便を強いられていることにヒロミは軽く苛立ちを覚えた。焦りつつも部屋を見回すと、ヘッドボードに場所を移した通信機材が目に入った。すかさずヒロミは、これまで渡された1通目、2通目のビデオレターが入ったメモリ2つを手にとった。そうだ、この星ではきっとこのタイプのメモリは相当に貴重であろう。そもそも必要のないものだからだ。今回手渡されたもので4つめとなると、もう予備がないとしてもおかしくはない。これ?というように顔の横でその2つを見せると、ヴォイミはそれを1つずつ受け取り、また目を一瞬光らせ去っていった。
推測は当たっていたようだ。ヒロミはほっとした。同時に、これまでなかったタイプのストレスも覚えた。部屋を見渡せば、既にここはこれまでとは全く違う環境に取り囲まれている。ここでの生活を続けていくのであれば、今以上にこちらから、ネーリアのルールに合わせていく必要があるのではないか。心韻がその最初の壁になっているのは間違いないとヒロミには感じられた。だが生物種の壁を越えるというのは当然ながら現実的ではない。ヒロミは大きくため息をつき、ベッドの上を確認してからその上に倒れ込むと、機材へ手を伸ばしてメモリをセットした。
送り主はクロードだった。ヒロミは気乗りしないまま、ファイルを再生させた。
映し出された映像は、ステーション内の休憩場所、フリースペースとして使われている区画の、天井付近からのものだった。中心にクロードが、その周りに同僚や作業員ら含め十数名ほど、そして奥にはヒロミの知らない女性の姿もあった。おそらくは以前のビデオレターで言っていた新しい上官だ。クロードは泣き腫らしたような表情で、ギターを抱えていた。既に嫌な予感しかしなかった。
「ヒロミ!今日は、……君に伝えたいことがある!」
ひゅーぅとはやし立てる周囲の歓声と拍手が続いた。
「こ、こんな雰囲気だけど、……僕は真剣だ!この前は嘆いてばっかりで、かえって君を不安にさせてしまったかもしれない。後ろ向きですまなかったと思ってる。けど!僕らは皆、真面目に、ときに言い争いにもなるけど、前向きに明るく、この事態の解決に向け日々動いているんだ。このことを君にもぜひ伝えたいと思った。そしてヒロミがこの映像を見てくれていたら、どうか、前向きに、再び僕らのもとに戻れるという希望を抱いてほしい!変わらず僕は君を愛している!この想いを、歌にしたんだ!聞いてほしい!
ヒロミ~、我が女神~
その笑顔は、天使の微笑み。極上の、癒やし
曇り空を晴らす、日の光。草木を潤す、泉のせせらぎ
闇を照らし、燃え続ける炎
穢れを祓い、輝く宝石
あぁ~ヒロミ~、我が女神~
あぁ~ヒロミ~、愛するヒロミ~」
最後の部分は肩を組んでの大合唱になった。奥の女性は頭を抱え、肩を震わせ笑っている。ヒロミは、おぞましいほどの嫌悪感を覚え、拳をベッドへ叩きつけ、叫んだ。
「嫌……、嫌……!!」
歌が終わり割れんばかりの拍手と祝福の声が響いた。
「じゃぁ、ヒロミ!今回はこの辺で!愛してるよ!!」
映像はそこで終わった。
「やめてっ!!!!!」
ヒロミは悲鳴に近い声を上げた。




