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風は湿気を含んでいた。べったりと全身にまとわりつくような空気の中、ヒロミはベランダの先端付近まで進んだ。
ここへは、トワやフェイミの操るヴォイアクーに乗せられたとき以外に、出たことがなかった。ヴォイアクーの発着場として利用するためか、正面側の外周通路へと通じる端以外に、移動を妨げるような手すりや柵は設けられていない。テニスコートでいえばゆうに2~3面は作れそうな広さがある。その平面上を、数体の警備用のヴォイミらが巡回していた。彼らもヒロミのことは既に認識している。研究棟でヒロミらを襲ったのと同じタイプの飛行型ヴォイミも、ここでは彼女にその武装を向けることはなかった。
つい先程までは晴れわたっていたが、いつしか雲が広がり日の光を遮っていた。ヴォイミらはまだ照明をつけてはいなかったが、彼らの放つ識別灯の光がやや目立つくらいの暗さとなった。
雨季だ。ヒロミはそう思った。ネーリの環境について調べたとき、そのような記載があったかもしれない。何しろ情報が不足していた。このスマーリ国の王城エリアがその気候区に該当するかどうかも定かではなかった。そういえば、ヴォイミやヴォイアクー、ヴォイアースらは、雨の中でも普段どおりに行動ができるのだろうか……?警備用ヴォイミたちを眺めながらぼんやりとそんなことを考えていると、風にのって聞き覚えのある音声が聞こえてきた。街頭の広報用モニターのものだ。
ヒロミの居室のある棟ではなく、向かい側のブロックの外壁上にそれは設置されていた。ヒロミの部屋も含むブロックは、来賓用のためであろう、そうした広報、広告用のモニターや、看板、装飾類は一切施されていない。対して離れたエリアのやや下層に位置する区画には、住居や商業エリアが広がっているように見えた。いくつか派手な照明も見える。広報用のモニターは一際大きな面積を占めているが、天候のせいで視界が悪く、画面の全てを見渡せるわけではなかった。音声も風向きが合えばようやく聞こえるくらいだ。
繰り返し映し出されているのは、やはり反乱のニュースと、反乱勢力の処刑に関する映像だった。首領のピナが殺害されたこと、そしてその一派が手錠をはめられ、囚われていた同胞や親族らと繋がれ、刑場に連行されるさま、と、お決まりの、彼らへ罵声を浴びせる民衆の様子のものだ。処刑自体はまだ行われていないのか、一昨日のように実際に刑に処されている映像までは含まれてはいなかった。対象者の数があまりに多いために執行が追い付いていないというのが現状だろう。そしてまだつい先程決着したばかりの事件ということもある。受刑者らの列は、映像で見るだけでも数百人はいるように見えた。研究棟や工業エリア、フェイミらが活動したであろう北門エリアで直接殺害された者たち以外にも、これだけの数がいるのだ。疑いのある関係者まで根こそぎ抹殺してしまおうという意志が感じられた。それも即日、焼き殺す予定だろう。もはやその事実に大げさに驚いたりはしない。だが、決して平常な感覚でいられるものでもなかった。
これから死を迎えるおびただしい数のネーリアは、口々に何かを訴え、叫んでいるように見えた。ニュース映像の編集により、その声が流されるのは一瞬だ。重ねるように民衆の暴言が続けられた。ヒロミはベランダの縁まで進んだ。柵は簡素で、人間の腰の高さくらいまでしかない。ヒロミはあまり体重をかけないよう、柵に手をかけ耳をそばだてた。
「――この国は滅ぶ!」
断片的にそう叫ぶ声が響いた。さらに映像が一周りするのを待った。
「――我らの同胞は国中にいる!」
「――蜂起の時は近い!」
続けて2~3言続いているようだが、おおよその主張はこのようなものと思われた。彼らの目に諦めの色は見られなかった。一定の節に合わせ、自らに言い聞かせるように、強くそう声を上げ続けていた。おそらくはこの列に加わる際に考えられたものではないだろう。運動、活動において、常にスローガンのようなものになっていたように思われた。ピナの声明は途中で遮られていたが、その主張は主に故郷や地方の待遇に関するものだったと記憶している。対してこの声の指す範囲はより広いもののように感じられた。もしかすると、彼らに限らず反乱を起こす側における特有の主張の一つなのかもしれない。それでも、目を見開き一心にそう訴えを繰り返す彼らの様子は、ヒロミの心を揺さぶり、底知れぬ恐怖を抱かせた。自分たちが死んでも決して安心はさせない、そういった執念めいたものを感じさせた。
ヒロミは、罵倒する観衆の声に掻き消される、その続きのフレーズが気になった。おそらくは自室にもヴォイミらが展開するのと同様のモニターは設置されているだろう。この場で街頭の映像を見る必要はない。だが、もう少しで聞き取れそうだ。その声により近づくため、ヒロミは手すりに力を込めた。
「気になる?」
背後で急にそう声が聞こえた。ヒロミは驚いて振り返り、バランスを崩してあやうくベランダから足を踏み外しそうになった。
「危ないな~」
その声の主がヒロミの腕と腰に手を伸ばし、体を支えた。
目深に被ったローブの下からのぞく挑発的な視線は、あの研究棟前の戦場で見かけた、第二操士団のルルアと呼ばれていた少女だ。いや、正確な年齢が分からない以上、そう呼ぶのは正しくないかもしれない。だが目の前で上目遣いに見上げるそのネーリアは、トワやフェイミよりもはるかに、そしてキュイオと同等かそれ以上に華奢な体つきの少女に見えた。
「え?……あ、あの……」
ヒロミは状況が飲み込めず、ルルアに引き寄せられるままに手すりから離れた。
「あ、ありがとうございます……」
ルルアは軽く辺りを見回した。ポツリ、ポツリと、雨の滴がヒロミの頭上に落ち始めた。
「来そうだね~」
中継モニターから聞こえたのと同様、ルルアの声は甲高く、語り口はどこか甘えたような特徴的なものだった。
「ルルアさん……?」
ヒロミの呼びかけに、ルルアは振り返り、にやりと笑った。しかし返事はしなかった。
「何か、御用があって来られたのですか?」
その風体からも、おそらくはお忍びで来たのだろう。ではヴォイアクーは……、と部屋の方を見やると、発着場の上ではなく、寝室横の壁に張り付くように停められている一体の機体を見つけた。これまで見たテントウムシ型の丸いタイプではなく、甲虫で言えばオサムシのようなものか、全身は黒く細身で、肩部分はカメムシ類のようにやや張り出し、細長い鞘羽が下方に伸びた、精悍なスポーツカーのような外見に見えた。
「なんであんなところへ……」
「なんか集中してるみたいだったし、全然気付かなかったからさ~」
ルルアは背中を向けたまま、機体の方へ歩きながらそう答えた。
「あの方が水平に着地するより早いし、楽なんだよね~」
そして首だけをこちらに向け続けた。
「で、どうする?気になる?」
「な、何がですか……?」
ヒロミは困惑気味に応じた。
「刑場。もうすぐ火を点ける時間だと思うよ。あ、もう終わっちゃったかな~」
そして立ち止まり、手の平を上に向けた。
「ね!このままだと降ってきちゃうしさ、行くなら早く行こうよ~」
ろくな挨拶もなく、初対面なはずのネーリアがなぜこんなに馴れ馴れしく接してくるのか、ヒロミには分からなかった。
「べ、別に……」
「でも気になるよね」
小さなルルアの手が、返答に窮するヒロミの手を握った。そして小さくフフ、と笑って駆け出した。
「ちょ、ちょっと!」
ヒロミは慌てて追いかけた。勿論、映像が気になるのは確かだったが、何も火刑の現場を見たいわけではない。どちらかと言えば、このルルアというネーリアに関して、より気になっていたところだ。渋々ではあるが、ひとまずは彼女の提案に乗ることにした。ルルアは停めてあるヴォイアクーの脚部を巧みに駆け上がり、上を向いた状態の頭部にある操縦席に入り込んだ。ヒロミはよじ登って、なんとかその隣の助手席に到着した。
「じゃ行こっか~」
キャノピーが閉じられ、機体は足を動かして向きを変え始めた。そのまま頭部が真下を向く角度になるまで移動すると、機体はずるりと壁から落ちるように落下を始めた。
「ひっ……!!」
ヒロミは思わず引きつって声を発した。階下には当然同様に部屋があり、互い違いになるように発着場も設けられている。そうでなくても数多くの細い連絡通路やそれを支える支柱などは、数多く張り出している。その間を縫うように、ヴォイアクーは難なく角度を変えて猛スピードで通り抜けていった。建造物が密集し始める下層に激突しそうになってようやく、モーターが駆動し、機体は上昇した。そうだ、定期便のときもそうだった。ネーリアの平衡感覚やGへの耐性はおそらく地球人とは違うのだ。ヒロミもある程度の訓練を受けてはいたが、急なことでまったく油断していた。ヒロミは若干気分が悪くなり、シートにしがみついたままルルアの方を見た。
ルルアは気分よさげに笑みを浮かべていた。そしてヒロミの視線に気付くと、急に体の向きを変え、ヒロミの座席に両手を置き言った。
「ねぇねぇ、すっごい気になるんだけど、地球人のセックスってどうやるの?」
「はぁ!?」
雨が激しく降り始め、機体を打ちつけた。




