act27
頼むから放っておいてよ、穏やかな日々を送らせてよ。
だから、あたしは、あなたのことが嫌いなんだ。
act27.好意は時として刃
無事「お化け屋敷」の案が通ったところで、間もなく学校は中間試験期間を迎える。本格的な文化祭準備は試験が終わってからということになる。
陸上部内でも、誰のクラスが喫茶店らしいとか、縁日だとか、当日まで秘密だとか、色んな情報が飛び交っている。うちのクラスは隠す理由もないのでお化け屋敷ですよ、来てくださいねと宣伝がてら言って回ったりもした。
そうして訪れた火曜日。試験期間は明日からなので、今日の図書室は放課後も通常運営だ。どうせなら今日から試験期間にしてくれてよかったのに! 学校のばか!! 試験前最後の部活、あたしも出ておきたかったよ!
放課後になって図書室に行くと、篠田先輩は既に来ていた。勉強用に並べてある机の一つにノートやら問題集やら広げているところだった。うわぁもう帰りたい。いや、帰らずに、校庭に出て走りたい。
しかし顔を出した瞬間にばっちり目が合ってしまった。なぜそこで挑戦的に笑うんだ。これは引き返したら逃げたと思われる。なりたくてなったわけじゃない図書委員だけど、当番をサボったと思われるのも悔しい。その結果、あたしは「先輩をいないものとして扱う」ことを決めて黙ってカウンターへ足を運んだ。
「来週も来るって言っただろ?」
だから何だ。あたしは来てくれなんて一度も言ってない。むしろ二度と来なくていい。
無視だ、無視。
足元に鞄を置いてカウンターに作られた席に腰掛け、本の貸し出しカード類をチェックする。返却期限を過ぎているものはなし、と。次に返却図書の確認。うわぁまたたくさん溜まってるなぁ。悠美の話を聞いていると、彼女も毎回真面目に溜まった本を片付けているらしいのに、いったい他の曜日の担当は何をしているんだか。それに、こうして放課後に図書室にいても、利用者なんてほとんど来たことないのに、みんないつこんなに図書室に来てこんなに本を借りたり返却したりしてるんだろう。昼休み?
「あんまり無視されるとさすがに悲しくなっちゃうんだけど」
「悲しんでないでそっちで勉強してたらどうですか」
「相変わらず冷たいな」
冷たいとか言われても関係ない。そっちが来たくて来てるだけだし、いちいち相手をする義理もあたしにはないんだ。構ってこなくていいから仕事をさせてください。カウンター越しに薄笑いを浮かべる先輩を尻目に、返却図書を棚の位置ごとに大雑把に選別し始めた。
「教室に行ったり、一緒に昼飯食おうなんて言わないから、せめて週に一度ぐらいは普通に話さない? それも駄目?」
「話し相手が欲しいならあたしじゃなくてもいいじゃないですか」
「俺は葛西さんがいいの」
なぜだ。
声に出さなくてもあたしの感情は伝わったらしい。
先輩はカウンターに頬杖をついてこうのたまった。
「だって俺、葛西さんのことが好きだって言ったよね。本当なら毎日でも顔を見たいしこうやって話もしたいよ」
「あたしには、わかりません」
決して良い関係とは言えなかったのに、どうして今、この人があたしのことを好きだと言うのか。
徹底的に好意を持たれる要素のない振る舞いをしているあたしのことを、どうやって好きになったというのか。優しい態度を取ったことなんて一度もない。この人に従順になったこともない。覚えてる限り、笑顔の一つすら見せたことがないのに。
「好きっていう感情が? それとも、俺が葛西さんのどこを好きになったのか?」
「両方ですけど、両方ともわかりたいとも思いません」
「三ヶ月以上、彼女の振りをしてくれた仲じゃない。もう少し歩み寄ろうとしてくれてもバチは当たらないと思うけど?」
「彼女の振りをしたからこそ、歩み寄りたくないって言ってるんです。わかりませんか?」
選別した本の背表紙を開いて、一冊ずつ、貸し出しカードがきちんと収まっていることを確認する。たまに返却されているくせにカードを戻し忘れている本もあるから安心できない。そろそろうちの学校の図書室も、全部の本にバーコードを貼り付けてピッと読み取るだけにすればいいのに。いつまでも貸し出しカードなんてアナログすぎるしミスだって起こるし、いいことなんてないのに。……きっと予算が許してくれないんだろうけど。私立の進学校のくせにこういうところはけちなんだなぁ。
「そこはわからなくはないけどね。俺だって最初は葛西さんのことなんとも思ってなかったし」
そんなことは知ってる。
最初から好きだったとしたら、取り巻きの人たちの攻撃対象をあたし一人に絞るとか、そんな血も涙もないことは絶対しなかっただろう。ある種どうでもいい存在だったから、他の弱い女の子たちを守るために、適当に見つけた気の強そうなあたしを矢面に立たせようと思いついただけだったはずだ。
考えながら、わかる範囲でどんどん本を選別していく。こんな人との会話は作業の片手間で十分だ。
「なんとも思わないまま離れていってくれればどんなによかったでしょうね」
酷い発言をしている自覚はある。いっそ傷ついたりムッとしたり怒ったりして、あたしのことを嫌いになってくれればいいと思っているから、この男を相手に態度を軟化させるつもりはない。
「いつまで話しててもあたしが先輩を好きになることはありませんよ。早く帰ってください。でなければ勉強に戻ってください」
ひとまとめにした本の束を持ってあたしは立ち上がった。
できるならカウンターから出たくないけれど(だってまた後ろをついてこられたり抱きしめられたりするのは嫌だ)山と積まれた本をこのまま放置しておくわけにもいかない。書架に戻さなければ。
「勉強なんて図書室にいる口実だってわかってるだろ」
そう言いながら、先輩はようやくカウンター前から離れてノートを広げてある机に戻っていった。一応は勉強に手をつけてくれるようだから、これなら先週みたいなことにはならないかな。
だいたい、なぜあたしなのだろうか。
篠田先輩がもてることは知っている。容姿端麗、学業優秀、スポーツも(たぶん)万能で、元生徒会長で、先生達からの信頼も篤い。表向きの人当たりも良いとなれば、もてない理由なんてない。それこそ女の子なんて黙っていても寄ってくるだろうし、その中から好みの人を選んでくれればいいのに、どうしてあえて振り向かないあたしに構おうとするのか。
先輩に対しての愛想はゼロの、何を言っても無視か切り捨て、言うことは聞かない。見せる顔といえば不満か呆れか怒り顔ばかり。成績だって体育以外は特に可もなく不可もなくのラインだし。顔だって別に可愛くはないし美人でもない。おしとやかさの欠片もないし、むしろ攻撃的な態度ばかりとっているし。
こんなあたしのどこを見て「好き」と言っているのかわからない。あぁもう。
せめて告白の断り文句にあたしの名前を出すのをやめてくれればいいのに。そしたらあたしの身辺は平和そのもの、快適な学校生活を手に入れられるから少なくとも突っかかることはなくなるのに。今のところこれに関する被害はないけれど、いつ誰からいわれのない言いがかりをつけられるかと胃の痛い毎日を送るのもごめんだ。
腕に抱えた本を一冊ずつ所定の位置に戻しながら、机に向かう篠田先輩の姿を盗み見る。少し俯いて真面目な様子でペンを動かしている。ああやって黙っていてくれれば、あたしに見向きもせずにいてくれれば、普通にかっこいい男の人と思うだけで済んだのだ。
本当に淀みなくペンが動くなぁ。何の科目をやっているのか、この距離ではわからないけれど、少しも考え込んだり悩んだりすることがなく、スラスラと何か書いている。成績の優秀な人はさすが、あたしたちとは違うなぁ。
そう思ったところでふいに先輩が顔を上げた。
「……!」
いつの間にか盗み見ではなく、しっかり見つめてしまっていたようだ。やばい。
どうしてそこで顔を上げちゃうかな、この人! 間が悪いにもほどがある!
それに、どうしてそんなあたしを見て笑顔を浮かべるかな、この人! そんなに嬉しいの!?
顔面にかっと血液が集まるのを感じて、隠すために慌てて顔をそらす。恥ずかしい。上がってしまった心拍数をどうにか落ち着けたくて、腕の中にある本をぎゅっと抱きしめた。
溜まっていた返却本の最後の一冊を棚に戻し終えると、もう下校時刻の近い時間になっていた。
どこかのクラスで課題でも与えられたのだろうか、やたら日本史関連の本が多かったなぁと思いながら伸びをすると、肩と首の関節が鳴るかすかな音が聞こえた。今日も図書室の利用者はほぼゼロだった。篠田先輩は今も机に向かっているけれど、彼は本を借りてもいないし、返却もなかったから数には入れないことにする。
あとはカウンターの周りを少し片付けて、帰る支度をしてチャイムが鳴るのを待つだけだ。
「葛西さん、一緒に帰る? 駅まで送るよ」
「一人で帰ってください。勉強が終わったならもう用はないでしょ?」
仕事がなくなったのを見計らっていたように篠田先輩がカウンターに寄ってくる。
「じゃあ明日から一緒に試験勉強するか。この間の期末前みたいに、わからないところがあるなら教えてやるよ」
「いりません。勉強ぐらい自分でやります」
「葛西さんが嫌なら、もうキスはしないよ」
「そういう問題じゃありませんよ。必要以上に先輩と二人になりたくないだけです」
この人を嫌悪する理由の一つがわかった気がした。
彼から寄せられる「好意」が、言葉も笑顔も態度もすべて、作り物のような印象を受けるのだ。
「本当に何を言ってもつれないなぁ。俺だって人間だよ。それだけ全力で拒絶されたら傷つく」
ほら。今だってあたしの棘だらけの返事を苦笑交じりに受け流す。暖簾に腕押しということわざが脳裏に浮かんですぐ消えた。そうやって、人の言うことをきちんと受け止めているのかいないのかわからない態度が、あたしの神経を逆撫でするんだ。
カウンターの下、先輩から見えないところで両手の拳に力が入った。
いつもいつも涼しい顔をしているこの男に比べて、毎回怒ったり苛立ったりと感情を振り回されている自分が悔しくてたまらない。どうしたら落ち着き払っていられるのだろう。
「……もっと傷ついてくださいよ」
「…………」
「傷ついて、あたしに苛立って、怒って、早く嫌いになってくださいよ!」
悔しさがそのまま声になった。
二人しかいない図書室にあたしの声が響く。自分の声の大きさに耳がビリビリした。キッと睨みつけてやると、篠田先輩は予想に反して少し驚いて……悲しそうに、一瞬だけ、瞳を揺らした。
「嫌いになれたらお互い楽なんだろうけどな」
軽く目を伏せ、ぽつりと呟くように、先輩が言った。ひそやかに空気を震わせたその声にようやく彼の本当の感情が乗っているように感じられて、冷たいものが胸にこみ上げてきた。
悪かったと言って二度、三度、あたしの頭を撫で、先輩はまっすぐ図書室から出て行った。
それを見送りながら瞬きをすると、両目から涙が頬を伝った。ぽたりとカウンターの上に雫が落ちる音がやけにはっきりと聞こえた。
戸締りを確認して電気を消して、最後に鍵をかけて図書室を出る。図書室、と書いてある小さな札のついた鍵を職員室に戻したら仕事は本当に終わり。目の縁が少しだけヒリヒリする。きっと赤くなっているから、できるだけ見られないようにささっと職員室に出入りして逃げるようにその場から離れる。
昇降口で靴を履き替えて校舎の外に出ると、ちょうど部活の終わった陸上部が集団で校門を出て行くところだった。試験前最後の部活だったから、着替えた後もつい遅くまで居残ってしまったのだろう。人数が多くない分、陸上部は学年の壁も薄いし男女仲も良い。
「あ、依子ちゃん?」
「本当だ、葛西さん。図書室の当番お疲れ! 今帰り?」
「……うん」
たまたま校舎のほうを振り向いた舞があたしを見つけて、小さく手を振りながら駆け戻ってきた。
夕方六時過ぎ、薄闇の中でも舞のひまわりのような笑顔がはっきり見て取れた。
「一緒に帰ろうよ」
「……っ、うん……!」
自分を理解してくれる親しい友達の顔を見ると、締めたはずの涙腺が一気に緩んだ。思っていた以上に篠田先輩と二人で過ごすのが苦痛になっていたのかな。与えられているのは好意のはずなのに、自分の意に沿わない感情ならばその種類なんて関係ないんだ。いっそ悪意を向けられていたほうがいくらかましだったかもしれない。
「えっ、ちょっと依子ちゃん!? どうしたの?」
「どうかしたのー? 早くこっちにおいでよ」
「大丈夫! あたし、依子ちゃんと二人で帰りたいから、先に行っててー」
舞がそう言って、その場から一歩も動けないまま嗚咽を漏らし始めたあたしを優しく抱き寄せて、他の人から隠してくれた。女の子っていいなぁ。柔らかくていい匂いがするなぁ。
結局あたしが落ち着くまで数分間、舞はじっとあたしを抱きしめたままでいてくれた。
何があったのかと尋ねてきたのは、涙が止まって呼吸も整ってきた頃だ。
けれどさっき図書室でした先輩との会話を上手く伝えられそうになくて、あたしはやはり言葉に詰まってしまった。だって先輩ははっきり「あたしのことを好き」「付き合おう」と言っているのだ。彼女代わりにして利用するのではなくて。客観的に見れば嫌がらせなんて一切されていないのだ。あたしが嫌がっているだけで。
暖簾に腕押しの勢いで、どれだけ抵抗してもひたすら好意を伝えてくる先輩は正直怖いけれど、あたしが彼の気持ちを受け入れれば万事解決、何の問題もないんじゃないだろうか。むしろ悪いのは、彼の言い分を理解しながら一切を拒絶する姿勢を貫こうとしているあたしなのではないかとすら思えてくる。
「ごめん。まだ整理が付かなくて、うまく話せないや。けど一緒にいてもらって楽になった」
「無理に話して欲しいんじゃないから、言いたくないことなら聞かないよ。依子ちゃんが楽になったならそれでいいし。……じゃあ、帰ろっか」
「うん」
歩き始めると、舞はナチュラルにあたしの手を取って握りしめた。
友達と手を繋いで歩くなんて、小学校の低学年以来だろうか。どことなく気恥ずかしい。
でもたまにはこういうのも悪くない。隣を歩く舞の横顔はすっきりとした表情を浮かべていて、目が合ったあたしたちは自然に笑いあった。




