act26
冗談じゃなくて本気だというんだから、いっそう性質が悪い。
act26.嵐は来なくていい
夏休みが明けてから九月が終わる頃までは、篠田先輩と一年の葛西はどうやら別れたらしいとかなんとか、ひそやかに噂されていたらしい。そうなればどんなによかったことか。ほとほと嫌気がさして、直接「付き合ってる振りをやめたい」と言ったのは何だったんだろう。夢か、幻だったのか。
「依子ちゃん、結局篠田先輩とは付き合い続行なの?」
面白そうに聞いてきたのは舞だった。昼休みに、わざわざ三組の教室まで訪ねてきたから辞書を貸してとでも言うのかと思ったら、これだ。数ヶ月前までの憎しみたっぷりの態度は露と消え、今の舞はあたしと先輩の様子を見てニヤニヤ楽しむほうにシフトチェンジしたらしい。
「なに言ってるの。付き合うわけないじゃん」
「でも篠田先輩が」
「先輩が?」
「告白されて断るときに『葛西さんのことが好きだから』って言ったらしいよ」
「それがどうかしたの?」
あたしと付き合う振りを始めてからも、篠田先輩に恋心を伝えにいく女子はやっぱりそれなりの数いたらしい。これも単なる噂でしか聞いたことがないけれど。そして断りの文句には定型文のように「葛西さんと付き合ってるから」と言っているらしい。
その文句が「葛西さんが好き」に変わったところで別段、驚くこともないと思うのだけれど。
「その女子がけっこう食い下がったらしいのね、最近一緒にいるところを見ないからとか、別れたって聞いたからとかって」
「うん」
「そしたら先輩が『振り向いてくれなくても俺は葛西さんのことが好きなんだ』って」
「……なんでだ」
あたしはそこまで愛されるキャラじゃないはずなんだけど。
特に篠田先輩には愛想を尽かされてもおかしくない、というより、愛想を尽かしてほしくてつんけんした態度を貫いている部分があるんだけど。
「それ本当? えーと、菅原さんだっけ。陸上部の」
売店でパンを買い込んで戻ってきた福山くんが、ひょいっとあたしたちの会話に入ってきた。
「うん。さっきあたしもクラスの子から聞いたんだけど」
「へえー。愛されてるねー葛西さん!」
全然嬉しくないけれども。
「もしかしたらまた周りがうるさくなるかもしれないから、早めに伝えておこうと思って」
「そっか、ありがとう舞ちゃん」
「じゃあまた部活でね!」
舞がクラスに戻っていくのを福山くんと一緒に見送り、食べかけのお弁当を片付けるために席に戻ろうとしたら、呼び止められた。
「やっと怪我も治って、最近は何も問題起きてなかったのに、大変だな」
「そう思ってくれる? あたしもできるなら平和な生活を送りたいよ。みんなに心配とか迷惑とかかけるのも嫌だしさ」
「まあ、何かあったら今度は一年三組全員が黙ってないから」
にっと白い前歯を見せて笑顔を作ってくれる福山くんは誰よりも頼もしく思えた。
わざわざ知らせに来てくれた舞は心配性だ、と思っていた。
そもそも告白したとかされたとかいうのは当事者どうしの問題だし、たまたまそういう情報を舞が聞いたというだけで、そんなに話は大きくなることはないだろう。現にあたしは篠田先輩から告白されたことを(あれを本気の告白と取るのだとしての話だ)誰にも話していない。……話せない。
図書室で抱きしめられた後、あたしは渾身の力を振り絞って篠田先輩の腕から脱出することに成功した。動転していたけれど、よく考えれば本の束なんて片手で抱えられるのだ。そうして空いた片腕を振り回してなんとか逃れることができた。
「本当に、ほんっとうに、先輩とは付き合う気はありません! 少しも好きじゃありません! だからもうあたしに構わないでください」
息を弾ませながら言うと、先輩は「わかった」と言って図書室を出て行った。去り際に「来週、また来るよ」と聞こえたような気がするけどきっと気のせいだろう。とにかく、彼の気持ちは申し訳ないぐらい拒否してある。
あたしとしては体育祭のあのときに先輩との「偽者の恋人」関係は終わりにしたつもりだし、これから誰かがあたしのところに来たらはっきり「付き合ってない」「好きでもない」と言うつもりでもある。
それなのに肝心の篠田先輩が「葛西さんのことを好き」と言いふらしていては……結局、何か起こったとき、取り巻きの人たちの矛先はあたしから変わることはないのではないか。どうしてあの人はそこまで考えが至らないんだろう。もし考えたうえでの行動なら、間接的な脅迫と取ってもいいのだろうか。
残りのお弁当を食べてしまうと、昼休みはほとんど終わりの時間になっていた。
「次の時間のホームルーム、文化祭の出し物決めするからなー。考えておいて」
予鈴が鳴るよりも前からクラスのほとんどが教室に集まってきていたのを見て、委員長の福山くんが教室全体に言い渡した。
文化祭。
ついこのあいだ体育祭があったばっかりだというのに、またイベントがあるんだ。二学期って慌しい。文化祭より前、今月の半ばには中間試験もあるし。気を抜いてしまうとすぐに置いていかれそうだ。
「文化祭かぁ。何ができるんだろう。中学校よりも規模が大きいだろうから楽しみだな」
「悠美、体育祭のときとは違って今度は生き生きしてるね」
「だってあたし、根っからの文化系だもん」
そうだろうね。体育祭、あたしも派手にすっ転んで遅れを取ったけれど、この悠美は全員参加の徒競走も半泣きになりながら百メートルをようやく走ったというし。順位は走者六人中、六位。期待を裏切らない子だ。
それにしても文化祭。
人気の飲食系や物販系はほとんど二年生、三年生に取られてしまうだろうから、おそらくその他の出し物を考えなければいけない。舞台を使う系は面倒のほうが多いし、選択肢は意外と少なかったりするんだよね。目の前で「どんなのがいいかなぁ」とニコニコしながらどこか遠くに思いを馳せている悠美がなんだか可愛かった。
そうして始まったホームルーム。相変わらずやる気のない担任は挨拶をすると早々に教室から出て行ってしまった。それほど生徒を信頼しているのか、単純に面倒だから放置しているだけなのか。きっと後者だろうと思う。実際に文化祭の準備をして運営して盛り上げていくのはあたしたち生徒だから、それはそれで間違っていない姿なのかもしれないけれど。
「十一月の最初の週末が文化祭なんだけど、みんな、何かクラスでやりたいことある?」
担任が手を振って教室から出て行くのを見送って、委員長がクラスに向き直った。
やりたいことある? と聞かれても、そんなにすぐに希望や案を出す人がいるわけがなく。良くも悪くも長いものに巻かれる気質のクラスだ。
「もし、どうしてもやりたい! と思うようなのがないならちょっと聞いてくれない?」
教壇の上から教室中を眺めて、一呼吸。
福山くんは決して優等生ではない。けどクラスの中でいつも中心にいて、いつも誰かに囲まれて笑いを振りまいてくれるムードメーカーだ。人と話すことが好きだという彼の、こういう場での間の取り方は絶妙で、また堂々とはっきり喋ることもあって、誰も口を挟むことをしない。
「昨日、四組の委員長から誘われたんだけど。文化祭の出し物、四組とうち合同でお化け屋敷なんてどう?」
笑みを浮かべて案を出す委員長の話によると。
この福山くんと、四組の委員長は同じ中学出身ということもあり、仲が良い。休み時間に頻繁にお互いのクラスを行き来しては他愛もない話をしたり時にはバカをやって(決して悪い意味ではない)大笑いしているような二人だ。あまりにもよくクラスに来るものだから、三組は皆、四組の委員長の顔と名前をよく知っている。
その四組の委員長、名前を大西くんという。福山くんと同じぐらい、誰とでも屈託なく話のできる彼を悪く思う人はまずいない。少なくともうちのクラスにはいない。
そっと振り向いて斜め後ろに座る悠美の様子を伺うと、あたしと目が合った彼女はほんのり頬を赤らめた。
木曜日の放課後は悠美のカウンター当番の日だ。九月に入った頃から木曜日に必ず大西くんが図書室に姿を現すようになったと、そんな話を聞いたのは体育祭よりも前だったか後だったか。口数の少ない悠美だからそう頻繁に話を聞くことはないけれど、話によると大量の本を抱えた悠美を助けてくれたのだとか。毎週のように図書室に来ては、ぽつぽつ会話をしたり、しなかったりと、ひそかに二人はつかず離れずの関係になっているらしい。
人見知りで、特に男子と話をするなんてとんでもない! という態度を崩さない悠美を、果たして大西くんはどのような手腕ですんなり手なずけたのだろうか。さすがコミュニケーション力のある男は違うと、あたしはこっそり大西くんを評価しているのだ。
しかし、当番の日に毎週図書室に通ってくる大西くんか。
初めて悠美から聞いたときは意外だな~ぐらいの感想しかなかったけど、なんとも羨ましい話だ。火曜日に来る篠田先輩とぜひ交換していただきたい。あたしだって相手があの大西くんなら嫌な顔しないし喧嘩にもならないし、追い返すようなことはしないのに。曜日が違うだけなのにまるで天国と地獄ぐらいに扱いが違うなんて、神様は不公平だ。
そんな大西くんと福山くんが計画を練ったところによると。
隣り合っている一年三組と四組の教室の出入り口をパイプのような通路で繋いで、二クラス分の広さを使ってかなり大掛かりな仕掛けのあるお化け屋敷を作りたいのだという。どうやらその仕掛けの詳細まである程度話し合い済みのようだ。なんという隙のなさ。
「俺と大西はかなり乗り気で、あとはお互いのクラスで了解が取れればいいなって感じなんだけど。どうだろう。どうしてもやりたくない奴、いる?」
「そこまで決まってるならやろうぜ。どうせ今から他の案を出す奴もいないだろうし」
「うん、いいよねお化け屋敷。やろうやろう!」
特に反対らしい反対意見も出ず、あっさりと出し物が決定した。
といっても、今の段階では文化祭実行委員会にこれを「希望」として提出して、他の学年クラスと被っていないか調整してもらわないと本当の決定にはならないんだけど。たぶん大丈夫だろう。
「嬉しい? 悠美」
「んな、な、何言ってるの!」
ある程度決まったところで自由時間となり、めいめいに席を移動して好きにし始めたところで、あたしはやっぱり悠美のところへ椅子を寄せる。ニヤニヤしてしまうのが抑えられないのは仕方ないと思ってもらおう。
自分が恋愛するのは面倒だし興味ないけれど、人の話なら別だ。それにこの子の反応がいちいち可愛いから、ついつい突っつきたくなってしまう。
「大西くんのいる四組と合同だってさ。これをきっかけにしてもっと仲良くなっちゃえばいいじゃん」
「そんなことできないよ。あたしなんて、図書室に行ったらたまたまカウンターに座ってた人ぐらいにしか思われてないだろうし、こんな地味な子と喋っても、面白くないだろうし……」
悠美は頬を真っ赤に染めてアワアワと言い訳を並べる。なんでこんなに自信がないかなぁ。確かに派手ではないし華やかとも違うけれど、悠美は女の子らしくて可愛いのに。毎週のように必ず木曜日、特に読書好きでもなさそうな大西くんが悠美のいる図書室に足を運ぶ理由なんて一つしかないはずだし。
話を聞いていれば悠美が大西くんを憎からず思っていることぐらい、あたしでもわかる。きっと大西くんだって同じ気持ちだろうと推測する。あーもう、いいな青春って。甘酸っぱいな。
「でもこれから文化祭が近くなるにつれて、四組と一緒に話し合いしたり作業したりすること増えるだろうし。いいから遠慮なく大西くんとの距離を縮めておきなって」
「もう。よりちゃんは他人事だと思ってそうやって」
「だって他人事だもん」
自分の身に今の悠美みたいなことが起こってたらこんなに気軽に構えてないよ。
あたしはあたしで、篠田先輩の謎の発言で珍しくなーバスになっているのだ。少しぐらい友達で息抜きさせてもらってもいいじゃないか。
……本当に、どうしよう。来週の火曜日が来るのが恐ろしい。
「よりちゃん、もしかして火曜日に何かあった?」
「うん、まあ、少しだけ困ったことになってね。あの人、本気で頭おかしいわ」
もしかしたら疲れた顔でもしていただろうか、眉根を寄せる悠美は少しだけ面白そうな顔をしていた。
他人事なら楽しいっていうのはお互い様じゃないか! と突っ込みを入れたい衝動を抑えつつ、話せる範囲で、火曜日に図書室で起こったできごとを悠美に聞かせた。
さっきのあたし以上に悠美が楽しそうに食いついてきたのは意趣返しのつもりだったのだろうか。




