act25
これで静かになったと思うでしょう? あたしも思ってました。
act25.爆弾は再び落とされた
体育祭が終わってから、学校の中であたしが一人になることはほぼゼロになった。
あたしが一人になった隙を狙ってまた篠田先輩の取り巻きの人たちから危害を加えられないよう、クラスの男子といわず女子といわず、皆が気を遣って必ず一緒にいてくれるようになった。こうしてみると一年三組、仲が良い。嫌な顔ひとつせずに協力してくれるんだもん。
部活のほうでも、選抜リレーに姿を見せなかったあたしを心配してくれた部員たちに事情を話してあるので「葛西が体育倉庫に閉じ込められた」ことは皆が知っている。おそらく犯人は篠田先輩の取り巻きの誰かだということも。
特に部長をはじめとする二年生たちからは大いに同情された、一年生よりも彼女たちのえげつない部分を多く長く見てきた分、あたしが「篠田先輩の彼女」になってから、いつか何か起こるんじゃないかと懸念していたらしい。しつこくてたちの悪い取り巻きがついていると知っていたけれど、まさか人ひとり閉じ込めるほど根性が曲がっているとは思わなかった。
ちなみに事件(?)のあらましは篠田先輩の口から先生たちにも報告があったようで、実行犯は素行に難ありということで内申にがっつり響くように措置がなされるだろうと部長から聞いた。相手は三年、受験にもかなり影響があるだろう。ざまあみろだ。
「篠田先輩、リレーに出ないで葛西さんのこと探し回ってたんだな」
「えっ!?」
植村くんの言葉を聞いて、柔軟運動の動きが止まった。
「俺たち二組だから先輩と同じチームでリレーできると思って楽しみにしてたんだけど、集合時間過ぎても来なくてさ。三年の代表の人たちが慌てて別の人を連れてきてなんとか間に合って」
「本当、ギリギリだったよね」
「三組も、葛西さんがなかなか来なくて焦ってたけど、まさか閉じ込められてると思わないから。後から聞いてびっくりした」
大変だったなぁと笑いかけてくる一年二組の三人に曖昧な返事をして、それから何も言えなくなった。
だって、篠田先輩、リレーには出てないって言ってた。あれは「もともと選抜されていない」という意味ではなくて「出る予定だったけど蹴ってきた」だったのか。なんではっきり教えてくれなかったんだろう。
いや違う。
なんであたしなんか探しに来てくれたんだろう。
疑問は解決しないまま(それはそうだ、本人に尋ねなければ本当の理由なんてわかるわけがない)火曜日がやってきた。十月最初の火曜日だ。膝や肘の怪我も完璧に治った。
ここしばらくは本当に静かで、篠田先輩に近づきさえしなければこんなにも平和な生活を送れるんだと今更ながらに実感できる日々を送っていた。もちろん、クラスの子たちはいつでも警戒してくれていたし、あたしも気をつけていたけれど、不気味なぐらい何も起こらなかった。取り巻きの人たちも体育祭以降、嫌がらせが露見すればブーメランのように内申に被害が及ぶことを身をもって学んだのだろう。これまでにされてきたことは何だったのかと思うほど気持ちよく、迷惑行為は止んだ。
「ようやく平和になったぁ」
「よかったね。でも本当に体育祭以降、篠田先輩とは会ってないの?」
「うん、全然。廊下とかで見かけることすらないよ」
舞を相手にこんな会話をしたのがつい昨日のことだ。
懸案事項もなくなったし、秋らしく体を動かすには最高の季節、もっと部活に精をだしたいところだけどあいにく今日は火曜日。あたしは図書室から恨めしい思いで校庭を眺めるしかない。今日なんて綺麗に晴れているし、空が高いし、格好のスポーツ日和なのに、こんな場所でカウンター当番なんて。どうせ誰も来ないんだから、さぼって部活に行ってしまいたい。
何度目かわからないため息をついたあと、あたしはカウンターの中に積まれた返却図書の山に手をつけた。どうしたらこんなに溜まるんだ。みんなどうせ暇なんだから、これぐらい片付ければいいのに。
比較的棚の位置が近そうな本を何冊か物色して抱えていると、図書室の扉がゆっくり開いた。
入ってきた人物を見て、どうして当番をさぼって部活に行かなかったのかと猛烈に後悔した。
篠田先輩は何食わぬ顔で扉を閉め、あたしのいるカウンターまで歩いてくる。
「…………」
無視すればいいものを、驚きのあまり思考停止してしまっていたあたしは近づいてくる彼から目を離せず、重たい本を抱えたままぽかんと眼鏡を見上げていた。ああ、あたしの平和は十日で終わってしまうのか。短い命だったなぁ、こんなことならもっと満喫しておくんだったなぁ。はぁ。
「元気?」
何も問題など起きていないという態でカウンターに肘をついてもたれかかると自然に上半身を屈めることになるので、あたしは少しだけ見上げられる格好になる。その上目遣い。そしていつもと変わらない涼しげな声。
この人、あたしの話の何を聞いてたんだろう。体育祭の昼休みと、その後に助けてもらった後と。
あと何回「あなたの顔を二度と見たくない、声も聞きたくない、話したくない」と言えばわかってくれるんだろう。誰か助けて。通訳さんをここに呼んでください。
「……今日は何の用ですか?」
穏便に、穏便に。あたしだって終始怒っているわけではないのだ。
「うん、葛西さんに会いに来た」
持っているものは鞄ひとつ。着替えはないようなので、これから部活に顔を出しに行くわけではないようだ。帰り際にふらっと寄ったような気軽な様子でいる。
「付き合ってる振りは解消したいと言いましたよね?」
「うん、聞いた」
「体育倉庫から出してくれたお礼が足りなかったなら、今改めて言うので、とっとと帰ってくれませんか?」
「あの時のことならちゃんと感謝してるって言ってもらえたからもういいんだけど」
そこで一度言葉を切ってから、篠田先輩はふっと笑った。目も口も笑みの形を作っているのに温かみのまったく感じられない笑顔を前に背筋が凍った。今度は何を企んでいるんだ。
「あれから色々考えて、結論が出たから報告」
「結論……?」
何に対する結論だ。
「俺の彼女の振りをしてもらうようになってから、思っていたとおり、一部の女子の矛先は葛西さんに向いた。そして期待してたとおり、葛西さんは強くてへこたれなかった。被害にあう人が減ったのは良かったけど、確かに葛西さんには嫌な思いばかりさせてたよな。葛西さんの気持ちを無視して俺の都合の良いように振り回してたことは認める。反省もしてる。悪かった」
「はあ」
謝ってもらいたかったわけではないんだけど。
「体育祭のことは、俺がもっとちゃんと見ていれば防げたはずなんだ。それができなくて申し訳ないと思ってる。だからこれからは俺が葛西さんのことを守るって約束する」
そこまでして欲しいなんて誰も言わないし、むしろ今後一切近づかないと約束して欲しいんだけど。
「今度は振りじゃなくて本当に彼女になってくれれば、守ってやれる」
「はあ!?」
なにそれ、話が飛躍しすぎじゃないか。頭が全然ついていかない。
本当にこの人の脳みそはどうなってるんだろう。締まるべきネジが緩んでいるどころかどこかにスポーンと飛んで行ってしまっているに違いない。
何をどうしたらそんな結論が導き出されるのかわからない。誰が誰の彼女になるって?
口をあけたままのあたしを見て、よく聞こえなかったと思ったのか、篠田先輩は軽く首を傾げた。ちゃんと聞こえてるし意味もわかってるし頭に入ってますけど!
「だから、俺と付き合おうって」
「嫌です」
今度は即答した。
どうしたらあたしがあなたと付き合うと思うのか。これまで散々一緒に過ごすことを拒否してきて(だいたい無視されたけど)、はっきり嫌いだと伝えて、付き合ってる振りを解消したいと言ってきた。これだけ言ってもまだ「ならば葛西と付き合おう」という気持ちになるだけのバイタリティはどこから湧いてくるんだ。もはや理解の範疇を超えている。
「どうして?」
「今まで嫌になるぐらいあたしの意見無視で好き勝手に振舞われて、取り巻きの人たちからもあれこれ嫌な思いをさせられてきました。この中のどこに、あたしが先輩と付き合いたくなる要素がありますか?」
「うん。ないね」
あ。そこはわかってるんだ。わかってるのに付き合いたいとは、ますます不可解。
「あたしは先輩との関係を解消したいと言いましたけど、それに関しては?」
「賛成だよ。恋愛感情のないまま付き合ってる振りをしても葛西さんにはメリットがない」
「ならそれでいいじゃないですか。もうあたしに付きまとわないでください。先輩と一緒にいなければ、あたしは見たくもない顔を見なくて済むし、誰からも嫌がらせをされずに済みます。平和な生活を送れるんです」
抱えていた本を持ち直し、あたしはカウンターから出る。もうこんな頭のおかしい人に付き合っている義理はない。相手にするから調子に乗るのだ。放っておいて自分の仕事を片付けよう。
「手伝おうか? ずいぶんたくさんあるし」
「いりません。帰ってください」
書棚の間を歩くあたしの後を、篠田先輩はぴたりとついてくる。話は終わっていないとでも言うのだろうか。言うんだろうな。実際にあたしが無理やり切り上げて放り出したんだから。
「ねえ、葛西さん」
「何ですか?」
抱えていた本の一冊を棚に戻しながら返事だけする。どうあっても帰ってくれないなら、話を聞くふりでもしたほうがいいのかもしれない。まともに相手をしてもあたしが一人疲れるだけで、良いこともないし。
そんな慈悲の欠片を見せたことも間違いだったのだろうか。
思いのほか至近距離に、というより真後ろにいたらしい先輩の腕が、あたしの肩に回ってきた。
「ちょ、」
え? ええ? どういうことなの?
どうしてあたし、抱きしめられてるの?
後ろ向きに先輩の胸に抱き寄せられている。背中から首の辺りにかけて、先輩の呼吸に合わせてゆったり胸が動いているのがわかる。秋口ということもあり彼が着ているのはワイシャツ一枚、あたしはブラウスにリボンに薄手のベストといういでたちでは、それはもう肌の温度が存分に伝わってくるわけで。
背筋がぞわっと震えるのは今日だけで何度目だろう。早くここから逃げ出さなければと思うけれど、少し体をよじった程度ではびくともしない。ふわりと被さっているだけだと思っていたのに、男女の体格や筋力の違いを嫌になるほど実感させられる。
なんであたしの両手は今、自由ではないんだろう。胸元に抱えているこの分厚い本さえなければ暴れてでもこんな腕、振りほどいてやるのに。
なんで目の前には大きな書棚がそびえ立っているのだろう。これさえなければもっと逃げ道が広がるのに。
「葛西さん」
耳のすぐ近くで聞こえる先輩の声に、体をぎゅっと縮こませた。
こんな甘い囁き声、あたしは知らない。一体どこから出しているんだ。気持ち悪い。
腕から足から、鳥肌が立っている。見せられるなら見せてやりたい。そう心の中で叫んだら、そんなものは一気に吹っ飛ぶような爆弾が、あたしの耳に投下された。
「……好きなんだ」
「今更そんな冗談やめてくださいよ」
これが爆弾じゃなかったら何なんだ! どうしてこうなった!
「冗談でこんなこと言わない。本気で、俺は葛西さんのことが好きだ」
「いえあの、もう無理」
何が無理って、付き合ってと言われたことも、好きと言われていることも、抱きしめられていることも。全部だ。さっきからそう言ってるのにどうしてこの人はわかってくれないんだ。
頼むよもう勘弁してよ、このままじゃあたしの鉄の胃袋もストレスでおかしくなっちゃうよ。
「もう葛西さんの嫌がることはしない、必要以上に学校で一緒にいることもしないから」
「今! たった今、嫌がることされてますけど!」
「ああ、そう? ごめんごめん。でももうちょっと」
ほら! この人全然あたしの言うこと聞いてくれない! 嫌がることはしないって言ってるのに行動が言葉に伴ってない。
だいたい突然好きとか言われても困る。
少なくともあたしは篠田先輩に対して好意なんてほとんど見せた覚えがないし、むしろ悪意ばかりアピールしている気がする。一緒にいても会話が弾んだことはなかったし、楽しかったこともないし、良い雰囲気になったことは一度もないと断言できる。
この男の中でどんな化学反応が起きたのかわからないけれど、自信たっぷりに「好きだ」「付き合おう」と言える根拠が見つからない。あたしが色よい返事をするわけがないのは、これまでの態度を見ればわかりきってるのに。好きって言われれば無条件に好きになれるわけじゃないんだよ。人間って。
こんな冗談みたいな展開、あたしは望んでいない。




