act23
一難去ってまた一難、なんてものじゃない。
act23.体育祭は大波乱(中)
昼休みの半ばで教室に戻ったあたしを見た悠美は何か言いたげだったけれど、ただ笑って「お帰りなさい」だけだった。拭い取ったとはいえまだ目が赤かっただろうし、周りにクラスの人がたくさんいたから気を遣ってくれたのかもしれないけれど。後でたっぷり時間をかけて問いただすことにしたのだろう。
予鈴が鳴って校庭に戻ると、何事もなかったように午後の種目が始まった。
午後一番は応援合戦と、教師陣によるリレーだ。担任を持っているクラス別に、また担任を持っていない教師も均等に赤組と白組とに分かれて(実況によるとあみだくじで決定したらしい)バトンを手に走る、走る。普段スーツや白衣の姿しか見ない先生たちがジャージ姿で走っているだけなのに、それが新鮮で面白かったので、自然と視線がトラックに釘付けになっている。
せめてこの体育祭が終わるまで、篠田先輩のことは横に置いておこう。モヤモヤしたままでいては楽しい時間が勿体ない。
「あ、石井先生。意外と速いね」
「ほんとだ。でも川島も負けてないよ。二人とも体育会系じゃなさそうなのに、意外」
石井は化学、川島は世界史が担当だ。ついでに言うと川島は我らが一年三組の担任で、この場合はあたしたちは川島を応援するのが正しい。
けれど。
「あー石井先生、かっこいいなぁ。あたしが白組だったら、もっと大っぴらに応援できるのに」
「悠美、あんたかっこよければ誰でもいいの? 少しは頑張ってる担任のことも評価してあげなよ」
「だって~」
彼女と半年間付き合ってよくわかったこと。悠美は面食いだ。元が大人しい子だから特に害はないし、本人も単なる目の保養と言っているから、まあ可愛いものだけれど。
「そろそろ教師リレー終わるよね。この後の騎馬戦が終わったら選抜リレーだから、今のうちにトイレ行っとく」
「うん、行ってらっしゃい」
手を振る悠美に手を振り返し、トイレに向かう。校庭にはトイレはないので、一番近い食堂のトイレを利用することになる。さっさと用を足して戻るつもりだったのに……どうしてこう、タイミングの悪いことが起こるんだろう。
「ちょっと」
「……何ですか?」
久しぶりに遭遇した。明るく染められた長い髪は、さすがに邪魔にならないようにまとめられているが、体育祭だというのにこの完璧に隙のないメイク。人工的に作った目力でキッとあたしを睨みつけてくるこの人は、言動からしても篠田先輩の取り巻きの一人だろう。何回かこの人を筆頭とする何人かのグループに呼び出されて囲まれて暴言を浴びせかけられたことがあったのを覚えている。
「さっき、篠田くんと二人でお昼を食べていたでしょう?」
「そうですね」
そのせいで、まったくおいしくないお昼ご飯になりましたけどね。
「相変わらず生意気! いい加減『すみません』ぐらい言えないの!?」
面倒くさいのに捕まった。感想はそれだけ。
激昂するこの人の相手を今、するつもりはない。あたしはさっさとトイレを済ませて自分の席に戻って選抜リレーに備えなければいけないのだ。
「……『スミマセン』」
何か言い返せばその二倍も三倍もの言葉になって文句が飛んでくるだけなので、ここはこの人に従っておくことにしよう。すみませんだけ言えば解放してくれるなら、いくらでも言う。早く戻りたいから。そして残念ながら、虫の居どころが良いとは言えない。あんまり関わり合いになってこんな場所で無駄な時間を使いたくない。
「その態度が生意気だって言ってんのがわからないの!? だいたいあんた……」
「あとにしてもらえませんか。これからリレーに出るので、早めに席に戻って準備したいので」
「……」
少しだけ強引さを出して、空いている個室に入ってしまうと、間もなく取り巻きの人はトイレから出て行ったようだ。よかったよかった。
すっきりして赤組の応援席に戻る途中、校庭の手前の通路にバレーボールが落ちているのが見えた。一つ、二つ。無造作に転がっている。
「昼休みに誰かが出してここで遊んでたのかな」
ここまでかすかに聞こえてくる実況によると、綱引きが終わって騎馬戦が始まる前のようだ。少し遠回りになるけれど、体育倉庫にこれを片付けてから戻ってもリレーには間に合うだろう。白いボールを二つ、拾い上げると、あたしは方向転換して体育倉庫へ向かった。
体育倉庫は校庭と校舎の間の、わりと目立たない場所にある。
当然、教師も生徒もみんな校庭に集中している今、この近くを歩き回っている人はいない。
「物がなくなると、ここ、こんなに広いんだなぁ」
体育祭で使っている道具は終わってから一気に片付けるようで、がらんとしていた。倉庫の中に入って、手にしていたボールを籠に入れて、さあ戻ろうと入り口を振り返ったときだった。
誰かの手によって、倉庫の扉が素早く閉じられた。
「えっ」
ご丁寧に外からはガチャガチャと鍵をかけているらしい音まで聞こえる。
あまりのことにポカンと様子を見ている間に、犯人達は足早に走り去って行ったようだった。キャハハハと聞こえてくるその声は悪意に満ちていて、なるほどさっきトイレで会ったあの人かとすぐに合点がいった。
「ちょっと待ってよ!!」
我にかえって慌てて扉を開こうとしても、ガタガタ揺れるだけで一センチも動いてくれる気配はない。どうしてこういう倉庫って、内側から鍵を開けられない仕組みになってるのかなあ!?
「誰か! 誰か、いませんか! 出してください!!」
扉を叩いても、必死で声を張り上げても、誰一人として近づいてくる気配はない。
倉庫内を見回してみると空気を通すための窓はあったけれど、とても人が通り抜けられるサイズではない。完全に閉じ込められた、と理解するのに大して時間は必要なかった。
予想外の事態に出くわすと、人間、案外冷静になれるものなんだと変なところで感心してしまう。
問題は、どうやってここから出るかだ。
騎馬戦なんて入退場を含めてもせいぜい三十分ほどで終わってしまう。そんなに短時間で、あたしは外に出られるのだろうか。体育祭のクライマックス一歩手前、ほとんどの人が校庭で白熱している試合を見守っているに違いないのに、誰が助けてくれるというのだろう。
金属でできた扉を叩く鈍い音だけが、半分ほど空洞になった倉庫内に空しく響く。
『おっと、これは白組、一年生でしょうか! 果敢に赤の大将のもとへ駆け寄っていきます! 懸命にハチマキに手を伸ばす! 取るか、取れるのか……ああ、残念! 赤の大将が逆に白のハチマキを奪い取りました! さすが三年生、一枚も二枚も上手のようです……』
静かにしていれば案外、実況がよく聞こえてくる。どうやらまだ騎馬戦は終わっていない。けれどそろそろリレーに出るメンバーが集合し始めている頃だろう。
誰か、そろそろあたしがまだ戻っていないことに気付いていないだろうか。
誰か、探しに来てくれないだろうか。
陸上部はみんなリレーに出るだろうから、無理だ。頼みの綱はクラスメイトと、担任だ。
「誰か、誰もいませんか! 助けてください! 葛西、ここにいます!」
もう誰でもいい、先生でも生徒でも用務員さんでも、誰でもいいから、この近くを歩き回っていないの? 本当に誰もいないの? お願いだから気付いて。そんな思いを込めてひたすら叫び、硬く冷たい扉を叩き続ける。
『―――最後の赤駒が、今、崩れました! 赤いハチマキを手にガッツポーズしているのは白組! 騎馬戦、白組の勝利です! これを以って騎馬戦は終了となります。勇敢に戦った両チームに拍手を……』
騎馬戦が終わってしまった。この後の種目は選抜リレーしか残っていない。
幸か不幸か、この場所は放送席の実況がそれなりに聞こえてくる。倉庫の外ならばもっと鮮明に聞こえるだろう。他の音が聞こえれば聞こえる分だけ、この倉庫の音はかき消される。
「もう間に合わないのかなぁ……」
いい加減、両手が痛い。薄暗い倉庫の中でも、自分の拳が薄赤くなっているのがわかる。少し腫れているかもしれない。それでも、リレーに出られる可能性が少しでもあるなら、諦めるわけにはいかない。代表に穴を開けてはいけない。
もし、あたしが見つからなかったら、クラスの女子の中から急遽代わりのメンバーが選ばれてリレーに参加するだろう。あたし以外にも何人か運動部の子がいたはずだから、ひどい結果にはならないはずだ。それでも、出られるものなら出たい。走りたい。
『それではこれより、本日最後の種目、選抜リレーを行います』
「……」
願いも空しく、リレーが始まってしまった。
一年生が走るのは一番最初だから、今から急いで出て行っても間に合わない。
代わりの走者は無事に選ばれただろうか。無事に、うちのクラスから五人、走れるだろうか。
「っ、あたしが、何をしたっていうの!」
どうしてこんな場所に意味もなく閉じ込められなければならない?
篠田先輩に気に入られているから? 今日、一緒にお昼を食べていたから? 現実の二人は全然中睦まじくなんてないし、お昼を食べながら交わした会話だって決して平和なものではなかったのに。今後、こんな目にあわないために、はっきり関係を解消してきたところだったのに。
あの人たちがあたしに固執する理由がわからない。
篠田先輩が彼女たちに振り向かないからと言って、彼の一番近くにいるあたしを潰して何になるのだろう。あたしが彼の近くからいなくなったら無条件で彼は彼女たちを見るようになるのだろうか。
そんなことは絶対に起こらないと、篠田先輩はそんなに愚かな人でないことをあたしは知っている。むしろ自分の周りを取り巻いている彼女たちを遠ざけるために、あたしを「彼女」と称して近くに置いていたのだから。
単純にあたし個人が気に食わないのだとしても、あの人たちはどうしてこうも卑怯な手段でしか接してこないのだろう。もっとはっきり言ってくれればいいのだ。あたしがリレーに出ることを知ったうえでこんな場所に閉じ込めるような卑劣さに、無性に腹が立つ。そしてそんな彼女らにまんまとしてやられた自分にも。
思えばあんな場所にボールが落ちていることからして不自然だったのだ。
わざわざ体育祭の昼休みに、あんな狭い場所でボール遊びなんてするだろうか。遊ぶにしてももっと開けた場所がいくらでもあるのに。落ちているものを何の疑問も持たずに拾って片付けようとしなければ、急いでいるからと見て見ぬふりをして通り過ぎてしまえば、あたしは今、こんな場所で必死に扉を叩いていなくて済んだのだ。
「誰かそこにいるの?」
リレーが半分ぐらい終わっただろうか。
不意に外からかけられた声がまるで神か仏のように感じられた。助かった! ありがとう女の人!
「います! 閉じ込められて……っ、助けてください!」
「もしかして葛西さん?」
「そうです!」
誰なのかわからないけど、外の人はどうやらあたしの名前を知っているらしい。
「わかった、すぐに鍵を持ってくるから。もう少し待ってて」
「ありがとうございます……!」
女の人が走り去ってゆく足音が聞こえる。
よかった。もうすぐこの薄暗い場所から出られるんだ。
安心すると一気に目頭が熱くなり、涙がこみ上げてきた。緊張が解けたからか、腰が抜けて座り込む格好になってしまった。けどよかった。暗くなる前に出られる。あたしがここにいることに気付いて、助けてくれる人がいる。
いくらも待たないうちに、また足音が近づいてきたけれど、この数分間でリレーが終わってしまったことを実況の声で知った。学年別のタイムと総合の順位とで得点を算出するとかで、結果が出るまで少し時間が欲しいとか何とか聞こえる。
助けに来てくれたのはさっきの人だろうか。外に出たらまず、心からお礼を言わなければ。そう心構えをして、鍵が開く金属音を聞いていた。何年生の人だろう。もしかして先生だろうか。無関係の知らない人まで動員して捜索されていたのだとしたら、実はかなりおおごとになっていたのだろうか。心配と迷惑をかけてしまったことも、あちらこちらにきちんと謝らなければいけない。まず見せるのが、ボロボロの泣き顔で腰を抜かしている情けない姿だけど、知らない女の人ならどんな格好でもこのさい、気にしない。だって怖かったんだ! 不安だったんだ!
ドキドキしながらゆっくりと引き戸がスライドするのを待っていた。
薄暗い倉庫に鋭い陽光が差し込み、眩しさに両目をつぶる。
やがて目が慣れてきて、顔を上げると、そこに居たのは女の人ではなかった。
「なんでこんなわかり難いところに閉じ込められてるの、葛西さん」
仏頂面に仁王立ちであたしを見下ろす、篠田先輩だった。




