act20
悩んでるなんてあたしらしくないけど、どうしたら気持ちが晴れるのかわからない。
act20.カウンターは一人
篠田先輩とは花火大会以来、一度も会っていない。連絡手段がないから、もちろん連絡も取っていない。部活の練習日は何日かあったけれど、あれだけちょくちょく顔を出していたのがぱったりと来なくなった。同期や二年生の先輩たちから「喧嘩でもしたの?」なんて心配そうに何度か聞かれたけれど、そのたびに曖昧な言葉でごまかしてきた。あれは喧嘩なんて呼べるものじゃない。一方的にあたしが言いたいことを言ってそれっきりにしているだけだ。
そうしているうちにあっという間に八月が終わって、二学期が始まった。
始業式に夏休み明けの実力テスト(存在を忘れていたからひどい点数だった)が終わると、すぐに通常の時間割に戻る。ということは、毎週火曜日の放課後カウンター当番も復活するということだ。
もしかしたら久しぶりに篠田先輩の顔を見ることになるかもしれない。あの人がなんで毎週毎週狙ったように火曜日に図書室に来るのかわからないけれど、もし、次もそうだとしたら。
そうだとしたら、どんな顔をして先輩の前にいればいいんだろう。
「依子ちゃん、午後からだんだん顔色が悪い……っていうか、険しくなってきてるけど、大丈夫?」
「あたしそんな顔してた?」
「うん。眼光鋭くて、今なら視線で人を殺せそう」
ホームルームが終わると、悠美が不安げにあたしの席まで来た。この子はいつでも小動物のようで可愛い。一緒にいると勝手に気持ちがふんわり穏やかになるけれど、今日は悠美パワーを持ってしても癒しが足りてないようだ。
「そういえば今日、火曜日かぁ。でも久しぶりのカウンター当番で緊張してるってわけじゃなさそうだね」
「うーんある意味緊張はしてるんだけど。あ、でも、当番の仕事はちゃんと覚えてるよ。貸し出しも返却も、本を棚に戻すのも、ちゃんとできる自信ある」
鞄に必要なものを詰め込みながら、顔を上げて笑いかける。
いくらあたしでも一ヶ月以上間があいたからといって、カウンター仕事を忘れたりなんかしない。実力テストは存在自体をすっかり忘れていて本当に散々だったけど、それとこれとは別だ。初めての当番の日、篠田先輩にぼろくそに言われたのが悔しかったから、わざわざ司書さんや悠美にやり方を聞いてメモまで取って、必死に覚えたんだから。
「そういえば最近、篠田先輩見てないけど。何かあった?」
小首をかしげた悠美は、さりげなく大きな爆弾をあたしの中に落とす。
考えてみたら夏休みに先輩との間に何があったのか、悠美にも舞にも話していなかった。花火大会の一件のことは、関係のない誰かに話すべきではないと思っていた。だって、話したところで誰もアドバイスなんかくれないし、聞いた人はきっと一様に「馬鹿だね」と一蹴して終わるだろうから。
「何か、うん、あったといえばあったけど。ほら、先輩も三年生で受験生だしさ、忙しいんだよきっと」
「朝も帰りも一緒じゃなさそうだし、お昼もあんなに毎日のように教室まで迎えに来てたのに、夏休み明けてからは全然見なくなったし。忙しくなるにしても、仮にも依子ちゃんは彼女なんだから、先輩はそういうのは必ず伝えてくれる人だと思うんだよね。なのに、どうして何も知らないの?」
「だって、何も言われてないもんは言われてないし。毎日毎日朝も昼も帰りまでべったりされてうんざりしてたところだったから、すっきりしてよかったわ。じゃあ、そろそろ図書室に行くから」
まだ何か言いたそうにしてた悠美だけど、少し強引に話を切り上げた。
篠田先輩のことを、考えたくない。ただでさえこれから図書室に来るかもしれないと思うと胃が痛くなりそうなのに、せめて目の前にいないときぐらいは、別のことを考えていたい。
また明日ねと手を振って、一人、廊下を歩く。階段を下りて、特別棟の一階が図書室だ。
「こんにちはー」
「あら葛西さん!よかったー今日は当番の子、来たわ」
司書の大久保さんがカウンターの中でぱっと顔を輝かせた。久しぶりに会ったな、この人。いつもあたしが図書室に来る頃には誰もいなくて、なのに鍵だけは開いていて、無用心極まりない状態で内心少しだけヒヤヒヤしてたものだったけど。ついに職務放棄したか、と思っていたけれど、案外ちゃんと仕事はしているみたいだ。
「はあ……」
それにしても「今日は」来たって言ってたのはどういう意味なんだろう。
「夏休み明けると、よっぽど図書室とか本とか好きな子じゃないと当番の日を忘れちゃってね。そのまま来なくなっちゃう委員会の子もけっこういるから。葛西さんは忘れずにちゃんと来てくれて嬉しいわ」
「それはまた難儀なお話ですね」
「酷いでしょう!? 一応、各クラスの担任の先生から呼びかけてもらうようにはしてるんだけどね。みんな知らばっくれちゃって。でも今日は葛西さんが来てくれたから、火曜日はひとまず安心ね。じゃあ、私は事務室にいるから、帰るときに鍵だけお願いね」
調子よく話しながらさくさくと荷物を片付けていたらしい大久保さんは、そそくさとカウンターから出てきたかと思うとポンとあたしの肩を叩いて図書室から去っていった。おい、司書さん。やっぱり職務放棄なのかそうなのか!
一瞬でも期待したあたしが馬鹿だった。
肩を落として、さっきまで司書さんの居たカウンターの椅子に座り込む。どうやら篠田先輩はまだ来てないみたいだ。安心したの半分、いつ来るのか不安になるのが半分だ。
たった今まで司書さんがいたから、カウンターの中には棚への返却が必要な本も溜まっていない。それに、夏休み明け間もない放課後の図書室に用事のある人も、あんまり聞いたことがない。だから今日はきっと下校時間まで暇を持て余すことになるんだろう。―――篠田先輩さえ来なければ。
これまでなら、あたしが図書室に来る頃には先輩が先に来て手続きを待っていたり、そうでなくてもカウンターについてから数分しないうちに姿を見せていた。けれど今日は十分ぐらい経っても図書室の出入り口はしんとしていて、人が通りかかる気配一つしない。これは、もしかしたら来ないかもしれない。なんだか気が抜けてしまった。一人で身構えてキリキリして、馬鹿みたいだ。
知らないうちに緊張してガチガチに固まっていた肩をぐるぐる回して、ふいと視線を校庭の方へ向ける。本当に、この図書室は絶好の校庭観察スポットだ。
「あ」
いた。あんな場所に。
練習着を着て、部員達に混ざって準備運動をしている篠田先輩の姿を見つけた。部活の方に混ざってるなら、そりゃあ待てど暮らせど(は、言いすぎだけど)こっちには来ないはずだ。先輩が体を動かしながら、近くにいる二年生の先輩と何やら楽しそうに話をしているのが見える。笑っている。花火大会であたしに見せていたのと同じ笑顔だ。
今日は火曜日であたしのカウンター当番の日で、あの人は毎週毎週きっちりと図書室に来ていた。なのに、今日は来なかった。これに限らず、さっき悠美が言っていたとおり、篠田先輩は夏休みが明けてから一度もあたしの前に姿を現すことがなくなった。それに、部活にも来なくなっていた彼が、あたしが部活に行かないとわかっている今日を選んで、顔を出しに行っている。これは偶然、たまたまとは思いにくい。
もしかして、もしかしなくても、あたしは彼に避けられているのか。
避けているのはあたしのほうだと思っていたけれど、実際は逆だったみたいだ。そっか、避けられているのはあたしのほうなんだ。
「なんだ。そっか……」
なんだ、ならもうあたしはあの人の彼女の振りとかしなくていいんだ。不必要に二人で一緒にいなくていいし、二人でいるのを見た先輩の自称ファンの人たちから影で文句を言われたり地味な嫌がらせをされたりせずにすむんだ。まだあたしの耳には届いてないけど、近いうちに「別れた」って噂が学校中を駆け巡るんだろう。
「依子ちゃん?」
清々したはずなのに、どこか晴れない気持ちのままぼんやり校庭を眺めていたら、至近距離で名前を呼ばれてあたしは文字通り飛び上がった。
「えっ!? あ、え、悠美!? いつの間に」
「さっき。教室で依子ちゃん、やっぱり変だったから。やっぱり何かあったんじゃないかなって思って」
カウンターの正面に笑顔の悠美が立っていた。いつの間に入ってきたんだろう。図書室のドアはカウンターから十分見える場所だし、開け閉めするときにそれなりの音が鳴るのに、全然気付かなかった。
「それに、この時間の図書室なら、きっと誰もいないから。依子ちゃんも暇だろうなって」
「うん、確かに暇してたけど」
「ならここでお話聞かせてもらっちゃおうかな。何かあったんでしょ?」
この子、どうしてこんなに楽しそうなの?
ささっとカウンターに入ってきて、予備の椅子にちゃっかり腰掛けた悠美は、油断するとメモを取り始めそうな勢いでらんらんと目を輝かせてあたしを見ている。そんなに期待されても、全然面白い話はないんだけど。
「この場所、校庭がよく見渡せるよね。あたしもやることなくて暇になったら、よくここから陸上部見てるよ。あ、今走ってるの、篠田先輩だね」
「そうみたいだね」
誰かと並んでカウンターに座るのは新鮮だ。話し相手がいるのは、なるほど、ちょっと嬉しいかもしれない。
悠美は体を乗り出して、さっきまでのあたしと同じように陸上部や野球部のいる校庭のほうを眺める。
「依子ちゃんもさっき、校庭を見てたみたいだけど。先輩は今日はここに来た?」
「来なかった」
「もしかしてそれで依子ちゃん、しょんぼりしながら校庭見てたの?」
「しょんぼりなんかしてないよ。ただ、久しぶりに見たなと思ってただけで」
夏休み中に絶対何かあったでしょう、ともう一度念を押すように言われたら、何も言わないほうが逆に不自然だ。結局あたしは夏休みに篠田先輩がらみで起こったことをかいつまんで悠美に伝えた。映画を見に行ったこと、その後でお友達へのプレゼント選びに付き合ったこと、舞と仲直りできたこと、花火大会に連れて行かれたこと、そこで先輩に思っていることを言ったこと。
悠美はほとんど口を挟まず、とりあえずは最後まで聞いてくれた。そして最初のコメントがこれだ。
「依子ちゃん、さすがに『これ以上あなたのことを嫌いにならせないで』は、ないよ」
柔らかい雰囲気とはうらはらに、ずばっと言う。
「そうだったかもね」
「確かに依子ちゃんはよく耐えてたと思うよ。篠田先輩、本当に依子ちゃんの気持ちや都合お構いなしに連れまわしてたのは見てたから知ってるし。あれだけ抵抗しても何を言ってもニコニコして聞き流して、最後には思うようにしてたし」
悠美の言うとおりだ。あの人のマイペースさ加減にだんだん耐えられなくなっていったんだ。
その都度その都度「嫌だ」と伝えていたし、できる限りの抵抗もしたつもりだった。けどあの人があたしの意見や気持ちを聞き入れてくれたことなんてこれまでほとんどなかったような気がする。
「依子ちゃん一人が我慢すればいいものじゃないけど、落ち着いて話をすれば、先輩だってちゃんと考えてくれたんじゃないかなって思うよ。いくら先輩がマイペースな人でも、人の気持ちが全然わからない人じゃないでしょう?」
「……そうかなぁ」
これに関しては疑問。
人の気持ちがわかる人だったなら、あたしが「デートに行きたくない」「一緒に帰りたくない」とか言ったときにちゃんと理由を聞いてくれたり、あたしの都合に合わせてくれるときがあったってよかったはずだ。そんなことが何度も続いていたから、最近ではいちいち文句を言う気もなくなってきていた。悪態をつくことはやめなかったけれど。
「一回、篠田先輩のところに行ってみたら? 冷静になってもう一回、依子ちゃんの気持ちを伝えて、それから先輩の気持ちも聞いてみたらいいんじゃない? もしかしたらこれまでの振る舞いも何か考えがあってのことかもしれないし。今、何も言わずに距離を置かれてるのにも理由があるのかも」
彼のことをあまり知らないはずなのにその絶大な信頼感はどこから来てるんだ。
そりゃ、もちろん、あたしだってそこまで篠田先輩のことを知ってるわけじゃないんだけど。
「簡単に言うけどさ、悠美。さすがに三年生の教室に一年が一人で乗り込んでく勇気はないよ。怖い人たちにも無意味に睨まれそうだし」
「ああーその人たちがいたかー」
「いいよ、別に。今回のことで嫌われたんだとしても。むしろその方がありがたいかな。今後付きまとわれることがなくなるなら、何でもいい」
このとき、悠美が納得したようなしていないような、少し悲しそうな顔をしていたのを、頬杖をついて校庭を眺めていたあたしは見ることがなかった。
最近、本心と思ってることを話すたびに胸の辺りが一瞬だけしくしく痛むのはなぜなんだろう。




