act16
こんなに長い一日になるなんて最初は思ってなかった。
act16.本日は晴天なり(前)
七月最後の週末、あたしは最悪の気分で目を覚ました。
元々寝起きは悪くない。休日なら、その日の天気とコンディションによっては朝早くから起きてその辺を軽く走りこんだりすることもあるぐらいだ。
もう夏休みに入っているし、今日は部活もないからその代わりに少し走ったり、体を動かしたりするのも悪くない……はずなのだが、どうしても今日はそんな気になれない。なんでかって、篠田先輩と二人きりで会わなきゃいけない日だからに決まっている。
待ち合わせ場所は学校から二駅の、この辺では大きな駅の改札だ。ここなら駅の近くに映画館もあるし、周辺をぶらぶら歩きまわって買い物なんかもしやすい。あたしたちの学校の生徒が遊ぶと言ったらだいたいこの駅の周りだ。つまり、この辺を篠田先輩と歩いていたら、同じ学校の同級生と出くわす可能性も高いわけで、そればかりは運に任せるしかない。
電車を降りて改札に出てみると、先輩はもう到着していた。
わりと時間に余裕を持って来たつもりだったんだけど(後でネチネチ文句を言われるのが嫌だったから)この人もやっぱり根は真面目なんだよなぁ。彼が優等生とか何とか言われるのは人前で大きな猫をかぶっているからもあるけど、何よりも彼自身の性分によるものが大きいんだと思う。
「早いですね」
「電車の時間がちょうどいいのがなかったから。葛西さんも早かったね」
「あたしも、これより遅い電車だとギリギリになっちゃうので」
声を掛けると、操作していた携帯を閉じてあたしのほうを振り返った。
なんというか……そう、この人、やっぱり見た目は悪くないんだ。初めて見る私服はわりあいシンプルで、濃い色のデニムにTシャツ、更にさりげない色のシャツを羽織っている姿は力が入りすぎず抜けすぎず、似合っていた。スタイルもいいし、これで口を開かなければ、と言ってもそもそも好みと違うんだけど、まぁいいなと思えるものだ。
こっちは今着てる服を選ぶのに一時間もかかったというのに。
一応デートだし、あまり数は持っていないけれど女の子らしくしたほうがいいのか、それとも普段着に近いものでいいのかと散々悩んだ末、青いチュニックに薄ベージュの七部丈パンツにサンダルといういつもとさほど変わらないいでたちになった。髪の毛はこちらも悩んだ末、結局いつもと同じく左右にわけて結わえてある。
「じゃぁ、まだちょっと早いけどまず昼飯にするか。それから映画な」
もうどうにでもなれ。
笑顔で歩き始める先輩の少し後ろを歩きながら、嫌になるほど晴れ渡った空をあたしはうらめしく見上げた。午前十一時、高く昇った太陽は夏らしく眩しく輝いている。
映画は面白かった。
前触れどおりの激しいアクションと華やかな演出、主人公たちのちょっとした恋愛に心躍った。踊ったし、感動もしたけれども、隣に座るのが篠田先輩だと思うとそれだけで苛立って、目元ににじんだ涙はすぐに引っ込んでしまった。
図書室で幾通りか出されたデートプランの中で一番ましに思えたのが、この「一緒に映画を観る」ことだった。他の、遊園地や動物園では丸一日拘束されるし、ショッピングと言っても別にこの人と一緒に見て選びたいものなんてない。何より一緒に居る間の会話に困る。
学校がある間、毎日のように一緒にお昼を食べたり一緒に帰ったりしている時にそれなりに会話できていたのは、一回一回が短時間だったからだ。三時間も四時間も、ましてや丸一日なんて好きでも何でもない相手と二人きりで過ごして、一体何を話せと言うのだ。同じ学校で同じ部活という以外、学年も趣味も全然違うというのに。
その点、映画ならば少なくとも上映中は口を開かずに済むし、会話だって映画の内容について喋っていればそれなりに間が持つ。
そんなわけで、今、あたしたちは映画館から少し歩いた場所にあるカフェにいる。
席についたところで、向かいに腰掛けた先輩がおかしそうに笑いをもらした。
「一回ぐらい目、合わせてくれてもいいんじゃないの」
「……映画のチケットありがとうございました」
「それで葛西さんが来てくれるなら映画代ぐらいいくらでも出すけどさ」
「最低一回はデートするっていう約束はもう果たしたので次はありませんけど」
お店の人が持ってきたアイスティーにミルクとシロップを注ぎながら、あたしはできるだけ淡々と返事をした。視界の端にちらちら映る先輩の顔はやっぱり面白そうにあたしの顔をじっと見ていて、なんとも居心地が悪い。今更顔を見ろ、目を合わせろと言われても、単純に嫌だ。なぜなのかはうまく答えられないけれど。
「俺のことそんなに嫌い?」
ずっと明るい調子だった声が突然曇ったから驚いて、つい顔を上げてしまった。
視線が合うのはこれで三度目だ。一度目は待ち合わせたとき、二度目は映画のチケットのお金を出そうとして「俺が出すから」と言われて押し問答になったとき、そして今。
さっきの声とは裏腹に先輩は実に楽しそうな笑顔で「あ、やっとこっち見た」と言った。なんだ、声だけか。遊ばれていたのか。だからこの人と目を合わせるのは嫌いだ。ほんとに腹が立つ。
「あたしは、先輩のことを好きだと思ったことは一度もありません」
「そう」
だってこんな人のどこを好きになれと言うの。
表面ばっかり良い顔をして、実は自分勝手で強引で人の気持ちも都合もまるっと無視して、いつでもどこでも付きまとってきて。あたしを敵視する人をたくさん生み出して、友達もなくさせて。こんな酷い人の、どこに好きになる要素があるというの。
早く卒業してしまえばいいのに。
そう思うのに、本気で思うのに、あたしの言葉を聞いてほんの数秒だけ曇った先輩の顔に、少しは罪悪感を感じたりもするのだ。どうして傷つくことがあるのだろう。あたしたちの関係は本当の恋人じゃないはずで、単なる利害関係(あたしには害しかないけど)で結ばれた仲だというのに、どうして悲しそうな顔をするのだろう。
先輩の表情や態度はすぐ元に戻ったけれど、あたしの中にはモヤモヤしたものが残った。
カフェで一休憩して、こちらは無理を言って自分の飲み物代はきちんと出して、さて帰るかと駅のほうに足を向けようとしたら呼び止められた。
「どこ行くんだ。次はこっち」
「はい? もう映画も観たし、終わりじゃないんですか?」
今度ばかりは不機嫌を隠さず文句を言うと、お前こそ何を言ってるんだという顔で、先輩は駅と反対方向を指し示した。そちらに並ぶのは服屋に書店、雑貨屋にゲームセンターに、そのほか、買い物や遊びのための場所ばかりだ。もう用事は済んだはずなのに一体どこに行こうというのか。友達でもなんでもない人と演技のために無理やり一緒にいるだけの状態で、これ以上何時間も一緒に歩き回るのは苦痛だ。それでなくとも今日は暑いし、疲れた。精神的に。すごく。もう帰りたくて仕方ない。
「ちょっと買い物付き合ってよ」
「そんな話聞いてませんけど」
「言ってないからね。もうすぐ誕生日の女友達がいるんだけど、そいつのプレゼントを何にすればいいのか全然わかなくて。だから選ぶの手伝って」
「はぁ? 嫌ですよそんなの一人で買ってきてくださいよ」
一応デートって称してるのに、どうして別の人の誕生日プレゼントなんて一緒に選ばなきゃいけないの。あたしが直接知ってる人ならまだしも、先輩の言う「女友達」はきっと知らない人だ。どうやってプレゼントなんて選べっていうんだろう。
普段あれだけ熱心に彼氏のふりをしているのに、こういうときだけ違うように扱うんだ。まあ、それが本来の姿であって、学校で表面上だけ仲良さそうにしていればいいんだから、最初から最後まで彼氏彼女として振舞わなくてもいいんだけど。こうやって前触れなく切り替えをされるとどんな風に対応してよいものか、わからなくて困る。
「いいだろ、外に出たついでだと思ってほら、来いよ」
「ちょっと、」
先輩は有無を言わさずあたしの手を引っつかむと駅と反対方向に歩き始めた。
半分引きずられるような状態であたしも歩きながら周囲を見回すと、炎天下の街中を歩く人は思っていたよりも多くて、すれ違うカップルはこの暑さをものともせずに平気で手を繋いだり腕を組んだりしている。幸せそうに楽しそうに笑顔を浮かべて見つめあったりなんかしちゃって、よくやるものだなぁといっそ感心してしまう。
篠田先輩に言われて無理やり付き合っている状態になってから二ヶ月ぐらいになるけれど、付き合うことも、人を好きになる気持ちも、いまだによくわからない。だってどう考えても面倒だ。どうしてこんな関係を続けていけるんだろう。自然に毎日会いたいとか話をしたいとか、それ以上のことを望むようになるって、どういう気持ちなんだろう。
人と関わるのが嫌いなんじゃない。友達や部活の仲間と話をしたり遊んだりするのは好きだ。
ただ、その相手として特定の異性を選ぶことの意義がよくわからない。
あたしの手を握る先輩の手は、正直、こんな暑い日にずっと触れ合っていたいとは思えない温度だった。ぬくぬくと温かくて、お互いに汗ばんでベタベタしていて気持ち悪い、なのになぜか振りほどけない。ぎゅっと握り締められているけれど、そこまで強い力ではないのに。
男の人の手って、こんなに大きくて熱いものだったんだ。長い指も、あたしのものとは全然違う厚みを持つてのひらも、慣れない感触に戸惑う。
「ひとまずこの店」
と指し示されたのは初めて来る店だった。けれど看板の文字は見たことがある。たしか悠美がこの店で買ったと言って、可愛らしい栞を嬉しそうに見せてくれたことがあった。
「……もういいですけど。どんなものを買うのか見当はつけてきてるんですか?」
「そうだなぁ、何にしよう」
「ノープランで買い物来ないでください! もうやだ、やっぱり帰る!」
「だめ」
店内は空調が効いていて、ドアを入ると同時に体を包む涼しい空気にほっと一息つく。
あんまり広いとはいえない空間にみっしりと明るい色合いの小物がディスプレイされている。携帯のストラップ、キーホルダー、ミニタオル、ピンやシュシュなんかのヘアアクセサリーに、悠美の持っていたような栞まで、どこを見ても確かに「可愛い!」と言いたくなるものばかりだ。何も買わなくてもこのお店なら飽きずに何時間もいられそうだ。
けれど見当なしの無計画な買い物なのを知って、あたしは一気に帰りたくなった。
どこの誰に宛てたものなのかも、どんなものを買うのかもわからないなんて、本当にこの人は最初からプレゼントのことを考えていたのかどうかすら怪しくなる。
けれど背を向けたとたん、握られたままだった手をぐっと強く引かれる。悠美が「可愛い小物がいっぱいあるから好き」と言っていたこの店、たしかにお客さんは女の人ばかりだ。中学生ぐらいからもちろんあたしたちと同じぐらいの年の子もいるし、もう少し大人っぽい感じの人まで。そして、そんな中で珍しい男の人である篠田先輩はどことなく注目されているような気がする。もちろん、先輩と一緒にいるあたしも。
騒げば騒ぐだけ、ありがたくない意味で人の目を集めてしまいそうだ。
ため息一つついて、あたしは先輩に向き直った。
まずはこれを言わなければ。
「いい加減、手ぇ離してください」




