act13
あれこれ大変な目に遭ってるけど、あたしたちは陸上部なのですよ。
その本分を忘れてはいけません。
act13.大会は上の空
陸上の県大会が始まった。公式試合ということで平日に関わらず堂々と授業を休める、いわゆる「公欠」を使うのが初めてで、それだけでちょっとテンションが上がる。
まあ、結局一度学校に集まって、そこから皆で電車に乗って移動するわけなんだけど。
さすがにね、緊張するわけですよ。
女子で中距離を走る選手は、二年生のちなみ先輩もいるけれど、だからといって一年生のあたしは補欠というわけにはいかない。中距離だけでも種目はいくつかあるのだ。人数の少ない女子部員の一人として、あたしももちろん選手として出場することが決まっていた。
中学生までとは違う、初めての高校での公式戦。ジャージの下には真新しいユニフォーム。更にその下の胸は終始高鳴っていた。
舞とは依然として話らしい話もできていない。
今や当然のように部長の隣にいるあたしを(というか彼はいつの間にかあたしの近くにいる)時おりじっとりした目で見ているだけだ。何か話しかけようとしてもさりげなくその場から離れるし、彼女のほうからあたしの近くにくることはない。
別に部長はあたしのものじゃないし、彼に近づきたければ好きにアプローチすればいいのに、なぜか彼女はそうしない。もしかしたらあたしの知らないところでそういう動きがあるのかもしれないけど。
会場への移動中も、会場に到着してからも、舞はあたしを警戒するように一定の距離を保っていた。
この間からの篠田瑞樹・葛西依子交際発覚事件(と呼ぶことにした)からこっち、あたしの精神面は最悪だ。全然走ることに集中できなくて、最近の記録は伸び悩む一方だった。こんな状態で大会を迎えたくなかったな……。
出番待ちの時間は各々、だいたい学校ごとに固まって他の種目の選手を応援する。
同じ種目だから一緒に過ごすことの多いちなみ先輩の隣にあたしは座っていた。
「依子、大丈夫? 顔色あんまりよくないけど」
「いえ、体調は悪くないんですけど、ちょっと緊張しちゃって」
気遣うような様子で訊ねてくる先輩に、あたしはちょっとおどけて答える。
「でもそれだけじゃないでしょ。……舞のこと考えてた?」
今やあたしと舞の不仲は、部活の誰もが知っている。理由まで知っている人は少ないにしても、それほどに舞はあたしに対してギスギスした態度を隠そうともしない。
「まあだいたい想像できるけどね。あの子、部長のこと好きだったでしょ。なのに、依子が突然部長と付き合い始めたから恨んでるんだ」
「そんなところです」
もういちいち「付き合ってない」と否定するのも疲れてきたし、彼女の言うことはだいたい合っていたから、頷く。何もかも全部誰かにぶちまけてしまえれば楽なんだけど、そうしたところで信じてくれる人なんて今のところ悠美ぐらいしか思いつかない。
「秘密にしておけばよかったのに。部長と付き合い始めたこと」
「あたしが言って回ったんじゃありませんから。部長があちこちに公言して回って」
だからこんなことになっちゃって。
あの人、自分が他人に与える影響力を考えたことがあるんだろうか。元生徒会長で、陸上部では部長で、学校内で知らない人はいないぐらいの有名人かつ人気者なのだ。彼が何か言えば、周りの人はどうしても注目してしまう。
だいたいあたしと彼氏彼女ごっこをすることで、彼に何の利益があるんだろう。取り巻きのお姉さんたちを少し牽制するぐらいしか、思いつかない。あとは面倒そうなことばかりで、プラスかマイナスかといえば思いっきりマイナスにも思えるのに。
「そうね、確かにね。今は時間が解決してくれるのを待つしかないかもね」
でも今は目の前の大会に集中しなさいと、先輩はバシンとあたしの背中を叩いた。その愛のムチ、あたしにはちょっと痛いです先輩。
「じゃ、あたしそろそろ行くから」
颯爽と歩き去ってゆくちなみ先輩の背中を、あたしは頼もしく見送った。
彼女はあたしと違って学校でも調子がよかったし、うまくいけば関東大会へ駒を進められるかもしれない期待の星だ。
あたしももう少ししたら選手席に移動しなきゃいけない。彼女の言うとおり、今は走ることだけに集中しよう。
実はこの大会で、あたしは初めて篠田先輩の跳ぶ姿をまともに見た。
普段の練習でいくらでも見られるはずなのに、自分が走るのに夢中なのと部長の姿をできるだけ視界に入れたくないのとで、ほとんど彼らの練習風景を見ていなかったのだ。
「……すごい」
専門としているものが違うから当たり前だけど、あんなに高いバーを難なく飛び越えて平然としている。助走をつけて、ひらりと跳躍する瞬間の姿がとても綺麗で、目に焼きついて離れなかった。
あの体が宙に浮く瞬間、彼の目に映る空はどんな風なんだろうなんて、考えてしまう。
本人には絶対に訊きたくないし、もちろん跳ぶ姿に感動したなんて口が裂けても言いたくないけれど。それでも、一枚の絵のように綺麗な瞬間だった。
結局、あたしの記録は県内十七位という中途半端なもので終わった。
悪いほうではないけれど、関東大会に出るにはまだまだ足りない。
うちの学校からは、ちなみ先輩や篠田部長をはじめとした数人が関東大会への切符を手にして、県大会は幕を閉じた。
この大会で引退する三年生もいる。けれど関東大会を控えている三年生ももちろんいるので、彼らが陸上部を正式に引退するのはもう少しだけ先のことになる。
部活中はポーカーフェイスの多い部長だけど、さすがに大会を勝ち進めたことが嬉しかったのだろう。同じ三年生の男子と試合のことをあれこれ話しては笑っ ていた。彼が作り笑いじゃなくて本当に楽しそうにしているのも、そういえばあまり見たことがなかった。いつもあんな風にしていれば良いのに。
別にあの人がどんな顔をしていても、あたしには関係ないけれど。
「浮ついた気持ちで走るから、結果が出ないんだ」
「はい?」
数日にわたる大会が終わって、顧問と部長からの話を聞いたらあとは会場前で現地解散になって、あたしたちは駅に向かってバラバラ歩いている。現地解散といってもみんな途中までは帰る方向が同じだから、結局一緒に移動することになる。
一人になって、何を考えるともなしにぼんやり歩いていたから、いきなりすぐ近くで声が聞こえて驚いた。声の主は振り向かなくてもわかる。
篠田先輩は、試合中外していた眼鏡をかけて、じっと前を見ていた。
「走るの見てたけど、上の空だったでしょ。葛西さん。全然普段の力が出てなかった」
そんなことは言われなくても自分がよくわかっている。
肩にかけたバッグの持ち手を握り締める手に力が入る。
「わかってます。それぐらい、自分で」
「わかってるならもっと集中力をつけろ。くだらないことでいつまでもグダグダ悩むなよ」
悩みの一番の種はあなたなんですけど。
そこのところわかってるのかな、この人。
彼があたしに目をつけて「付き合ってる」なんてほらを吹き始めなければ、きっと今頃あたしは平和に学校生活を送れて、あの舞とも仲直りできて万事順調のはずだったのだ。その予定をすべて狂わせたのは、この篠田先輩だ。
でもあたしが自分の中でそれらを処理できなかったから今回の結果になったわけで。
人のせいにしちゃいけないところなのが、またやるせない。
「今回は色々タイミングが悪かったんです。次回は頑張りますよ」
「その意気だ」
自分に言い聞かせるように、でも少しだけ先輩へのあてつけも込めたのに気づいたのかわからないけど、彼はあたしの肩を叩いてふっと笑った。言いたいことだけ言って、欲しい返事を得て満足したのか、先輩はまた三年生たちの集団へ戻っていった。
いつもの意地悪なものでもなく作り笑いでもない、柔らかい微笑みだった。




