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第2 難航する捜査 7.

7.


 十一月一日、十時四十五分。

 菊池と後藤は『協和薬品株式会社』の受付前にいた。

「総務課の畠山さんにお会いしたいんですが?」

「あの、どちらさまでしょうか?」

 受付の女性は笑顔で応える。

「警察の者です」

 女性は一瞬驚き、目を見開く。

「私は県警捜査第一課犯罪二係の後藤といいます。こちらは同課の菊池です」

 名刺を取り出し受付カウンターにそっと置き、菊池も紹介する。

 受付の女性は名刺をジッと見てから二人を見上げた。

 同時に菊池が警察手帳を開いて見せる。

「判りました。少しお待ち下さい」

 素早く席を立ち、カウンターの背面にあるドアを押し開け姿を消した。

 暫くすると年嵩の男が媚を売るように笑顔を振り撒きながら出てきた。男の後ろに受付の女性も続く。

「統括部長の高松です。――あの、又、何か……、この前別の刑事さんが来られて既に終わったのでは……」自信なさそうな目つきで二人の顔色を窺う。

「そうですね。ですが今日はもう少し確認をさせて頂きたいのですが。少しの時間でも宜しいので畠山課長さんとお会いしたいのですが」

「あの……、何か書類か、お持ちで?」

「いえ、特に何も無いですが、礼状か、何か?」

「いえ、そうのような」言葉を濁す。

「捜査に協力して頂けなければ……、今後何度でも捜査協力を頂く為にお伺いしなくてはなりませんね」菊池が口を挟み高松の顔を見据える。

 高松は顔を歪め、口をへの字にする。何度も来られては困る、という顔つきありありである。

「はは、解かりました。――では、花島君。応接室へお通しして」渋々と指示をする。

 花島と言われた受付の女性は頭を下げるとカウンターを出て直ぐに二人を会議室へと促した。

「私も同席しても大丈夫ですか?」

「いえ、畠山課長お一人で結構です」首を捻り高松へ返事する。

 後藤は廊下を歩きながら菊池に目配せをするが、菊池は前を向いたまま歩く。

 今日はあの畠山と話してみるつもりだ。言葉にはしないが菊池も後藤も胸にそう呟いていた。

 二人を応接室に通して去った受付の女性が運んできたお茶が温くなってきた。

暫く待たされた。

 残りのお茶を飲み干そうとした時、ドアを叩く音が部屋に響いた。

 すると見覚えある男、畠山が姿を現した。

 畠山は部屋に入るなり二人を見下ろすと冷たい視線を送ってくる。その視線をものともせず微動だしない後藤。

「今日は何のようですか? まだ、何か」ソファーに座るなり冷たく言い放つ。

 二人を見据える。ギロッとし、奥深く鈍い光を宿す目つきだ。

 菊池は違和感を覚えた。病的な雰囲気で何処となく憔悴感を漂わせる。視界に入る畠山生きていながらにして衰えていく、何か抜け落ち凋落した人間みたいに見える。言い換えればまるで別人の様にも見える。そう思えるのは考えすぎであろうか。

「お忙しいところ、誠に申し訳ありません」後藤が先ずは深々と頭を下げる。

「ええ、忙しいので手短にお願いします」

「そうですね。分かりました」

「……」

 そう言っておきながら後藤は畠山を見据えたままジッとみる。

 どうして何も話さないのか、不思議に思う菊池を無視したまま只管畠山の顔を覗き込んでいるだけだ。

 その後も暫くそのままの状態が続いた。

「刑事さん。刑事さん」痺れを切らした畠山が口火を切る。細い目をして訝しそうに後藤を見る。

「はい、失礼しました」

「では、お聞きします。――事件のあった先月十三日の十六時から十八時の時間、貴方は何処に居ましたか?」 後藤が突然、質問を投げかけた。

「え、その事は、この前もその事は別の刑事さんにお話したと思いますが」

「奥さんもご一緒に?」

「いえ、一人でした」

 あの日、あの時間、妻との連絡が取れなかった。何度も連絡したが結果的に行方不明だった。

「じゃあ、お一人で?」

「ええ、それが」

「奥さんも一人だった?」

「ちょっと待って下さい。一方的に、な、何ですか!」

「誰もあなた方二人の証言をする人が居ないのですね」

「いや、居ます。病院の関係者の方、担当医師や看護士に訊いて下さい。間違いないです」

「係長」横で目配せした菊池が小声でボソッと言う。 

「じゃあ、奥さん証言をする人が居ないのでは?」

「そ、それは……」

「居ない?」

「いえ、妻は自宅に居た筈です。確か自宅に連絡をした時、電話にでました。入院中の息子が検査結果を……」

「いた筈、ですか?」畠山の言葉に被せて質問を投げる。

「え、いや、居ました」

「何故、曖昧なのですか?」

「もう、あれから時間が経っていますからね。記憶が少し曖昧かもしれません」

 苛つきを隠し切れないのか、畠山は落ち着きのない表情をする。少し俯いている。

「どうかなさいましたか?」

「……いえ」畠山は背筋を伸ばす。

 係長、今日は執拗に質問攻めだな。間髪入れずに質問を投げる。ふん? 気のせいだと思ったが畠山の顔色がおかしい。青ざめているようだが。

「畠山さん、ご気分でも悪いのですか?」反応の悪い畠山に菊池が言う。

「大丈夫です。何も」

「えー、それでは」

「まだ、何か用があるのですか?」

 先週会社に来た刑事とはだいぶ違うようだが、早目に切り上げてくれないだろうか、先ほどから息苦しい。今ここで気分悪くして倒れる訳には行かない。

「あの刑事さん。先週、別の刑事さんにも言いましたが、何度も同じ事を言わせるんですか。いい加減にして下さい」

「まあ、とにかくハッキリとさせないとね」

 畠山の額に脂汗が浮いているのか鈍く光る。

 後藤は懐から煙草を取り出した。

「どうですか、煙草でも」

「いえ、結構です。どうぞ」と手を差し出す。

余裕の声とはよそに畠山は堪えて話そうとする。その後も落ち着きなく握りこぶしを作り、落ち着きない。

「じゃあ、すみません」

 口に咥えた煙草に火を点ける。一口を深く吸い込むとゆっくりと長く煙を吐き出す後藤。

「付かぬ事を質問しますが気を悪くなさらないで下さい」

「どうぞ」

「息子さん、どうです? ご心配ですよね」

「ええ、まあ。職務柄調べるのは結構ですが、息子の事は何ら関係ないと思います」

「そうですが、息子さんと被害者は同級生だったですよね。それに父親も仕事柄お付き合いがあったと訊いています。全く持って無関係とは言えません。無視は出来ない訳です」

「ご心配なく、息子の病状は快復に向かっています」

「そうですか、じゃあ最後に、本当に奥さんは自宅に居て電話に出られたのですね。間違いないですよね」

「ええ、間違いないです」

「畠山さん、これだけは言っておきますよ。本当の事は隠さず話して下さい。もし、思い出した事がありましたらご連絡下さい」

「ええ、分かっています。刑事さん、もし、もし本当の事があればお話しますよ」

「おっと長居してしまいました」そこまで言うと後藤は半分ほど吸った煙草を灰皿で軽く揉み消した。

 後藤はゆっくりと立ち上がる。菊池に目配せして促す。俯いたままの畠山を見下ろして後藤は目礼する。

「大変、ありがとうございました」菊池が倣って頭を下げる。

 二人は畠山を後に部屋を出て行こうとした。その時

「刑事さん、妻は」畠山が呼び止める。

「妻は何もしていない。何も……」

 後藤は振り向き、畠山を見ながら「畠山さん、私は警察の人間です。だから、真実をハッキリとするだけです。それ以上でも以下でもない。ただ、殺害された少年は何も殺される事はなかった。だから、犯人は罪を償うべきです。では、失礼。いくぞ」

 二人の刑事が出て行く。特に後藤の背中をジッと見据える畠山。

 

「刑事さん」

 振り返るとそこには女性が居た。二人がエレベータの前で待っていた時だ。

「何か?」

「いえ、畠山課長に容疑がかかっているんですか?」唐突に切り出す。

「いや、それは何とも言えません。貴方は?」

「私は総務課の橋本と言います。畠山課長は私の上司です」胸のネームプレートに目を遣る。

「ところで先月十三日の畠山課長の様子を覚えていますか?」

「だいぶ時間が経っていますが、あの日午後から確か大学病院へ行くとか言ってました」

「その時、事か何か言ってませんでしたか?」

「そうですね、息子さんの事。それ以外に畠山課長自身の体調も思わしくなかったと思います」

「それは、何故です?」

「あの日、おかしかったです。どこか具合が悪いのかと思い、声をかけたのですが、はぐらかされました」

「その時、すでに企んでいたのでしょうか?」菊池が後藤に話しかける。

「畠山課長は絶対に犯人じゃありません。だって、解かります。そんな人間じゃありませんから」

「そうですか」

「はい」言い切る橋本。

「それはそうと断言はできませんね。私達は決して決め付けている訳ではありません。警察の捜査も連立方程式の消去法と同じで間違いや有り得ない事を順番に消していく。最終的に残された選択肢。そうやって事件を解決していきます。容疑の可能性ある人物は証拠、証言で消していきます。その為、畠山課長がそうでないと言い切るのは証拠が必要です。確たる物的証拠がね。例えば……そうですね、煙草、血液、髪の毛やら、なんてのは」

 彼女が身を引き驚いている。さすがに血液とか言えばどんな風にすればよいのか分からないからだ。

「冗談ですよ。まあ、分析できる証拠なんてのがあればという意味です」

「じゃ、私がその証拠になる物を持ってくればいいんですね?」

「と、いうと何かお持ちですか?」ほほう、という顔つきで彼女の顔を覗き込む。

「いえ、それは……」

 橋本はとても困惑した表情で俯いている。

「何かあったらこちらへ連絡下さい」と後藤は懐から取り出した名刺入れから一枚の名刺を差し出した。

 真に受けなさそうな視線を横から送る菊池。そう当てにはならないような気がした。上司に想いを寄せる女性と言うくらいにしか受け取れなかった。

 橋本は差し出された名刺を黙って受け取り「じゃ、私はこれで」と一礼して踵を返し、そそくさと走り去った。

「係長、あまり大した情報は期待できそうにないですね」

「そうだな」さり気無く菊池の話を独り言のように聞き流しながら懐に名刺入れをしまう後藤。

 『橋本清香』、彼女の名前。ネームプレートに書かれていたフルネーム。何となくだが薄っぺらい愛と言うより絶大な信頼といったような感じを受けた。後藤は直感的に彼女は決して嘘を付いているようには見えなかったし、何かありそうなに受け止めた。

「何、してるんだ。行くぞ」

 後藤はツカツカと扉が開いたばかりのエレベータに乗り込む。慌てて菊池は後藤を追う。

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